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「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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  ★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2021/08/15 (Sun)
まぁ…雨がスゴイですね。

先週、地球温暖化のスピードが想定以上だ、
という報道に接したばかりでしたが、
最近の天候を見ていると、
まさにそれを実感してしまいます。

日本は相当ヤバイかもしれません。
真面目に、
今後の住居をどうしようか、
悩んでいるところです。

そして、
災害級という表現に変わった、
新型コロナウイルスの感染拡大。

状況が日々悪化する中、
先週の水曜(8/11)に、
私はモデルナ製ワクチンの、
2回目接種を済ませました。

当初は、
地元の開業医を予約して、
ファイザー製にするつもりでしたが、
それを待っていると、
9月中旬になってしまうので、
職域接種の方へ参加したのです。

モデルナ製を避けていたのは、
どうもこちらの方が副反応が出るようで、
先に職域接種を受けた連中が皆、
翌日以降、
会社を休む姿を目にしていたからでした。

オリンピック開会式の際に、
4連休を取得できなかったこともあり、
私はこの際、
夏休みを取ろうと考え、
用心のため、
接種の翌日から2日間有給休暇を取得し、
本日まで4連休としていました。

さて、
私にはミョーな仮説があり、
もしかすると、
副反応が出ないのでは?と思っていたのですが…

果たして、
接種翌日はもちろんのこと、
翌日も平熱のままでした。

この分なら、
休みを楽しめるかな?などと思った、
接種翌日の夕方…
ちょうど接種してから24時間が経過したあたりで、
ミョーにポカポカするので、
体温を測ってみたら、37.9℃でした。

ありゃ、やっぱり出たか?

ところがこの発熱、
申し訳程度のもので、
1時間ちょっと経過したら、
すっかり平熱に戻ってしまいました。

そして、
それっきり発熱はなく、
もちろん、
頭痛も倦怠感もなく、
同日に接種を受け、
37℃台の発熱が2日も続き、
だるくて何もしたくないとボヤく、
カミさんを尻目に、
ヘラヘラ過ごしていたのです。

やはり、
私の仮説は当たったのかな?

というのも…

今を去ること2年近く前の、
2019年12月、
キッスの東京公演に行った後、
ヒドイ咳に悩まされまして…
1ヶ月ぐらいゴホゴホしていたことがありました。

時期的に、
武漢で新型コロナ騒動が起きる直前でもあり、
もしかして、
初期型に軽く感染していたのでは?
などと思うことがあります。

それを裏付けるように、
当時、私から咳を感染させられた(迷惑な話ですな)
私の目の前にいる者が、
やはりワクチンの副反応が全く出ず、
周囲から不思議がられていたのです。

もしかしたら、
本当にそうなのかな?
だとすると、
ここでワクチン接種も完了したし、
まずは最強の抗体を持っていることになるのですが…
どうしたら、証明できるのでしょう?(笑)

一方、
せっかく4連休はあいにくの雨模様で、
最終日の今日が最も激しく、
仕方ないので、
ずっと家にこもって、
宅録に明け暮れておりました。

ん〜さすがに飽きてきましたが、
まぁ…贅沢は言っておられませんね。
何事もなく過ごしていることを、
ありがたく思わなくては。
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★2021/08/09 (Mon)
ダブル台風北上の中、
オリンピックが閉会を迎えました。

始まるまではいろいろありましたが、
とりあえず無事に終わって、
ホッとしているところです。
(何しろ、仕事で関わっているので…)

基本的に、
オリンピックの仕事は、
情報提供に関する取り決めが厳しく、
宣伝活動がいっさいできないため、
社名を出すことはもちろん、
現場の画像を紹介することもできないのですが、

各国の選手たちがSNSやYouTubeで、
食事の様子を紹介し、
絶賛してくれたため、
結果として、
かなりの情報が拡散されています。

事業活動において、
SNSについては、
いつも弊害ばかりが目に付くところですが、
今回は初めて、
このツールの恩恵を受けたというところです。

この後、
引き続きパラリンピックの対応が残っていますが、
ひとまず関係者に、
お疲れ様を言いたいですね。

ちなみに、
私も後半になって、
テレビを見る余裕ができたのか、
野球の決勝を見てコーフンし、
見慣れた札幌の景色を懐かしみながら、
延々とマラソンを見たり、
それなりに楽しむことができました。

そして、
その一方、
コロナや暑さや大雨の影響で、
ステイホームを心がけたおかげか、
例のボカロを使った宅録が捗り、
ここまでで2曲、
ヴォーカルを入れたテイクが完成しております。

これは間違いなく、
昨年よりも早いペースであります。

今年は、
カバー中心にやろうと思い、
すでに選曲を済ませているのですが、
前回ここで話題にした、
ユーライア・ヒープの曲が、
ここに含まれています。

ボカロのパートを作成していて、
たいへん感動したのは、
ヒープのヴォーカルパートは、
歌詞がうまく考えられているので、
正確に譜面になるということでした。

これはスゴイことで、
一回パターンを作ってしまうと、
あとは少し手直しするだけで、
キッチリ歌詞が収まるのです。

こういう作業をしながら、
あらためて、
(デビッド)バイロンの歌唱力が、
いかにズバ抜けているのか、
よくわかりました。

音程正確、譜割キッチリ、
そして、美しいビブラート…
まさに芸術品のような歌であります。

一方、
同じデビットでも、
ボウイの方は、
つぶやくようなフレーズ…
しかも低音が多いので、
ボカロには少々不向き、
こちらは、
肉声に敵わないことを思い知りました。

Marcさんに歌ってもらった方が良いかも…

(こんな話をしていると、先の2曲がわかってしまう?(笑)

自分では歌えないくせに、
やたら歌というものを分解して、
研究に余念がない、
今日この頃です。

3連休のほとんどが、
大雨ということもあり、
家に閉じこもっていたわけですが、
まぁ…やることはある、
というところでしょうか。

とはいえ、
早く、
大手を振って、
外出ができるようになってほしいですね。
★2021/08/01 (Sun)
さて…

新型コロナウイルスだけでなく、
諸々の事情(?)により、
対外活動を自粛せざるを得なくなったおかげで、
音楽を聴くことが多くなっていた今年の前半ですが、

春からしばらくの間、
2006年に発売された、
ユーライア・ヒープの紙ジャケシリーズの収集に没頭し、
デビューから1978年まで…
いわゆるバンドとして機能していた全盛期の、
13枚のアルバムを揃えるに至りました。
(しかも、ほぼ新品ばかりで…)

高校時代の一時期、
パープルよりヒープになりたいと思ったほど、
思い入れのあるバンドなので、
ここで少しレビューをしてみようかと思います。

ユーライア・ヒープは、
メンバーチェンジが激しいのですが、
サウンドのキーになる、
ベーシストを軸に見てみると、
1970年代の活動は、
大きく4期に分けることができそうです。
(この分け方は、パープル・ファンの悪いクセか…)

第1期は、
ポール・ニュートンが在籍していた、
『ファースト』から『対自核』までの3枚で、
(1970年から71年)
この時期は、
まだブルースの影響が残っていて、
ブラック・サバスと似たような、
リフを中心としたヘヴィなサウンドが特徴です。

一方で、
アコースティックギターや、
クラシカルなオルガンサウンドなども積極的に取り入れており、
『対自核』でそれが花開いた感があります。

続く第2期は、
短期間だけ在籍していたマーク・クラークの後、
ゲイリー・セインが加入し、
5人のメンバーが不動になった、
『悪魔と魔法使い』から『夢幻劇』まで、
ライブを入れて5枚…
一般に黄金期と呼ばれている時期です。
(1972年から74年)

やはり2期は黄金期か、
などとミョーな納得をしてしまいますが、
叙情的でありながらハードなサウンドは唯一無二で、
クイーンが参考にしたという、
鉄壁のコーラスワークもこのメンバーで確立しました。

ところが、
この時代のバンドの常で、
ドラッグやメンバーのエゴから、
黄金期のラインアップは長続きせず、
ゲイリー・セインが解雇され、
超大物のジョン・ウェットンが加入したのが、
第3期です。(1975年から76年)

鳴り物入りだったウェットンの加入ですが、
『幻想への回帰』は、
ゲイリー・セインのパートを差し替えただけで、
メンバーとしてアルバム制作に関与したのは、
『ハイ・アンド・マイティ』のみということになります。

そしてウェットンは、
ヴォーカルのデヴィッド・バイロンが解雇されると、
それに付き合う形でバンドから脱退。
ベースに元スパイダー・フロム・マースの
トレヴァー・ボルダーが加入し、
ヴォーカルにジョン・ロートンが加入したのが、
第4期となります。

このメンバーでは、
『ファイアフライ』から『堕ちた天使』
までの3作を発表しています。(1977年〜78年)

多作なバンドだから、
アルバムを並べてみると、
どれだけの期間かと思うのですが、
わずか10年足らずの出来事でした。

高校時代の私はやはり、
重厚な第2期前半のサウンドを好んでおりましたが、
今になって聴いてみると、
ポップでノリの良い。
第4期が心地よく感じられます。

第2期後半の『スイート・フリーダム』
というアルバム(1973年)に、
すでにその兆候があるのですが、
(表現はよくないかもしれませんが)
ちょっとアメリカンロックっぽい、
ドゥービーっぽい感じがググッと前に出ているのがよいのです。

鉄壁のコーラスを、
こういう風に活かしたわけですね…

『堕ちた天使』は、
高校時代にリアルタイムで聴いて、
けっこうお気に入りだったわけですが、
その前の『罪なきいけにえ』(1977年)もイイ線で、
このノリは、
トレヴァー・ボルダーならではのもの、
と思ったりしています。

ちなみに、
ヒープ歴代のベーシストは皆スゴ腕で、
ゲイリー・セインを除くと、
やたら重いベースサウンドが特徴です。

初代のポール・ニュートンと、
ジョン・ウェットンは、
ちょっと似たところがあり、
トレヴァー・ボルダーもそれに近いのですが、
さすがにボウイとやっていただけのことはある、
抜群のドライヴ感には特筆すべきものがあります。
(いうまでもなく、
この中にあってもゲイリー・セインは別格です…)

第4期というか、
時代を追うごとに、
(1970年台後半になると)
バンドサウンドがアメリカを意識したものになるのは、
パープルも同じで、

彼らも第4期でかなりイケていたわけですが、
残念ながら長続きはせず、
ヒープも同様に、
第2期を求めるファンの声が多く、
やはり第4期でバンド活動を失速させています。

このへんは残念と言えばそれまでですが、
それほどファンの力というのは影響力があるのですね…

『スイート・フリーダム』
『罪なきいけにえ』
『堕ちた天使』

これが今回、
ヒープの歴史を追いながら、
もう一度ドップリとそのサウンドに浸った結果、
私が再評価したいと思ったアルバムです。

ミョーな引用と思われた、
パープルとの対比ですが、
意外と、
言い得て妙な部分があり、
ちょっとドヤ顔になっています(笑)

よくわからないのは、
第3期がもっともお金になった時期
(アルバムが売れた)
だったということで、
そのおかげか、
中古市場の相場も高く、
なおかつあまり出てこないのです。

個人的には、
そこまで?と首を傾げるのですが、
私がおかしいのでしょうか…ねぇ?(笑)
★2021/07/25 (Sun)
ついに始まりました。
57年ぶり、2度目の東京大会。

前回は、
私が2歳の時になるわけですが、
母が言うには、
ちょうど千住のお祭りに重なって、
文字通り街中がお祭り騒ぎだったそうです。

当時は千住にあった、
足立区役所の前を聖火ランナーが走り、
走者の下の名前が、
私と同じだったなど…話題に事欠かず、
写真もたくさん残っていて、
当時を偲ぶことができます。

まだ幼児だった私は、
お祭り装束で写っていますが、
みんなで仲良く記念撮影をした後、
なぜか隣にいた女の子に噛み付いたとか…(笑)
(そしてその子は、中学の先輩であります)

それに比べると、
今回はコロナ禍ということもあり、
世間はたいへん静かで、
テレビの映像を見ていると、
どこか遠い国の出来事のように感じられました。

そして今の私は、
選手村の飲食サービスを担当する企業の、
品質保証部門のカシラなわけで…

コロナ禍の影響で不足したアルバイトの頭数を、
社員総出で埋め合わせる中、
他の事業所が通常の営業であることもあって、
選手村へは入らず本社で待機し、
事業所からのクレーム対応をしながら、
選手村の不足の事態へ備えたのでありました。

おかげで開会式当日(7/23)は、
会社近く(赤坂)にホテルを予約し、
本社ビルの空調が切れる21時以降はホテルで待機し、
夜中まで備えていたのです。

赤坂あたりは交通規制もあり、
飲食店は開いておらず、
人通りがほとんどなく、
ゴーストタウンのようでしたよ…

そして、
翌日(7/24、昨日ですね)も朝から本社で待機し、
夜になって、
どうやら大事はなさそうだとなり、
ようやく家に帰ることができました。

なにしろ、
この2日間が選手村の人口のピークで、
最大45,000人の利用が見込まれていたので、
関係者はドキドキしていたのです。

ということで…

今回の開会式は、
会社とホテルのテレビで見た、
ということになり、
お祭り装束ではしゃいでいた57年前とは、
エライ違いなのであります。

開会直前まで、
その是非が問われた大会ではありましたが、
開会式に参加した各国に選手たちの顔は、
みな晴れやかで、
これを見た瞬間に、
「ああ…始まってよかったな」としみじみ思ったものです。

明後日あたりには、
台風がやってくるそうですが、
無事に閉会式が迎えられるよう祈っております。

そしてオリンピック、パラリンピックが終わると、
早いもので、
2021年も秋になってしまいます…

さて…ねぇ?(笑)

↓私のデスクの後ろから見た、7/24の昼頃の都心の風景

★2021/07/18 (Sun)
先週、
次回はユーライア・ヒープについて語ります、
などと予告をしておきながら、
ちょっとしたトラブルに対応して、
本日は力尽きてしまいました。

何が起きたのかといえば…

昨年来、
宅録を再開し、
順調に作品を増やしながら、
YouTubeのチャンネル開設を企んでいる、
今日この頃ですが…

PCをリニューアルしたこともあって、
大事なデータのバックアップをもう一度見直そうと思い、
とくに宅録音源は消滅されたら困るので、
すでに完成したものを中心に整理していたところ、

なんと、

今年の新録の中で、
オケが出来上がって仕上げに入ろうか、
と思っていた作品の一つを、
何かの作業中に誤って、
消去してしまったのでありました(涙)

これは、
とくにお気に入りだった曲で、
PCで最終調整をしたら、
いよいよヴォーカロイドの登場だなと、
ヤル気満々だったところなので、
昨日の落胆は尋常でなく、

その後、
これは早いうちに挽回しないと、
今後の制作活動に支障をきたしかねない、
などととつぜん発奮し(笑)

今日は午前中から、
躍起になって、
演奏の感触を忘れないうちにとばかり、
もう一度録音をし、
昨日の失策を解消しようと頑張っていたのです。

おかげで、
わずか一日で、
ほぼリカバリーすることはできましたが、
折りからの暑さもあり、
ヘロヘロになってしまったのでありました(笑)

まぁ…
新録の場合、

いろいろ試しながら、
少しずつ進めるので、
それなりの時間がかかりますが、

いったん完成型に至れば、
それをなぞるだけなので、
短い時間でなんとかなるということなのでしょう。

とはいえ、
疲れ果ててしまいました。

あまり根を詰めると、
趣味が苦行になってしまい、
すぐにイヤになってしまうので、
そうならないように注意しているところですが、

どうも私の場合、

趣味は修行に近く、
時に今回のように、
側から見れば、
常軌を逸した行いをすることがあるようです。

ここからはノンビリやろうっと…
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★ ILLUSTRATION BY nyao