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「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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  ★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2020/11/08 (Sun)
訃報ばかりが並ぶお年頃になりましたが…

そんな中で、
THE WHOは昨年、
13年ぶりの新作『WHO』を発表しました。

私はずっと気にしていたのですが、
最近になって中身を聴く機会があり、
「これは!」と思い、
ようやく入手したところです。

私が入手したのは、
2020デラックス・ヴァージョンという、
アコースティック・ライブが
追加されたものでした。

また、じっくり聴き込んではいませんが、

一聴した印象では、
1曲目の「All this music must fade」から、
あのTHE WHOサウンド全開で、
ロジャーもピートもまったく衰えておりません。

この2人は不死身だろうか…(笑)

追加された、
アコースティック・ライブは、
懐かしい、
往年の名曲が勢揃いで、
こちらも味わい深い、
素晴らしい演奏でした。

個人的には、
「Substitute」と
「The kids are alright」が感度的でした、
そして「Won't get fooled again」の
アレンジがよかったなぁ…
ピートはギターうまくなりましたよ(笑)

LED ZEPPELINが、
あんな形で、
バンド活動を終わらせてしまった一方で、
THE WHOは、
メンバーが亡くなろうが、
耳が聞こえなくなろうが、
ロリコンで逮捕されようが(笑)

とにかく、
シブとくバンドを続けています。

このシブとさは、
Rockerの「鏡」と言えるのではないでしょうか。

最期までのたうち回るんだよ。

ザック・スターキーも、
ピノ・パラディーノも、
すっかりバンドに溶けこんでいて、
フルヴォリュームになった瞬間、
オリジナルメンバー?と思うことがあるほどです。
(とくに、ピノはいいベーシストだと思います)

ここで、
来日したら、
めっちゃ盛り上がるだろうに…
今の環境がうらめしい限りです。

しばらくは、
このアルバムと、
これまた見逃していた、
ドキュメンタリー映画を見て、
ひとりで盛り上がるとしましょうか。

それにしても…
THE WHOは不滅です!

おまけのシールは、
どこに貼ろうかな?(笑)

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★2020/11/01 (Sun)
訃報続きですが…

近藤等則さんが逝去しました。

1990年前後の時期に、
熱狂していたことを覚えています。

こんなに乱暴で、
ブッキラボーなのに、
最新の音に敏感なトランペッターは、
見たことがありませんでした。

出会いは、
1985年『Metal position』という作品からで、
1曲目の「Night drive」の荒涼とした景色…
アルバムタイトルそのままの、
クールでメタリックな音をバックに、
短いリフのようなメロディを叩き込む、
近藤さんのプレイに一瞬にして惚れ込んでしまいました。

彼のバンドIMAのメンバーが強力で、
ベースにフリクションのRECK、
キーボード、富樫春生
ギター、酒井泰三
ドラムス、山木秀夫
という強者揃い…

RECKはすでによく知っていましたが、
山木秀夫という、
稀代の名ドラマーに出会ったのは、
このアルバムで、
以降、
彼のソロアルバムを追いかけ、
参加作を手当たり次第に聴くことになります。

そして、
『Metal position』に続く、
1989年の『Tokyo rose(東京薔薇)』は、
天安門事件に対する抗議を表明した、
「China demonstration」や、
地味変の「Purple haze」のカヴァーで話題になりましたが、
個人的にベストトラックは、
山木さんのビートがひたすら心地よい、
「F1 Republic」(よく聴くと阿波踊りのリズムです)と、
近藤さんが砂漠でトランペットを吹いているような、
「Timeless man」で、
この無国籍サウンドは、
当時のワールドミュージック・ブームにぴったりで、
何しろ文句なしにカッコイイと思ったものです。

続く1991年の『Brain war』からは、
CMに起用される曲も出て、
近藤さんはすっかり時の人になり、
TVの歌謡番組にも出演しておりました。

とは言え…

ステージ同様、
スーツ姿にサングラスをキメて、
ガニ股で闊歩しながらトランペットを吹く姿に、
ジャズミュージシャンのイメージはなく、
それを期待していた視聴者の期待を裏切る、
まさに拍手喝采の勇姿でありました。

一方、
ドラムの山木さんはこの時期、
IMAと並行して、
1990年に『Tentelletsque』(傑作!)
1993年に『Shadow run』(ジンジャー・ベイカーと共演)
という2枚のソロ作を発表しておりますが、
いずれも近藤さん譲りの、
無国籍音楽で、
こちらにも熱狂したものです。

ギターの酒井さんとは、
2000年頃にネットで知り合い、
前にやっていた、
ホームページの掲示板に遊びに来てくれたりして、
いろいろな話をした覚えがあります。

ウワサでは、
近藤さんも、
ツアーでのアルコール摂取量は半端なかったそうで、
多くのミュージシャンが70歳あたりで力尽きるのは、
その影響があるのかもしれません。

それにしても続きますね…

ご冥福をお祈りします、
と言いたいところですが、
近藤さんは不死身な顔をしていたから、
その言葉が似合わないかもしれません(笑)

ヴァン・ヘイレン、
加部さん、
近藤さん、
みんな素晴らしい音楽をありがとう…
こう言った方が良いかもしれませんね。
★2020/10/25 (Sun)
右目の白内障手術の入院前夜、
9月27日に、
ルイズルイス加部さんの訃報が飛び込んできました。

さすがに、
そういうタイミングだったので、
話題にすることをやめましたが、

入院中は、
ネット上に公開されている、
加部さんの自伝「気ままに生きる」を読み、
Apple Musicで曲をダウンロードして、
故人を偲びました。

私が彼の雄姿を初めて見たのは、
高校の終わり頃、
ジョニー・ルイス&チャーのステージで、
その独特の雰囲気と個性的なプレイに圧倒されました。

その後、
ゴールデン・カップスの存在を知り、
ラジオ番組で鈴木ヒロミツさんのトークから、
当時の武勇伝の数々を聞き、
いっそう惚れ込んだものです。

京都でモップスとジョイントし、
リハを終えて中華料理を食べていた際、
「マズイなぁ…やっぱ中華は横浜だよ」と
ブツブツ言っていたと思ったら、
その後、行方不明になり、
まさかと思ったマネージャーが、
自宅に電話をかけたら母親が出て、
「あ…今、帰ってきましたよ」と…(笑)
(ちらしずし、でもやりましたね)

コンサートをすっぽかすのは常習だったようですが、
自伝を読むと、
当時はなにしろ彼女と会いたかったとか…
そちらの方が大切だったのですね。

ジョニー・ルイス&チャーで
LAに遠征した際も、
(市制施行、何周年記念とか言ったイベントで、
野外で演奏したような記憶が…)
彼らの演奏のスゴさに焦ったイベントの主催者に、
となりのステージの音が聞こえなくなるからと、
途中で中断させられた場面で、

怒るチャーが後ろを振り返ると、
「マーちゃん(加部さんの愛称)、片付けてるし…」
「ホテルへ帰ればいーじゃん」と…(笑)

けっして虫を殺さず、
部屋にハエが入ってくれば、
外へ出してやるというのは、
有名な話で、

ピンク・クラウドというバンド名は、
加部さんがバークリーに住んでいたときの、
隣の住人の名前で、
奥さんはシルバー・スターといい、
ヒッピーのカップルだったとか…

映画『ワンモアタイム』
で証言される、
当時の加部さんはラリパッパーだったようで(笑)
そんなあなたこそ、
永遠のヒッピーだったのではと思ってしまいます。

私がショックを受けたのは、
ピンク・クラウド時代に、
初めて発表したソロ・アルバム
『Moon like a moon』で…
ここで加部さんのギターを聴き、
独特のフワッとした感じに驚き、
彼がギターを担当した、
カップス最後期のライブを聴くに及びます。

ジェフ・ベックみたいなんですよ。

そしてこの方は、
ベーシストでも、
ギタリストでもなく、
アーティストであると悟るわけですが、
こんなミュージシャンは日本では彼一人、
と言ってよいでしょう。

今回、
彼の訃報以降は、
カップスやジョニー・ルイス&チャーではなく、
その間の時期にあたる、
フードブレインや、
スピード・グルー&シンキ、
ピンク・クラウド以降では、
再結成ウォッカ・コリンズを聴きました。

カップスで一世を風靡した、
ドリドリン…とうなるリード・ベースは、
あの時期だけで、
バンドに合わせて、
最高のベースを弾く加部さんが、
そこにいました。

いろいろな逸話が象徴するように、
気ままに生きる…
その時、
自分がもっとも心地よく感じる音を、
気の向くままに演奏している、
ということがよくわかります。

個人的には、
アランを中心に、
かまやつさんの、
お洒落なリズム・ギターが光る、
ウォッカ・コリンズが素晴らしく、
もっと聴き込んでみようと思っています。

自分にとってのヒーローたちが、
次々と逝ってしまうのは、
さびしい限りですが、
こんなミュージシャンは、
もう現れないだろうなぁ…

★2020/10/18 (Sun)
あれは確か、
高校1年の冬のこと…
(1977年)

アルバムがリリースされるかなり以前に、
オンエアしてしまうことで有名な、
渋谷陽一氏のラジオ番組で、
一枚のニュー・ディスクが紹介されました。

それは、
ヴァン・ヘイレンのデビューアルバム、
『VAN HALEN(邦題:炎の導火線)』で、
その夜は、
「On fire」
「Runnin’ with the devil」
「Atomic punk」の3曲がオンエアされました。

当時のハードロック界は、
ZEPが健在で、
DEEP PURPLEは解散して数年が経ち、
初期RAINBOWが全盛期、
KISS、AEROSMITH、QUEENの新御三家は、
安定した地位を獲得し、
さて、
後続組は…となると、
スコーピオンズ、ジューダス・プリースト、
という感じの状況でした。

そこへいきなり登場したのが、
ヴァン・ヘイレン…
夜のラジオ番組に、
文字通り“いきなり登場”してきたわけです。

私は1曲目でぶっ飛び、
後の2曲を慌てて録音し、
それから毎日のように聴くことになるのですが、
何か、
ケタの違う大物が現れた、
と感じた事は、
あれから40年以上経った、
今でも鮮明に覚えています。

ZEPのニュー・ヴァージョンが現れた!
そんな印象でした。
(そして、アメリカのバンドとは思わなかった)

その後、
シングル「You really got me」がリリースされ、
プロモーション・フィルムがテレビで放映されるようになり、
ディヴ・リー・ロスを初めとする、
ゴージャスなルックスと、
エディの右手が指板を叩く姿に衝撃を受け、
春頃になり、
アルバムの国内盤が発売されました。

アルバムが発表されると、
「Eruption」で何をやっているのか、
まったくわからず…

それを、

日曜の昼頃に、
東京12チャンネルで放送されていた、
「ROCKおもしロック」という番組で、
バウワウの山本恭司氏が、
「アレはこうやっているんだよ」と、
ヘラヘラ解説をした直後から、
日本中のアマチュアギタリストたちが、
必死になって右手で指板を叩くようになったのです。
(司会の近田春夫氏に、
「この人、さりげなく自慢しますから」
と突っ込まれていたような記憶が…(笑)

そして、
あの白黒ストライプのストラト、
(今でも、時々欲しくなる…)
ノコギリでチョン切った、
真っ赤なエキスプローラなど、
使用ギターも個性的で、
これまた、
大勢のアマチュアギタリストたちが、
自分のストラトにビニールテープを巻き付けたものでした。
(私は当時、
黒いレスポールを使っていましたが、
ご多分にもれず、
そこへ白いビニールテープを巻き付けました…(笑)

悪趣味スレスレの派手な衣装と、
猥雑な雰囲気のロスが、
ハードロック・ヴォーカリストの理想型であるとすれば、
その横で、
ひたすら超絶テクニックで弾きまくるエディの姿も、
ハードロック・ギタリストの理想型でした。

ただ、
エディのテクニックはあまりにも超絶で、
セカンド・アルバムの時点で、
早くも、
ついていけなくなった私は、
その後、
ファンクやソウルといった、
16ビート系のカッティングに視点を移し、
ハードロックから離れてしまうのでした。
(正確に言うと、
エディとウルリッヒ・ロス…
「カロンの渡し守」のイントロの2つで挫折したのです)

再び、
ヴァン・ヘイレンに関心を持ったのは、
シングル「Pretty woman」で、
カバーのセンスというか、
ポップな曲の良さは、
このグループの特徴で、
それゆえに、
この後「Jump」以降の大躍進があるわけです。

そして私は、
デイヴ・リー・ロスの存在あってのヴァン・ヘイレン、
と思っていたので、
彼の脱退以降は急速に興味を失い、
風の便りに、
エディがガンと闘病していると聞いた程度でしたが、
65歳の若さで逝ってしまうとは…
本当に、
早過ぎるとしか言いようがありませんね。

デビューから、
大物になる過程を見てきたミュージシャンが逝くようになると、
いよいよ、
自分も歳とったなぁ…と感慨深いものがありますが、

もう、
こんなギタリストは出てこないだろうなぁ。

↓やっぱコレでしょう

★2020/10/11 (Sun)
ルイズルイス加部さん、
エドワード・ヴァン・ヘイレンと、
続けて、
身近な存在の訃報に接し、
そのあたりのお話をしたいところではありますが、

その前に…

昨日待望の○○が届きまして、
今週はそれについて語りたいと思います。

さて、
○○とは…
「ギター」のことですが、
ただのギターではありません。

世界に一本しかない、
正真正銘、
私のオリジナルモデルです。

2年前に、
博多のSPOONという工房に、
12弦ギターの制作を依頼し、
昨年12月に、
それをメインとした演奏を披露したわけですが、
今回は同じ仕様の6弦ヴァージョンを企画したのです。

それは、
シンライン・ボディ(Fホールがあり空洞になっている)を採用し、
フェンダーのリプレイスメント・パーツとして有名な、
WARMOTH製のネックを取り付けるという仕様をベースに、
およそ今までの人生で、
「ストラトに装備したい」
と思ったことのある機能を加えたものとなりました。







まず指板。
寄る年並みと共に衰える握力のため、
ここ数年はローズ指板ばかり使っていましたが、
ストラトはやはり、
メイプル指板の方が出音がシャープで、
イメージした音に近くなるので、
今回はメイプル指板を採用しました。

問題はツルツルして滑りやすく、
ローズ指板より強く握らないとならない部分で…

ここは、
かつて所有していた、
フェンダー・デュオソニックに採用されていた、
貼りメイプル指板…
指板部分にメイプル材を貼ったもの、
が弾きやすかったことを思い出し、
塗装はわざとザラザラ感を残す、
サテン仕上げとし、
フレットも大きめのものを採用しました。

これにより、
通常のメイプル指板とは、
比べ物にならないほど、
ツルツル感がなく、
楽に運指ができるようになっています。

やはり、
ストラトはメイプルに限りますじゃ…
そういえば、
クラプトンもヴァン・ヘイレンも、
そうでしたね。

次にピックアップ。
ストラトの弱点は、
ここ一発という時のパワー不足で、
とくにライブでは、
リードを弾いている時や、
フィードバックしてほしい時に、
「も〜っ」と思うことが多々あります。

そこで採用したのが、
シリーズ配線というもので、
真ん中のトーンコントロールを引っ張ると、
上2つのピックアップ、
または下2つのピックアップで、
ハムバッキング構造になります。

ハムと言っても、
シングル2つの構造なので、
いわゆるギブソンのそれよりは、
音抜けがよく、
私のような極端なシングル派には、
とても扱いやすい音といえます。

ここは、
正直な話、
想定以上の効果がありまして…
とくに、
フロント側のハムの音が、
サンタナを思わせる艶っぽいトーンで、
これが意外と、
このギターの“売り”かもしれませんね。

このピックアップは、
工房オススメのベア・ナックルという、
玄人受けするメーカーのもので、
楽器店に勤める知人から、
実戦的で使えるピックアップ!
と太鼓判を押されたものでした。

歪ませると、
シングルのままでも、
十分パワフルなのです。

そして、
見てお分かりのように、
ミドルピックアップをリアに寄せて、
外見的にもハムを思わせるようにしてみました。

この配置はかつて、
ロビー・ロバートソン(ザ・バンド)がやっていたのですが、
もはや忘却の彼方でしょうね(笑)
私は個人的に、
ヴァン・ヘイレンのデビューアルバムに写っている、
白黒のストラトに衝撃を受け、
あの感じを再現したかったのですが、
いい感じになったと思います。

そしてフィニッシュですが、
このギターは、
レスポールのようなチェリーサンバースト仕上げで、
いわゆるフェンダーの、
黒が外側に入るサンバーストではありません。

このままでもよかったのですが、

サンバーストのストラトといえば、
ロリー・ギャラガーやエイドリアン・ブリューのように、
適度に塗装が剥がれたものがよいと思い、
ボディシェイプに合わせて、
擦れた程度のハゲをデザインしてみました。
(頭髪の薄い方には申し訳ない表現ですが…)

あまりやり過ぎると、
嫌味な感じになるので、
かなりシンプルに抑えましたが、
いい雰囲気になったと思っています。
(剥がし方はイラストで指定しました)

このような仕様を今年の年初に固め、
2月の終わりにオーダーしたのですが、
新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、
ボディとネックの制作をする、
アメリカでの作業が大幅に遅れ、
発注から納品まで、
実に7ヶ月を要し、
昨日ようやく届いたのでありました。

私はこのギターを、
「matsuZACKモデル2020」と命名し、
「12(FREEDOM)」と兄弟モデルとしています。
今回も、
制作してくれた、
SPOONの今村さんに感謝です。
(いろいろ面倒な注文をして申し訳ありません)



さて、
このような最終兵器と思われるギターを入手し、
準備万端なのですが、
今年は恒例の「忘年会ライブ」も、
ご多分にもれず中止となり、
エネルギーを持て余し気味です。

まぁ…地道に、
宅録は続けていくつもりですが…
さすがに、
それだけではねぇ?
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★ ILLUSTRATION BY nyao