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「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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HN:
matsuZACK
年齢:
57
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2009/03/08 (Sun)
三島由紀夫は太宰治のことを、
“弱さをすっかり表に出して、
弱さを売り物にしている人間”であるとし、
忌み嫌っていたと言われております。
(著書「不道徳教育講座」では、
“弱さが最大の財産”とまで言っております)



太宰治という人は、
何度となく自殺を図り、
苦悩の連続のような生涯を送った、
とされていますが、
実態は少し違っていたようです。

その情報は、
最近になって、
少しずつ公表されるようになったのですが、
それは、
いままでのイメージのように、
根暗で弱々しい人ではなく、
かなりお気楽で、
いい加減な人だったということです。

太宰の場合はおまけに、
いわゆる“イケメン”だったから、
何をやっても絵になるし、
黙って座っているだけで、
影のある美青年を演出してしまうので、
女性が次から次へと寄ってくるし、
たまたま、
「死んじゃおうかなぁ~っ」と思ったときに、
そばにいた女性を道連れにしてしまったりして、
これがまた劇的な話になってしまうのですが、
本人はそれらのことを、
それほど深刻に考えていなかったというのが、
実際のところだったようです。

そんな自分の人生を、
これまた気ままに、
つらつらと書いたものが、
文壇で高い評価を受け、
大きな名声を受けるのですが、
本人はそんなことには一向に関心がなく、
相変わらずフラフラと気ままに生き、
酒を飲み、
女性を口説く…。

そう考えると、
三島由紀夫が言う、
“弱さをすっかり表に出して、
弱さを売り物にしている人間”という表現には、
少し違和感を覚えてしまいます。

私はかねがね、
三島が言っていることは、
“努力しないで、
自分の資質を作品にしただけで成り立ってしまう人”
という意味だと思っています。
そのように表現を変えると、
三島は太宰を、
単純に嫌っていたわけではなく、
どうやらそこには、
羨望のような気持ちが存在していたのではないか、
と思われて仕方ありません。

なぜなら、
太宰は三島の少し先輩に当たる程度で、
実態がわからないほど遠い存在ではなかったはずであるし、
三島はいくつかのエッセイで、
後から振り返ってみたら、
少しも面白みのない自分の前半生に対して、
コンプレックスを抱いているような記述が見られるからです。
(その反動が、あの劇的な後半生に向かわせたとも言えます)

さて、
私は太宰のような人間を、
「無手勝流 天才肌」と呼んでいます。

私がいままでの人生で深く関わってきた、
音楽の世界でこの「無手勝流 天才肌」を求めるならば、
前回話題になった、
エリック・クラプトン、ジョン・レノンはもちろん、
元祖“ヘタウマ”のキース・リチャーズや、
“ミステイクをフレーズにしてしまう”ジェフ・ベック、
いまさら議論は無用の、
ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、ジム・モリスン、
などの面々が即座に思い浮かんできます。

自分の資質を作品にする分だけ消耗が激しいのか、
天寿を全うせずに夭折する人が多いことも、
「無手勝流 天才肌」の特徴ではないでしょうか。

これに対して、
「精進流 秀才肌」とでも呼びましょうか、
時代の動きや世間の要望を的確に捉え、
芸術を理論的に構築し、
自分のイメージもそれに合わせて演出する、
というタイプが存在します。

こちらには、
レッド・ツェッペリン時代のジミー・ペイジ、
“変容の王子”デヴィッド・ボウイ、
“歪んだ美学”のブライアン・フェリーなどが当てはまるでしょう。

三島文学は“人工美の極限”と表現されるように、
先の三島由紀夫もこのタイプで、
彼の文学世界は、
イメージに合わせて粋を凝らした美の集大成であり、
彼自身も、
人生の最終目的に向けて、
意識的に肉体改造をしたことで有名です。

ところで、
先ほど挙げた面々を見ればおわかりにように、
我が国の大衆は、
圧倒的に「無手勝流 天才肌」を支持する傾向にあるようです。

例えば、
身近なところで、
V9時代の巨人打線の3、4番、
王貞治と長嶋茂雄のいわゆるONコンビ。
「精進流 秀才肌」の王に対し、
「無手勝流 天才肌」の長嶋とした場合に、
どちらが人気が高いか考えれば一目瞭然です。

どうやら勤勉な日本人は、
「無手勝流 天才肌」にひそかにアコガレを持っているようです。

しかし、
私の半世紀近い人生において、
実際に身辺でそのような人にお目にかかったことがあるか、
と言われると、
いや残念ながら、
ただの一人もお目にかかったことはありません。

それほど稀有な存在の、
「無手勝流 天才肌」がゴロゴロいる、
音楽の世界は、
やはりスゴい世界であると言えるでしょう。

前回お話した、
煩悩まみれ、
漂泊してのたれ死ぬ人生にアコガレることも、
「無手勝流 天才肌」へのアコガレかもしれません。

そう考えると、
三島由紀夫は、
「無手勝流 天才肌」の太宰治に、
密かなアコガレを抱いてはいたものの、
彼の文学世界のイメージから、
それを素直に表現するわけにもいかず、
冒頭のような表現を使い、
表面的には忌み嫌う態度を貫いたと言えます。

ところで、
あなたの近くに、
「無手勝流 天才肌」はおりますか?
「無手勝流 天才肌」に当てはまる面々を見ていると、
もしいたとしても、
そいつはきっと厄介で、
周囲に迷惑をかけまくる人間といえるでしょう。
ですから、
天才と気がつかないかもしれませんし、
天才と認めたくない気持ちになるかもしれません。

これが、
天才と呼ばれる人が少ない、
本当の理由でしょうか?



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