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「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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  ★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2024/04/29 (Mon)
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★2008/09/21 (Sun)
4、カリスマになれなかったロジャー
 ロジャー・ウォーターズの深層心理において、無視することのできないキーワードに、父親の存在がある。ロジャーは父親の顔を知らずに育った。彼の父親は、第2次世界大戦で戦死しているのである。自分という存在をこの世に残して、彼の父親は他人によって不条理の死を強制された。本人の望まない手段で、“死”を迎え入れなければならなかったのだ。

 戦場。そこは、常に“死”と隣り合わせの空間である。兵士達が、“死”を意識しない瞬間はない。そして、その“死”は、国家の指導者達によって強要されたものである。
 毎日、数えきれないほどの兵士達が傷つき、そして死んでいく。しかし、国家の指導者達は、まるでチェスの駒でも動かすように、失った戦力を補充し戦いを継続させていく。我々が忘れてはいけないことは、チェスの駒と違って兵士達には、それぞれの人生が存在しているということだ。どの兵士達にも親兄弟や家族があり、大切なものがあり、喜怒哀楽があり、 過去があり、そして未来がある。そのすべてを、一瞬にして奪われるのだ。それが、戦争である。
 『The Dark Side Of The Moon(狂気)』に収録されている、「US And Them(アズ・アンド・ゼム)」の歌詞には、このことに関するかなり具体的な表現がある。

 「突撃!」と背後から叫ぶ声で、最前線の部隊は死んでいった
 椅子に座った将軍が、境界線の動きを見つめていたとき
 黒と青
 誰が物を、人を、区別できるというのだろうか 

 ここからは、不条理の“死”を強要された父親への思いと、強要した権力者側への感情が複雑に交錯していることが伺える。おもしろいことに、ロジャー・ウォーターズの深層には、不条理の“死”を強要された側に対する同情よりも、権力者側に対する憧憬のようなものが存在していたようである。
 それが、『Animals(アニマルズ)』(1977年)〜『The Wall(ザ・ウォール)』(1979年)という、ピンク・フロイドがビッグ・ネームになった時期に、表面化したのである。ロジャー・ウォーターズは、聴衆と自分達の間に壁が存在していることをさかんに主張した。そして、実際のステージにこれを出現させてしまった。「自分達の表現していることが、聴衆に100%理解されていない。」と言うのである。当時はあまり問題視されなかったが、ミュージシャンとしてこれほど思い上がった考え方はないだろう。これは、少なくとも音楽の世界において、不可能なことがなくなった自分に対する、過剰な自信の表われなのである。ロジャーは、独裁者になろうとしていたのだ。
 しかし、愚弄された聴衆は、この事実にすぐ気がついたのである。そのおかげで、『The Wall(ザ・ウォール)』の続編ともいえる、『The Final Cut(ザ・ファイナル・カット)』(1983年)は惨澹たる失敗に終わった。そしてロジャー・ウォーターズは、他のメンバーからも愛想を尽かされ、ついにピンク・フロイドを去ることになったのである。

 シド・バレットというカリスマを超越した、ロジャー・ウォーターズ。しかし彼はついに、カリスマには成り得なかったのだ。

 自らの愚を悟り、彼が辿り着いた境地。それは、すべてを流れのままに任せてしまうこと。そして、原点に帰って、素直に音を楽しむことである。音楽とは文字通り、音を楽しむものであるということを、人は往々にして忘れてしまうようだ。
 音を楽しみながら、過去の自分を振り返ってみたい。それが、今回の来日公演の全貌だったのである。シド・バレットの映像が現れても、ピンク・フロイド時代のナンバーを演奏しても、そこには悲愴感も絶望もなかった。私が感じたのは、ただその音楽の素晴らしさだけであった。
 このような境地に到達したロジャー・ウォーターズが、これからどのような活動を展開していくのか、非常に興味深いところである。
 ローリング・ストーンズ、ジェフ・ベック、そしてロジャー・ウォーターズ。20世紀を生き抜いたロッカーたちは、いずれもしっかりとした足どりで、新しい世紀に第一歩を踏み出しているのだ。
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