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「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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  ★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2008/10/05 (Sun)
エリック・クラプトン、
ジェフ・ベック、
ジミー・ペイジを
ブリティッシュ・ロック3大ギタリストと呼んでいた、
1970年代中期頃、
リッチー・ブラックモアは“第4の男”と呼ばれていました。
“第4の男”とは、異端の存在であるという意味です。

たしかに、
『イン・ロック』を聴いたかぎりでは、
イレギュラーな音の採り方が多く、
その表現にうなずける部分もありますが、
なぜリッチーは、“第4の男”などと呼ばれたのでしょう。

リッチーのギターを熱心にコピーするようになった私は、
あることに気がつくようになりました。
それは、
彼のプレイが異端どころか、
非常に端正であるということでした。

まず、
左手の運指は、
小指を含めた4本の指を均等に使う、
いわゆるクラシック・ギターの基本に忠実であること。
そして、
右手のピッキングは、
正確なアップ・ダウンを繰り返し、
意識的にリズムを崩したり、
変拍子を多用しないこと。
そのせいか、
リッチーのギターは前述の3大ギタリストより、
はるかにコピーしやすいものでした。

トリッキーなプレイのオンパレードである、
ジェフ・ベックや、
バンド自体がトリッキーであった、
ジミー・ペイジは言うまでもなく、
エリック・クラプトンですら、
ブルースマナーによるものか、
意識的にリズムを崩す場面が多く、
ギター初心者の私にとっては、
コピーに手こずる場面が多かったものです。

1977〜78年当時、
リッチーの教則本として、
非常に評価が高かった、
『リッチー・ブラックモア奏法』で、
著者である元ハルヲフォンの小林克己氏は、
「初心者はリッチーからギターの基本を学ぶとよい」
と述べていました。

「リッチーをコピーすると、
短期間でギターが巧くなるに違いない」
私の気づきは確信へと変わっていきました。

では、
なぜリッチーは、
“第4の男”などと呼ばれていたのでしょう。

それは、
3大ギタリストが身につけていて、
リッチーが身につけていなかったものによるものでした。

それは、ブルース。

そうです。
当時のブリティッシュ・ロックでは、
ブルース、またはソウル等の黒人音楽を
音楽的ルーツとすることが当たり前だったのです。

そんな時代にあって、
黒人音楽を音楽的ルーツとして持たない、
リッチー・ブラックモアはまさに異端の存在であった、
というわけです。

ブルースギターは正規の教育を受けていない人たちが、
自己流で感情を表現するところから発達したものであり、
厳格な音楽理論が確立していた、
クラシック・ミュージックとは対極の位置にある、
と言っても過言ではないでしょう。

変則的なチューニングや、
スライドギターやチョーキングを使った、
不安定で独特の音感。
感情によって緩急をつけるリズム。
ブルースギターのマナーは、
西洋的な音楽の枠を越えるものでした。
だからこそ、
多くの音楽ファンを魅了したのです。

ところが1970年代も後半になると、
黒人音楽をベースとしない、
プログレッシヴ・ロックが一般的になり、
ハードロック第一世代を手本とした、
第二世代によるヘヴィ・メタルが台頭するようになり、
このようなブルース主流の風潮が薄れてきました。

プログレッシヴ・ロックやヘヴィ・メタルは、
“白人による白人のためのロック”であり、
西洋における音楽のルーツである、
クラシックをベースとしたギタープレイを構築した、
リッチー・ブラックモアは、
そのムーブメントを先導する存在となったのです。

このようなスタイルが、
ヨーロッパで支持されたのは当然のことであり、
同じように黒人音楽とたいへん距離がある我が国、
日本において支持されたのもまた当然のことと言えるでしょう。

1980年代以降、
リッチーの評価は一気に高まり、
もはや誰もが彼のことを、
“第4の男”などと呼ばなくなりました。
そして彼のギタープレイは、
ロックギターの基本形として定着していったのです。

現在ではむしろ、
ブルースの方が、
一部のマニアが愛好する音楽、
というイメージが強くなっているおり、
そう考えると、
時代における音楽の評価というのは
たいへんおもしろいものだと思う、
今日この頃です。

イレギュラーがスタンダードになる…。
ヒネクレ者の私は、
リッチー・ブラックモアの存在が一般化するに従い、
どんどん興味を失っていったのでした。

そして今では街中に、
夏でも黒い服を着ている人があふれているのです。

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