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「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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  ★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2008/11/16 (Sun)
ヴォーカリストは、
バンドの音数が多くなり、
和声構造が複雑になった場合に、
キーやメロディラインを確認し、
曲がどこまで進んでいるのかを判断するために、
ベースのフレーズを追うそうです。

前回、
“私が、
バンドにおけるベーシストの重要性に気がついたのは、
ユーライア・ヒープが最初でした。”
と語りましたが、
ヒープのように、
ギターとキーボードがいる上に、
3〜4声のヴォーカルハーモニーが加わった、
非常に分厚い音の構成では、
まさにこの通りであり、
曲を導くベーシストの役割が重要です。

今回は、
そんなヒープ歴代のベーシストに焦点を当て、
その凄腕ぶりについて、
語ってみたいと思います。

〓ポール・ニュートン
初代ベーシストのポール・ニュートンは、
ヒープのマネジャーの息子で、
ブロンズ・レコーズとの契約後のゴタゴタの結果、
親子そろってバンドから追われることになりました。
あまり注目されることのない存在ですが、
名作『対自核』は彼のプレイであり、
「自由への道(I Wanna Be Free)」などで、
かなり暴れるベースを披露しております。
私が驚いたのは、
『悪魔と魔法使い』がCD化された際に
ボーナストラックとして収録された、
「Why」という未発表曲を聴いたときで、
最初から最後までブリブリ弾きまくる、
そのあまりの凄腕ぶりに身震いした程です。
この曲を聴くと、
ベーシストが曲を導くヒープ・スタイルが、
すでにポール・ニュートンの段階で
完成していたことがよくわかります。

〓マーク・クラーク
前述のポール・ニュートンが脱退し、
ゲイリー・セインが加入するまでのほんの短い期間、
在籍していたのが、
元コロシアムのマーク・クラークです。
『悪魔と魔法使い』の1曲目、
「魔法使い」は、
彼のインスピレーションによる曲といわれています。
マーク・クラークはベーシストというよりも、
サウンド・コーディネーター的な要素が強く、
『悪魔と魔法使い』の基本コンセプトは、
そんな彼の影響による部分が大きかったそうです。
ただ、
この時期は精神的に不安定で、
すぐにバンドを脱退してしまいました。
おかげで、
ユーライア・ヒープでの録音は残っておりません。
私が好きなのは、
彼がヒープ脱退後に、
コロシアム時代の親分、
ジョン・ハイズマン(Ds)と結成した、
テンペストのファースト・アルバム。
あのアラン・ホールズワースが参加していることで有名な、
あの作品です。
これを聴くと、
マーク・クラークが凄腕であり、
あちこちの有名バンドから声をかけられた理由がよくわかります。(そういえば、レインボーにも、ほんの短期間だけいたことが…)
ホールズワースのプレイも最高なので、
ぜひ聴いてみてください。

〓ゲイリー・セイン
この方がどれだけ凄腕であったかについては、
いまさら言うことがないので、
今回は割愛しますが、
かつて『web-magazine GYAN GYAN』で、
“ナビゲーター役は、ベースだ。
その緻密な音の中で神々しい光を放ち、
それでいてバンド・サウンドからはみ出すことなく、
聴き手に訴えかけてくる。
そのトーンは、我々を天上へと誘う。
ゲイリー・セインは、モーゼのような存在だ。”
と語ったことがすべてを表現しているでしょう。
ただ、
この方は、
人間的にはそれほど神々しくなかったのか、
かなりのヤク中だったようで、
それがために感電事故が命取りになってしまったという、
“ロケンロール”な生き方をなさっており、
そこがまた、
たまらなく魅力的だったりするのです。
そんなことで、
ベースプレイ以外の部分で、
もっと掘り下げてくれたら、
と願う次第です。
伝記が出版されたら、
少なくとも2冊は売れるでしょう。

〓ジョン・ウェットン
1974年にゲイリー・セインが脱退した後に、
また、
とんでもない“大物”を持ってきたものです。
ジョン・ウェットンがどれほどの凄腕であったかについては、
これまたいまさら語るまでもありませんが、
キング・クリムゾンの未発表ライブが出るたびに、
あのロバート・フリップが、
「ジョン・ウェットンこそ、英国No1のベーシストである」
と言っていたことを痛感する次第です。
とくに、
『Live at the Amsterdam Concertgebouw November 23rd 1973』
は鳥肌モノでっす。
おもしろいのは、
キング・クリムゾン解散後の、
ヒープでもロキシー・ミュージックでも、
きっちりバンドサウンドにおさまっていて、
暴れたプレイをしていないことです。
クリムゾンでヤリ尽くしたのでしょうか。

〓トレバー・ボルダー
ジョン・ウェットン脱退後の1977年から、
(たしか)ずっと在籍していた(?)のが、
元デヴィッド・ボウイのスパイダー・フロム・マースにいた、
トレバー・ボルダーです。
スパイダー・フロム・マースなどというと、
多分にアイドル的なイメージがありますが、
とんでもない。
ミック・ロンソンといい、
この人といい、
なかなかどうして、
かなりの凄腕ミュージシャンであります。
トレバー・ボルダーのベースは、
パワフルで、
ビートをビンビン感じさせてくれる、
強引な心地よさがあります。
(「アラジン・セイン」の妖しさも好きですが)
スパイダー・フロム・マースの
来日公演を見た人に話を聞くと、
もっとも意外だったのが、
トレバー・ボルダーのベースのスゴさだったようで、
そういう意味では、
おさまるべき場所におさまった、
ということなのでしょうか。

さて、
ユーライア・ヒープ歴代のベーシストについて、
振り返ってみましたが、
同じようにベーシストが安定しなかったバンドとして、
ロキシー・ミュージックがあるわけですが、
こちらの事情はいかなるものであったのか、
ふと考えてしまった私です。
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★ ILLUSTRATION BY nyao