「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2013/09/15 (Sun)
人生には何度か、
あーあのときこうしておけばよかったなー
と思うことがありますが、
私のいままでの人生では2回ほど、
見に行かなかったことを後悔しているライブがあります。
ひとつは、
以前「私の人生を変えたアルバム」で紹介した、
1979年日比谷野音における、
ジョニー・ルイス&チャー・のデビューライブ。
行かなかった理由は、
雨がヒドく降っていたからでした…(笑)
もうひとつは、
1980年法政大学での、
裸のラリーズのライブ。
当時は、
出演予定であっても、
実際に演奏する保証はないと言われた、
幻のバンドのライブでした。
当日、
私は体調が悪く、
そんな状況ならいいやとパスし、
私を除く友人3人がライブに出かけました。
ところが、
その夜のライブは、
後に伝説となったほどの名演だったのです。
友人の証言によると、
出演時間から1時間が経過し、
今夜もスッポカシか?と危惧し始めた頃、
とつぜん客席に向かって、
ストロボのような照明の明滅が数分…
脳内物質が異常に分泌されたような気分になると、
轟音が響き渡り、
それから3時間近く、
ノンストップの演奏が続いたそうです。
なにしろ、
その音のデカかったこと…
水谷さんの使ったアンプは、
グヤトーンの…
マーシャルの3段積みより大きなアンプだった、
ということ。
そして、
観客の雰囲気も異常で、
どこからこんな人たちが出て来た?
と思われる異形の集団が、
ひたすら無言でこの演奏に聞き入っていた、
ということ。
なにしろ、
未知の体験だったようです。
友人は、
そのときの演奏をひそかに録音しており、
その後、
私も耳にすることができました。
それは、
当時話題になっていた、
PILやジャーマン系の音に近いものでした、
その頃から、
裸のラリーズは、
日本アンダーグラウンドシーンの極北、
と称され、
神格化されるようになりました。
私は何度か、
彼らの音に触れようと試みましたが、
いずれもかなわず、
1991年に3枚のアルバムがひそかに販売された際も、
気がついたときにはすでに遅く、
入手することはできませんでした。
現在では、
この3枚のアルバムは、
いずれも高額で取り引きされているだけでなく、
それにもかかわらず、
出てくると即買い手がついてしまう状態。
機会あるごとに、
あー聴いてみたい、
あのとき無理してでも行っておけばよかったなぁ…
と反省しきりでした。
それが今回、
山口富士夫さんが亡くなり、
彼の関わった作品を検索していたら、
なんと!
アメリカのレーベルから、
裸のラリーズの作品群が逆輸入されていることを知ったのです。
今回だけはどうしても逃したくない。
そんな気持ちでアレコレ調べ、
購入を試みたのですが、
これが一筋縄ではいきませんでした。
入荷まで時間がかかるとの表示を信じて、
しばらく待っていたら、
入手困難で必ず手に入る保証がありません、
などという通知をもらうこと2回。
それでもメゲずにいろいろ試してみたところ、
ようやく2枚の作品を入手することができました。
1枚は、
『HEAVIER THAN A DEATH IN THE FAMILY』という、
1991年に発表された3枚の中で、
最高傑作と言われている『’77 LIVE』を1枚にまとめ、
最後の1曲を削除したもの。
もう1枚は、
山口富士夫さんが在籍していた、
1980~81年のライブ音源を収録した6枚組、
『DOUBLE HEADS』です。
もちろん、
映像はついておらず、
また輸入盤のため、
思い入れたっぷりの日本語の解説もついておらず、
本当にシンプルに、
裸のラリーズの音と向き合うことができました。
冷静に聴いてみると、
曲の構造はいたってシンプルで、
ロックンロールやブルースの基本形である
3コードの進行が多いことに気がつきます。
ヴォーカルは歌というより、
むしろ詩吟に近く、
轟音の中、
ときおり印象的なフレーズが聴こえてきます。
バンドのサウンドを特異なものにしているのは、
ヴォーカルを含め、
全体にかけられている、
リバーブまたはエコーを使った、
独特の反響効果。
そして、
水谷さんのギターサウンド。
水谷さんのギターは、
たえずフィードバック、またはハウリングを起こしていて、
それにフランジャーをかけ、
その上にギター単体、
またはバンド全体の反響が加味されています。
いわゆる、
ジミヘンのライブで連発される、
キーンとかピーとかいう音、
それだけで表現をしている…
そんな印象です。
このようなサウンドは、
1990年以降、
アメリカを中心に流行していて、
ソニック・ユースやモグワイなど、
多くの有名バンドを輩出しています。
ですから、
裸のラリーズは海外で評価が高く、
これらの轟音&残響系ギターサウンドのルーツとして…
なぜかそのルーツがヒッピーと伝統が交わる、
京都から生まれたということで、
注目を集めております。
私も今回、
彼らの音源をよく聴いてみて、
それから、
ロックフェスティバル『夕焼け祭り』の映像なども参考にしたところ、
1960年代後半のサイケデリック・ムーブメントに端を発し、
1970年代のジャーマンロックの音響処理に触発され、
1990年代の轟音&残響系ギターサウンドの普及につながる、
架け橋的な存在として、
裸のラリーズが存在しているということが、
よくわかりました。
つまり、
特異とか、
突然変異ではなく、
必然的な音ということになるのですが、
ジミヘンのキーンとかピーとかいう部分だけを、
どのような状況でも守り続けた、
というか、
自らの表現手段として極め続けた、
という姿勢にはつくづく頭が下がります。
今回入手した分で、
予想外によかったのは、
富士夫さんが在籍していた、
『DOUBLE HEADS』で…
裸のラリーズには、
なぜかいつも、
もう一人のギタリストがいるのですが…
先ほど言ったように、
3コードのシンプルな曲が多いため、
その分野で修行をしていた、
たいへんボキャブラリーの豊富な富士夫さんのギターが効果的で、
演奏のボトムをしっかり引き締めています。
正直、
富士夫さんのギターが、
どのように裸のラリーズに同化していたのか、
イメージがつかなかったのですが、
これで納得しました。
彼ならではの効果があったわけです。
友人が録音した法政大学のライブや、
ロックフェスティバル『夕焼け祭り』で見た、
聴き覚えのある曲も多数収録されていますが、
まったく完成度が違っており、
興奮しながら何度も聴き返してします。
これを至福の時というのだろうか?
ついに私は、
裸のラリーズに触れることができました。
富士夫さんありがとね。
あなたからいただいた、
最高のプレゼントだぜ。
↓ついでに、こんなのも見つけた(笑)
あーあのときこうしておけばよかったなー
と思うことがありますが、
私のいままでの人生では2回ほど、
見に行かなかったことを後悔しているライブがあります。
ひとつは、
以前「私の人生を変えたアルバム」で紹介した、
1979年日比谷野音における、
ジョニー・ルイス&チャー・のデビューライブ。
行かなかった理由は、
雨がヒドく降っていたからでした…(笑)
もうひとつは、
1980年法政大学での、
裸のラリーズのライブ。
当時は、
出演予定であっても、
実際に演奏する保証はないと言われた、
幻のバンドのライブでした。
当日、
私は体調が悪く、
そんな状況ならいいやとパスし、
私を除く友人3人がライブに出かけました。
ところが、
その夜のライブは、
後に伝説となったほどの名演だったのです。
友人の証言によると、
出演時間から1時間が経過し、
今夜もスッポカシか?と危惧し始めた頃、
とつぜん客席に向かって、
ストロボのような照明の明滅が数分…
脳内物質が異常に分泌されたような気分になると、
轟音が響き渡り、
それから3時間近く、
ノンストップの演奏が続いたそうです。
なにしろ、
その音のデカかったこと…
水谷さんの使ったアンプは、
グヤトーンの…
マーシャルの3段積みより大きなアンプだった、
ということ。
そして、
観客の雰囲気も異常で、
どこからこんな人たちが出て来た?
と思われる異形の集団が、
ひたすら無言でこの演奏に聞き入っていた、
ということ。
なにしろ、
未知の体験だったようです。
友人は、
そのときの演奏をひそかに録音しており、
その後、
私も耳にすることができました。
それは、
当時話題になっていた、
PILやジャーマン系の音に近いものでした、
その頃から、
裸のラリーズは、
日本アンダーグラウンドシーンの極北、
と称され、
神格化されるようになりました。
私は何度か、
彼らの音に触れようと試みましたが、
いずれもかなわず、
1991年に3枚のアルバムがひそかに販売された際も、
気がついたときにはすでに遅く、
入手することはできませんでした。
現在では、
この3枚のアルバムは、
いずれも高額で取り引きされているだけでなく、
それにもかかわらず、
出てくると即買い手がついてしまう状態。
機会あるごとに、
あー聴いてみたい、
あのとき無理してでも行っておけばよかったなぁ…
と反省しきりでした。
それが今回、
山口富士夫さんが亡くなり、
彼の関わった作品を検索していたら、
なんと!
アメリカのレーベルから、
裸のラリーズの作品群が逆輸入されていることを知ったのです。
今回だけはどうしても逃したくない。
そんな気持ちでアレコレ調べ、
購入を試みたのですが、
これが一筋縄ではいきませんでした。
入荷まで時間がかかるとの表示を信じて、
しばらく待っていたら、
入手困難で必ず手に入る保証がありません、
などという通知をもらうこと2回。
それでもメゲずにいろいろ試してみたところ、
ようやく2枚の作品を入手することができました。
1枚は、
『HEAVIER THAN A DEATH IN THE FAMILY』という、
1991年に発表された3枚の中で、
最高傑作と言われている『’77 LIVE』を1枚にまとめ、
最後の1曲を削除したもの。
もう1枚は、
山口富士夫さんが在籍していた、
1980~81年のライブ音源を収録した6枚組、
『DOUBLE HEADS』です。
もちろん、
映像はついておらず、
また輸入盤のため、
思い入れたっぷりの日本語の解説もついておらず、
本当にシンプルに、
裸のラリーズの音と向き合うことができました。
冷静に聴いてみると、
曲の構造はいたってシンプルで、
ロックンロールやブルースの基本形である
3コードの進行が多いことに気がつきます。
ヴォーカルは歌というより、
むしろ詩吟に近く、
轟音の中、
ときおり印象的なフレーズが聴こえてきます。
バンドのサウンドを特異なものにしているのは、
ヴォーカルを含め、
全体にかけられている、
リバーブまたはエコーを使った、
独特の反響効果。
そして、
水谷さんのギターサウンド。
水谷さんのギターは、
たえずフィードバック、またはハウリングを起こしていて、
それにフランジャーをかけ、
その上にギター単体、
またはバンド全体の反響が加味されています。
いわゆる、
ジミヘンのライブで連発される、
キーンとかピーとかいう音、
それだけで表現をしている…
そんな印象です。
このようなサウンドは、
1990年以降、
アメリカを中心に流行していて、
ソニック・ユースやモグワイなど、
多くの有名バンドを輩出しています。
ですから、
裸のラリーズは海外で評価が高く、
これらの轟音&残響系ギターサウンドのルーツとして…
なぜかそのルーツがヒッピーと伝統が交わる、
京都から生まれたということで、
注目を集めております。
私も今回、
彼らの音源をよく聴いてみて、
それから、
ロックフェスティバル『夕焼け祭り』の映像なども参考にしたところ、
1960年代後半のサイケデリック・ムーブメントに端を発し、
1970年代のジャーマンロックの音響処理に触発され、
1990年代の轟音&残響系ギターサウンドの普及につながる、
架け橋的な存在として、
裸のラリーズが存在しているということが、
よくわかりました。
つまり、
特異とか、
突然変異ではなく、
必然的な音ということになるのですが、
ジミヘンのキーンとかピーとかいう部分だけを、
どのような状況でも守り続けた、
というか、
自らの表現手段として極め続けた、
という姿勢にはつくづく頭が下がります。
今回入手した分で、
予想外によかったのは、
富士夫さんが在籍していた、
『DOUBLE HEADS』で…
裸のラリーズには、
なぜかいつも、
もう一人のギタリストがいるのですが…
先ほど言ったように、
3コードのシンプルな曲が多いため、
その分野で修行をしていた、
たいへんボキャブラリーの豊富な富士夫さんのギターが効果的で、
演奏のボトムをしっかり引き締めています。
正直、
富士夫さんのギターが、
どのように裸のラリーズに同化していたのか、
イメージがつかなかったのですが、
これで納得しました。
彼ならではの効果があったわけです。
友人が録音した法政大学のライブや、
ロックフェスティバル『夕焼け祭り』で見た、
聴き覚えのある曲も多数収録されていますが、
まったく完成度が違っており、
興奮しながら何度も聴き返してします。
これを至福の時というのだろうか?
ついに私は、
裸のラリーズに触れることができました。
富士夫さんありがとね。
あなたからいただいた、
最高のプレゼントだぜ。
↓ついでに、こんなのも見つけた(笑)
PR
★2013/09/08 (Sun)
ジミヘンのアルバムを聴く…
何年ぶりだろうか?
なにしろ、
かなりご無沙汰である。
きっかけは、
NHKの「あまちゃん」を見ていたら、
ユイちゃんが新しいカレシのことを、
ハゼとジミ・ヘンドリックスを足したような顔…
と言っていたからだ。
ユイちゃんが言っていたから…(笑)
ここ10年ほど、
ジミヘンを聴きたくなると、
決まって2枚のアルバムを引っぱり出してくる。
『エレクトリック・レディ・ランド』と、
かつて『炎のライブ』という邦題がついていた
『The Jimi Hendrix Concerts』である。
『炎のライブ』は、
ジミヘンの作品の権利関係が変わってしまったため、
現行のラインナップにはなく、
入手が困難になっている。
ところが、
コイツがケタ違いのライブアルバムなのだ。
ジミのギターにミッチのドラムスが応える。
ときに寄り添い、ときに対峙し、
コール&レスポンスを繰り返すことで、
聴衆をコントロールする。
意外と健闘しているのがノエルのベースだ。
地を這うようなトーンで、
しっかりとミッチのツーバスに重なる。
リズムがソリッドでヘヴィなおかげで、
全体が引き締まっている。
ジミのギターは、
とっちらかったままではなく、
まとめるところはいつになく綺麗にまとめている。
そんなプレイばかりが収録されているのだ。
「Fire」
「I don't live today」
「Red House」
「Stone Free」…
この曲順で演奏されたら、
間違いなく、
このへんでチビってしまうだろう。
それほどすさまじいエネルギーの放出。
資源の節約などとは無縁だ。
やっぱり、ジミヘンはすっげー。
これだけの歳月を経て、
いろいろな音を通過しても、
またもやすっげーと思った。
でも…
いつになっても、
具体的にどこがすごいのか、
指摘することができない。
これは、
他のギタリストたちとは、
一線を画するところだ。
キース・リチャーズは…
ジェフ・ベックは…
リッチー・ブラックモアは…
デイヴ・ギルモアは…
それぞれが、
私にもたらしたものを、
具体的に指摘することができる。
どこがすごいかわかっている。
ジミヘンだけがわからない。
なんだかわからないけど、すっげー。
それがジミヘン。
そういえば、
ジミヘンの曲は一曲も完コピしたことがない。
コピーできないと思ったのか、
意識的にしなかったのか…
そのへんはよく覚えていない。
なにしろ長い付き合いになるのだ。
それにしても…
40年以上も昔に、
いったいこの人は、
何をしたのだろう?
彼のアタマの中にいる悪魔とは、
何者だったんだ?
いまだに理解されない存在。
ロック史上、
天才と呼べるのは、
この人だけかもしれない。
ユイちゃんは知っているのかな?
この名前をヘンな顔を表すときに使ってはいけませんよ(笑)
何年ぶりだろうか?
なにしろ、
かなりご無沙汰である。
きっかけは、
NHKの「あまちゃん」を見ていたら、
ユイちゃんが新しいカレシのことを、
ハゼとジミ・ヘンドリックスを足したような顔…
と言っていたからだ。
ユイちゃんが言っていたから…(笑)
ここ10年ほど、
ジミヘンを聴きたくなると、
決まって2枚のアルバムを引っぱり出してくる。
『エレクトリック・レディ・ランド』と、
かつて『炎のライブ』という邦題がついていた
『The Jimi Hendrix Concerts』である。
『炎のライブ』は、
ジミヘンの作品の権利関係が変わってしまったため、
現行のラインナップにはなく、
入手が困難になっている。
ところが、
コイツがケタ違いのライブアルバムなのだ。
ジミのギターにミッチのドラムスが応える。
ときに寄り添い、ときに対峙し、
コール&レスポンスを繰り返すことで、
聴衆をコントロールする。
意外と健闘しているのがノエルのベースだ。
地を這うようなトーンで、
しっかりとミッチのツーバスに重なる。
リズムがソリッドでヘヴィなおかげで、
全体が引き締まっている。
ジミのギターは、
とっちらかったままではなく、
まとめるところはいつになく綺麗にまとめている。
そんなプレイばかりが収録されているのだ。
「Fire」
「I don't live today」
「Red House」
「Stone Free」…
この曲順で演奏されたら、
間違いなく、
このへんでチビってしまうだろう。
それほどすさまじいエネルギーの放出。
資源の節約などとは無縁だ。
やっぱり、ジミヘンはすっげー。
これだけの歳月を経て、
いろいろな音を通過しても、
またもやすっげーと思った。
でも…
いつになっても、
具体的にどこがすごいのか、
指摘することができない。
これは、
他のギタリストたちとは、
一線を画するところだ。
キース・リチャーズは…
ジェフ・ベックは…
リッチー・ブラックモアは…
デイヴ・ギルモアは…
それぞれが、
私にもたらしたものを、
具体的に指摘することができる。
どこがすごいかわかっている。
ジミヘンだけがわからない。
なんだかわからないけど、すっげー。
それがジミヘン。
そういえば、
ジミヘンの曲は一曲も完コピしたことがない。
コピーできないと思ったのか、
意識的にしなかったのか…
そのへんはよく覚えていない。
なにしろ長い付き合いになるのだ。
それにしても…
40年以上も昔に、
いったいこの人は、
何をしたのだろう?
彼のアタマの中にいる悪魔とは、
何者だったんだ?
いまだに理解されない存在。
ロック史上、
天才と呼べるのは、
この人だけかもしれない。
ユイちゃんは知っているのかな?
この名前をヘンな顔を表すときに使ってはいけませんよ(笑)
★2013/09/01 (Sun)
暑いですね‥
いったん涼しくなった後だから、
よけいにコタエますな‥
暑いと思考回路が鈍るので、
何かを創造する意欲がなくなります。
これは困るんだよね‥(笑)
さて‥
山口冨士夫さんが亡くなってから、
村八分を聴くことが多くなっています。
村八分といえば、
唯一の公式音源は、
1973年5月5日 京大西部講堂での演奏を収めた
『ライブ』です。
これは長らく廃盤でしたが、
私は1984年、
ヴィヴィッドレコードが再発した際に、
手に入れました。
(もちろん、LPです)
ヴォーカルのチャー坊と冨士夫さん以外は
急遽雇われたメンバーだったとか、
制作側が意欲的だったのでとりあえず録音したとか‥
当時はあまり評価が高くありませんでした。
しかし、
なにしろ、
伝説のバンドの音源です。
リズム隊が弱かろうが、
もう一人のギターにまったく存在感がなかろうが、
(この人は、のちのハルヲフォンのドラマーらしい)
チャー坊と冨士夫さんの存在感は圧倒的で、
日本のロック史上類を見ない作品になっています。
『ライブ』はその後CD化されましたが、
注意しなければならないのは、
最後に発売されたバージョンで、
1曲目の「あッ!!」がカットされていることです。
カタワとかメクラとかビッコという
歌詞が問題になったということですが、
この曲がなくては、
『ライブ』の迫力は半減してしまいます。
まったく、
作品の価値を理解しないヤカラのやることは、
よくわかりません。
私は、
紙ジャケ仕様で
ボーナストラックが1曲追加されているヴァージョンのCDを持っていますが、
このボーナストラック「ゴミ箱のふた」が素晴らしい。
曲調は、
『ライブ』本編に収録されている「のびてぶぎー」とか、
ローリングストーンズの「シェイク・ユア・ヒップス」のパターンそのままで…
(『メインストリートのならず者』に収録)
どうやら富士夫さんはこのパターンがお気に入りらしく、
タンブリングス時代にも「Bun Bun」という作品を残しています…
シンプルこの上ないのですが、
リズム隊、
とくにドラマーのプレイがよいので、
聴きモノです。
そして、
なによりも、
歌詞に味わいがあります。
村八分は、
音楽媒体がCDになってから、
たくさんの未発表作品を発表しましたが、
その中でとくに評価が高いのは、
1971年のスタジオ録音をまとめた『くたびれて』です。
ヴォーカルと演奏のミキシングのバランスはイマイチですが、
『ライブ』の物足りなさを解消してくれる作品です。
リズム隊は、
ドラムスに上原裕さん(のち山下達郎のシュガーベイブ…このときわずか17歳)
ベースに青木眞一さん(こちらは外道、タンブリングス)
で、
なにしろ強力です。
ビートがグイグイ、
うねるように迫ってきて、
『ライブ』のようにヨレルことはありません。
先の「ゴミ箱のふた」はもしかすると、
このメンバーで録音された可能性があるということなので、
なるほどです。
『くたびれて』のタイトル曲は、
チャー坊という稀代のヴォーカリストの本領が発揮された名曲で、
なんというか…
ローリング・ストーンズのもつ疲労感を、
見事に日本語の簡単な単語で表現しています。
あるいても あるいても
はてどなく はてどなく
にぎりしめた手のひらは
あせばかり あせばかり
20歳の若さにしてこの老成ぶり…
いったい何にこんなに疲れていたのでしょう?
ローリング・ストーンズのフォロワー、
日本にもたくさんあれど、
ここまで本質を捉え、
自分達の言葉に置き換えた人を、
他に見たことがありません。
チャー坊もまた、
すでにこの世の人ではなく、
今は残された作品で、
その才能を偲ぶだけですが、
富士夫さんのギターといい、
これが1971年の作品というのは、
とても信じられないことです。
日本に、
突然変異のように誕生した、
ローリング・ストーンズの落とし子…
村八分を聴くたびに、
そんな言葉が浮かんできます。
誰か、
しっかりとマネジメントして、
もっと作品を残していたら、
とんでもない存在になっていたのではないでしょうか?
さて、
そんな富士夫さんの作品をネットで探していたら、
なんと…
裸のラリーズの音源…
最近、
海外で再発された作品が逆輸入されているようで、
幻の名盤といわれた『77 LIVE』のリメイクや、
富士夫さんが在籍した1980〜81年のライブ集(6枚組…)
など、
貴重なアイテムを多数見つけてしまい、
大人買いをしてしまいました。
今年の秋は、
ラリパッパになってしまうかも…(笑)
でもそれは、
夏の猛暑のおかげではありませんよ。
いったん涼しくなった後だから、
よけいにコタエますな‥
暑いと思考回路が鈍るので、
何かを創造する意欲がなくなります。
これは困るんだよね‥(笑)
さて‥
山口冨士夫さんが亡くなってから、
村八分を聴くことが多くなっています。
村八分といえば、
唯一の公式音源は、
1973年5月5日 京大西部講堂での演奏を収めた
『ライブ』です。
これは長らく廃盤でしたが、
私は1984年、
ヴィヴィッドレコードが再発した際に、
手に入れました。
(もちろん、LPです)
ヴォーカルのチャー坊と冨士夫さん以外は
急遽雇われたメンバーだったとか、
制作側が意欲的だったのでとりあえず録音したとか‥
当時はあまり評価が高くありませんでした。
しかし、
なにしろ、
伝説のバンドの音源です。
リズム隊が弱かろうが、
もう一人のギターにまったく存在感がなかろうが、
(この人は、のちのハルヲフォンのドラマーらしい)
チャー坊と冨士夫さんの存在感は圧倒的で、
日本のロック史上類を見ない作品になっています。
『ライブ』はその後CD化されましたが、
注意しなければならないのは、
最後に発売されたバージョンで、
1曲目の「あッ!!」がカットされていることです。
カタワとかメクラとかビッコという
歌詞が問題になったということですが、
この曲がなくては、
『ライブ』の迫力は半減してしまいます。
まったく、
作品の価値を理解しないヤカラのやることは、
よくわかりません。
私は、
紙ジャケ仕様で
ボーナストラックが1曲追加されているヴァージョンのCDを持っていますが、
このボーナストラック「ゴミ箱のふた」が素晴らしい。
曲調は、
『ライブ』本編に収録されている「のびてぶぎー」とか、
ローリングストーンズの「シェイク・ユア・ヒップス」のパターンそのままで…
(『メインストリートのならず者』に収録)
どうやら富士夫さんはこのパターンがお気に入りらしく、
タンブリングス時代にも「Bun Bun」という作品を残しています…
シンプルこの上ないのですが、
リズム隊、
とくにドラマーのプレイがよいので、
聴きモノです。
そして、
なによりも、
歌詞に味わいがあります。
村八分は、
音楽媒体がCDになってから、
たくさんの未発表作品を発表しましたが、
その中でとくに評価が高いのは、
1971年のスタジオ録音をまとめた『くたびれて』です。
ヴォーカルと演奏のミキシングのバランスはイマイチですが、
『ライブ』の物足りなさを解消してくれる作品です。
リズム隊は、
ドラムスに上原裕さん(のち山下達郎のシュガーベイブ…このときわずか17歳)
ベースに青木眞一さん(こちらは外道、タンブリングス)
で、
なにしろ強力です。
ビートがグイグイ、
うねるように迫ってきて、
『ライブ』のようにヨレルことはありません。
先の「ゴミ箱のふた」はもしかすると、
このメンバーで録音された可能性があるということなので、
なるほどです。
『くたびれて』のタイトル曲は、
チャー坊という稀代のヴォーカリストの本領が発揮された名曲で、
なんというか…
ローリング・ストーンズのもつ疲労感を、
見事に日本語の簡単な単語で表現しています。
あるいても あるいても
はてどなく はてどなく
にぎりしめた手のひらは
あせばかり あせばかり
20歳の若さにしてこの老成ぶり…
いったい何にこんなに疲れていたのでしょう?
ローリング・ストーンズのフォロワー、
日本にもたくさんあれど、
ここまで本質を捉え、
自分達の言葉に置き換えた人を、
他に見たことがありません。
チャー坊もまた、
すでにこの世の人ではなく、
今は残された作品で、
その才能を偲ぶだけですが、
富士夫さんのギターといい、
これが1971年の作品というのは、
とても信じられないことです。
日本に、
突然変異のように誕生した、
ローリング・ストーンズの落とし子…
村八分を聴くたびに、
そんな言葉が浮かんできます。
誰か、
しっかりとマネジメントして、
もっと作品を残していたら、
とんでもない存在になっていたのではないでしょうか?
さて、
そんな富士夫さんの作品をネットで探していたら、
なんと…
裸のラリーズの音源…
最近、
海外で再発された作品が逆輸入されているようで、
幻の名盤といわれた『77 LIVE』のリメイクや、
富士夫さんが在籍した1980〜81年のライブ集(6枚組…)
など、
貴重なアイテムを多数見つけてしまい、
大人買いをしてしまいました。
今年の秋は、
ラリパッパになってしまうかも…(笑)
でもそれは、
夏の猛暑のおかげではありませんよ。
★2013/08/25 (Sun)
シガーロスのことを、
さわやかな日曜の午前中に
話題にするべき音ではないと言いましたが、
この夏は、
そのようなサウンドの大物にして老舗、
ブラック・サバスが、
なんと35年ぶりに、
トニー・アイオミ、オジー・オズボーン、ギーザー・バトラーという、
オリジナル・メンバーによるニュー・アルバムを発表しました。
これがいい…じつにいいのです。
このような企画で、
老舗のバンドが再結成されると、
どことなく中途半端な音…
かつての音をなぞりながら、
ミョーに時代を意識した音…
を作りがちですが、
サバスは違いました。
徹頭徹尾、
サバス・サウンド…
そうです、
4枚目ぐらいまでの、
あの、
オリジナル・サバス・サウンドが、
見事に復活しているのです。
ここには、迷いなど微塵も感じられません。
オリジナルメンバーといいましたが、
一人だけ、
ドラマーはビル・ウォードではなく、
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのブラッド・ウィルクに交替していますが、
かえってこれがよかったのではないでしょうか?
他のメンバーより、
かなり若いせいか、
ビートがパワフルで、
それがバンド全体をうまくリードしています。
その若いドラマーに負けじと弾きまくり、
剛腕ぶりをアピールしているのが、
ベースのギーザー・バトラーで、
そのソリッドさには目を見張るものがあります。
多くの人は、
サバス・サウンドから、
どことなく頑なで不器用な感じを受けるかもしれませんが、
ギーザー・バトラーのベースは昔から、
しなやかで変幻自在でした。
トニー・アイオミのギタープレイも、
じつは、
繊細で神経質なタッチをしており、
ピッキングやビブラートなどは
かなり細やかにコントロールされたものになっております。
今回は、
アコースティックギターを、
さりげなくオーバーダビングする場面も多く、
サウンド全体に洗練されたイメージを与えています。
どちらかと言うと、
ビル・ウォードが不器用な感じだったので、
今回のメンバーチェンジは、
サバス・サウンドを現代に蘇らせることに、
功を奏したのだと言えるでしょう。
そして…、
オジーは相変わらず、
グニャグニャした、
不安定な音程と不安定なリズムで、
独特のパフォーマンスを展開しています。
健在ですなぁ…
やっぱサバスはオジーでないと‥
1曲目の「エンド・オブ・ザ・ビギニング」なんて、
まさに、
ファーストアルバム1曲目の「ブラック・サバス」そのもの。
多少のバリエーションはあるものの、
基本的にリフ中心、ミディアム・テンポ中心の、
単調な曲で構成されているので、
少し油断すると、
あっという間に意識を失い(笑)、
いつのまにかエンディングを迎えていたりしますが、
それもサバス・サウンドらしくて、
たいへんよろしいと思います。
(昔から、
下手にバラエティに富ませると、
評判を落とす傾向あり)
ここまで徹底されると、
気持ちいいですね。
今後の活動に要注意です。
さわやかな日曜の午前中に
話題にするべき音ではないと言いましたが、
この夏は、
そのようなサウンドの大物にして老舗、
ブラック・サバスが、
なんと35年ぶりに、
トニー・アイオミ、オジー・オズボーン、ギーザー・バトラーという、
オリジナル・メンバーによるニュー・アルバムを発表しました。
これがいい…じつにいいのです。
このような企画で、
老舗のバンドが再結成されると、
どことなく中途半端な音…
かつての音をなぞりながら、
ミョーに時代を意識した音…
を作りがちですが、
サバスは違いました。
徹頭徹尾、
サバス・サウンド…
そうです、
4枚目ぐらいまでの、
あの、
オリジナル・サバス・サウンドが、
見事に復活しているのです。
ここには、迷いなど微塵も感じられません。
オリジナルメンバーといいましたが、
一人だけ、
ドラマーはビル・ウォードではなく、
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのブラッド・ウィルクに交替していますが、
かえってこれがよかったのではないでしょうか?
他のメンバーより、
かなり若いせいか、
ビートがパワフルで、
それがバンド全体をうまくリードしています。
その若いドラマーに負けじと弾きまくり、
剛腕ぶりをアピールしているのが、
ベースのギーザー・バトラーで、
そのソリッドさには目を見張るものがあります。
多くの人は、
サバス・サウンドから、
どことなく頑なで不器用な感じを受けるかもしれませんが、
ギーザー・バトラーのベースは昔から、
しなやかで変幻自在でした。
トニー・アイオミのギタープレイも、
じつは、
繊細で神経質なタッチをしており、
ピッキングやビブラートなどは
かなり細やかにコントロールされたものになっております。
今回は、
アコースティックギターを、
さりげなくオーバーダビングする場面も多く、
サウンド全体に洗練されたイメージを与えています。
どちらかと言うと、
ビル・ウォードが不器用な感じだったので、
今回のメンバーチェンジは、
サバス・サウンドを現代に蘇らせることに、
功を奏したのだと言えるでしょう。
そして…、
オジーは相変わらず、
グニャグニャした、
不安定な音程と不安定なリズムで、
独特のパフォーマンスを展開しています。
健在ですなぁ…
やっぱサバスはオジーでないと‥
1曲目の「エンド・オブ・ザ・ビギニング」なんて、
まさに、
ファーストアルバム1曲目の「ブラック・サバス」そのもの。
多少のバリエーションはあるものの、
基本的にリフ中心、ミディアム・テンポ中心の、
単調な曲で構成されているので、
少し油断すると、
あっという間に意識を失い(笑)、
いつのまにかエンディングを迎えていたりしますが、
それもサバス・サウンドらしくて、
たいへんよろしいと思います。
(昔から、
下手にバラエティに富ませると、
評判を落とす傾向あり)
ここまで徹底されると、
気持ちいいですね。
今後の活動に要注意です。
★2013/08/20 (Tue)
迂闊にも‥
旅行中、
ニュースなどをチェックしていなかったので、
昨日まで知りませんでした。
山口冨士夫さんが亡くなっていたことを‥
8月14日に逝去。享年64歳。
1ヶ月前に福生駅前でちょっとしたトラブルがあり、
入院していたとのこと。
事件と死因の因果関係は調査中。
持病の糖尿病もかなり悪かったらしい。
などなど‥
すっきりしない情報ばかりですが、
“らしい”なぁ‥
冨士夫さんはいつまでも冨士夫さん。
ろけんろーるですよ。
私は‥
18の頃かな?
(1980年頃)
日本でいちばん好きなギタリスト‥
というか‥
ジョニー・サンダースと横並びで評価していた時期がありました。
なにしろ、
リズム感やチョーキングのセンスが、
日本人っぽくなかった‥
そのわりに、
日本語的な表現にこだわっていて、
圧倒的な存在感を誇っていました。
「からかわないで」とか
「酔いどれ天使」なんか好きですね。
当時はタンブリングス‥
当初はタンブリング・ダウンと名乗っていたような記憶が‥
を結成した直後でした。
写真で見たかぎりでは、
RCのチャボに似ているかな?
と思っていたのですが、
実物を見てビックリ!
コワっ‥マジでビビるほどの迫力でした。
当然、
村八分は後追いでしたが、
あの時代にあのギターはあり得ません!
欧米リアルタイムのギターですよ。
チャック・ベリーやキースがそこにいるような感じ‥
リードを弾くと彼らよりウマイ!
裸のラリーズに参加したり、
ルイズルイス加部さんとリゾートを結成したり、
もっとたくさんの音を聴きたいと思ったものです。
(余談ですが、リゾートはカッコよかっただろうなぁ‥)
まぁ‥
私が50を越えたので、
かつてアコガレたミュージシャンもそれなりの年齢に達していますが、
訃報に接するたびに、
諸行無常を感じます。
天国でジミヘンに会えたかな?
⇩若い頃はなにしろコワイ
⇩1980年代はボブ・マーリィっぽい
⇩このまま100までいってほしかった
永遠のアンファン・テリブルに合掌‥
旅行中、
ニュースなどをチェックしていなかったので、
昨日まで知りませんでした。
山口冨士夫さんが亡くなっていたことを‥
8月14日に逝去。享年64歳。
1ヶ月前に福生駅前でちょっとしたトラブルがあり、
入院していたとのこと。
事件と死因の因果関係は調査中。
持病の糖尿病もかなり悪かったらしい。
などなど‥
すっきりしない情報ばかりですが、
“らしい”なぁ‥
冨士夫さんはいつまでも冨士夫さん。
ろけんろーるですよ。
私は‥
18の頃かな?
(1980年頃)
日本でいちばん好きなギタリスト‥
というか‥
ジョニー・サンダースと横並びで評価していた時期がありました。
なにしろ、
リズム感やチョーキングのセンスが、
日本人っぽくなかった‥
そのわりに、
日本語的な表現にこだわっていて、
圧倒的な存在感を誇っていました。
「からかわないで」とか
「酔いどれ天使」なんか好きですね。
当時はタンブリングス‥
当初はタンブリング・ダウンと名乗っていたような記憶が‥
を結成した直後でした。
写真で見たかぎりでは、
RCのチャボに似ているかな?
と思っていたのですが、
実物を見てビックリ!
コワっ‥マジでビビるほどの迫力でした。
当然、
村八分は後追いでしたが、
あの時代にあのギターはあり得ません!
欧米リアルタイムのギターですよ。
チャック・ベリーやキースがそこにいるような感じ‥
リードを弾くと彼らよりウマイ!
裸のラリーズに参加したり、
ルイズルイス加部さんとリゾートを結成したり、
もっとたくさんの音を聴きたいと思ったものです。
(余談ですが、リゾートはカッコよかっただろうなぁ‥)
まぁ‥
私が50を越えたので、
かつてアコガレたミュージシャンもそれなりの年齢に達していますが、
訃報に接するたびに、
諸行無常を感じます。
天国でジミヘンに会えたかな?
⇩若い頃はなにしろコワイ
⇩1980年代はボブ・マーリィっぽい
⇩このまま100までいってほしかった
永遠のアンファン・テリブルに合掌‥