「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2013/10/20 (Sun)
ひさびさのタイトルでっす。
11月27日にパット・トラヴァースの全作品が、
紙ジャケ&リマスターで発売されると聞き、
いてもたってもいられなくなってしまった私です…(笑)
とりあえず、
デビュー作から5枚目までは、
全部揃えなくちゃ…
あ…でも、
同日に、
なんと、
ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレイターも出るんだ…
年末年始でなにかと出費の多い時期に、
なんということをしてくれるんだーっ
ブツブツ…
まぁ…そんなこんなで…
ここを読んでいる方に、
ぜひオススメしたいのが、
パット・トラヴァースの5枚目にしてライブアルバムの、
『Live! Go For What You Know』です。
これは1979年発表で、
その年のライブを収録したものですが、
それまでの4枚の作品のベスト盤のような選曲になっている上に、
パット・トラヴァース(Vo、G)の相棒に、
後にグレン・ヒューズと組んだり、
ソロ活動で話題になる名ギタリスト、
パット・スロールが在籍し、
素晴らしいプレイを披露しています。
ドラムスも、
後にホワイトスネイクなどに参加する、
トミー・アルドリッジなので、
まさに曲よし、
演奏よしという作品です。
内容を一言で表現すると…
エアロスミスのような、
2本のギターによるリフ中心のハードロックでありながら、
パット・スロールがエコーや空間系のエフェクターを多用するので、
少々プログレッシヴ・ロックっぽい要素があり、
リズムは Charがやりそうなファンクっぽいノリという…
(プログレ+ファンク)×ハードロックとでも言いいますか…
たいへんイカしたサウンドなのでありました。
カナダというお国柄を反映した、
ヨーロッパとアメリカをブレンドしたようなサウンドは、
この方面の音を好む人には、
たまらない内容だと思いますよ。
オープニングの「Hooked On Music」は、
細かいリフの応酬と、
空間系のエフェクターをかました、
プログレっぽいコードの使い方が印象的で…
思わず1曲目から、
テンションが上がってしまいます。
2曲目の「Getting Betta」、
3曲目の「 Go All Right」はファンキーリフの傑作で、
それこそ、
Charがやりそうな感じのナンバーです。
6曲目の「Makin Magic」は文句なしの名曲。
ラストの「Makes No Difference」はまたもや、
プログレっぽいハードロックで、
たたみかけるようなドラムスが圧巻。
ということで、
捨て曲なし!
怒濤の8曲で迫ります。
私は一時期、
このようなサウンドを目指していたことがあり、
1990年代の初めに制作したソロ作品には、
かなりハッキリとその影響が感じられます。
このアルバムを聴いて、
気に入った曲が収録されている、
スタジオ作品を入手するのが、
正当派の手法でしょうね。
基本、
ライブの再現性が高いので、
スタジオ作品がライブと大きく異なることはありませんが、
メンバーが違っていたり…
とくに初期はトリオで、
もう1本のギターがいなかったりするので、
そのへんの聴き分けをするのも、
一興かもしれません。
本当に、
単純にカッコよくて楽しめる作品なので、
ぜひみなさんも聴いてみてください。
11月27日にパット・トラヴァースの全作品が、
紙ジャケ&リマスターで発売されると聞き、
いてもたってもいられなくなってしまった私です…(笑)
とりあえず、
デビュー作から5枚目までは、
全部揃えなくちゃ…
あ…でも、
同日に、
なんと、
ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレイターも出るんだ…
年末年始でなにかと出費の多い時期に、
なんということをしてくれるんだーっ
ブツブツ…
まぁ…そんなこんなで…
ここを読んでいる方に、
ぜひオススメしたいのが、
パット・トラヴァースの5枚目にしてライブアルバムの、
『Live! Go For What You Know』です。
これは1979年発表で、
その年のライブを収録したものですが、
それまでの4枚の作品のベスト盤のような選曲になっている上に、
パット・トラヴァース(Vo、G)の相棒に、
後にグレン・ヒューズと組んだり、
ソロ活動で話題になる名ギタリスト、
パット・スロールが在籍し、
素晴らしいプレイを披露しています。
ドラムスも、
後にホワイトスネイクなどに参加する、
トミー・アルドリッジなので、
まさに曲よし、
演奏よしという作品です。
内容を一言で表現すると…
エアロスミスのような、
2本のギターによるリフ中心のハードロックでありながら、
パット・スロールがエコーや空間系のエフェクターを多用するので、
少々プログレッシヴ・ロックっぽい要素があり、
リズムは Charがやりそうなファンクっぽいノリという…
(プログレ+ファンク)×ハードロックとでも言いいますか…
たいへんイカしたサウンドなのでありました。
カナダというお国柄を反映した、
ヨーロッパとアメリカをブレンドしたようなサウンドは、
この方面の音を好む人には、
たまらない内容だと思いますよ。
オープニングの「Hooked On Music」は、
細かいリフの応酬と、
空間系のエフェクターをかました、
プログレっぽいコードの使い方が印象的で…
思わず1曲目から、
テンションが上がってしまいます。
2曲目の「Getting Betta」、
3曲目の「 Go All Right」はファンキーリフの傑作で、
それこそ、
Charがやりそうな感じのナンバーです。
6曲目の「Makin Magic」は文句なしの名曲。
ラストの「Makes No Difference」はまたもや、
プログレっぽいハードロックで、
たたみかけるようなドラムスが圧巻。
ということで、
捨て曲なし!
怒濤の8曲で迫ります。
私は一時期、
このようなサウンドを目指していたことがあり、
1990年代の初めに制作したソロ作品には、
かなりハッキリとその影響が感じられます。
このアルバムを聴いて、
気に入った曲が収録されている、
スタジオ作品を入手するのが、
正当派の手法でしょうね。
基本、
ライブの再現性が高いので、
スタジオ作品がライブと大きく異なることはありませんが、
メンバーが違っていたり…
とくに初期はトリオで、
もう1本のギターがいなかったりするので、
そのへんの聴き分けをするのも、
一興かもしれません。
本当に、
単純にカッコよくて楽しめる作品なので、
ぜひみなさんも聴いてみてください。
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★2013/10/13 (Sun)
最近なぜか、
サイケデリックな音が気に入っているのだが、
そもそも“サイケデリック”とはどういうことだったんだろう?
サイケデリックとは当初、
美術の世界で使われた言葉で、
既成の感覚や感情を無視した、
色彩革命を意味していた。
うわっ、こんな色使っていいの?
って感じ…
ウルトラQのタイトルバックみたいなイメージ…
転じてロックの世界では、
使ってはいけないとされていた音…
すなわち、
デカイ音量や歪んだ音、
ハウリングやフィードバックといった音を使い、
思い切った表現を試みたということだけど…
ここに1960年代後半から1970年代初頭にかけての、
ヒッピーやドラッグの動きがからみ、
潜在意識の覚醒やタブーへの挑戦などの
メッセージが加わったのだ。
わかりやすく言えば、
ラリパッパーのアタマの中を描いた、
ということか…(笑)
サイケデリックとは、
音楽のカテゴリーではなく、
表現形態を指していたんだ。
したがって、
サイケデリックロックと呼ばれるものには、
多種多様な音が含まれている。
ブログレやハードロックも、
ここから生まれたと言っても過言ではない。
最近の私には、
この、
少し危険な匂いがするものの、
何ものにも束縛されない、
自由な空気が、
とても心地よいのだ。
グラムロックのように下世話で安っぽくもなく、
どちらかと言えば、
ゲージュツ的なところも好ましい。
などと考えていた先週、
サイケデリックな音を出すなら、
やっぱりファズじゃん!
とばかりに…
ジミヘンで有名な、
ダラス・ファズフェイスの復刻盤を
衝動買いしてしまった…
かわいいでしょう?
これは、
かつてはやたら大きかったモデルを、
極限まで小さくし、
なおかつ、
使いやすく改良されているのだ。
(オリジナルは in と out が逆だったり、
DCアダプターがなかったりで、
エフェクターボードに入れずらかった…)
↓大きさを比較するためにCDと並べてみた。
しかし、
音の方は、
まさにあの時代のファズそのもの…
ストラトをつなぐとすぐに、
ジミヘンやウルリッヒ・ロスになれる。
会社帰りに、
スーツ姿で、
楽器店内に響き渡る豪音に酔いしれ、
思わず弾きまくった挙句、
ソッコーで買ってしまったのだ。(笑)
なんだ、このオッサン?と思われただろうなぁ…
さて、
今年の終盤は、
コイツを使って、
ブッ飛ぶのである。
サイケだサイケ!
もう一度、
眠っている意識を覚醒するのだ。
常識なんかクソくらえっなのだ(笑)
サイケデリックな音が気に入っているのだが、
そもそも“サイケデリック”とはどういうことだったんだろう?
サイケデリックとは当初、
美術の世界で使われた言葉で、
既成の感覚や感情を無視した、
色彩革命を意味していた。
うわっ、こんな色使っていいの?
って感じ…
ウルトラQのタイトルバックみたいなイメージ…
転じてロックの世界では、
使ってはいけないとされていた音…
すなわち、
デカイ音量や歪んだ音、
ハウリングやフィードバックといった音を使い、
思い切った表現を試みたということだけど…
ここに1960年代後半から1970年代初頭にかけての、
ヒッピーやドラッグの動きがからみ、
潜在意識の覚醒やタブーへの挑戦などの
メッセージが加わったのだ。
わかりやすく言えば、
ラリパッパーのアタマの中を描いた、
ということか…(笑)
サイケデリックとは、
音楽のカテゴリーではなく、
表現形態を指していたんだ。
したがって、
サイケデリックロックと呼ばれるものには、
多種多様な音が含まれている。
ブログレやハードロックも、
ここから生まれたと言っても過言ではない。
最近の私には、
この、
少し危険な匂いがするものの、
何ものにも束縛されない、
自由な空気が、
とても心地よいのだ。
グラムロックのように下世話で安っぽくもなく、
どちらかと言えば、
ゲージュツ的なところも好ましい。
などと考えていた先週、
サイケデリックな音を出すなら、
やっぱりファズじゃん!
とばかりに…
ジミヘンで有名な、
ダラス・ファズフェイスの復刻盤を
衝動買いしてしまった…
かわいいでしょう?
これは、
かつてはやたら大きかったモデルを、
極限まで小さくし、
なおかつ、
使いやすく改良されているのだ。
(オリジナルは in と out が逆だったり、
DCアダプターがなかったりで、
エフェクターボードに入れずらかった…)
↓大きさを比較するためにCDと並べてみた。
しかし、
音の方は、
まさにあの時代のファズそのもの…
ストラトをつなぐとすぐに、
ジミヘンやウルリッヒ・ロスになれる。
会社帰りに、
スーツ姿で、
楽器店内に響き渡る豪音に酔いしれ、
思わず弾きまくった挙句、
ソッコーで買ってしまったのだ。(笑)
なんだ、このオッサン?と思われただろうなぁ…
さて、
今年の終盤は、
コイツを使って、
ブッ飛ぶのである。
サイケだサイケ!
もう一度、
眠っている意識を覚醒するのだ。
常識なんかクソくらえっなのだ(笑)
★2013/10/06 (Sun)
10月になってしまいましたね。
SIONの歌じゃないけれど、
毎年、年末が近づいてくるたびに、
あわただしさと同時に、
何かやり残したような、
軽い後悔の念にかられるのは、
なぜでしょう?
もっとも…
今年はいろいろやれたので、
あまりそういう気分にならないかもしれませんが…
さて…
ロックを聴き始めて40年近くになり、
そろそろ聴いたことのないミュージシャンなどいなくなったかな?
と思ったりしていましたが…
まだいたんですね、これが。
グレートフル・デッド!
何度か興味を持ち、
聴いてみようと思ったものの、
そのたびにいろいろあって、
ここまで逃していた最後の大物です。
これが、
この9月に、
紙ジャケ仕様 SHM-CDで、
全盛期の作品が再発されたのでした。
当初の発売予定日より1ヶ月以上遅れたので、
またダメかなと不安になったりしましたが、
ようやくこのたび手に入れることができました。
先輩諸氏から、
グレートフル・デッドなら、
まず『ライヴ/デッド』からだよ、
と言われていたこともあり、
この作品から聴くことにしました。
グレートフル・デッドは、
長時間演奏で有名で、
延々何時間も演奏し、
観客もいっしょにトリップするという、
すばらしい空間を生み出していたのですが、
音源にまとめると、
20分以上の、
LP時代だと
片面1曲という作品が多くなってしまいます。
何度か作品に触れようとして
ためらった理由のひとつがこれです。
いまさら、
長尺のインプロビゼイション合戦っていうのは、
どうだろうねぇ…
正直なところ、
そう思うことが多かったのです。
『ライヴ/デッド』の1曲目
「ダーク・スター」は、
シングルヴァージョンは3分程度ですが、
ここでは20分を超える大作になっています。
1曲目からこれかぁ…と思いながら、
挑んでみると…
これは…なんだ?
いままで聴いたことのある、
長尺の演奏とは、
ちょっと違う感じなのです。
インプロビゼイション合戦ではない…
もちろん YESのように、
精緻に編曲された楽曲でもありません。
なんというか…
一言で表現すると、
テキトーの極限とでもいいましょうか。
この場合のテキトーは「いい加減」という意味ではなく、
文字通り「適」に「当」のテキトーです。
あるテーマをアタマに描いて、
すべての演奏者が、
そこを目指して作品を構築している…
ギターだけでなく、
キーボードもパーカッションも2人ずついるのに、
誰か1人が目立つわけでもなく、
それでいて、
ミョーの耳に残る印象的なフレーズが多い…
これは、
YESと対極にある、
バンドアンサンブルの理想的な姿かもしれません。
アドリブの比重が大きいので、
後期 KING CRIMSONに近い発想かもしれませんが、
あそこまで個人に依存していないところがポイントです。
(でも、ベーシストはけっこう凄腕だったりします)
これはいい…
しかも、
今聴いてもぜんぜん古くさくない。
これは結構、愛聴するかも…です。
現に、
20分以上あるのに、
毎日「ダークスター」をしっかり聴いていますから…
裸のラリーズとか村八分を聴いた後なので、
よけい効くのかもしれません。
初回特典で、
シールが入っていたのが、
これまたうれしいことです。
以前から、
このバンドの
アルバムジャケットやTシャツなどのデザインに
惹かれるものがありましたから…
そう考えると、
アーティスティックな面と、
ミーハーな面を両方満足させてくれる、
貴重な存在かもしれません。
うーん、
ヒッピー、
サイケデリック…
なぜ今かはわからないけれど、
下りてきたんですよ…天から。
どーしよーっ?
日常からの逸脱、
タブーへの挑戦…(笑)
SIONの歌じゃないけれど、
毎年、年末が近づいてくるたびに、
あわただしさと同時に、
何かやり残したような、
軽い後悔の念にかられるのは、
なぜでしょう?
もっとも…
今年はいろいろやれたので、
あまりそういう気分にならないかもしれませんが…
さて…
ロックを聴き始めて40年近くになり、
そろそろ聴いたことのないミュージシャンなどいなくなったかな?
と思ったりしていましたが…
まだいたんですね、これが。
グレートフル・デッド!
何度か興味を持ち、
聴いてみようと思ったものの、
そのたびにいろいろあって、
ここまで逃していた最後の大物です。
これが、
この9月に、
紙ジャケ仕様 SHM-CDで、
全盛期の作品が再発されたのでした。
当初の発売予定日より1ヶ月以上遅れたので、
またダメかなと不安になったりしましたが、
ようやくこのたび手に入れることができました。
先輩諸氏から、
グレートフル・デッドなら、
まず『ライヴ/デッド』からだよ、
と言われていたこともあり、
この作品から聴くことにしました。
グレートフル・デッドは、
長時間演奏で有名で、
延々何時間も演奏し、
観客もいっしょにトリップするという、
すばらしい空間を生み出していたのですが、
音源にまとめると、
20分以上の、
LP時代だと
片面1曲という作品が多くなってしまいます。
何度か作品に触れようとして
ためらった理由のひとつがこれです。
いまさら、
長尺のインプロビゼイション合戦っていうのは、
どうだろうねぇ…
正直なところ、
そう思うことが多かったのです。
『ライヴ/デッド』の1曲目
「ダーク・スター」は、
シングルヴァージョンは3分程度ですが、
ここでは20分を超える大作になっています。
1曲目からこれかぁ…と思いながら、
挑んでみると…
これは…なんだ?
いままで聴いたことのある、
長尺の演奏とは、
ちょっと違う感じなのです。
インプロビゼイション合戦ではない…
もちろん YESのように、
精緻に編曲された楽曲でもありません。
なんというか…
一言で表現すると、
テキトーの極限とでもいいましょうか。
この場合のテキトーは「いい加減」という意味ではなく、
文字通り「適」に「当」のテキトーです。
あるテーマをアタマに描いて、
すべての演奏者が、
そこを目指して作品を構築している…
ギターだけでなく、
キーボードもパーカッションも2人ずついるのに、
誰か1人が目立つわけでもなく、
それでいて、
ミョーの耳に残る印象的なフレーズが多い…
これは、
YESと対極にある、
バンドアンサンブルの理想的な姿かもしれません。
アドリブの比重が大きいので、
後期 KING CRIMSONに近い発想かもしれませんが、
あそこまで個人に依存していないところがポイントです。
(でも、ベーシストはけっこう凄腕だったりします)
これはいい…
しかも、
今聴いてもぜんぜん古くさくない。
これは結構、愛聴するかも…です。
現に、
20分以上あるのに、
毎日「ダークスター」をしっかり聴いていますから…
裸のラリーズとか村八分を聴いた後なので、
よけい効くのかもしれません。
初回特典で、
シールが入っていたのが、
これまたうれしいことです。
以前から、
このバンドの
アルバムジャケットやTシャツなどのデザインに
惹かれるものがありましたから…
そう考えると、
アーティスティックな面と、
ミーハーな面を両方満足させてくれる、
貴重な存在かもしれません。
うーん、
ヒッピー、
サイケデリック…
なぜ今かはわからないけれど、
下りてきたんですよ…天から。
どーしよーっ?
日常からの逸脱、
タブーへの挑戦…(笑)
★2013/09/29 (Sun)
明日で9月が終わります。
ということは…
今年ももう3/4が過ぎてしまった、
ということではありませんか?
じぇじぇじぇーっ!
じぇじぇじぇと言えば、
大ヒットした「あまちゃん」が、
先週最終回を迎えました。
私は何に驚いたって、
このドラマのサントラを手がけたのが、
大友良英さんであるということでした。
大友さんは、
10年ほど前、
東京のアンダーグラウンドシーンで話題になったギタリスト。
ターンテーブルによるスクラッチプレイなど、
新しいネタをフリーフォームなシーンに持ち込み、
注目を集めていました。
そんな人が、
国民的ドラマのサントラを手がけるなんて…
じつはアカデミックな方だったのかな?
なんて思っていたら…
NHKの特集番組の中で、
そーとーアバウトな譜面を披露し、
イメージを伝えたら、
あとはそれぞれのミュージシャンの感性に任せた、
などと発言しているのを見て、
やっぱりなーっと、
ミョーな安堵感を覚えてしまいました。
音楽って、
そんなもんでいいんですよ…ねぇ?
ちなみに、
その番組の中で、
大友さんがSGを弾いているのを見て、
あーやっぱりSGはカッコいいなぁ…と思っていたら、
前回、前々回で紹介した、
裸のラリーズの水谷さんは、
SGを手にしている画像が多く、
さらに先週、
ある演奏のできるスナックへ行ったときに、
手にした1960年代のSGが、
これまたバツグンに素晴らしくて…
ひさしぶりに、
「ギターほしい病」が再発し、
SG、SG、SG…
アーム付き、
またはP90搭載のスペシャルかJR…
と探しまくり、
イ○バ○楽器の、
「輸入楽器、9月末まで分割払いの金利ゼロ」セールに出くわし、
あやうくギブソンを購入しそうになるところまで、
発展してしまいました。
いや…あぶなかった。
どうどうどう…っといなされて、
ようやく落ち着きを取り戻しましたが、
どうやら、
SGとファイヤーバード…
かつて所持していたけれど、
いろいろあって手放したギターを、
もう一度手にしたいという思いに気がつき、
こうなったら、
消費税が8%に上がる、
来春前に、
どちらか1本を手に入れるか?
などと企むに至りました。
SGもファイヤーバードも、
ウェイトバランスが悪くて、
うまく扱えなかったわけですが、
その後、
SGはアームが付いていると、
ウェイトバランスがとれることがわかり、
また、
ファイヤーバードはリバースタイプであれば、
ストラトとよく似たウェイトバランスであることがわかり…
また、
ハムバッキングPUが苦手であれば、
どちらもP90搭載タイプがあるので、
機種を選べば、
前回のようなことはないだろうと、
楽観しているのでありました。
などと…
1年の3/4が過ぎても、
私は相変わらず、
こんな調子で、
たぶん、
高校〜大学時代からずっと、
こんな調子で来ているのです。
歳を取らないワケです。
さて、
残りの3ヶ月では、
年末の忘年会ライブを含め、
LOOSE CONNECTIONの活動が気になるわけですが、
今年は例年になくメンバーが積極的で、
また私も、
少々悟りを開いた感があり、
ここ数年間の停滞を解消するような流れが作れるといいな、
などと考えています。
さてさて、
果たしてどんな年末を迎えるでしょうか?
↓コレだよ、コレ
ということは…
今年ももう3/4が過ぎてしまった、
ということではありませんか?
じぇじぇじぇーっ!
じぇじぇじぇと言えば、
大ヒットした「あまちゃん」が、
先週最終回を迎えました。
私は何に驚いたって、
このドラマのサントラを手がけたのが、
大友良英さんであるということでした。
大友さんは、
10年ほど前、
東京のアンダーグラウンドシーンで話題になったギタリスト。
ターンテーブルによるスクラッチプレイなど、
新しいネタをフリーフォームなシーンに持ち込み、
注目を集めていました。
そんな人が、
国民的ドラマのサントラを手がけるなんて…
じつはアカデミックな方だったのかな?
なんて思っていたら…
NHKの特集番組の中で、
そーとーアバウトな譜面を披露し、
イメージを伝えたら、
あとはそれぞれのミュージシャンの感性に任せた、
などと発言しているのを見て、
やっぱりなーっと、
ミョーな安堵感を覚えてしまいました。
音楽って、
そんなもんでいいんですよ…ねぇ?
ちなみに、
その番組の中で、
大友さんがSGを弾いているのを見て、
あーやっぱりSGはカッコいいなぁ…と思っていたら、
前回、前々回で紹介した、
裸のラリーズの水谷さんは、
SGを手にしている画像が多く、
さらに先週、
ある演奏のできるスナックへ行ったときに、
手にした1960年代のSGが、
これまたバツグンに素晴らしくて…
ひさしぶりに、
「ギターほしい病」が再発し、
SG、SG、SG…
アーム付き、
またはP90搭載のスペシャルかJR…
と探しまくり、
イ○バ○楽器の、
「輸入楽器、9月末まで分割払いの金利ゼロ」セールに出くわし、
あやうくギブソンを購入しそうになるところまで、
発展してしまいました。
いや…あぶなかった。
どうどうどう…っといなされて、
ようやく落ち着きを取り戻しましたが、
どうやら、
SGとファイヤーバード…
かつて所持していたけれど、
いろいろあって手放したギターを、
もう一度手にしたいという思いに気がつき、
こうなったら、
消費税が8%に上がる、
来春前に、
どちらか1本を手に入れるか?
などと企むに至りました。
SGもファイヤーバードも、
ウェイトバランスが悪くて、
うまく扱えなかったわけですが、
その後、
SGはアームが付いていると、
ウェイトバランスがとれることがわかり、
また、
ファイヤーバードはリバースタイプであれば、
ストラトとよく似たウェイトバランスであることがわかり…
また、
ハムバッキングPUが苦手であれば、
どちらもP90搭載タイプがあるので、
機種を選べば、
前回のようなことはないだろうと、
楽観しているのでありました。
などと…
1年の3/4が過ぎても、
私は相変わらず、
こんな調子で、
たぶん、
高校〜大学時代からずっと、
こんな調子で来ているのです。
歳を取らないワケです。
さて、
残りの3ヶ月では、
年末の忘年会ライブを含め、
LOOSE CONNECTIONの活動が気になるわけですが、
今年は例年になくメンバーが積極的で、
また私も、
少々悟りを開いた感があり、
ここ数年間の停滞を解消するような流れが作れるといいな、
などと考えています。
さてさて、
果たしてどんな年末を迎えるでしょうか?
↓コレだよ、コレ
★2013/09/22 (Sun)
ひと昔前までは、
裸のラリーズについて語ること…
とくに批判めいたことを言うことは、
タブー視されておりました。
熱狂的な信奉者から、
激しい反撃を受けるというのです。
ところが、
最近になって、
ネットでいろいろ検索してみると、
けっこう批判めいた意見…
とくに偶像視することに対して
疑問を投げかけるような意見を見ることが多く、
時代の流れを感じました。
もはや、
裸のラリーズの伝説も
時空の彼方に消えようとしているのか?
私も正直なところ、
やたらと“伝説”だの“幻”だのと言って、
このバンドを神格化しようなどとは思わず、
ただ…
日本ロック史上、
稀に見る存在が、
どのようにして生まれ、
何を訴えようとしていたのか、
機会あれば、
そこに触れてみたいと思っていました。
裸のラリーズ=水谷孝という図式は、
もはや誰も異論を唱える余地はない事実…
裸のラリーズを語るということは、
水谷孝を語るということになります。
映像で見る水谷氏からは
とてもナイーブで弱々しい感じを受け、
サングラスでもしていなければ、
とてもじゃないが、
人前に出られない…
そんな印象を受けました。
にもかかわらず、
インテリ特有のプライドと、
独特の美意識に支配され、
なかなか本性を現さず、
徹頭徹尾スタイリッシュにキメている…
そういう雰囲気を感じたりします。
1960年代という激動の時代に、
京都で大学生だったわけですから、
強烈に時代の洗礼を受けたはず、
行動的な人だったら、
政治活動へ参加したりするわけですが、
彼はそうしませんでした。
裸のラリーズの初期に関わった人が、
よど号をハイジャックし、
北朝鮮へ亡命したのは有名な話ですが、
彼はそういう活動へは関わっていません。
ただ、
その時代に書いたオリジナル曲を、
延々と演奏し続けたのです。
裸のラリーズのレパートリーのほとんどは、
その活動の初期の段階で出来上がっており、
長い活動期間のそれぞれの時代に、
その時代を感じさせるような曲を残したりはしていません。
そして、
どの曲にも歌詞がついていて、
正直なところ、
あまり歌は上手でないにもかかわらず、
かならず歌います。
おそらく、
演奏だけでは、
彼の言いたいことを表現できなかったのでしょう。
その歌詞の世界というのは、
多くは「オマエ」という2人称で、
“闇”とか“夜”とか“黒”という単語を使い、
異端の人が歌いこまれています。
全体的には、
それほど文学的価値を感じないのですが、
ときどき、
目の覚めるような言葉に出会います。
“造花の原野”とか…
こう考えると、
私小説的な作風の
シンガーソングライターに近いと感じるのです。
1960年代という強烈な時代の洗礼を受けたものの、
何もなすことができず、
ただ時間だけが過ぎていく…
しかし、
焦る気持ちを正直に表現するには、
プライドが邪魔をする。
表現活動などやめてしまえばよいのに、
そうしてしまったら、
自分の存在価値がなくなってしまう。
だから続ける…
歌詞に2人称を使い、
人前ではサングラスをかける。
さらに…
ヴォーカルにはエコーをかけまくり、
ギターはエフェクトの嵐、
すべてを塗りたくるような轟音が、
彼のコンプレックスを隠してくれる。
ギターのエフェクトについては、
かなり研究したものと思われます。
エコー、フランジャー…
ギターが好きな証拠ですね。
ブルーチアーが好きだからSGを買った…
そんな感じがします。
だから、
政治や小説ではなく、
ロックに固執しているのです。
ロックしかない…
山口冨士夫さんもどこか寂寥を感じる人でしたが、
とても乾いた感じでした。
ドライな寂寥感…
チャー坊も根の部分からは共通した匂いを感じましたが、
妙なユーモアで笑い飛ばそうとする、
シニカルな感じがしました。
水谷さんはこの両者とは違い、
ナイーブで弱々しい本性が見え隠れします。
(余談ですが、
このタイプはチャー坊みたいなタイプとは“水と油”だと思います。
多くの証言も、
この2人は合わなかったと言っています。)
3人に共通しているのは、
1960年代という時代の呪縛から、
解き放たれることがなかったということ。
それぞれの表現方法で、
なんとか折り合いをつけていたということ。
そんなことに思いをめぐらせてみました。
私は、
そんな水谷さんに…
裸のラリーズに、
妙な親近感を覚えているのです。
裸のラリーズからは、
種田山頭火とか太宰治とか、
尾崎豊とか、
そんな人たちと同じものを感じます。
彼らの音を聴いていると、
不思議な安堵感を得られます。
冨士夫さんが在籍していた時期のものからは、
とくにそれを感じます。
冨士夫さんは、
水谷さんをやさしく包んでいたんですね。
しかし…
裸のラリーズにこういう接し方をするとは、
若い頃には思いもつかなかったことです。
これも、
年齢のなせる技でしょうか…ねぇ?
裸のラリーズについて語ること…
とくに批判めいたことを言うことは、
タブー視されておりました。
熱狂的な信奉者から、
激しい反撃を受けるというのです。
ところが、
最近になって、
ネットでいろいろ検索してみると、
けっこう批判めいた意見…
とくに偶像視することに対して
疑問を投げかけるような意見を見ることが多く、
時代の流れを感じました。
もはや、
裸のラリーズの伝説も
時空の彼方に消えようとしているのか?
私も正直なところ、
やたらと“伝説”だの“幻”だのと言って、
このバンドを神格化しようなどとは思わず、
ただ…
日本ロック史上、
稀に見る存在が、
どのようにして生まれ、
何を訴えようとしていたのか、
機会あれば、
そこに触れてみたいと思っていました。
裸のラリーズ=水谷孝という図式は、
もはや誰も異論を唱える余地はない事実…
裸のラリーズを語るということは、
水谷孝を語るということになります。
映像で見る水谷氏からは
とてもナイーブで弱々しい感じを受け、
サングラスでもしていなければ、
とてもじゃないが、
人前に出られない…
そんな印象を受けました。
にもかかわらず、
インテリ特有のプライドと、
独特の美意識に支配され、
なかなか本性を現さず、
徹頭徹尾スタイリッシュにキメている…
そういう雰囲気を感じたりします。
1960年代という激動の時代に、
京都で大学生だったわけですから、
強烈に時代の洗礼を受けたはず、
行動的な人だったら、
政治活動へ参加したりするわけですが、
彼はそうしませんでした。
裸のラリーズの初期に関わった人が、
よど号をハイジャックし、
北朝鮮へ亡命したのは有名な話ですが、
彼はそういう活動へは関わっていません。
ただ、
その時代に書いたオリジナル曲を、
延々と演奏し続けたのです。
裸のラリーズのレパートリーのほとんどは、
その活動の初期の段階で出来上がっており、
長い活動期間のそれぞれの時代に、
その時代を感じさせるような曲を残したりはしていません。
そして、
どの曲にも歌詞がついていて、
正直なところ、
あまり歌は上手でないにもかかわらず、
かならず歌います。
おそらく、
演奏だけでは、
彼の言いたいことを表現できなかったのでしょう。
その歌詞の世界というのは、
多くは「オマエ」という2人称で、
“闇”とか“夜”とか“黒”という単語を使い、
異端の人が歌いこまれています。
全体的には、
それほど文学的価値を感じないのですが、
ときどき、
目の覚めるような言葉に出会います。
“造花の原野”とか…
こう考えると、
私小説的な作風の
シンガーソングライターに近いと感じるのです。
1960年代という強烈な時代の洗礼を受けたものの、
何もなすことができず、
ただ時間だけが過ぎていく…
しかし、
焦る気持ちを正直に表現するには、
プライドが邪魔をする。
表現活動などやめてしまえばよいのに、
そうしてしまったら、
自分の存在価値がなくなってしまう。
だから続ける…
歌詞に2人称を使い、
人前ではサングラスをかける。
さらに…
ヴォーカルにはエコーをかけまくり、
ギターはエフェクトの嵐、
すべてを塗りたくるような轟音が、
彼のコンプレックスを隠してくれる。
ギターのエフェクトについては、
かなり研究したものと思われます。
エコー、フランジャー…
ギターが好きな証拠ですね。
ブルーチアーが好きだからSGを買った…
そんな感じがします。
だから、
政治や小説ではなく、
ロックに固執しているのです。
ロックしかない…
山口冨士夫さんもどこか寂寥を感じる人でしたが、
とても乾いた感じでした。
ドライな寂寥感…
チャー坊も根の部分からは共通した匂いを感じましたが、
妙なユーモアで笑い飛ばそうとする、
シニカルな感じがしました。
水谷さんはこの両者とは違い、
ナイーブで弱々しい本性が見え隠れします。
(余談ですが、
このタイプはチャー坊みたいなタイプとは“水と油”だと思います。
多くの証言も、
この2人は合わなかったと言っています。)
3人に共通しているのは、
1960年代という時代の呪縛から、
解き放たれることがなかったということ。
それぞれの表現方法で、
なんとか折り合いをつけていたということ。
そんなことに思いをめぐらせてみました。
私は、
そんな水谷さんに…
裸のラリーズに、
妙な親近感を覚えているのです。
裸のラリーズからは、
種田山頭火とか太宰治とか、
尾崎豊とか、
そんな人たちと同じものを感じます。
彼らの音を聴いていると、
不思議な安堵感を得られます。
冨士夫さんが在籍していた時期のものからは、
とくにそれを感じます。
冨士夫さんは、
水谷さんをやさしく包んでいたんですね。
しかし…
裸のラリーズにこういう接し方をするとは、
若い頃には思いもつかなかったことです。
これも、
年齢のなせる技でしょうか…ねぇ?