「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
★ カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
★ フリーエリア
★ 最新コメント
[01/25 matsuZACK]
[01/23 shiba]
[01/02 matsuZACK ]
[01/02 ういん]
[12/27 shiba]
★ 最新トラックバック
★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
★ ブログ内検索
★ 最古記事
★ P R
★ カウンター
★2014/09/14 (Sun)
ここの読者は、
私と同年輩もしくは、
もう少し先輩が多いので、
すでに体験済の方もいらっしゃるとは思いますが…
私も体験して来ましたよ。
何をって?
大腸内視鏡ですよ。
だいちょーないしきょーっ(笑)
今年の夏は、
地方出張が多く、
猛暑の中、
各地で酒池肉林を繰り広げたおかげか、
1ヶ月ほど前から、
長年の親友である「大地主くん」が遊びに来て、
腰を上げずに長逗留するようになりました。
こりゃイカンなぁ…これから人間ドックもあるのに、
今やったら一発で潜血反応が出ちゃうよ。
数十年ぶりに専門医を受診することにしたのです。
この「大地主くん」の診察というのは、
初回のときに、
幼児期のオムツ交換以来、
親以外には見せたことのないポーズを
とらされたことがトラウマになり、
それ以降、
あまり気が進まず、
現在に至るまで数回しか経験しておりませんでした。
さてさて…
専門医は案の定、
「年齢を考えると、念のため大腸内視鏡をやっておきますか」と…
あーっ、
ついに来たか。
いままで何度もやろうか迷ったあげく、
いまだに実現していなかった、
禁断の検査…
まぁ…これも何かの巡り合わせかと思い、
先週の金曜日に、
体験することになったのです。
で…こうなると、
私の場合、
最高のコンディションで
検査に臨もうとする性格なので、
あれほど飲んでいたアルコールを
1週間前からピタっと止め、
3日前から、
いつもだったら進んで食べる、
食物繊維を多く含む食品…
野菜や果物、
そして乳製品をピタっと止め、
肉ばかりを食べるようになったのでした(笑)
普段だったら、
食べ過ぎないように注意する食物ばかりを食べ、
意識的に食べるようにしている食物を食べないことで、
腸内の残さを少なくし、
検査をしやすくする。
いかに普段の自分が、
商売柄とはいえ、
食物に気を使っているかがよくわかり、
これは正直おもしろかったですね。
そして前日には、
これまた商売柄よく知っている、
J社の高カロリー低残さ食を食べ…
意外と味がしっかりついている上に、
お腹いっぱいになることに感心し…
当日は朝の5時から、
12分間隔でコップ1杯ずつ、
計2リッターの…
これまた、
商売柄親しくしている、
A社グループの大腸洗浄剤をグビグビと飲み、
午前10時30分からの検査に向かったのでした。
この2リッターがぶ飲みはかなりツライと…
同輩から聞いていたのですが、
生来私は、
水をよく飲む方なので、
さして苦にならず、
少しレモン風味でおいしいじゃん…と思いながら、
グイグイいってしまいました(笑)
この日はおそらく、
我が人生の中で、
もっともお腹の中がキレイだった日…
腹黒いとはよく言いますが、
腹真っ白な一日だったと思います。
そう考えると、
記念すべき日であったかもしれませんね(笑)
さて、
検査の結果は、
ポリープ等の異常はとくに認められず、
ただ「大地主くん」だけは
早めに根本的な治療を考えた方がよいと言われ、
ほぼ無罪放免となったのでありました。
もうひとつ、
同輩から聞いていた話と違っていたのは、
鎮静剤を打たれるので、
検査中は意識が朦朧とするし、
検査が終わってからはひと眠りするよ、
と言われていたこと…
私の場合は、
クスリの効き目が弱いのか…
(以前ケガをした際に、
麻酔が効きづらいと指摘されたことあり)
多少ボヤっとしたものの、
意外と意識はしっかりとしていた上に、
検査が終わっても眠らず、
看護婦さんに驚かれてしまいました。
眠くないの?
あらっ、もう回復しているの?(笑)
まぁ…大事なかったので、
メデタシメデタシですが、
何かあって初めて気がつく、
平凡な毎日のありがたさ…かな。
「大地主くん」は、
いろいろ騒がしかったせいか、
ひとまず退散の気配ですが、
そろそろお別れをした方がよさそうですなぁ…
私と同年輩もしくは、
もう少し先輩が多いので、
すでに体験済の方もいらっしゃるとは思いますが…
私も体験して来ましたよ。
何をって?
大腸内視鏡ですよ。
だいちょーないしきょーっ(笑)
今年の夏は、
地方出張が多く、
猛暑の中、
各地で酒池肉林を繰り広げたおかげか、
1ヶ月ほど前から、
長年の親友である「大地主くん」が遊びに来て、
腰を上げずに長逗留するようになりました。
こりゃイカンなぁ…これから人間ドックもあるのに、
今やったら一発で潜血反応が出ちゃうよ。
数十年ぶりに専門医を受診することにしたのです。
この「大地主くん」の診察というのは、
初回のときに、
幼児期のオムツ交換以来、
親以外には見せたことのないポーズを
とらされたことがトラウマになり、
それ以降、
あまり気が進まず、
現在に至るまで数回しか経験しておりませんでした。
さてさて…
専門医は案の定、
「年齢を考えると、念のため大腸内視鏡をやっておきますか」と…
あーっ、
ついに来たか。
いままで何度もやろうか迷ったあげく、
いまだに実現していなかった、
禁断の検査…
まぁ…これも何かの巡り合わせかと思い、
先週の金曜日に、
体験することになったのです。
で…こうなると、
私の場合、
最高のコンディションで
検査に臨もうとする性格なので、
あれほど飲んでいたアルコールを
1週間前からピタっと止め、
3日前から、
いつもだったら進んで食べる、
食物繊維を多く含む食品…
野菜や果物、
そして乳製品をピタっと止め、
肉ばかりを食べるようになったのでした(笑)
普段だったら、
食べ過ぎないように注意する食物ばかりを食べ、
意識的に食べるようにしている食物を食べないことで、
腸内の残さを少なくし、
検査をしやすくする。
いかに普段の自分が、
商売柄とはいえ、
食物に気を使っているかがよくわかり、
これは正直おもしろかったですね。
そして前日には、
これまた商売柄よく知っている、
J社の高カロリー低残さ食を食べ…
意外と味がしっかりついている上に、
お腹いっぱいになることに感心し…
当日は朝の5時から、
12分間隔でコップ1杯ずつ、
計2リッターの…
これまた、
商売柄親しくしている、
A社グループの大腸洗浄剤をグビグビと飲み、
午前10時30分からの検査に向かったのでした。
この2リッターがぶ飲みはかなりツライと…
同輩から聞いていたのですが、
生来私は、
水をよく飲む方なので、
さして苦にならず、
少しレモン風味でおいしいじゃん…と思いながら、
グイグイいってしまいました(笑)
この日はおそらく、
我が人生の中で、
もっともお腹の中がキレイだった日…
腹黒いとはよく言いますが、
腹真っ白な一日だったと思います。
そう考えると、
記念すべき日であったかもしれませんね(笑)
さて、
検査の結果は、
ポリープ等の異常はとくに認められず、
ただ「大地主くん」だけは
早めに根本的な治療を考えた方がよいと言われ、
ほぼ無罪放免となったのでありました。
もうひとつ、
同輩から聞いていた話と違っていたのは、
鎮静剤を打たれるので、
検査中は意識が朦朧とするし、
検査が終わってからはひと眠りするよ、
と言われていたこと…
私の場合は、
クスリの効き目が弱いのか…
(以前ケガをした際に、
麻酔が効きづらいと指摘されたことあり)
多少ボヤっとしたものの、
意外と意識はしっかりとしていた上に、
検査が終わっても眠らず、
看護婦さんに驚かれてしまいました。
眠くないの?
あらっ、もう回復しているの?(笑)
まぁ…大事なかったので、
メデタシメデタシですが、
何かあって初めて気がつく、
平凡な毎日のありがたさ…かな。
「大地主くん」は、
いろいろ騒がしかったせいか、
ひとまず退散の気配ですが、
そろそろお別れをした方がよさそうですなぁ…
PR
★2014/09/07 (Sun)
今年の夏の、
紙ジャケ再発の目玉は、
ズバリ!
ブランドXですね。
ブランドXは1975年にイギリスで結成され、
ジェネシスのフィル・コリンズがドラマーとして参加したことで、
有名になりました。
ピーター・ガブリエルが脱退し、
ヴォーカリストとしての役割が大きくなったフィルは、
思い切りドラムを叩きたいという欲求から、
このバンドへ参加したということでした。
私は個人的に、
プログレ系ドラマーの中で、
このフィル・コリンズはかなり好きな部類ですが、
それは、
フィルのリズムには、
他のプログレ系ドラマーからは感じられない、
ソウルミュージックのグルーヴがあるからなのです。
リズムがハネるのと、
ハイハットをビシーっビシーっ!
これがたいへん心地よいのです。
ブランドXにはフィルの他、
フレットレスベースの名手、パーシー・ジョーンズ、
クリアトーンギターの魔術師、ジョン・グッドサルが在籍しており、
その卓越したテクニックには定評がありました。
パーシー・ジョーンズは、
アメリカのジャコ・パストリアスに対し、
イギリスのパーシー・ジョーンズと呼ばれた、
当時のフレットレスベースの名手で、
モロにジャズからの影響が感じられるジャコに対し、
イギリス人らしく少しヒネっているというか…
マニアックな解釈を施しているのがパーシーです。
その特有のホワッとした浮遊感は独特のもので、
これがこのバンドのサウンドを印象付けております。
ジャパンのミック・カーンがこの方の大ファンでしたね。
ギターのジョン・グッドサルは、
1970年代後半のフェンダー・ストラトキャスターをメインに、
硬質でクリアなトーンで、
アルペジオや16ビート系の細かいカッティングを得意とします。
(なぜかその後のソロでは、
ゴリゴリに歪んだ音でヘヴィメタ的なプレイをしているのが「?」)
独特のコード感覚がとても美しく、
パーシーの軟らかく浮遊感のあるプレイと、
対照的に硬質なジョンのプレイのブレンドが、
初期の4枚のアルバムでは遺憾なく発揮されております。
ファースト・アルバム『異常行為(Unorthodox Behaviour)』
は1976年に発表され、
前述のパーシーとジョンの個性がうまく発揮され、
インタープレイではなく、
カチっとアレンジされた
完成度の高い楽曲中心の作品になっております。
これを当時は、
“フュージョン”という言葉で、
乱暴に一括りにされていたわけですが、
彼らのサウンドは明らかに、
他のバンドとは違っており、
今回の再発などを経て、
正当に評価されることを期待します。
1977年に発表されたセカンド・アルバム、
『モロッカン・ロール(Moroccan Roll)』では、
エスニック的な要素が加わり、
これが4枚目の『マスクス(Masques)』につながります。
エスニックといっても、
中近東や中央アジアっぽい、
多分に無国籍な印象ですが、
これもブランドXを印象付ける要素となっていきます。
同じく1977年に発表されたライブ・アルバム、
『ライヴストック(Livestock)』は、
スタジオアルバムから一転して、
ライブならではのインタープレイを中心とした作品です。
インタープレイとはいっても、
キング・クリムゾンのように、
激しくぶつかり合う熱いプレイではなく、
静かにジワッと盛り上がるプレイが特徴で、
この種のライブ・アルバムの傑作となっております。
こんな雰囲気のライブ・アルバムは、
ビー・バップ・デラックスのライブぐらいしか、
聴いたことがありません。
1978年発表、
4枚目の『マスクス(Masques)』では、
ジェネシスが多忙になったため、
フィル・コリンズが脱退してしまいます。
しかし、
それまでの作品と変わらないレベルで、
ファンの間では冒頭の2曲、
「The Poke」「Masques」の人気が高く、
隠れ名盤的な存在になっています。
このアルバムを聴くと、
当時よく言われていた、
「ブランドXはフィル・コリンズのサイド・プロジェクト」
ではないということがよくわかります。
ただ…私には、
ここまでだったんですね。
その後の諸作は、
当時の私にはあまり響かず、
1992年の再結成アルバム『Xコミュニケーション』まで、
おおっと感じる作品には出会いませんでした。
とはいえ、
紙ジャケになって、
あらためて初期の作品を聴き返してみると、
やはりよい。
ソウルフルなリズムに、
硬質でクリアなジャズサウンドが乗る…
こんな音をお求めの方には、
ぜひおススメします。
初期の4枚はどこから聴いてもOKですよ。
↓これ曲名誤り×「Masques」→○「The Poke」
紙ジャケ再発の目玉は、
ズバリ!
ブランドXですね。
ブランドXは1975年にイギリスで結成され、
ジェネシスのフィル・コリンズがドラマーとして参加したことで、
有名になりました。
ピーター・ガブリエルが脱退し、
ヴォーカリストとしての役割が大きくなったフィルは、
思い切りドラムを叩きたいという欲求から、
このバンドへ参加したということでした。
私は個人的に、
プログレ系ドラマーの中で、
このフィル・コリンズはかなり好きな部類ですが、
それは、
フィルのリズムには、
他のプログレ系ドラマーからは感じられない、
ソウルミュージックのグルーヴがあるからなのです。
リズムがハネるのと、
ハイハットをビシーっビシーっ!
これがたいへん心地よいのです。
ブランドXにはフィルの他、
フレットレスベースの名手、パーシー・ジョーンズ、
クリアトーンギターの魔術師、ジョン・グッドサルが在籍しており、
その卓越したテクニックには定評がありました。
パーシー・ジョーンズは、
アメリカのジャコ・パストリアスに対し、
イギリスのパーシー・ジョーンズと呼ばれた、
当時のフレットレスベースの名手で、
モロにジャズからの影響が感じられるジャコに対し、
イギリス人らしく少しヒネっているというか…
マニアックな解釈を施しているのがパーシーです。
その特有のホワッとした浮遊感は独特のもので、
これがこのバンドのサウンドを印象付けております。
ジャパンのミック・カーンがこの方の大ファンでしたね。
ギターのジョン・グッドサルは、
1970年代後半のフェンダー・ストラトキャスターをメインに、
硬質でクリアなトーンで、
アルペジオや16ビート系の細かいカッティングを得意とします。
(なぜかその後のソロでは、
ゴリゴリに歪んだ音でヘヴィメタ的なプレイをしているのが「?」)
独特のコード感覚がとても美しく、
パーシーの軟らかく浮遊感のあるプレイと、
対照的に硬質なジョンのプレイのブレンドが、
初期の4枚のアルバムでは遺憾なく発揮されております。
ファースト・アルバム『異常行為(Unorthodox Behaviour)』
は1976年に発表され、
前述のパーシーとジョンの個性がうまく発揮され、
インタープレイではなく、
カチっとアレンジされた
完成度の高い楽曲中心の作品になっております。
これを当時は、
“フュージョン”という言葉で、
乱暴に一括りにされていたわけですが、
彼らのサウンドは明らかに、
他のバンドとは違っており、
今回の再発などを経て、
正当に評価されることを期待します。
1977年に発表されたセカンド・アルバム、
『モロッカン・ロール(Moroccan Roll)』では、
エスニック的な要素が加わり、
これが4枚目の『マスクス(Masques)』につながります。
エスニックといっても、
中近東や中央アジアっぽい、
多分に無国籍な印象ですが、
これもブランドXを印象付ける要素となっていきます。
同じく1977年に発表されたライブ・アルバム、
『ライヴストック(Livestock)』は、
スタジオアルバムから一転して、
ライブならではのインタープレイを中心とした作品です。
インタープレイとはいっても、
キング・クリムゾンのように、
激しくぶつかり合う熱いプレイではなく、
静かにジワッと盛り上がるプレイが特徴で、
この種のライブ・アルバムの傑作となっております。
こんな雰囲気のライブ・アルバムは、
ビー・バップ・デラックスのライブぐらいしか、
聴いたことがありません。
1978年発表、
4枚目の『マスクス(Masques)』では、
ジェネシスが多忙になったため、
フィル・コリンズが脱退してしまいます。
しかし、
それまでの作品と変わらないレベルで、
ファンの間では冒頭の2曲、
「The Poke」「Masques」の人気が高く、
隠れ名盤的な存在になっています。
このアルバムを聴くと、
当時よく言われていた、
「ブランドXはフィル・コリンズのサイド・プロジェクト」
ではないということがよくわかります。
ただ…私には、
ここまでだったんですね。
その後の諸作は、
当時の私にはあまり響かず、
1992年の再結成アルバム『Xコミュニケーション』まで、
おおっと感じる作品には出会いませんでした。
とはいえ、
紙ジャケになって、
あらためて初期の作品を聴き返してみると、
やはりよい。
ソウルフルなリズムに、
硬質でクリアなジャズサウンドが乗る…
こんな音をお求めの方には、
ぜひおススメします。
初期の4枚はどこから聴いてもOKですよ。
↓これ曲名誤り×「Masques」→○「The Poke」
★2014/08/31 (Sun)
月刊「レコード・コレクターズ」最新号の特集は、
「1970-1979 日本の女性アイドル・ソング・ベスト100」
でした。
ここで、
TOP30に選ばれた曲を眺めていたら、
それぞれの曲が流れていた、
当時の記憶が蘇ってきて、
なんだかミョーに甘酸っぱい気分になってしまい、
iTunesで何曲か購入してしまいました。
1970年から1979年というと、
私は小学3年から高校3年にあたり、
もっとも多感な時期であったからかもしれません。
とはいえ、
小学生当時はレコードなど買うこともなく、
中学生以降、
ロックにめざめてからは洋楽一辺倒で、
歌謡曲のシングルなど買う余裕もなく、
ひたすらラジオから録音したカセットを聴いていたおかげで、
手元にはほとんど音源が残っておりません。
今回は、
いいタイミングなので、
しばらく、
記憶に残っている曲を少し集めてみようかな、
と思っている次第です。
さて今回は、
そんな「レコードコレクターズ」を参考にしながら、
私が選ぶ、
1970年代の日本の女性アイドル・ソング・ベスト10
を語りたいと思います。
以下、
ランキング形式ではなく、
順不同で並べてあります。
また、
「レコードコレクターズ」は「レココレ」と略させていただきます。
「木綿のハンカチーフ/太田裕美」(1975年)
「そよ風のくちづけ/キャンディーズ」(1974年)
「渚のシンドバッド/ピンク・レディ」(1977年)
「透明人間/ピンク・レディ」(1978年)
「黄色いリボン/桜田淳子」(1974年)
「泣かないわ/桜田淳子」(1976年)
「日曜日はストレンジャー/石野真子」(1979年)
「涙の太陽/安西マリア」(1973年)
「みずいろの手紙/あべ静江」(1973年)
「17才/南沙織」(1971年)
----------------------------------------------------------------
「木綿のハンカチーフ/太田裕美」(1975年)
傑作ですね。
「レココレ」では文句なしの第1位でしたが、
これには私もまったく異論ありません。
そして、
ギターのイントロと歌詞に尽きますね。
この印象的なギターの弾き手は、
芳野藤丸氏ということですが、
オケだけ収録したために、
誰が歌ってどんな曲になるのか、
まったくわからなかったそうです。
で…しばらく経ってから、
大ヒットになり初めて知ったとか…
「あっ…これオレが弾いたヤツじゃん」…(笑)
太田裕美さんは、
スクールメイツに在籍しており、
キャンディーズのメンバー候補でもあったとか…
あの並びに入ってもきっと似合ったでしょうね。
遠距離恋愛の破綻をテーマに、
切ない乙女心を吐露していますが、
けっしてベタつかず、
さわやかな余韻を残すのは、
歌い手の才能と言ってよいでしょう。
どこにでもいそうなお姉さん、
という感じだったけれど、
それがよかったんですね。
「そよ風のくちづけ/キャンディーズ」(1974年)
ソウルっぽい、
強力なベースラインが印象的なデビュー曲、
「あなたに夢中」とどちらにしょうか迷いましたが、
結局こちらになりました。
キャンディーズは…「年下の男の子」がヒットするまでの、
初期の方が好きでした。
デビュー当時は、
「8時だよ全員集合」のレギュラーで、
毎回ではなかったと記憶していますが、
とこどき歌うことがあり、
それがとっても楽しみでした。
それこそ、
そのへんにいる、
ちょっと綺麗なお姉さん、
という感じが親しみやすかったんですね。
実際、
スーちゃんは、
私の中学の地元…隣の学区域で、
釣具屋の娘さん。
しかも、
美術の教師の元教え子で、
彼がサインまで考えてあげたという、
じょーだん抜きで、
近所のスターだったということもあり、
余計にそう感じられたのです。
それだけに、
「フツーの女の子に戻りたい」発言は、
ものスゴく説得力があったわけです。
で…3人の中で、
誰が好きだったかって?
そりゃ…もちろん…
ランちゃんでしたよ。
ミョーに目元に色気があって…(笑)
「渚のシンドバッド/ピンク・レディ」(1977年)
「透明人間/ピンク・レディ」(1978年)
高校3年の頃かな…
バンドで歌謡曲をやってみようということになり、
選ばれたのが、
「渚のシンドバッド」と、
この後に出てくる「日曜日はストレンジャー」でした。
結局は歌い手がいなくてポシャったけど…
ピンク・レディはデビュー当時、
お色気路線でキワものっぽく見られていましたね。
ところが、
なぜか小学生を中心とした低年齢層に受け、
国民的アイドルに成長するのですが、
これは正直なところ、
とっても意外でした。
「渚のシンドバッド」は曲調がモロ、
ろけんろーるだったので、
当時から文句なしでしたが、
今になって見ると、
あの振り付けは、
アイク&ティナ・ターナーの、
アイケッツみたいですね。
健康的な太ももでバタバタ…みたいな(笑)
いちおー今でも、
だいたい弾けるので、
カラオケなどで披露すると、
けっこう受けます(笑)
その「渚のシンドバッド」と並んでお気に入りなのが、
「透明人間」ですが、
これもメイン部分はろけんろーるですね。
単純にノリがよくってカッコいい。
ドラムは誰だろう?
「透明人間」は歌詞にシャレが効いていて、
「うそをついてはいけません、
あらわれないのが透明人間です」という部分が素晴らしい。
全体に引っ掛かりの多い、
“ですます”体の丁寧な日本語ですが、
ミーちゃんの綺麗な発音で、
かえって歯切れ良く聴こえるから不思議です。
歌詞をよく考えれば、
日本語だってノリがよくなるという好例ですね。
「黄色いリボン/桜田淳子」(1974年)
「泣かないわ/桜田淳子」(1976年)
ローティーンの頃、
ルックス的に好きだったのが、
まずは、
浅田美代子さん(私の中で、彼女は“歌手”ではないが…)
そして、
「黄色いリボン」の頃の桜田淳子さんとなるのですが、
この頃の彼女は本当にカワイかった。
黄色という色は彼女にピッタリで、
とにかく明るく、
ハツラツとしたイメージがありました。
その反面、
大人びたフレーズや誘い言葉が多く、
この背伸びした少女の感じが、
とってもよかったんですね。
なにしろ、
黄色いリボンがラブサイン、
ですからね(笑)
そんな桜田淳子さんですが、
途中から、
大人の女、
そのものへ路線変更するのですが、
正直、
あまりうまくいったとは思えませんでした。
その中で、
「泣かないわ」は、
従来のキャラと大人っぽさがうまくブレンドされた、
数少ない好例だと思います。
「私、平気、きっと明日は元気になるわ」
というフレーズがそれを象徴しています。
この曲は、
音数少ないがミョーに印象的なピアノと、
それをうまく支えるベースラインが絶妙です。
ちなみに、
この頃の歌謡曲のバックのベースって、
気の利いたプレイが多くて、
たいへん気になります。
たぶん、
有名な方々が弾いているのでしょうけれど…(笑)
「日曜日はストレンジャー/石野真子」(1979年)
前述のように、
この曲はコピーしたことがあるのですが、
かなり難しかった記憶があります。
それは、
テーマがコロコロ変わる上に、
どのテーマもよくできていて、
気が抜けなかったからなんです。
歌うのも難しいと思うけど、
さりげなく歌っているよなぁ…
想像以上に歌唱力があるのかもしれませんね。
「悪魔になりたい」と歌うバックで、
軽く歪ませた、
高速ミュート奏法のギターが印象的ですが、
これって、
竹中茶々丸先輩っぽいと思うのは、
私だけでしょうか。
「涙の太陽/安西マリア」(1973年)
「みずいろの手紙/あべ静江」(1973年)
太田裕美さんやキャンディーズが、
そのへんにいそうな綺麗なお姉さんとすると、
こちらのお2人は、
フツーにお目にかかれそうにない、
ものすごーく綺麗で色っぽい、
いわゆる理想の年上の女性という感じでした。
「涙の太陽」は、
原曲が洋楽(エミー・ジャクソン)ですが、
なぜかイントロを演歌っぽくアレンジしてあり、
ここだけ少々違和感を覚えたものの、
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」っぽい、
R&Bテイストのベース・ラインがカッコよく(これもベースだ)
日本人離れした安西マリアさんのルックスと相まって、
なんか、
別格っぽいカッコよさを感じたものです。
この牝豹っぽいキャラで、
もっと活躍してほしかったのですが、
1976年に引退。
24年後に復帰したと思ったら、
今年になって急逝。
まったく翻弄されっぱなしであります。
一方の、
あべ静江さんは、
巻き巻きのロングヘアーにブラウス、
デニムのロングスカートにヒールの高いサンダル、
という、
私の中での勝手な、
魅惑の年上の女性イメージそのものだった上に、
いきなり、
「お元気ですか?
そして今でも愛していると言ってくださいますか?」ですからね…
これ一発で撃沈でありました(笑)
こんな素敵な女性を置いて、
2ヶ月も音信不通になるなんて、
なんというバチ当たりな男なんだろう。
この手紙を読んだら、
私の元へ来てくださいって、
私だったら、
何をも置かず、
まっしぐらに飛んで行くんだけど、
なんて思ったりしました。
手紙という文化の美しさ、
そして、
やはり日本語の表現の美しさが印象に残ります。
「17才/南沙織」(1971年)
「レココレ」では第2位で、
しかも、
日本における、
女性アイドルの原点としていました。
たしかにそうですね。
私はこの曲と、
尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」を聴くと、
なぜか小学生時代の大晦日の風景…
紅白歌合戦を見て、
それから近所のお寺に初詣に行く光景が浮かんできます。
「男はつらいよ」シリーズで毎回、
エンディング近くに登場する、
あの頃の正月の風景とシンクロする光景…
なつかしいなぁ…日本が美しかった頃の姿。
この時代って、
まだ沖縄は海外だったんですね。
そう考えると、
彼女に、
外タレっぽい雰囲気があったことも、
うなずけますね。
なんか違う、
カッコよさを感じたものです。
後の、
森高千里さんのカバーもよかったのですが、
どんな風に料理してもいい感じに仕上がるということは、
原曲のよさを物語っているのではないでしょうか。
それにしても、
どの曲を聴いても感心するのは、
バラエティという逃げ場がなかった、
当時のアイドルたちの、
歌手としての基本的な歌唱力の高さ、
そして、
日本語の歌詞の美しさです。
やはり、
日本語は基本に忠実に、
そして美しくないと…
“ら”抜き言葉は論外、
「愛してる」「がんばろうね」の連呼では、
少々貧しいと思うのですが…
いかがなものでしょう?
「食育」「体育」だけでなく、
「語育」も必要ではないと思う、
今日この頃です。
「1970-1979 日本の女性アイドル・ソング・ベスト100」
でした。
ここで、
TOP30に選ばれた曲を眺めていたら、
それぞれの曲が流れていた、
当時の記憶が蘇ってきて、
なんだかミョーに甘酸っぱい気分になってしまい、
iTunesで何曲か購入してしまいました。
1970年から1979年というと、
私は小学3年から高校3年にあたり、
もっとも多感な時期であったからかもしれません。
とはいえ、
小学生当時はレコードなど買うこともなく、
中学生以降、
ロックにめざめてからは洋楽一辺倒で、
歌謡曲のシングルなど買う余裕もなく、
ひたすらラジオから録音したカセットを聴いていたおかげで、
手元にはほとんど音源が残っておりません。
今回は、
いいタイミングなので、
しばらく、
記憶に残っている曲を少し集めてみようかな、
と思っている次第です。
さて今回は、
そんな「レコードコレクターズ」を参考にしながら、
私が選ぶ、
1970年代の日本の女性アイドル・ソング・ベスト10
を語りたいと思います。
以下、
ランキング形式ではなく、
順不同で並べてあります。
また、
「レコードコレクターズ」は「レココレ」と略させていただきます。
「木綿のハンカチーフ/太田裕美」(1975年)
「そよ風のくちづけ/キャンディーズ」(1974年)
「渚のシンドバッド/ピンク・レディ」(1977年)
「透明人間/ピンク・レディ」(1978年)
「黄色いリボン/桜田淳子」(1974年)
「泣かないわ/桜田淳子」(1976年)
「日曜日はストレンジャー/石野真子」(1979年)
「涙の太陽/安西マリア」(1973年)
「みずいろの手紙/あべ静江」(1973年)
「17才/南沙織」(1971年)
----------------------------------------------------------------
「木綿のハンカチーフ/太田裕美」(1975年)
傑作ですね。
「レココレ」では文句なしの第1位でしたが、
これには私もまったく異論ありません。
そして、
ギターのイントロと歌詞に尽きますね。
この印象的なギターの弾き手は、
芳野藤丸氏ということですが、
オケだけ収録したために、
誰が歌ってどんな曲になるのか、
まったくわからなかったそうです。
で…しばらく経ってから、
大ヒットになり初めて知ったとか…
「あっ…これオレが弾いたヤツじゃん」…(笑)
太田裕美さんは、
スクールメイツに在籍しており、
キャンディーズのメンバー候補でもあったとか…
あの並びに入ってもきっと似合ったでしょうね。
遠距離恋愛の破綻をテーマに、
切ない乙女心を吐露していますが、
けっしてベタつかず、
さわやかな余韻を残すのは、
歌い手の才能と言ってよいでしょう。
どこにでもいそうなお姉さん、
という感じだったけれど、
それがよかったんですね。
「そよ風のくちづけ/キャンディーズ」(1974年)
ソウルっぽい、
強力なベースラインが印象的なデビュー曲、
「あなたに夢中」とどちらにしょうか迷いましたが、
結局こちらになりました。
キャンディーズは…「年下の男の子」がヒットするまでの、
初期の方が好きでした。
デビュー当時は、
「8時だよ全員集合」のレギュラーで、
毎回ではなかったと記憶していますが、
とこどき歌うことがあり、
それがとっても楽しみでした。
それこそ、
そのへんにいる、
ちょっと綺麗なお姉さん、
という感じが親しみやすかったんですね。
実際、
スーちゃんは、
私の中学の地元…隣の学区域で、
釣具屋の娘さん。
しかも、
美術の教師の元教え子で、
彼がサインまで考えてあげたという、
じょーだん抜きで、
近所のスターだったということもあり、
余計にそう感じられたのです。
それだけに、
「フツーの女の子に戻りたい」発言は、
ものスゴく説得力があったわけです。
で…3人の中で、
誰が好きだったかって?
そりゃ…もちろん…
ランちゃんでしたよ。
ミョーに目元に色気があって…(笑)
「渚のシンドバッド/ピンク・レディ」(1977年)
「透明人間/ピンク・レディ」(1978年)
高校3年の頃かな…
バンドで歌謡曲をやってみようということになり、
選ばれたのが、
「渚のシンドバッド」と、
この後に出てくる「日曜日はストレンジャー」でした。
結局は歌い手がいなくてポシャったけど…
ピンク・レディはデビュー当時、
お色気路線でキワものっぽく見られていましたね。
ところが、
なぜか小学生を中心とした低年齢層に受け、
国民的アイドルに成長するのですが、
これは正直なところ、
とっても意外でした。
「渚のシンドバッド」は曲調がモロ、
ろけんろーるだったので、
当時から文句なしでしたが、
今になって見ると、
あの振り付けは、
アイク&ティナ・ターナーの、
アイケッツみたいですね。
健康的な太ももでバタバタ…みたいな(笑)
いちおー今でも、
だいたい弾けるので、
カラオケなどで披露すると、
けっこう受けます(笑)
その「渚のシンドバッド」と並んでお気に入りなのが、
「透明人間」ですが、
これもメイン部分はろけんろーるですね。
単純にノリがよくってカッコいい。
ドラムは誰だろう?
「透明人間」は歌詞にシャレが効いていて、
「うそをついてはいけません、
あらわれないのが透明人間です」という部分が素晴らしい。
全体に引っ掛かりの多い、
“ですます”体の丁寧な日本語ですが、
ミーちゃんの綺麗な発音で、
かえって歯切れ良く聴こえるから不思議です。
歌詞をよく考えれば、
日本語だってノリがよくなるという好例ですね。
「黄色いリボン/桜田淳子」(1974年)
「泣かないわ/桜田淳子」(1976年)
ローティーンの頃、
ルックス的に好きだったのが、
まずは、
浅田美代子さん(私の中で、彼女は“歌手”ではないが…)
そして、
「黄色いリボン」の頃の桜田淳子さんとなるのですが、
この頃の彼女は本当にカワイかった。
黄色という色は彼女にピッタリで、
とにかく明るく、
ハツラツとしたイメージがありました。
その反面、
大人びたフレーズや誘い言葉が多く、
この背伸びした少女の感じが、
とってもよかったんですね。
なにしろ、
黄色いリボンがラブサイン、
ですからね(笑)
そんな桜田淳子さんですが、
途中から、
大人の女、
そのものへ路線変更するのですが、
正直、
あまりうまくいったとは思えませんでした。
その中で、
「泣かないわ」は、
従来のキャラと大人っぽさがうまくブレンドされた、
数少ない好例だと思います。
「私、平気、きっと明日は元気になるわ」
というフレーズがそれを象徴しています。
この曲は、
音数少ないがミョーに印象的なピアノと、
それをうまく支えるベースラインが絶妙です。
ちなみに、
この頃の歌謡曲のバックのベースって、
気の利いたプレイが多くて、
たいへん気になります。
たぶん、
有名な方々が弾いているのでしょうけれど…(笑)
「日曜日はストレンジャー/石野真子」(1979年)
前述のように、
この曲はコピーしたことがあるのですが、
かなり難しかった記憶があります。
それは、
テーマがコロコロ変わる上に、
どのテーマもよくできていて、
気が抜けなかったからなんです。
歌うのも難しいと思うけど、
さりげなく歌っているよなぁ…
想像以上に歌唱力があるのかもしれませんね。
「悪魔になりたい」と歌うバックで、
軽く歪ませた、
高速ミュート奏法のギターが印象的ですが、
これって、
竹中茶々丸先輩っぽいと思うのは、
私だけでしょうか。
「涙の太陽/安西マリア」(1973年)
「みずいろの手紙/あべ静江」(1973年)
太田裕美さんやキャンディーズが、
そのへんにいそうな綺麗なお姉さんとすると、
こちらのお2人は、
フツーにお目にかかれそうにない、
ものすごーく綺麗で色っぽい、
いわゆる理想の年上の女性という感じでした。
「涙の太陽」は、
原曲が洋楽(エミー・ジャクソン)ですが、
なぜかイントロを演歌っぽくアレンジしてあり、
ここだけ少々違和感を覚えたものの、
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」っぽい、
R&Bテイストのベース・ラインがカッコよく(これもベースだ)
日本人離れした安西マリアさんのルックスと相まって、
なんか、
別格っぽいカッコよさを感じたものです。
この牝豹っぽいキャラで、
もっと活躍してほしかったのですが、
1976年に引退。
24年後に復帰したと思ったら、
今年になって急逝。
まったく翻弄されっぱなしであります。
一方の、
あべ静江さんは、
巻き巻きのロングヘアーにブラウス、
デニムのロングスカートにヒールの高いサンダル、
という、
私の中での勝手な、
魅惑の年上の女性イメージそのものだった上に、
いきなり、
「お元気ですか?
そして今でも愛していると言ってくださいますか?」ですからね…
これ一発で撃沈でありました(笑)
こんな素敵な女性を置いて、
2ヶ月も音信不通になるなんて、
なんというバチ当たりな男なんだろう。
この手紙を読んだら、
私の元へ来てくださいって、
私だったら、
何をも置かず、
まっしぐらに飛んで行くんだけど、
なんて思ったりしました。
手紙という文化の美しさ、
そして、
やはり日本語の表現の美しさが印象に残ります。
「17才/南沙織」(1971年)
「レココレ」では第2位で、
しかも、
日本における、
女性アイドルの原点としていました。
たしかにそうですね。
私はこの曲と、
尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」を聴くと、
なぜか小学生時代の大晦日の風景…
紅白歌合戦を見て、
それから近所のお寺に初詣に行く光景が浮かんできます。
「男はつらいよ」シリーズで毎回、
エンディング近くに登場する、
あの頃の正月の風景とシンクロする光景…
なつかしいなぁ…日本が美しかった頃の姿。
この時代って、
まだ沖縄は海外だったんですね。
そう考えると、
彼女に、
外タレっぽい雰囲気があったことも、
うなずけますね。
なんか違う、
カッコよさを感じたものです。
後の、
森高千里さんのカバーもよかったのですが、
どんな風に料理してもいい感じに仕上がるということは、
原曲のよさを物語っているのではないでしょうか。
それにしても、
どの曲を聴いても感心するのは、
バラエティという逃げ場がなかった、
当時のアイドルたちの、
歌手としての基本的な歌唱力の高さ、
そして、
日本語の歌詞の美しさです。
やはり、
日本語は基本に忠実に、
そして美しくないと…
“ら”抜き言葉は論外、
「愛してる」「がんばろうね」の連呼では、
少々貧しいと思うのですが…
いかがなものでしょう?
「食育」「体育」だけでなく、
「語育」も必要ではないと思う、
今日この頃です。
★2014/08/24 (Sun)
ここ数日は、
広島県で発生した、
大規模な土砂災害の話題が、
ニュースを独占していますが、
今年は、
それ以前にも、
京都府、高知県、徳島県などで、
大雨の被害がありました。
いったい、
我が国の気候はどうなっているのだろうか?
この記録的な大雨をもたらしている前線が、
九州と四国の間から中国地方に横たわり、
なぜかしばらく途切れて、
北海道と本州の境あたりに現れる…
太平洋の高気圧がイマイチ弱いので、
こういう現象が起きるというのが、
今夏の特徴。
おかげで、
九州へ飛行機で往復しようとすると、
行きは着陸体制に入る到着前30〜40分頃、
帰りは離陸直後から安定するまでの30〜40分間…
ものすご〜く、
揺れるのでありましたーっ。
この夏は4回ほど福岡便に乗りましたが、
すべて同じ状況で、
これが飛行機嫌いの私には、
たいへんツライのであります(笑)
さて…先週は、
北九州は小倉へ出張しましたが、
天気はイマイチ…
きれいに晴れるということがなく、
いつも雲がかかっていて、
思い出したように、
ときどき雨が降ってくる…
それも小雨程度ではなく、
ザーっと夕立のような振り方をする、
そんな感じでした。
これは、
小倉駅を右後方に、
左手の港から出ると、
関門海峡…左奥の山並みは下関側になるという景色ですが、
そのような空の状況がよく撮れた1枚です。
平家物語を愛読していた私は、
関門海峡を見るといつも、
平家一門が滅んだシーンが目に浮かび、
諸行無常の感にとらわれるのでありました。
900年近くも前のこととはいえ、
同じ場所で起きた現実の出来事ですからね。
これから900年経ったら、
人類はどうなっているのだろうか?
火星に移住しているかもしれませんね。
NASAが火星に、
大気中の二酸化炭素を酸素に換える装置を送る計画を立てている、
というニュースをみなさんご存じですか?
私はたいへんショックを受けました。
一部の科学者は、
もう地球に永く住むことができない、
と考えているようなのです。
こんな話題は別の星の話題になってしまうのだろうか…
いや、
どうも、
話題が飛び過ぎたようで…
失礼しました(笑)
一方、
小倉駅前では、
駅前広場に出る階段の真上を、
モノレールが走っており、
これは、
なかなかの迫力で、
“鉄”の好奇心をくすぐらずにはいられない光景でした。
↓以下、
小倉駅へ到着するモノレールをとらえた連続写真。
これから先、
この一連の画像を見るたびに、
今年の異常気象と災害のこと、
やたら揺れた飛行機のことを思い出すのでしょうね。
早く涼しくならないかな?と思いながら、
地球の将来を気にしながら、
その一方で、
“鉄”本格復活は間違いないと実感する、
晩夏の私でした。
広島県で発生した、
大規模な土砂災害の話題が、
ニュースを独占していますが、
今年は、
それ以前にも、
京都府、高知県、徳島県などで、
大雨の被害がありました。
いったい、
我が国の気候はどうなっているのだろうか?
この記録的な大雨をもたらしている前線が、
九州と四国の間から中国地方に横たわり、
なぜかしばらく途切れて、
北海道と本州の境あたりに現れる…
太平洋の高気圧がイマイチ弱いので、
こういう現象が起きるというのが、
今夏の特徴。
おかげで、
九州へ飛行機で往復しようとすると、
行きは着陸体制に入る到着前30〜40分頃、
帰りは離陸直後から安定するまでの30〜40分間…
ものすご〜く、
揺れるのでありましたーっ。
この夏は4回ほど福岡便に乗りましたが、
すべて同じ状況で、
これが飛行機嫌いの私には、
たいへんツライのであります(笑)
さて…先週は、
北九州は小倉へ出張しましたが、
天気はイマイチ…
きれいに晴れるということがなく、
いつも雲がかかっていて、
思い出したように、
ときどき雨が降ってくる…
それも小雨程度ではなく、
ザーっと夕立のような振り方をする、
そんな感じでした。
これは、
小倉駅を右後方に、
左手の港から出ると、
関門海峡…左奥の山並みは下関側になるという景色ですが、
そのような空の状況がよく撮れた1枚です。
平家物語を愛読していた私は、
関門海峡を見るといつも、
平家一門が滅んだシーンが目に浮かび、
諸行無常の感にとらわれるのでありました。
900年近くも前のこととはいえ、
同じ場所で起きた現実の出来事ですからね。
これから900年経ったら、
人類はどうなっているのだろうか?
火星に移住しているかもしれませんね。
NASAが火星に、
大気中の二酸化炭素を酸素に換える装置を送る計画を立てている、
というニュースをみなさんご存じですか?
私はたいへんショックを受けました。
一部の科学者は、
もう地球に永く住むことができない、
と考えているようなのです。
こんな話題は別の星の話題になってしまうのだろうか…
いや、
どうも、
話題が飛び過ぎたようで…
失礼しました(笑)
一方、
小倉駅前では、
駅前広場に出る階段の真上を、
モノレールが走っており、
これは、
なかなかの迫力で、
“鉄”の好奇心をくすぐらずにはいられない光景でした。
↓以下、
小倉駅へ到着するモノレールをとらえた連続写真。
これから先、
この一連の画像を見るたびに、
今年の異常気象と災害のこと、
やたら揺れた飛行機のことを思い出すのでしょうね。
早く涼しくならないかな?と思いながら、
地球の将来を気にしながら、
その一方で、
“鉄”本格復活は間違いないと実感する、
晩夏の私でした。
★2014/08/17 (Sun)
暑い暑いと言いながら、
空の高さや夜の風に、
秋の気配を感じる今日この頃です。
終戦記念日が近づく時期に、
ロシア、中東など、
北からも南からも戦闘のニュースが聞こえ、
嘆かわしい限りではあります。
しかし…
不謹慎な話かもしれませんが、
このようなニュース映像に映る、
戦車をはじめとする戦闘車両を見ると、
「おお…」と思い、
モデラー魂を揺さぶられてしまう私です。
もちろん、
戦争反対!平和主義であるし、
戦争の悲惨さはよく理解しているつもりではあります。
しかし…しかし、
戦闘車両の魅力は、
またそれとは別の話なのです。
(私は戦闘車両について、
単に“車両”として見ているので、
鉄道や自動車と同じ感覚で、
そのメカに惹かているのでした)
そんな中、
日本が世界に誇る、
プラモデルメーカー、
タミヤから、
「ナースホルン」という、
とてつもなく魅力的な車両が
発売されていたということを知り、
モデラー魂がどうしようもない程、
ムズムズしてきたのでありました。
この「ナースホルン」というヤツは、
かつてドラゴンという、
某大国のメーカーから発売されたことがありましたが、
細かいパーツの正確さがイマイチだとか、
キットの組み立てに無理があるとか、
あまり評判がよろしくありませんでした。
そのわりに、
高価なキットで、
私も欲しいアイテムではありましたが、
とうとう手が出なかった一品です。
ちなみに私は、
この「ナースホルン」とは兄弟分といえる、
「フンメル」というヤツを作っており、
このメーカーのキットの作りヅラさは
よくわかっております。
(↓matsuZACK作「フンメル」)
注)「ナースホルン」・「フンメル」ともに、
第2次世界大戦時ドイツ軍の自走砲。
4号戦車の車体を流用し、
「ナースホルン」には88ミリ砲を搭載し対戦車用に、
「フンメル」には150ミリ榴弾砲を搭載し長距離攻撃用に、
それぞれ作られた。
「ナースホルン」は当時、
対戦車兵器の決定版と言われた。
その「ナースホルン」が、
あのタミヤから発売されている…
他メーカーの改造パーツなど使う必要のないほど完成度が高く、
しかも小学生でも楽勝の作りやすさを誇る、
あのタミヤから…
こりゃたまらんらん。
ひさしぶりにカタログなどを拝見すると、
あれやこれやと魅力的なアイテムが出ているし、
もーっこれは、
ミリタリーモデル再開するしかないでしょう?
そう思って身の回りを見わたしてみたら、
10年以上前に完成していながら、
今だに塗装されていないモデルが山積み…
(↓以下、その1例)
(上から
Pak40搭載型マーダー2、
同じくマーダー3、
150ミリ重歩兵砲搭載ビソン…
金属パーツや連結式キャタピラを装備し、
モリモリに手を加えてある…)
倉庫の奥には、
箱のまま格納されているキットが山積み…
(あっ…こんなの買ってたんだ?と、
忘却の彼方から蘇ってくるものあり)
これはそろそろ、
手をつける時期に来ているのでは?
と思い、
まずは、
手に入れておきたいキットを揃えるところから始め、
(最近はすぐに新製品が絶版になってしまうので、
「見つけたら即買う!」を実践せねばならぬのです)
腕が落ちないように、
定期的に、
未完成キットの組み立て、
塗装など実践しておこうかな?
と決心した次第。
キットの組み立てには秋の夜長が…
塗装には冬の乾燥が適しているので、
まさに、
これからの季節にピッタリ。
さて…これはやるしかないでしょう。
戦闘車両の次は鉄道模型であるが…
これもいってしまうかーっ(笑)
空の高さや夜の風に、
秋の気配を感じる今日この頃です。
終戦記念日が近づく時期に、
ロシア、中東など、
北からも南からも戦闘のニュースが聞こえ、
嘆かわしい限りではあります。
しかし…
不謹慎な話かもしれませんが、
このようなニュース映像に映る、
戦車をはじめとする戦闘車両を見ると、
「おお…」と思い、
モデラー魂を揺さぶられてしまう私です。
もちろん、
戦争反対!平和主義であるし、
戦争の悲惨さはよく理解しているつもりではあります。
しかし…しかし、
戦闘車両の魅力は、
またそれとは別の話なのです。
(私は戦闘車両について、
単に“車両”として見ているので、
鉄道や自動車と同じ感覚で、
そのメカに惹かているのでした)
そんな中、
日本が世界に誇る、
プラモデルメーカー、
タミヤから、
「ナースホルン」という、
とてつもなく魅力的な車両が
発売されていたということを知り、
モデラー魂がどうしようもない程、
ムズムズしてきたのでありました。
この「ナースホルン」というヤツは、
かつてドラゴンという、
某大国のメーカーから発売されたことがありましたが、
細かいパーツの正確さがイマイチだとか、
キットの組み立てに無理があるとか、
あまり評判がよろしくありませんでした。
そのわりに、
高価なキットで、
私も欲しいアイテムではありましたが、
とうとう手が出なかった一品です。
ちなみに私は、
この「ナースホルン」とは兄弟分といえる、
「フンメル」というヤツを作っており、
このメーカーのキットの作りヅラさは
よくわかっております。
(↓matsuZACK作「フンメル」)
注)「ナースホルン」・「フンメル」ともに、
第2次世界大戦時ドイツ軍の自走砲。
4号戦車の車体を流用し、
「ナースホルン」には88ミリ砲を搭載し対戦車用に、
「フンメル」には150ミリ榴弾砲を搭載し長距離攻撃用に、
それぞれ作られた。
「ナースホルン」は当時、
対戦車兵器の決定版と言われた。
その「ナースホルン」が、
あのタミヤから発売されている…
他メーカーの改造パーツなど使う必要のないほど完成度が高く、
しかも小学生でも楽勝の作りやすさを誇る、
あのタミヤから…
こりゃたまらんらん。
ひさしぶりにカタログなどを拝見すると、
あれやこれやと魅力的なアイテムが出ているし、
もーっこれは、
ミリタリーモデル再開するしかないでしょう?
そう思って身の回りを見わたしてみたら、
10年以上前に完成していながら、
今だに塗装されていないモデルが山積み…
(↓以下、その1例)
(上から
Pak40搭載型マーダー2、
同じくマーダー3、
150ミリ重歩兵砲搭載ビソン…
金属パーツや連結式キャタピラを装備し、
モリモリに手を加えてある…)
倉庫の奥には、
箱のまま格納されているキットが山積み…
(あっ…こんなの買ってたんだ?と、
忘却の彼方から蘇ってくるものあり)
これはそろそろ、
手をつける時期に来ているのでは?
と思い、
まずは、
手に入れておきたいキットを揃えるところから始め、
(最近はすぐに新製品が絶版になってしまうので、
「見つけたら即買う!」を実践せねばならぬのです)
腕が落ちないように、
定期的に、
未完成キットの組み立て、
塗装など実践しておこうかな?
と決心した次第。
キットの組み立てには秋の夜長が…
塗装には冬の乾燥が適しているので、
まさに、
これからの季節にピッタリ。
さて…これはやるしかないでしょう。
戦闘車両の次は鉄道模型であるが…
これもいってしまうかーっ(笑)