「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2016/05/22 (Sun)
先週の後半、
天皇陛下とニアミスした感じで、
私も熊本を訪問しました。
これは、
仕事の関係で、
食材を仕入れている現地の関係会社に対し、
今回の震災に際しての協力への感謝、
および被災お見舞いに伺ったもので、
18日(水)に博多入りし、
19日(木)は福岡で物資の支援をしてくれた関係会社を訪問、
20日(金)は熊本で被災された関係会社を訪問、
というスケジュールでした。
九州は夏のような暑さだったので、
少々バテました…(年齢のせい?)
5年前の東日本大震災の際に、
妻の実家が被災したこともあり、
やはり1ヶ月後に現地を訪問し、
あまりの惨状に絶句したことは記憶に新しいところですが、
自分の半世紀余りの生涯で、
2度も震災に見舞われた土地を訪ねることになるとは、
予想もできなかったことです。
福岡は直接、
震災の被害はありませんでしたが、
熊本産の食材の一部がいまだに調達できないことを知り、
そのダメージの大きさを知りました、
農業よりも畜産の被害が大きかったようです。
関係会社のスタッフから、
震災直後の対応の苦労話を聞き、
九州自動車道から熊本へ入ると、
まず目立つのが、
あちこちの家の屋根にかかっているブルーシートの群れ…
これは、
東日本大震災のときに、
福島や仙台あたりで、
新幹線から見えた光景と同じです。
今回の震災は、
直下型の激しい揺れが何度もあったため、
重い瓦を乗せていると、
建物がその重量に耐えられず、
家そのものを潰してしまったり、
また九州は昔から、
台風に備えるために、
屋根の角度が深くなっているため、
そこから滑り落ちてしまったり、
これが家屋の被害の大半になっています。
訪問した関係会社の2件は、
建屋の屋根が最上階に落ち、
会議室や事務所を潰してしまったということで、
もしこれが昼間に起こっていたら、
もっと犠牲になる方が出たのでは、
とおっしゃっていました。
たしかに…
クーラーなどの屋上機器の重みに耐えられず、
上からペシャっとなった建物を見ると、
背筋がゾクッとなりました。
そして、
今回の震災は、
震源が浅い直下型であったため、
地震が起きる直前に、
携帯電話の警戒音が鳴るよりも早く、
地底からゴゴゴゴっ…という地鳴りが聞こえてくる、
という話を聞き、
お年寄りや子供が家で寝たくない、
と言うのも無理のないことだなと思いました。
余震の数が半端ないだけでもコワイのに、
そのたびに地鳴りがするのではたまったものではありません。
被害の大きい市町村は、
限られたエリアとなっており、
そこへは道路事情が悪く…
(陥没したり隆起したりで、
マトモに通行できないそうです)
立ち入ることはできませんでしたが、
周辺の市町村の様子から、
その破壊力の凄まじさは理解できました。
東日本大震災は津波の被害が前代未聞でしたが、
今回は揺れそのものによる建物の被害がひどく、
地震というのは、
毎回様相が変わるものだということを知り、
また日本全国、
ここが安全だという場所がないことを知り、
複雑な気持ちになりました。
妻の実家もそうでしたが、
これから家を手配し、
元の生活に戻るまでには、
相当の時間を必要とします。
余震がおさまってきたとはいえ、
被災された方々の苦労は、
これから始まるのです。
我々にできることがあれば、
少しでもお役に立ちたい…
そんな気持ちでいっぱいになりました。
ただ…
東日本大震災のときもそうでしたが、
現地のみなさんが、
前向きにバイタリティに溢れているのを見て、
少々気が救われました。
熊本の方言のおかげでしょうか、
悲惨な体験を少しコミカルに話されると、
滅入る気持ちを抑えることができ、
これは正直なところ、
ありがたかったですね。
また、
石垣が崩壊した映像がショッキングだった、
熊本城も、
加藤清正公が築造した、
オリジナルの建物と石垣については、
ビクともしなかったそうで、
日本人はスゴイなぁ…っと思った次第です。
熊本のみなさん、
一日も早い復興をお祈りしています。
↓菊陽町から阿蘇方向をのぞむ。
あのときと同じ、自然は憎たらしいほどにいつも通りの顔を見せている。
天皇陛下とニアミスした感じで、
私も熊本を訪問しました。
これは、
仕事の関係で、
食材を仕入れている現地の関係会社に対し、
今回の震災に際しての協力への感謝、
および被災お見舞いに伺ったもので、
18日(水)に博多入りし、
19日(木)は福岡で物資の支援をしてくれた関係会社を訪問、
20日(金)は熊本で被災された関係会社を訪問、
というスケジュールでした。
九州は夏のような暑さだったので、
少々バテました…(年齢のせい?)
5年前の東日本大震災の際に、
妻の実家が被災したこともあり、
やはり1ヶ月後に現地を訪問し、
あまりの惨状に絶句したことは記憶に新しいところですが、
自分の半世紀余りの生涯で、
2度も震災に見舞われた土地を訪ねることになるとは、
予想もできなかったことです。
福岡は直接、
震災の被害はありませんでしたが、
熊本産の食材の一部がいまだに調達できないことを知り、
そのダメージの大きさを知りました、
農業よりも畜産の被害が大きかったようです。
関係会社のスタッフから、
震災直後の対応の苦労話を聞き、
九州自動車道から熊本へ入ると、
まず目立つのが、
あちこちの家の屋根にかかっているブルーシートの群れ…
これは、
東日本大震災のときに、
福島や仙台あたりで、
新幹線から見えた光景と同じです。
今回の震災は、
直下型の激しい揺れが何度もあったため、
重い瓦を乗せていると、
建物がその重量に耐えられず、
家そのものを潰してしまったり、
また九州は昔から、
台風に備えるために、
屋根の角度が深くなっているため、
そこから滑り落ちてしまったり、
これが家屋の被害の大半になっています。
訪問した関係会社の2件は、
建屋の屋根が最上階に落ち、
会議室や事務所を潰してしまったということで、
もしこれが昼間に起こっていたら、
もっと犠牲になる方が出たのでは、
とおっしゃっていました。
たしかに…
クーラーなどの屋上機器の重みに耐えられず、
上からペシャっとなった建物を見ると、
背筋がゾクッとなりました。
そして、
今回の震災は、
震源が浅い直下型であったため、
地震が起きる直前に、
携帯電話の警戒音が鳴るよりも早く、
地底からゴゴゴゴっ…という地鳴りが聞こえてくる、
という話を聞き、
お年寄りや子供が家で寝たくない、
と言うのも無理のないことだなと思いました。
余震の数が半端ないだけでもコワイのに、
そのたびに地鳴りがするのではたまったものではありません。
被害の大きい市町村は、
限られたエリアとなっており、
そこへは道路事情が悪く…
(陥没したり隆起したりで、
マトモに通行できないそうです)
立ち入ることはできませんでしたが、
周辺の市町村の様子から、
その破壊力の凄まじさは理解できました。
東日本大震災は津波の被害が前代未聞でしたが、
今回は揺れそのものによる建物の被害がひどく、
地震というのは、
毎回様相が変わるものだということを知り、
また日本全国、
ここが安全だという場所がないことを知り、
複雑な気持ちになりました。
妻の実家もそうでしたが、
これから家を手配し、
元の生活に戻るまでには、
相当の時間を必要とします。
余震がおさまってきたとはいえ、
被災された方々の苦労は、
これから始まるのです。
我々にできることがあれば、
少しでもお役に立ちたい…
そんな気持ちでいっぱいになりました。
ただ…
東日本大震災のときもそうでしたが、
現地のみなさんが、
前向きにバイタリティに溢れているのを見て、
少々気が救われました。
熊本の方言のおかげでしょうか、
悲惨な体験を少しコミカルに話されると、
滅入る気持ちを抑えることができ、
これは正直なところ、
ありがたかったですね。
また、
石垣が崩壊した映像がショッキングだった、
熊本城も、
加藤清正公が築造した、
オリジナルの建物と石垣については、
ビクともしなかったそうで、
日本人はスゴイなぁ…っと思った次第です。
熊本のみなさん、
一日も早い復興をお祈りしています。
↓菊陽町から阿蘇方向をのぞむ。
あのときと同じ、自然は憎たらしいほどにいつも通りの顔を見せている。
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★2016/05/15 (Sun)
今年のGWは、
昨年の反動もあってか、
とくにどこへ行くでもなく、
何をするでもなく、
リラックマよろしく…
ひたすらごゆるりと、
時を過ごしたのでありました。
音楽面では、
GW直前に入手した、
ディープ・パープルの秘蔵音源シリーズが、
まとめて3ディスク届いたので、
こちらはひたすら、
パープル漬けになっていたのです。
音楽までは、だららんとならず…
あらためて…
この方たちの偉大さを痛感した次第です。
今回届いたディスクのうち2枚は、
第2期の作品になりますが、
こうして振り返ると、
この時期のメンバーには、
圧倒的な破壊力があったことを痛感させられます。
『Live in Stockholm 1970』は、
第2期最初のヨーロッパツアーの模様を、
丸ごと収めたCD(かつて別タイトルで発売されたもの)に、
ボーナスとして、
同時期のライヴ映像(こちらはNHKで放送されたことがあります)
を加えたもの。
そして、
『Live in Copenhagen 1972』は、
VHSで発売された『マシンヘッド』発売直前のライヴ映像に、
やはりボーナスとして、
1973年イアン・ギラン脱退直前のライヴ映像を加えたもの。
(当時、発表されていた唯一のオフィシャル映像)
つまり映像と音像で、
第2期の変遷を確認できるというわけで、
ここに名盤『ライヴ・イン・ジャパン』との対比などを加えると、
非常に興味深いものになります。
『Live in Stockholm 1970』は、
大ヒットした『イン・ロック』が発表された直後の、
第2期としては最初期のセットです。
オープニングは「Speed King」
以下、
「Into The Fire」
「Child In Time」
「Wring That Neck」
「Paint It, Black」
「Mandrake Root」と続き、
アンコールが「Black Night」。
アップテンポのオープニングは、
のちに「Highway Star」に替わります。
第1期のナンバー、
「Wring That Neck」のR&Bっぽい展開は、
「Lazy」に引き継がれ、
ストーンズの「Paint It, Black」はドラムソロなので、
「The Mule」へ、
こちらも第1期のナンバー、
「Mandrake Root」後半の長尺演奏はそのまま、
「Space Truckin’」につなげられることになるので、
ライヴの基本的な構造は、
すでにこの頃にでき上がっていたと考えられます。
『Live in Stockholm 1970』は、
その試運転段階に当たるわけですが、
それゆえに、
演奏者の新鮮な熱気が感じられます。
暴力的と言ってもよいでしょうか、
なにしろ凄い迫力。
「Speed King」はスタジオ盤とまったく違う展開を披露し、
対照的にスタジオ盤に忠実な「Into The Fire」の後、
まずは「Child In Time」のインタープレイが素晴らしい。
私は、
名盤『ライヴ・イン・ジャパン』を含め、
同曲のライヴテイクはたくさんありますが、
このテイクがもっともバランスのとれた、
名演ではないかと思っております。
ここからは、
このバンドのお家芸である、
ギターとキーボードを中心とした、
インタープレイの応酬になるのですが、
「Wring That Neck」は軽やかに、
「Paint It, Black」は暴力的に、
そしてハイライトである「Mandrake Root」は、
“乱調の美”という言葉がふさわしい、
30分におよぶ大作となっております。
30分とはいえ、
少しも緊張感がとぎれることのない、
ロック史上稀に見る長尺演奏が記録されているのです。
(気合入れて聴くと、終了後に2kgぐらい体重が落ちたような気がします…)
ボーナスである、
同時期に、
イギリスのグラナダTVで収録された映像は、
この熱気を伝えるものですが、
残念ながら「Child In Time」だけが完全収録で、
あとの「Speed King」「Wring That Neck」「Mandrake Root」は、
部分的な映像になっているのが惜しい点です。
ここでは、
なにしろリッチーがスゴイ。
驚異的な早弾きを披露したかと思えば、
ギターを背中に回したり、
ステージにこすりつけたり、
暴力的でありながらしなやかな動きを見せています。
一部、
ギブソンES-335を使用していますが、
この格調高いギターを、
ストラト同様に虐めるシーンが見ものです。
ピックを弦にこすりつけるスクラッチプレイと、
大音量によるフィードバックを中心に、
驚くべきほど華麗なフィンガリングでインタープレイを構築する姿は、
まさに“神がかり的”といえるでしょう。
そのリッチーの様子を見ながら、
的確にサポートをする他のメンバーの力量も並ではありません。
その結果、
変幻自在な、
まるで生き物のようなサウンドができあがるのです。
『Live in Copenhagen 1972』については、
何度も言及しているので、
ここではあらためてコメントしませんが、
やはりボーナスの、
1973年イアン・ギラン脱退直前のライヴ映像が見ものです。
こちらは、
「Strange Kind Of Woman」「Smoke On The Water」「Space Truckin’」の3曲。
髪を切って、
綺麗にウェイヴのかかったギランが、
非常にチャーミングに見えますが、
その表情からは、
少し醒めているような、
見方によっては投げやりになっているような、
そんな気持ちが感じ取れるのが印象的です。
一方リッチーは、
それまでメインで使っていた、
貼りメイプル指板仕様の黒いストラトではなく、
サンバーストと、
第3期によく見かけるナチュラルのストラトを使っていますが、
衝動的というよりは、
全体的にショーとしてこなれてきた感があり、
「Space Truckin’」のエンディング近くで、
アンプからスモークを出すシーンなどは、
のちの「カリフォリニア・ジャム」を想起させる演出になっています。
こうなると、
『Live in Stockholm 1970』の新鮮な暴力衝動が貴重ですね。
ところで、
リッチーが弾く「Smoke On The Water」は貴重な映像なのですが、
私はここではじめて、
このリフを、
6弦と5弦の10フレットから弾き始めることを知りました。
これはスゴイ発見なのだ。
たしかに、
こうやって弾くと、
あの感じになるのです。
5弦と4弦の5フレットから始めるのではありません…
ということで、
まずは第2期のディスクを堪能した私でしたが…
そもそも、
ミーハーなので、
動いているリッチーをこれだけ見られれば、
何であれ大満足なのでした。
ただあらためて、
運指乱れず、
リズム乱れず、
音程正確で、
本当に巧いギタリストであると思いました。
そして、
長尺のインタープレイでも、
つぎつぎと湧き出る、
創造的なフレーズの数々には刮目させられました。
あ…
もう1枚のディスク(第4期)に話しが及ばなかった。
うーん、
こちらは次回にしましょうか。
昨年の反動もあってか、
とくにどこへ行くでもなく、
何をするでもなく、
リラックマよろしく…
ひたすらごゆるりと、
時を過ごしたのでありました。
音楽面では、
GW直前に入手した、
ディープ・パープルの秘蔵音源シリーズが、
まとめて3ディスク届いたので、
こちらはひたすら、
パープル漬けになっていたのです。
音楽までは、だららんとならず…
あらためて…
この方たちの偉大さを痛感した次第です。
今回届いたディスクのうち2枚は、
第2期の作品になりますが、
こうして振り返ると、
この時期のメンバーには、
圧倒的な破壊力があったことを痛感させられます。
『Live in Stockholm 1970』は、
第2期最初のヨーロッパツアーの模様を、
丸ごと収めたCD(かつて別タイトルで発売されたもの)に、
ボーナスとして、
同時期のライヴ映像(こちらはNHKで放送されたことがあります)
を加えたもの。
そして、
『Live in Copenhagen 1972』は、
VHSで発売された『マシンヘッド』発売直前のライヴ映像に、
やはりボーナスとして、
1973年イアン・ギラン脱退直前のライヴ映像を加えたもの。
(当時、発表されていた唯一のオフィシャル映像)
つまり映像と音像で、
第2期の変遷を確認できるというわけで、
ここに名盤『ライヴ・イン・ジャパン』との対比などを加えると、
非常に興味深いものになります。
『Live in Stockholm 1970』は、
大ヒットした『イン・ロック』が発表された直後の、
第2期としては最初期のセットです。
オープニングは「Speed King」
以下、
「Into The Fire」
「Child In Time」
「Wring That Neck」
「Paint It, Black」
「Mandrake Root」と続き、
アンコールが「Black Night」。
アップテンポのオープニングは、
のちに「Highway Star」に替わります。
第1期のナンバー、
「Wring That Neck」のR&Bっぽい展開は、
「Lazy」に引き継がれ、
ストーンズの「Paint It, Black」はドラムソロなので、
「The Mule」へ、
こちらも第1期のナンバー、
「Mandrake Root」後半の長尺演奏はそのまま、
「Space Truckin’」につなげられることになるので、
ライヴの基本的な構造は、
すでにこの頃にでき上がっていたと考えられます。
『Live in Stockholm 1970』は、
その試運転段階に当たるわけですが、
それゆえに、
演奏者の新鮮な熱気が感じられます。
暴力的と言ってもよいでしょうか、
なにしろ凄い迫力。
「Speed King」はスタジオ盤とまったく違う展開を披露し、
対照的にスタジオ盤に忠実な「Into The Fire」の後、
まずは「Child In Time」のインタープレイが素晴らしい。
私は、
名盤『ライヴ・イン・ジャパン』を含め、
同曲のライヴテイクはたくさんありますが、
このテイクがもっともバランスのとれた、
名演ではないかと思っております。
ここからは、
このバンドのお家芸である、
ギターとキーボードを中心とした、
インタープレイの応酬になるのですが、
「Wring That Neck」は軽やかに、
「Paint It, Black」は暴力的に、
そしてハイライトである「Mandrake Root」は、
“乱調の美”という言葉がふさわしい、
30分におよぶ大作となっております。
30分とはいえ、
少しも緊張感がとぎれることのない、
ロック史上稀に見る長尺演奏が記録されているのです。
(気合入れて聴くと、終了後に2kgぐらい体重が落ちたような気がします…)
ボーナスである、
同時期に、
イギリスのグラナダTVで収録された映像は、
この熱気を伝えるものですが、
残念ながら「Child In Time」だけが完全収録で、
あとの「Speed King」「Wring That Neck」「Mandrake Root」は、
部分的な映像になっているのが惜しい点です。
ここでは、
なにしろリッチーがスゴイ。
驚異的な早弾きを披露したかと思えば、
ギターを背中に回したり、
ステージにこすりつけたり、
暴力的でありながらしなやかな動きを見せています。
一部、
ギブソンES-335を使用していますが、
この格調高いギターを、
ストラト同様に虐めるシーンが見ものです。
ピックを弦にこすりつけるスクラッチプレイと、
大音量によるフィードバックを中心に、
驚くべきほど華麗なフィンガリングでインタープレイを構築する姿は、
まさに“神がかり的”といえるでしょう。
そのリッチーの様子を見ながら、
的確にサポートをする他のメンバーの力量も並ではありません。
その結果、
変幻自在な、
まるで生き物のようなサウンドができあがるのです。
『Live in Copenhagen 1972』については、
何度も言及しているので、
ここではあらためてコメントしませんが、
やはりボーナスの、
1973年イアン・ギラン脱退直前のライヴ映像が見ものです。
こちらは、
「Strange Kind Of Woman」「Smoke On The Water」「Space Truckin’」の3曲。
髪を切って、
綺麗にウェイヴのかかったギランが、
非常にチャーミングに見えますが、
その表情からは、
少し醒めているような、
見方によっては投げやりになっているような、
そんな気持ちが感じ取れるのが印象的です。
一方リッチーは、
それまでメインで使っていた、
貼りメイプル指板仕様の黒いストラトではなく、
サンバーストと、
第3期によく見かけるナチュラルのストラトを使っていますが、
衝動的というよりは、
全体的にショーとしてこなれてきた感があり、
「Space Truckin’」のエンディング近くで、
アンプからスモークを出すシーンなどは、
のちの「カリフォリニア・ジャム」を想起させる演出になっています。
こうなると、
『Live in Stockholm 1970』の新鮮な暴力衝動が貴重ですね。
ところで、
リッチーが弾く「Smoke On The Water」は貴重な映像なのですが、
私はここではじめて、
このリフを、
6弦と5弦の10フレットから弾き始めることを知りました。
これはスゴイ発見なのだ。
たしかに、
こうやって弾くと、
あの感じになるのです。
5弦と4弦の5フレットから始めるのではありません…
ということで、
まずは第2期のディスクを堪能した私でしたが…
そもそも、
ミーハーなので、
動いているリッチーをこれだけ見られれば、
何であれ大満足なのでした。
ただあらためて、
運指乱れず、
リズム乱れず、
音程正確で、
本当に巧いギタリストであると思いました。
そして、
長尺のインタープレイでも、
つぎつぎと湧き出る、
創造的なフレーズの数々には刮目させられました。
あ…
もう1枚のディスク(第4期)に話しが及ばなかった。
うーん、
こちらは次回にしましょうか。
★2016/04/24 (Sun)
今年は大物ミュージシャンの訃報が続いていますが、
ここでプリンスが逝くとは思いませんでした。
(まぁ…人の生死は予想できないものではありますが…)
もっとも…
彼の場合は、
およそ健康的なイメージからかけ離れていたので、
長寿だったら驚くところだったかもしれません。
もっと驚いたのは彼の年齢が57歳であったこと…
私と3歳しか違わなかったのです(笑)
プリンスがメジャーになった1980年代前半は、
マイケル・ジャクソンの全盛期で、
王道の彼に対し、
明らかに非主流の匂いがしていました。
ビートルズに対するストーンズのように…
デビュー当時は、
タブーとされるテーマに、
堂々と正面から向き合っていましたね。
当然、
非主流派の私としては、
このミョーにエロくて、
悪っぽい男に興味を持ったわけですが、
「1999」を聴いたときに、
ファンクの正統派という感じがして、
ちょっと意外だったことを覚えています。
さらに「Little Red Corvette」が、
とてもわかりやすいサビを持つポップチューンだったので、
マイケルはポップなソウル、
コイツはポップなファンクだなぁ…
とひとりで納得していました。
マイケルより、
サウンド面はマニアックで、
1970年代にミュージシャンのグルーヴで盛り上がった部分を、
コンピューターをうまく使った機械的なサウンドで再現した…
その冷たい熱狂の感触がおもしろかったのです。
いちばんよく聴いたアルバムは『Purple Rain』(1984年)で、
オープニングの「Let’s Go Crazy」を始め、
次のアルバムを予見させる、
ちょっとサイケな「Take me with You」
ショーのフィナーレのような
「I Would Die 4 You」「Baby I’m A Star」の流れ…
(ここの完成度は高いですね)
そしてタイトル曲。
どれをとっても素晴らしく、
名曲のオンパレードと言えるでしょう。
このへんからロックっぽさがかなり強調され…
ギターを弾いている姿がジミヘンに似ているなどと、
言われるようになりました。
一方で、
感情表現がかなり激しく、
ロックの持つ暴力衝動から、
エロティックなところ、
フォーク的な女々しさまで、
正直に自分の全てを暴露しているような感じがあり、
そこもおもしろいなと思いました。
(映画はかなり安っぽかったですけどね…(笑)
映画も含め、
プリンスの場合は、
女性と聴く機会が多かったので、
なんか青春の想い出と重なるのでありました…(笑)
次のアルバム『Around The World In A Day』(1985年)では、
サイケなフォーク色が強くなったため、
ちょっと興味が薄れたのですが、
『Sign Of The Times』(1987年)は強力で、
『Purple Rain』と並ぶ愛聴盤になりました。
(ドラムを叩くシーラEのカッコよさがズバ抜けていました)
その後の活動は、
なんだかよくわからなくなってしまい、
フォローするのをやめてしまいましたが、
プリンスという名前を捨てたアルバム…
(タイトルが文字に変換できない)
はよかったですね。
過激さとか斬新さはなくなっていましたが、
いかにも王道のファンクを演奏していて、
JBっぽくなっていたところが印象的でした。
ということで、
振り返ってみると、
けっこう影響を受けているプリンスですが…
亡くなってしまうと、
歴史上の人物になってしまうわけで、
彼の場合、
どういうカテゴリーに入るのか、
興味があるところです。
マイケル・ジャクソンは文句なく、
ブラックミュージックの歴史の1ページを飾るでしょうけれど、
プリンスはどちらかと言うと…
ロックの側面で語られるように思えて仕方ありません。
プリンスのカヴァーなんか、
やってみたい気がしますが…
ヴォーカルはイヤがるでしょうね(笑)
ここでプリンスが逝くとは思いませんでした。
(まぁ…人の生死は予想できないものではありますが…)
もっとも…
彼の場合は、
およそ健康的なイメージからかけ離れていたので、
長寿だったら驚くところだったかもしれません。
もっと驚いたのは彼の年齢が57歳であったこと…
私と3歳しか違わなかったのです(笑)
プリンスがメジャーになった1980年代前半は、
マイケル・ジャクソンの全盛期で、
王道の彼に対し、
明らかに非主流の匂いがしていました。
ビートルズに対するストーンズのように…
デビュー当時は、
タブーとされるテーマに、
堂々と正面から向き合っていましたね。
当然、
非主流派の私としては、
このミョーにエロくて、
悪っぽい男に興味を持ったわけですが、
「1999」を聴いたときに、
ファンクの正統派という感じがして、
ちょっと意外だったことを覚えています。
さらに「Little Red Corvette」が、
とてもわかりやすいサビを持つポップチューンだったので、
マイケルはポップなソウル、
コイツはポップなファンクだなぁ…
とひとりで納得していました。
マイケルより、
サウンド面はマニアックで、
1970年代にミュージシャンのグルーヴで盛り上がった部分を、
コンピューターをうまく使った機械的なサウンドで再現した…
その冷たい熱狂の感触がおもしろかったのです。
いちばんよく聴いたアルバムは『Purple Rain』(1984年)で、
オープニングの「Let’s Go Crazy」を始め、
次のアルバムを予見させる、
ちょっとサイケな「Take me with You」
ショーのフィナーレのような
「I Would Die 4 You」「Baby I’m A Star」の流れ…
(ここの完成度は高いですね)
そしてタイトル曲。
どれをとっても素晴らしく、
名曲のオンパレードと言えるでしょう。
このへんからロックっぽさがかなり強調され…
ギターを弾いている姿がジミヘンに似ているなどと、
言われるようになりました。
一方で、
感情表現がかなり激しく、
ロックの持つ暴力衝動から、
エロティックなところ、
フォーク的な女々しさまで、
正直に自分の全てを暴露しているような感じがあり、
そこもおもしろいなと思いました。
(映画はかなり安っぽかったですけどね…(笑)
映画も含め、
プリンスの場合は、
女性と聴く機会が多かったので、
なんか青春の想い出と重なるのでありました…(笑)
次のアルバム『Around The World In A Day』(1985年)では、
サイケなフォーク色が強くなったため、
ちょっと興味が薄れたのですが、
『Sign Of The Times』(1987年)は強力で、
『Purple Rain』と並ぶ愛聴盤になりました。
(ドラムを叩くシーラEのカッコよさがズバ抜けていました)
その後の活動は、
なんだかよくわからなくなってしまい、
フォローするのをやめてしまいましたが、
プリンスという名前を捨てたアルバム…
(タイトルが文字に変換できない)
はよかったですね。
過激さとか斬新さはなくなっていましたが、
いかにも王道のファンクを演奏していて、
JBっぽくなっていたところが印象的でした。
ということで、
振り返ってみると、
けっこう影響を受けているプリンスですが…
亡くなってしまうと、
歴史上の人物になってしまうわけで、
彼の場合、
どういうカテゴリーに入るのか、
興味があるところです。
マイケル・ジャクソンは文句なく、
ブラックミュージックの歴史の1ページを飾るでしょうけれど、
プリンスはどちらかと言うと…
ロックの側面で語られるように思えて仕方ありません。
プリンスのカヴァーなんか、
やってみたい気がしますが…
ヴォーカルはイヤがるでしょうね(笑)
★2016/04/17 (Sun)
熊本で大きな地震が発生しました。
天災は忘れた頃にやって来るというか…
いつ来るかわからないので困ったものです。
東日本大震災から5年が経ったところで、
新たな震災が発生するとは、
想像すらできなかったことです。
仕事柄、
被災地への物資を手配するため、
昨日今日と休日返上で業務に当たりましたが、
一日も早く地震活動がおさまり、
被災地が復興することを祈っております。
天災は忘れた頃にやって来るというか…
いつ来るかわからないので困ったものです。
東日本大震災から5年が経ったところで、
新たな震災が発生するとは、
想像すらできなかったことです。
仕事柄、
被災地への物資を手配するため、
昨日今日と休日返上で業務に当たりましたが、
一日も早く地震活動がおさまり、
被災地が復興することを祈っております。