「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2016/06/26 (Sun)
私がロックに興味を持ち始めた頃、
AMラジオ局で毎夜、
電話リクエストで、
ヒット曲の順位を決めるという番組がありました。
(電リク75といったような…なにしろ1975年だったので)
日本の曲は対象外、
英米の曲のみでランキングを決めるという、
今では考えられない企画でした。
ランクインする常連は、
ベイシティ・ローラーズ、クィーン、
カーペンターズ、オリビア・ニュートンジョン、
スタイリスティックス、KC&ザ・サンシャイン・バンド…
その他諸々の一発屋たち…
今ではドラマやCMでよく耳にする曲も多く、
ポップスの定番になっていたりします。
そんな中、
ちょっとハードなタッチで存在感を発揮していたのが、
スウィートです。
スウィートは、
「フォックス・オン・ザ・ラン」「アクション」
の2曲が大ヒットしていましたが、
私は「アクション」が気に入り、
シングル盤を購入しました。
そのシングルのB面に収録されていた
「メドゥーサ」という曲もカッコよくて、
印象に残っていたのですが、
最近になって、
このシングルが両A面扱いだったことを知りました。
裏面もカッコよかったのは、
だから…だったんですね。
そんなスウィートの、
全盛期のアルバム…
「フォックス・オン・ザ・ラン」「アクション」
を含む『甘い誘惑(Give us a wink)』が
紙ジャケ仕様で再発されました。
これを聴かずにいられようか…?
ということで…
シングル盤だけしか知らなかった、
スウィートのアルバムを聴いてみたわけですが…
これが意外と、
おもしろかったのです。
前述のヒット曲はズバ抜けていますが、
その他の曲もそれなりに聴きごたえがありました。
後期のTHE WHOみたいなリフが多く、
シンセの使い方も『Who's Next』を彷彿とさせるものがありますが、
全体的にグラムロックの影があり、
(スレイドに通じる部分あり)
重層するコーラスはQUEEN…
違うか…
QUEENはほぼ同時期…
つまり、
URIAH HEEP直系のコーラスワークが目立ちます。
ドラムがバタバタしていてイマイチなんだよな、
と思っていたら、
「Cockroach(邦題ゴキブリ野郎(笑)」という曲で、
ボンゾみたいな音を披露していたりして、
個人的にはこんな感じで続けてほしかったなぁ…
(まぁ…録音の勝利ですか?
ディテクティブってバンドもこんな音でした)
この頃のイギリスは、
グラムの残党が多かったようで、
そこからパンクやニューウェイヴが派生した、
と考えると自然なようです。
スウィートもそんな流れの中にいたのでしょう。
方向性はほぼ同じなのに、
QUEENほど成功しなかった点が、
研究対象としては興味深いところであります。
もしかすると…
バンド名がイマイチだったかもしれません。
スウィートというほど、
甘くはないですから…
ギターなんか、
ハードドライビングで早弾きや多重録音が得意だったりして、
どことなく、
リッチー(ブラックモア)っぽいんだから…
(この方は、アーム付きの緑のSGを使っていましたね)
そういえば、
元FREEのポール・コソフが亡くなった翌日、
スウィートのステージにリッチーが飛び入りして、
「All Night Now」を弾いたという話があります。
何か関連があるのだろうか?
ハイブリッドポップなんてジャンルが確立された、
今聴くとかなり新鮮ではあります。
↓インナースリーブを動かすと、
目が変わるという…
当時としては画期的なデザイン(笑)
AMラジオ局で毎夜、
電話リクエストで、
ヒット曲の順位を決めるという番組がありました。
(電リク75といったような…なにしろ1975年だったので)
日本の曲は対象外、
英米の曲のみでランキングを決めるという、
今では考えられない企画でした。
ランクインする常連は、
ベイシティ・ローラーズ、クィーン、
カーペンターズ、オリビア・ニュートンジョン、
スタイリスティックス、KC&ザ・サンシャイン・バンド…
その他諸々の一発屋たち…
今ではドラマやCMでよく耳にする曲も多く、
ポップスの定番になっていたりします。
そんな中、
ちょっとハードなタッチで存在感を発揮していたのが、
スウィートです。
スウィートは、
「フォックス・オン・ザ・ラン」「アクション」
の2曲が大ヒットしていましたが、
私は「アクション」が気に入り、
シングル盤を購入しました。
そのシングルのB面に収録されていた
「メドゥーサ」という曲もカッコよくて、
印象に残っていたのですが、
最近になって、
このシングルが両A面扱いだったことを知りました。
裏面もカッコよかったのは、
だから…だったんですね。
そんなスウィートの、
全盛期のアルバム…
「フォックス・オン・ザ・ラン」「アクション」
を含む『甘い誘惑(Give us a wink)』が
紙ジャケ仕様で再発されました。
これを聴かずにいられようか…?
ということで…
シングル盤だけしか知らなかった、
スウィートのアルバムを聴いてみたわけですが…
これが意外と、
おもしろかったのです。
前述のヒット曲はズバ抜けていますが、
その他の曲もそれなりに聴きごたえがありました。
後期のTHE WHOみたいなリフが多く、
シンセの使い方も『Who's Next』を彷彿とさせるものがありますが、
全体的にグラムロックの影があり、
(スレイドに通じる部分あり)
重層するコーラスはQUEEN…
違うか…
QUEENはほぼ同時期…
つまり、
URIAH HEEP直系のコーラスワークが目立ちます。
ドラムがバタバタしていてイマイチなんだよな、
と思っていたら、
「Cockroach(邦題ゴキブリ野郎(笑)」という曲で、
ボンゾみたいな音を披露していたりして、
個人的にはこんな感じで続けてほしかったなぁ…
(まぁ…録音の勝利ですか?
ディテクティブってバンドもこんな音でした)
この頃のイギリスは、
グラムの残党が多かったようで、
そこからパンクやニューウェイヴが派生した、
と考えると自然なようです。
スウィートもそんな流れの中にいたのでしょう。
方向性はほぼ同じなのに、
QUEENほど成功しなかった点が、
研究対象としては興味深いところであります。
もしかすると…
バンド名がイマイチだったかもしれません。
スウィートというほど、
甘くはないですから…
ギターなんか、
ハードドライビングで早弾きや多重録音が得意だったりして、
どことなく、
リッチー(ブラックモア)っぽいんだから…
(この方は、アーム付きの緑のSGを使っていましたね)
そういえば、
元FREEのポール・コソフが亡くなった翌日、
スウィートのステージにリッチーが飛び入りして、
「All Night Now」を弾いたという話があります。
何か関連があるのだろうか?
ハイブリッドポップなんてジャンルが確立された、
今聴くとかなり新鮮ではあります。
↓インナースリーブを動かすと、
目が変わるという…
当時としては画期的なデザイン(笑)
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★2016/06/19 (Sun)
リッチー・ブラックモア…
ウルリッヒ・ロス…
高校時代に聴き込んだ
ミュージシャンたちの影響力の大きさに驚いていたら、
一日だけ当時の感覚に戻れる、
6月第三土曜日がやって来ました。
毎年この日は、
高校のクラス会を開催することになっており、
今年は雨も降らず(笑)
昨日無事に終了いたしました。
昨年は、
「このクラス会と、
年末のライブ忘年会が、
私が素に戻る貴重な時間なのです。
年に2日だけ…
シンデレラよりキビシイ環境かも(笑)」
などと言いましたが、
ちょうどこの時期、
父の具合がよろしくなく、
医師から「今年の夏を越すのは難しいかも…」
と言われていたこともあり、
少々ブルーだったんですね。
そのせいか、
珍しく酔っ払ってしまい、
どこでどう乗り換えたか意識のないまま、
気がついたら地元の駅に着いていた…
というオチがついてしまいました。
今年はそのようなこともなく、
穏やかに楽しい時を過ごしたのですが、
会場となったのが、
東京駅の丸の内側。
そう、
先週散策をした皇居のすぐ近くでした。
最近は、
お隣の大国からの観光客が多いせいか、
銀座がすっかり雰囲気を変えてしまい、
なんとなく足が遠のいております。
その代わりと言っては何ですが…
東京駅の丸の内側から大手町界隈に、
オシャレで大人っぽく、
それでいて隠れ家的な雰囲気の、
お気に入りスポットが増えています。
あらためて眺めてみると、
名店が多くなっているような気がしますね。
平日はビジネス街なので、
それなりの年齢層で賑わい、
土日はオフィスが休みということもあり、
少し閑散としているのですが、
あまり騒がしくないので、
とてもよろしいのです。
これから2020年のオリンピックに向け、
ますます各地が海外のお客さんで賑わうことでしょうが、
東京出身者の故郷である東京の雰囲気を、
少しは残しておいてほしいものです。
こんなときに都知事が、
程度の低い事情で辞任とは…
いったいなーにをやっているんでしょうねーっ
昔から、
都知事選の政見放送ほどおもしろいものはなかったよね…
というのも昨夜の話題でした。
期待してるよーっ(笑)
ウルリッヒ・ロス…
高校時代に聴き込んだ
ミュージシャンたちの影響力の大きさに驚いていたら、
一日だけ当時の感覚に戻れる、
6月第三土曜日がやって来ました。
毎年この日は、
高校のクラス会を開催することになっており、
今年は雨も降らず(笑)
昨日無事に終了いたしました。
昨年は、
「このクラス会と、
年末のライブ忘年会が、
私が素に戻る貴重な時間なのです。
年に2日だけ…
シンデレラよりキビシイ環境かも(笑)」
などと言いましたが、
ちょうどこの時期、
父の具合がよろしくなく、
医師から「今年の夏を越すのは難しいかも…」
と言われていたこともあり、
少々ブルーだったんですね。
そのせいか、
珍しく酔っ払ってしまい、
どこでどう乗り換えたか意識のないまま、
気がついたら地元の駅に着いていた…
というオチがついてしまいました。
今年はそのようなこともなく、
穏やかに楽しい時を過ごしたのですが、
会場となったのが、
東京駅の丸の内側。
そう、
先週散策をした皇居のすぐ近くでした。
最近は、
お隣の大国からの観光客が多いせいか、
銀座がすっかり雰囲気を変えてしまい、
なんとなく足が遠のいております。
その代わりと言っては何ですが…
東京駅の丸の内側から大手町界隈に、
オシャレで大人っぽく、
それでいて隠れ家的な雰囲気の、
お気に入りスポットが増えています。
あらためて眺めてみると、
名店が多くなっているような気がしますね。
平日はビジネス街なので、
それなりの年齢層で賑わい、
土日はオフィスが休みということもあり、
少し閑散としているのですが、
あまり騒がしくないので、
とてもよろしいのです。
これから2020年のオリンピックに向け、
ますます各地が海外のお客さんで賑わうことでしょうが、
東京出身者の故郷である東京の雰囲気を、
少しは残しておいてほしいものです。
こんなときに都知事が、
程度の低い事情で辞任とは…
いったいなーにをやっているんでしょうねーっ
昔から、
都知事選の政見放送ほどおもしろいものはなかったよね…
というのも昨夜の話題でした。
期待してるよーっ(笑)
★2016/06/12 (Sun)
梅雨の中休みですね。
昨日から今日にかけて、
まぶしいばかりの日差しと初夏の陽気…
これ以上、
暑くならないでほしいと思うのは、
私だけでしょうか?(笑)
雨は苦手だけど、
暑さも、
その次ぐらいに苦手ですなぁ…
さて、
そんな日に、
心をリラックスさせようと思うなら、
イチオシなのが、
都会の真ん中…
皇居の周辺です。
皇居の周辺は、
なぜかスポッと、
辺りと違う空間になっていて、
ここだけ時の流れが緩い感じがします。
ごゆるりと〜
という感じですね。
↓二重橋のあたり…これが都心の景色だろうか?
地下鉄の駅名になっている二重橋↓
皇居側から見ると、
平日はビジネスの中心地になるビル群が、
まるで模型のように見えます↓
日本史を大きく転換させた桜田門も、このようなたたずまい↓
このあたりを住宅地にするという案があるようですが、
高額になっても、
住んでみたいなぁ…
東京近郊の住みたい街のランキングを見ても、
何も感じないのに、
皇居周辺はそうではありません。
私にとって、
他と違うスポットなのでしょう。
どこが、
と言われても困るのですが、
なにしろ…
違うんですーっ(笑)
休日にリラックスすると、
平日のストレスに立ち向かえるような気になりますね。
桜田門から国会議事堂を望む↓
昨日から今日にかけて、
まぶしいばかりの日差しと初夏の陽気…
これ以上、
暑くならないでほしいと思うのは、
私だけでしょうか?(笑)
雨は苦手だけど、
暑さも、
その次ぐらいに苦手ですなぁ…
さて、
そんな日に、
心をリラックスさせようと思うなら、
イチオシなのが、
都会の真ん中…
皇居の周辺です。
皇居の周辺は、
なぜかスポッと、
辺りと違う空間になっていて、
ここだけ時の流れが緩い感じがします。
ごゆるりと〜
という感じですね。
↓二重橋のあたり…これが都心の景色だろうか?
地下鉄の駅名になっている二重橋↓
皇居側から見ると、
平日はビジネスの中心地になるビル群が、
まるで模型のように見えます↓
日本史を大きく転換させた桜田門も、このようなたたずまい↓
このあたりを住宅地にするという案があるようですが、
高額になっても、
住んでみたいなぁ…
東京近郊の住みたい街のランキングを見ても、
何も感じないのに、
皇居周辺はそうではありません。
私にとって、
他と違うスポットなのでしょう。
どこが、
と言われても困るのですが、
なにしろ…
違うんですーっ(笑)
休日にリラックスすると、
平日のストレスに立ち向かえるような気になりますね。
桜田門から国会議事堂を望む↓
★2016/06/05 (Sun)
ウリ・ジョン・ロート…
いつからこんな名前になったのだ。
私は当時と同じく、
ウルリッヒ・ロスと呼ばせてもらいます。
(正確にはウーリッヒと発音したようです…)
さて、
ウルリッヒが誰であるか、
忘れた方も多いと思うので、
注釈を入れておきます。
1970年代の中盤、
西ドイツのハードロックの雄、
スコーピオンズをメジャーにのし上げる基盤を作りながら、
自己の音楽を探求する道を選び、
1978年にバンドから脱退。
当初は尊敬するジミヘンを意識した音を出していたが、
その後はクラシックミュージックを意識した、
おそるべきほど精緻に構築された楽曲をマイペースで作り続け、
孤高の存在となっていた男…
その生き方も風貌も(笑)まさに仙人。
31フレットの特注ギター(スカイギター)を操る男…
それがウルリッヒ・ロスであります。
私がウルリッヒの超絶プレイに接したのは、
高校1~2年頃(1977~1978年)のことです。
ちょっと恥ずかしくて買えなかった、
『ヴァージン・キラー』の次に、
スコーピオンズの来日公演を収録した、
『蠍団爆発(原題はTOKYO TAPESだよ~ん)』(1978年)
というライヴアルバムのプレイがあまりに凄まじく、
一発でショックトリートメントされたのでありました。
スコーピオンズのスタジオ作品は、
ギターが何層にもオーヴァータビングされており…
とくに哀愁のメロディをハモる、
リードギターのフレーズが印象的でした。
ライヴではとーぜん、
これを再現するのかと思いきや…
もう一方のギタリストである、
ルドルフ・シェンカーは弟のマイケルとは違い、
99%リズムギターに徹し、
リードギターはウルリッヒの独壇場だったのです。
そこで繰り広げられたウルリッヒのプレイは、
壮絶そのものでした。
まず、
指が異常に早く動く!
華麗な指使いで、
難易度の高い、
哀愁のメロディを次から次へと繰り出す一方…
ハウリングやフィードバックを自由自在に操り、
泣き叫ぶような音の効果で感情を吐き出します。
エコーやワウといったエフェクトの使い方がうまく、
ファズで歪ませた音とクリアーな音の対比も見事でした。
リッチー・ブラックモア、デイヴ・ギルモアに続き、
私にとって3人目の、
ストラト・マイスターが現れた瞬間です。
そして、
続くスタジオ作品『暴虐の蠍団(TAKEN BY FORCE)』で、
「カロンの渡し守(The Sails of Charon)」という、
コピー不可能な楽曲を提示され、
私はエキセントリックなテクニシャンをあきらめ、
(もう一人、エディ・ヴァンヘイレンも、
このきっかけに関わっています…)
別の方向性を模索することになるのですが…
当のウルリッヒはあっさりスコーピオンズから脱退し、
メジャーなシーンから消えてしまうのでありました。
そんなウルリッヒが、
あるきっかけから、
スコーピオンズ時代のナンバーを再現するツアーを行い、
それをスタジオライヴの形式でレコーディングしたのです。
それが、
昨年発表された、
『SCORPIONS REVISITED』という2枚組のアルバム…
40年近くの歳月を経て、
仙人が戻ってきました。
収録曲は、
ウルリッヒ作のスコーピオンズ時代のナンバーと、
ルドルフ&クラウス・マイネによるスコーピオンズナンバーですが、
大方のファンが納得する選曲…
聴きたい曲にモレはありません。
「カロンの渡し守」も、
「ヴァージン・キラー」も入っておりまっせーっ。
ウルリッヒは、
例の『TOKYO TAPES』がお気に入りだったようで、
私もあのアルバムの白眉と思っていた、
「暗黒の極限(Polar Night)」と「フライ・トゥ・ザ・レインボウ」が、
『TOKYO TAPES』のヴァージョンで入っているあたり、
なかなかのモノです。
「暗黒の極限」は、
ディスコ調のインストから入り、
フィードバックの嵐になる展開が、
まさに圧巻…
「フライ・トゥ・ザ・レインボウ」は、
静と動の対比、
歪みとクリアなトーンの使い分けが絶品…
壮絶の一言では片付けられない、
芸術的な二品です。
おもしろいのは、
どの曲もスタジオライヴでありながら、
オリジナルのスタジオテイクにかなり忠実…
ハーモニーがより深化しているところで、
このために、
ウルリッヒは自分以外に2名のギタリストをバンドに加えています。
先に話した、
ライヴでルドルフがリズムギターに徹し、
リードギターのハーモニーを再現しなかったことは、
誰よりもウルリッヒが不本意に感じていた、
ということなのです。
それにしても…
これが、
齢60をとうに過ぎた人のプレイでありましょうか。
「カロンの渡し守」などは余裕で、
あの超絶フレーズを弾き切っており、
相変わらず、
おそるべき仙人と舌を巻くことしばし…
ところで、
私もこれまで、
ダテに歳をとってきたわけではないので、
ウルリッヒのプレイを少しは理解できるようになったはず…
今回は、
この超絶プレイに挑んでみようか、
などと企んでおります。
リッチーに続けて、
この人に影響されたんだよなぁ…
ヨーロッパのダークなクラシカルミュージックの素養を、
身に付けたかったんですよ…あの頃は。
いつからこんな名前になったのだ。
私は当時と同じく、
ウルリッヒ・ロスと呼ばせてもらいます。
(正確にはウーリッヒと発音したようです…)
さて、
ウルリッヒが誰であるか、
忘れた方も多いと思うので、
注釈を入れておきます。
1970年代の中盤、
西ドイツのハードロックの雄、
スコーピオンズをメジャーにのし上げる基盤を作りながら、
自己の音楽を探求する道を選び、
1978年にバンドから脱退。
当初は尊敬するジミヘンを意識した音を出していたが、
その後はクラシックミュージックを意識した、
おそるべきほど精緻に構築された楽曲をマイペースで作り続け、
孤高の存在となっていた男…
その生き方も風貌も(笑)まさに仙人。
31フレットの特注ギター(スカイギター)を操る男…
それがウルリッヒ・ロスであります。
私がウルリッヒの超絶プレイに接したのは、
高校1~2年頃(1977~1978年)のことです。
ちょっと恥ずかしくて買えなかった、
『ヴァージン・キラー』の次に、
スコーピオンズの来日公演を収録した、
『蠍団爆発(原題はTOKYO TAPESだよ~ん)』(1978年)
というライヴアルバムのプレイがあまりに凄まじく、
一発でショックトリートメントされたのでありました。
スコーピオンズのスタジオ作品は、
ギターが何層にもオーヴァータビングされており…
とくに哀愁のメロディをハモる、
リードギターのフレーズが印象的でした。
ライヴではとーぜん、
これを再現するのかと思いきや…
もう一方のギタリストである、
ルドルフ・シェンカーは弟のマイケルとは違い、
99%リズムギターに徹し、
リードギターはウルリッヒの独壇場だったのです。
そこで繰り広げられたウルリッヒのプレイは、
壮絶そのものでした。
まず、
指が異常に早く動く!
華麗な指使いで、
難易度の高い、
哀愁のメロディを次から次へと繰り出す一方…
ハウリングやフィードバックを自由自在に操り、
泣き叫ぶような音の効果で感情を吐き出します。
エコーやワウといったエフェクトの使い方がうまく、
ファズで歪ませた音とクリアーな音の対比も見事でした。
リッチー・ブラックモア、デイヴ・ギルモアに続き、
私にとって3人目の、
ストラト・マイスターが現れた瞬間です。
そして、
続くスタジオ作品『暴虐の蠍団(TAKEN BY FORCE)』で、
「カロンの渡し守(The Sails of Charon)」という、
コピー不可能な楽曲を提示され、
私はエキセントリックなテクニシャンをあきらめ、
(もう一人、エディ・ヴァンヘイレンも、
このきっかけに関わっています…)
別の方向性を模索することになるのですが…
当のウルリッヒはあっさりスコーピオンズから脱退し、
メジャーなシーンから消えてしまうのでありました。
そんなウルリッヒが、
あるきっかけから、
スコーピオンズ時代のナンバーを再現するツアーを行い、
それをスタジオライヴの形式でレコーディングしたのです。
それが、
昨年発表された、
『SCORPIONS REVISITED』という2枚組のアルバム…
40年近くの歳月を経て、
仙人が戻ってきました。
収録曲は、
ウルリッヒ作のスコーピオンズ時代のナンバーと、
ルドルフ&クラウス・マイネによるスコーピオンズナンバーですが、
大方のファンが納得する選曲…
聴きたい曲にモレはありません。
「カロンの渡し守」も、
「ヴァージン・キラー」も入っておりまっせーっ。
ウルリッヒは、
例の『TOKYO TAPES』がお気に入りだったようで、
私もあのアルバムの白眉と思っていた、
「暗黒の極限(Polar Night)」と「フライ・トゥ・ザ・レインボウ」が、
『TOKYO TAPES』のヴァージョンで入っているあたり、
なかなかのモノです。
「暗黒の極限」は、
ディスコ調のインストから入り、
フィードバックの嵐になる展開が、
まさに圧巻…
「フライ・トゥ・ザ・レインボウ」は、
静と動の対比、
歪みとクリアなトーンの使い分けが絶品…
壮絶の一言では片付けられない、
芸術的な二品です。
おもしろいのは、
どの曲もスタジオライヴでありながら、
オリジナルのスタジオテイクにかなり忠実…
ハーモニーがより深化しているところで、
このために、
ウルリッヒは自分以外に2名のギタリストをバンドに加えています。
先に話した、
ライヴでルドルフがリズムギターに徹し、
リードギターのハーモニーを再現しなかったことは、
誰よりもウルリッヒが不本意に感じていた、
ということなのです。
それにしても…
これが、
齢60をとうに過ぎた人のプレイでありましょうか。
「カロンの渡し守」などは余裕で、
あの超絶フレーズを弾き切っており、
相変わらず、
おそるべき仙人と舌を巻くことしばし…
ところで、
私もこれまで、
ダテに歳をとってきたわけではないので、
ウルリッヒのプレイを少しは理解できるようになったはず…
今回は、
この超絶プレイに挑んでみようか、
などと企んでおります。
リッチーに続けて、
この人に影響されたんだよなぁ…
ヨーロッパのダークなクラシカルミュージックの素養を、
身に付けたかったんですよ…あの頃は。
★2016/05/29 (Sun)
「春の紫祭」の続きです。
もう1枚紹介したかったのは、
『LONG BEACH 1976』
こちらは第4期ディープ・パープルのライヴです。
全盛期といわれる第2期のメンバーから、
イアン・ギラン(Vo)とロジャー・グローヴァー(B)が抜け、
デイヴィッド・カヴァーディル(Vo)とグレン・ヒューズ(B)が加入した第3期。
これで安泰かと思いきや、
今度は中心メンバーであったリッチー・ブラックモア(G)が脱退。
後任にトミー・ボーリンが加入したのが第4期ディープ・パープルです。
我々、
日本のファンにとって、
第4期といえば、
『LAST CONCERT IN JAPAN』(1977年発表)という、
前年に急逝したトミー・ボーリンの追悼盤として発売された作品が
あまりにヒドイ内容であったため、
いい印象は残っていないようです。
(このへんの詳細は過去の記事を参照)
このとき(1975年11月)は、
日本公演の直前に、
インドネシアでローディが不可解な死を遂げ、
さらに粗悪なヘロインを注射したことにより、
左腕が満足に動かなくなるなど、
メンタルとフィジカルの両面で、
トミー・ボーリンが最悪の状態であったわけで、
この作品だけで評価を下されたら、
彼にとっては不本意きわまりないことでしょう。
今回のディスクは、
その後、
十分な静養生活を送り、
1976年2月のアメリカはロサンゼルスにおけるライブで、
地元の放送局がラジオでオンエア、
『ON THE WINGS OF A RUSSIAN FOXBAT』というタイトルで、
一時期販売されていた作品です。
ズバリ!
トミー・ボーリンがしっかりとした演奏をしています!
オープニングは「Burn」
『LAST CONCERT IN JAPAN』と同様、
前半のソロをキーボード、
後半をギターという、
オリジナルとは逆転した順番の上、
例の美しいアルペジオはやりません。
それでも、
トミーがマトモに弾いているので、
タイトな演奏になっています。
『LAST CONCERT IN JAPAN』で彼が何をやりたかったのか、
よくわかりましたよ(笑)
「Lady Luck」「Getting Tighter」「Love Child」
さすがに、
このメンバーによる唯一のスタジオ作品
『COME TASTE THE BAND』からのナンバーは堂に入っています。
とくに「Getting Tighter」は、
セッションっぽく入って、
本題の後、
またセッションっぽくなる大作で、
このディスクで最大の聴きモノです。
全体に、
バスドラムの音が強調されているので、
ドスドス響いてたいへん心地よろし…
イアン・ペイスはパワーだけでなくテクニックも素晴らしい。
16ビートにまったく違和感を感じません。
パープル最大のヒット曲、
「Smoke On The Water」はグレン・ヒューズが唸る
「Georgia On My Mind」に続きますが…
これが予想外によかった。
さすがに「Smoke On The Water」はね…
と思っていたのですが、
後半2人のヴォーカルがハモるあたりは、
息もピッタリ合っていて、
これはなかなかのものです。
「Lazy」はトミー流に解釈したジャズ・テイストをまぶし、
続く「Homeward Strutは彼のソロ・アルバム『TEASER』に収録された、
インスト・ナンバー。
このへんのフュージョンっぽい展開にも、
まったく違和感がないどころか、
卓越した演奏に聴き入ってしまうばかりです。
ここでディスク1は終了。
ディスク2は、
やはり『COME TASTE THE BAND』に収録されている、
「This Time Around」〜「Owed To G」
「This Time Around」は、
グレンがスティーヴィー・ワンダーに捧げた曲ということで、
そういえば曲調がそんな感じです。
(当時はまったく気がつきませんでしたが…言われて初めてわかった(笑)
後半のインストから、
トミー・ボーリンのギターソロに移るのですが、
これはいろいろエフェクターを使って、
ギミック的なプレイを連発します。
エフェクター・マニアの方は研究してみるとよいでしょう。
後半はスライドを使ったブルースになり、
いかにも“アメリカ”という雰囲気が漂います。
フィナーレは
「Stormbringer」
オープニングの「Burn」より、
こちらの方がこのメンバーには馴染んでいる感じがします。
で「Highway Star」で終わります…
いいですね。
素晴らしい演奏と珠玉のナンバー。
さらに堪能しようと思うなら、
「Burn」と第2期のナンバーを飛ばして聴くとよろし。
そうなんです。
そうすると、
第4期ディープ・パープルが何者であったかがよくわかります。
図らずも、
ライナー(原文)の最後にあった一言、
このバンドの最大の不幸は、
これが「ディープ・パープル」と呼ばれていたことだ。
まさにその通りです。
じつは、
16ビートやジャズの要素を取り入れ、
新しいタイプのアメリカン・ハードロックが生まれようとしていたのです。
「ディープ・パープル」の看板の下で…
私は3枚のディスクが届くと、
まずはこの『LONG BEACH 1976』を聴き、
その素晴らしい内容に感動しました。
ところが、
その後に第2期の2つのディスクを聴き、
もう一度ここへ戻ってみたら…
なんだか物足りない。
第2期のナンバーを飛ばすことを思いついたのはこの時でしたが、
それでもこの音は、
「ディープ・パープル」ではない…
短命だった素晴らしいバンドの音としてしか認識されないのでした。
ここが、
このグループの悲劇でしょうね。
私と同じような感覚のファンがたくさんいるんでしょうね…
(いや、ほとんどの方がそうなのでは?)
ティーンの頃は、
『MADE IN EUROPE』を愛聴し、
第3期が好きだったのですが、
考えてみればこの作品には、
第2期のナンバーが収録されておりません。
その後に発表された、
第3期の秘蔵ライヴにはみな、
第2期のナンバーが収録されていて、
これが興醒めなのです。
やはり、
ディープ・パープルは第2期なんでしょうね。
しかし…
そうとばかり言っていては、
バンドは前へ進むことができません。
メンバーチェンジをしたら、
前のメンバー時代の曲は演奏しない、
というルールでも作っておいたらよかったのに…
ヒット曲、
バンド名(看板)…
やはりロックバンドも安定経営のためには、
曲げなければならないモノがたくさんあるようで、
このあたり芸能の世界はキビシイものがありますなぁ。
↓ だからーっ、オレのせいじゃねーよ
もう1枚紹介したかったのは、
『LONG BEACH 1976』
こちらは第4期ディープ・パープルのライヴです。
全盛期といわれる第2期のメンバーから、
イアン・ギラン(Vo)とロジャー・グローヴァー(B)が抜け、
デイヴィッド・カヴァーディル(Vo)とグレン・ヒューズ(B)が加入した第3期。
これで安泰かと思いきや、
今度は中心メンバーであったリッチー・ブラックモア(G)が脱退。
後任にトミー・ボーリンが加入したのが第4期ディープ・パープルです。
我々、
日本のファンにとって、
第4期といえば、
『LAST CONCERT IN JAPAN』(1977年発表)という、
前年に急逝したトミー・ボーリンの追悼盤として発売された作品が
あまりにヒドイ内容であったため、
いい印象は残っていないようです。
(このへんの詳細は過去の記事を参照)
このとき(1975年11月)は、
日本公演の直前に、
インドネシアでローディが不可解な死を遂げ、
さらに粗悪なヘロインを注射したことにより、
左腕が満足に動かなくなるなど、
メンタルとフィジカルの両面で、
トミー・ボーリンが最悪の状態であったわけで、
この作品だけで評価を下されたら、
彼にとっては不本意きわまりないことでしょう。
今回のディスクは、
その後、
十分な静養生活を送り、
1976年2月のアメリカはロサンゼルスにおけるライブで、
地元の放送局がラジオでオンエア、
『ON THE WINGS OF A RUSSIAN FOXBAT』というタイトルで、
一時期販売されていた作品です。
ズバリ!
トミー・ボーリンがしっかりとした演奏をしています!
オープニングは「Burn」
『LAST CONCERT IN JAPAN』と同様、
前半のソロをキーボード、
後半をギターという、
オリジナルとは逆転した順番の上、
例の美しいアルペジオはやりません。
それでも、
トミーがマトモに弾いているので、
タイトな演奏になっています。
『LAST CONCERT IN JAPAN』で彼が何をやりたかったのか、
よくわかりましたよ(笑)
「Lady Luck」「Getting Tighter」「Love Child」
さすがに、
このメンバーによる唯一のスタジオ作品
『COME TASTE THE BAND』からのナンバーは堂に入っています。
とくに「Getting Tighter」は、
セッションっぽく入って、
本題の後、
またセッションっぽくなる大作で、
このディスクで最大の聴きモノです。
全体に、
バスドラムの音が強調されているので、
ドスドス響いてたいへん心地よろし…
イアン・ペイスはパワーだけでなくテクニックも素晴らしい。
16ビートにまったく違和感を感じません。
パープル最大のヒット曲、
「Smoke On The Water」はグレン・ヒューズが唸る
「Georgia On My Mind」に続きますが…
これが予想外によかった。
さすがに「Smoke On The Water」はね…
と思っていたのですが、
後半2人のヴォーカルがハモるあたりは、
息もピッタリ合っていて、
これはなかなかのものです。
「Lazy」はトミー流に解釈したジャズ・テイストをまぶし、
続く「Homeward Strutは彼のソロ・アルバム『TEASER』に収録された、
インスト・ナンバー。
このへんのフュージョンっぽい展開にも、
まったく違和感がないどころか、
卓越した演奏に聴き入ってしまうばかりです。
ここでディスク1は終了。
ディスク2は、
やはり『COME TASTE THE BAND』に収録されている、
「This Time Around」〜「Owed To G」
「This Time Around」は、
グレンがスティーヴィー・ワンダーに捧げた曲ということで、
そういえば曲調がそんな感じです。
(当時はまったく気がつきませんでしたが…言われて初めてわかった(笑)
後半のインストから、
トミー・ボーリンのギターソロに移るのですが、
これはいろいろエフェクターを使って、
ギミック的なプレイを連発します。
エフェクター・マニアの方は研究してみるとよいでしょう。
後半はスライドを使ったブルースになり、
いかにも“アメリカ”という雰囲気が漂います。
フィナーレは
「Stormbringer」
オープニングの「Burn」より、
こちらの方がこのメンバーには馴染んでいる感じがします。
で「Highway Star」で終わります…
いいですね。
素晴らしい演奏と珠玉のナンバー。
さらに堪能しようと思うなら、
「Burn」と第2期のナンバーを飛ばして聴くとよろし。
そうなんです。
そうすると、
第4期ディープ・パープルが何者であったかがよくわかります。
図らずも、
ライナー(原文)の最後にあった一言、
このバンドの最大の不幸は、
これが「ディープ・パープル」と呼ばれていたことだ。
まさにその通りです。
じつは、
16ビートやジャズの要素を取り入れ、
新しいタイプのアメリカン・ハードロックが生まれようとしていたのです。
「ディープ・パープル」の看板の下で…
私は3枚のディスクが届くと、
まずはこの『LONG BEACH 1976』を聴き、
その素晴らしい内容に感動しました。
ところが、
その後に第2期の2つのディスクを聴き、
もう一度ここへ戻ってみたら…
なんだか物足りない。
第2期のナンバーを飛ばすことを思いついたのはこの時でしたが、
それでもこの音は、
「ディープ・パープル」ではない…
短命だった素晴らしいバンドの音としてしか認識されないのでした。
ここが、
このグループの悲劇でしょうね。
私と同じような感覚のファンがたくさんいるんでしょうね…
(いや、ほとんどの方がそうなのでは?)
ティーンの頃は、
『MADE IN EUROPE』を愛聴し、
第3期が好きだったのですが、
考えてみればこの作品には、
第2期のナンバーが収録されておりません。
その後に発表された、
第3期の秘蔵ライヴにはみな、
第2期のナンバーが収録されていて、
これが興醒めなのです。
やはり、
ディープ・パープルは第2期なんでしょうね。
しかし…
そうとばかり言っていては、
バンドは前へ進むことができません。
メンバーチェンジをしたら、
前のメンバー時代の曲は演奏しない、
というルールでも作っておいたらよかったのに…
ヒット曲、
バンド名(看板)…
やはりロックバンドも安定経営のためには、
曲げなければならないモノがたくさんあるようで、
このあたり芸能の世界はキビシイものがありますなぁ。
↓ だからーっ、オレのせいじゃねーよ