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「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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  ★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2018/05/27 (Sun)
お休みです…

今日は、
後日、
記念日になるかもしれない日なので(謎)
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★2018/05/20 (Sun)
突発性難聴はかなり回復しましたが、
医師から言われた
「当分の間、大きな音は避けるように」
を守っているおかげで、
聴くモノが制限されている最近の私です。

それでは…
とばかりに引っ張り出して来たのは、
今年の初めに手に入れた、
ビートルズの紙ジャケ再発シリーズで…
これを小さい音量で聴いているというワケです。
(ピンク・フロイドは、
大音量で聴かないと面白くないので、
この際、不向きです(笑)

あらためて向き合って見ると…

発表から、
もう半世紀も経過しているのに、
この新鮮さは何だろう?

今更ながら、
この方々の偉大さを思い知らされました。

今回はとくに、
小さな音量でもしっかりと響いてくる、
楽器の音色が際立って聴こえて来ます。

独特のスネアドラムの張り加減、
卓越したフレーズを連発する暖かいベースのトーン、
そして、
抜群にかっこいいエレキギターのトーン…

そう、
これなんですね。
いつまで経っても新鮮に聴こえる理由は…

歪みを強くして、
ギュイ〜ンとサスティンがかかるわけではないので、
後のロックギターの歴史の中では、
決して主流にはならなかったトーンではありながら、
この魅力的なトーンは何だろうか。

固めにセッティングされ、
ゴリゴリした感触のトーンが、
かえって、
ビートルズ特有の和音感覚を強調しています。

私が幼少の頃、
まず魅了されたのは、
このエレキギターのトーンでした。
曲で言えば、
「ハード・デイズ・ナイト」とか「抱きしめたい」とか、
あの辺りです。

この年代のグループで、
圧倒的にエレキギターのトーンがいいと思うのは、
ビートルズの他にザ・フーですが、
これはやはり、
リッケンバッカーによるところが大きい、
ということになるのでしょうか。
(ストーンズはここだけ切り取って見ると、
それほど印象的ではありません…)

12弦ギターをうまく使っているのも、
ビートルズの特筆すべき点で、
これはバーズなどに受け継がれていますが、
サイケな雰囲気を演出するには最適な小道具です。

思えば、
私がロックに魅了されたのは、
ひとつには「リズム」ですが、
もうひとつは、
間違いなく「エレキギター」です。

その原体験で、
シビれたトーンが、
ビートルズ、
そしてザ・フーなどの、
独特の和音感覚を演出するサウンドであり、

ギュイ〜ンと伸びる、
ハードロックのトーンに魅了されるのは、
もう少し時間が経ってからになります。
(こちらはキッスのエース・フレーリーなんですね…)

リッケンバッカーは、
今となっては稀少な上に高価で、
気楽に手を出せるギターではなくなっていますが、
フェンダー系のギターでかなり近い感じは出せます。

私がハードロックを聴き始めて、
しばらく経って、
ストラト派になったのは、
実はこの原体験が影響したのかも知れません。

ちょっと面白い発見ではありました。
ビートルズはやはりエレキバンドです。

そして、
ストラトでセミアコがあると、
もっと面白いんですが…ねぇ。

↓アコガレたもんですよ 370-12

★2018/05/13 (Sun)
GW前半が終わったところで、
左耳が詰まったような感じになり、
2日経っても治らないので医者にかかったところ、
「突発性難聴」と診断されました。

幸いにも、
明らかに左の聴力が落ちているものの、
鼓膜には異常がなく、
また聴力に関係する細胞にも異常がないということで、
「薬だけで回復するでしょう」という診断でした。

それから1週間ほど投薬治療を続け、
徐々に詰まったような感じは抜けてきましたが、
「当分の間、大きな音は避けるように」とのことで、
音楽活動を自粛している今日この頃です。

「突発性難聴」は、
早期に治療すれば完治するようですが、
放置しておくと本物の難聴になってしまう確率が高く、
注意が必要な病気です。

音楽関係者に多いんですね…

そういうわけで、
音楽の話題が少ないので、
今回は「ローカル鉄道と最果ての地」の続きをお話しします。
前回は、
序盤の西鉄沿線の話題でしたが、
今回は本題である、
唐津と門司港のお話しです。

唐津は九州北部の西端に近く、
JR筑肥線の終着、
西唐津の一つ手前に位置しています。

JR筑肥線は、
福岡市営地下鉄と乗り入れているため、
福岡空港から一本で行くことも可能です。

所要は博多から1時間20分程度というところでしょうか。

唐津は、
伊万里や佐賀へ通じるローカル線の起点であり、
駅こそ近代化されていますが、
雰囲気たっぷりの駅です。

ここは、
かつて豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に、
前線基地とした名護屋が近く、
その後も重要視され唐津城が作られました。

唐津城は代々、
徳川の譜代大名が治めていたことからも、
その重要度が伺い知れます。

この唐津城は、
玄界灘に面した高台にあって、
素晴らしい眺望を誇っています。





この海の先に対馬があって、
その先は韓国の釜山か…
そう思うと感動してしまいますね。

唐津からさらに西へ行くと、
イカで有名な呼子へ出て、
さらに玄界へ出るのですが、
この辺は神秘的なゾーンです。

また、
唐津城から東側には、
日本三大松原に数えられる、
虹の松原が5kmにわたって続き、
風光明媚なこと、
この上もありません。

観光客が少なかったところを見ると、
もしかすると穴場なのかも知れません。
あまり人の手が入っていないことも、
好感の持てるところです。

↓唐津城から虹の松原を望む(右上の黒い帯状の部分)



↓虹の松原から唐津城方向を望む(中央2本の煙突の下あたり)





さて、
唐津が九州北部の西端側だとすると、
門司港は東端側になります。

こちらは、
博多から新幹線を1駅だけ利用して、
小倉で鹿児島本線に乗り換えると、
1時間かからないで着いてしまいます。

鉄道は現在、
一つ手前の門司からトンネルで関門海峡を抜けますが、
1964年までは門司港から連絡船を使用していたそうで、
門司港駅はかつての最果ての駅として、
鉄道ファンの聖地と呼ばれています。

↓かつて長大な編成の客車が停車したと思われる、
 長〜いホーム



↓「ここまで」マークの車止め



関門海峡では、
対岸に下関が見え、
その間をかなりの速度で潮が流れ、
大型船が往来するという、
迫力ある光景を目の当たりにすることができます。

オススメは、
門司港と下関の間にある、
巌流島(武蔵と小次郎の決闘で有名)で、
徒歩30〜40分程度で一周できる無人島から、
両岸の光景を見ることができる、
絶景のスポットです。

こんなところで、
半日ぐらいボーッとしていたいなぁ…
できるなら一晩過ごしてみたいなぁ…
そんな場所でした。





関門海峡といえば、
平家物語で平家滅亡のくだり、
そして巌流島の決闘、
そして幕末の長州の反撃が始まった場所…
歴史の要所に登場する土地は、
今日も静かに時を刻んでいました。

一方、
門司港の街は、
横浜に似た雰囲気で、
若い人が多く、
古い町並みに、
可愛らしい雑貨がたくさん並んでいます。

そして、
焼カレーが名物で、
これは食べてみましたが、
なかなかの一品です。



とはいえ、
関東では、
あまり知られていないスポットですね。
私も地元の方に勧められるまでは、
まったく意識していない場所でした。

↓休日はトロッコ列車で関門橋の下まで行ける、





ということで、
ローカル鉄道に乗って、
最果ての地へ行ってみよう、
という企画ですが、
美味しいものを食べようも加え、
働き方改革の後押しを受けながら(笑)
今後も精力的に取り組んでみようと思います。

今回は、
呼子のイカだけ食べられなかったことが残念でした。
ここに限らず、
世界的にイカは不漁が続いているので、
将来は高級品になってしまうかも知れませんね。
★2018/05/06 (Sun)
GWも終わりですね。

このGWの最中に、
ギブソン社が経営破綻を発表し、
新聞やニュースで取り上げられていたことは、
記憶に新しいと思います。

数年前に、
山野楽器が日本総代理店の契約を解除したときに、
少し変な感じはしたものの、
まさかここまでとは予想していませんでした。

報道では、
音楽のデジタル化にともない、
若者のギター離れが進んだから、
ということが今回に至る原因と言われていましたが、

果たして本当でしょうか?

私には単に、
時代のニーズを読み誤っていたこと、
その結果、
魅力的な商品を企画できなかったことがすべてではないか、
としか思えないのです。

フェンダー社が、
各国の系列会社を統合し、
生産国それぞれのコンセプトを明確にしたことは、
まったく対照的といえます。

最近のギブソン社は、
あまり意味のない、
自動チューニングできるペグを付けて、
メイン商品の価値を下げて見たり…
(ヘッドがうっとおしくなるだけっす)

どこで原価を下げたのか、
すぐにわかるようなやり方で、
コストダウンを図った商品を発表したり…

これでは、
ユーザーは離れてしまいます。

ここ数年、
信頼できるのは、
マスタービルダーシリーズか、
日本向けのスポット生産品と言われていて、

私もかねてから目をつけていた、
1967年モデルのフライングV(マスタービルダー)と、
SGジュニア(スポット生産)を入手しましたが…

この2本も、
明らかに、
日本のコンポーネントメーカーのクオリティには届かず、
「ギブソンほしかったんだよね〜」
という欲求を満たすだけに終わりました。

そういえば最近は、
ギブソンをメインにしているギタリストを、
あまり見かけなくなった気がします。

残念なことですね。

かつては、
エレキの王者だったのに…
ギブソン持ってるだけで尊敬されたのに…(笑)

企業努力で名声を復活させることを祈っています。

いっそ、
フェンダーに買収された方がよかったりして…(笑)
★2018/04/30 (Mon)
さて、
GW前半終了というところですが、
みなさんはいかがお過ごしのことでしょう。

私は一日早く、
先週の金曜日(4/27)から休みを取り、
旅行に行ってきました。
今回は、
仕事では、
数え切れないほど訪問しているけれど、
観光をしたことがない博多を中心に、
いくつかの名所を訪れるという計画でした。

博多に限らず、
仕事では、
それこそ日本全国を訪問している私ですが、

そこは仕事ですから…

せいぜい空港と幹線の駅周辺、
ホテルと外食店舗、
そして繁華街(笑)を知っている程度です。

観光なんてトンデモナイ…

とは言え、
土地カンがあるのは便利なことなので、
これを大いに生かして、
ブラブラしてみようと思ったのが、
今回の発端…

今後はこのパターンで、
あちこち訪問してみるつもりです。

そこでひとつ、
私ならではのテーマを設定してみました。
それは、
ローカル鉄道と最果ての地…(笑)
できるだけ、
このテーマに沿った目的地を選ぶことにしたのです。

今回、
まず訪問したのは、
菅原道真で有名な
太宰府天満宮でした。

これはまぁ…
ミーハーな連れ(♀)の希望でしたが、
私としては、
天神から西鉄(西日本鉄道)に乗れる、
という別の興味があったのです。

天神は西鉄福岡とも呼ばれ、
博多の渋谷とも言える繁華街、
天神に位置し、
路線はここから久留米を経由して、
大牟田までとなっております。

天神駅は、
ビルの2階にある、
3線の折り返しホームで、
構造や規模は、
東武浅草駅とよく似ています。

9線も入る、
阪急梅田駅とは、
比較にならないほどコンパクトですが、
私鉄の始発駅としての雰囲気はまずまずです。





ここで私の目に入ったのは、
流線形の最新デザインに身を包んだ特急車両ではなく、
オリジナルのカラーリングのまま、
いまだに普通列車として走っている、
旧型車両たちでした。

そしてこれらは、
天神駅よりも、
目的地である太宰府近辺の駅の方が、
風景にマッチしていました。

↓7000系(太宰府にて)



↓5000系(二日市にて)



沿線の、
どこかノンビリした風景を見ていると、
とても21世紀とは思えず、
まるで、
私が子供の頃の東武線沿線の風景…
1970年代前半(昭和40年代後半)の雰囲気そのままで、
それは居心地の良いものでした。

詰襟の学ランを着た学生が多かったり、
進んでお年寄りに席をゆずる若者が多かったり、
(空いていても、シルバーシートに座らないんです)
古き良きニッポンがここに残っていた、
そんな気持ちになりました。

太宰府天満宮は、
今や新緑の真っ只中で、
それは見事なものでしたが、
私にはこの沿線の雰囲気と、
それを演出してくれた西鉄の古豪たちが、
とても印象に残りました。







今回は、
太宰府の他に、
博多から西方向の最果ての地、唐津と、
東方向の最果ての地、門司港を訪れ、
どちらも素晴らしかったのですが、
その話は次回に譲り、
まずは西鉄のゆるキャラぶりをお伝えしたいと思います。

昭和40年代の私鉄沿線の風景が今に残る…
これは貴重なことですね。

ちなみに、
博多では、
某有名店のモツ鍋と、
こってりタイプの豚骨ラーメン、
そしてアラ(クエ)の刺身を堪能しました。
呼子のイカだけは不漁で食べられなかったのですが、
こちらもまずまずの収穫でした。

おかげで、
帰京した今日あたりも、
まだ胃が重かったりして…(笑)
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★ ILLUSTRATION BY nyao