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「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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  ★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2008/08/10 (Sun)
1970年代の後半、
プログレッシブ・ロック・ファンに
好きなバンドを尋ねると、
多くの人がイエス(YES)の名前を挙げたものです。

それほど、
イエスはプログレッシブ・ロックを代表するバンドとして、
世間に認知されていたのでした。

イエスは1969年に、
アルバム『イエス/YES』でデビューしました。

このアルバムは、
コーラスワークに後のイエス・サウンドを見ることができる程度で、
全体的にはビートルズの影響を強く感じさせる内容の、
まだ発展途上の段階の作品でした。

イエスが大きく変貌するのは、
この後、
2回のメンバー・チェンジを経てからです。

まず、
ギタリストとして、
スティーブ・ハウが加入。
そして、
キーボード・プレイヤーとして。
リック・ウェイクマンが加入。

この編成による作品として1972年に、
『こわれもの/FRAGILE』と
『危機/CLOSE TO THE EDGE』を続けて発表。

ここで彼らが構築した音の世界は、
たいへん独創的なものでした。

イエス・サウンドの特徴は、
変拍子を多用して、
めまぐるしく展開する曲の構成にあります。
それは、
各演奏者が違う拍数でリズムを取りながら、
キメの小節で全員が揃うという手法を得意としたため、
「計算尺を使って作曲している」
という噂が立ったほどでした。

そして、
そのような構成で、
LPの片面を使ってしまうほどの、
長時間演奏を繰り広げます。
それも、
キング・クリムゾンのように、
インプロビゼイションによるものではなく、
計算され尽くしたアレンジによるものなので、
驚かされてしまいます。

LP時代の『危機』はA面に1曲、B面に2曲、
『海洋地形学の物語/TALES FROM TOPOGRAPHIC OCEANS』(1974年)などは、
2枚組でたったの4曲しか収録されていませんでした。

さらに、
そのような楽曲をライブでも再現してしまう、
凄腕の演奏者たち。
とくに、
クラシック・ミュージックからの影響が強い鍵盤奏者、
リック・ウェイクマンは、
キース・エマーソンと並ぶ高い人気を誇りました。

しかし、
イエスの真骨頂は、
これだけの演奏力を誇っていながら、
楽曲が、
あくまでもヴォーカル中心になっている点です。
それはリード・ヴォーカルだけでなく、
コーラスワークに至るまで細心のアレンジが施されている点に特徴があります。
これはデビュー時から一貫したコンセプトです。

また、
これだけマニアックなコンセプトでありながら、
カラッと乾いた明るい音であり、
しかもメロディがポップであったため、
アメリカやカナダといった、
北米大陸で非常に高い人気を得たことも注目すべき点です。

アメリカ人は、
意外とプログレッシブ・ロック好きであることが証明されたわけですが、
イエスが得意とした、
透明感のあるコーラスワークは、
1980年代以降のアメリカン・ハードロックに強い影響を与えているのです。

私はといえば、
『こわれもの』と『危機』はよく聴き、
そのサウンドには限りなく魅了されたものの、
カントリーやジャズからの影響が強い、
スティーブ・ハウのギターにどうしても馴染めず、
また、
大好きなビル・ブラッフォード(ドラムス)の後任であった、
アラン・ホワイトの妙に重たい音にも馴染めず、
しだいに距離を置くようになってしまいました。

しかしその後、
再結成イエスのギタリスト、
トレバー・ラビンが非常に気に入って、
ソロ・アルバムを揃えたり、
ユーロロックの世界で、
イエスの影響を強く受けたバンドが、
例外なくカッコイイ音だったということもあり、
何度となく聴き直すことになりました。

かつて、
プログレッシブ・ロックを代表するバンドとして認知されていたイエスは、
ジャンルを超えて、
1980年代以降のアメリカンハードロックにおける、
“売れる音”の定番である、
コーラスワークのアレンジに、
強く影響を与えただけでなく、
世界中にそのDNAをバラまいたのです。

「ぎたーなど どんなにはやく ひけたとて 
        ひとのこえには かなうまい」

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★2008/08/03 (Sun)
デビューアルバムの時点で
大きな成功をおさめたキング・クリムゾンですが、
ロバート・フリップ以外のメンバーは、
より大きな成功を手に入れるべく、
別のプロジェクトの構想を練っていました。

それは、
イアン・マクドナルドとマイケル・ジャイルス、
そしてもう一人、グレッグ・レイクでした。

グレッグ・レイクは、
クリムゾンのアメリカツアーに同行した際に、
どうしたらこの国で成功することができるか、
具体的な案を考えついたと言われています。

それが、
『クリムゾンキングの宮殿』で構築した、
クラシック・ミュージックとロックの融合を、
よりポップな音で進化させること。
さらに、
そのサウンドをステージにおいて、
強烈なパフォーマンスで表現することでした。

グレッグ・レイクは、
前者はもとより後者にも相当なコダワリを持っていたようで、
ロバート・フリップがステージで椅子に座って演奏し始めたことについて、
かなり強く異を唱えたと言われています。

そして、
彼の構想に従ってメンバーが集められました。
当初はジミ・ヘンドリックスをギタリストとする計画があったようですが、
最終的にはキース・エマーソンとカール・パーマーによる、
ギターレスのトリオに落ち着きました。

エマーソン・レイク&パーマー、EL&Pの誕生です。

EL&Pは1970年に、
『エマーソン・レイク&パーマー/EMERSON LAKE & PALMER』でデビュー、
その後も『タルカス/TARKUS』、
『展覧会の絵/PICTURES AT AN EXHIBITION』(ともに1971年)と、
たてつづけに傑作を発表。
日本では少女マンガに登場するほどになった、
キース・エマーソンの派手なパフォーマンスもあいまって、
グレッグ・レイクの予測通り、
あっという間に不動の地位を確立したのでした。

私は初めて彼らの存在を知ったとき、
「ケンカ売ってんのかぁ?」っと…。
つまり、
ギターがロックのホームラン王だと思っていた少年にとって、
EL&Pの編成はたいへん衝撃的であったというわけです。

そして、
いろいろとアルバムを聴くようになったのですが、
『タルカス』を初めて聴いたときに、
「これって、キーボードのハードロックじゃん」と思い、
彼らに対する認識を改めた記憶があります。

少し後になって、
ジョン・ロードやケン・ヘンズレー、
リック・ウェイクマンなどが、
自身のバンドに、
大々的にクラシック・ミュージックの要素を持ち込みますが、
どうやら、
その先駆的存在が、
EL&Pだったようです。

つまり、
彼らは後のプログレサウンドを決定づける、
キーボードの役割を具体的に示したといえます。
そして、
それはハードロックの分野へも浸透していったのです。

余談ですが、
このようなクラシック・ミュージックの導入は、
イギリス以外の、
ヨーロッパ各国でもかなりの衝撃だったようで、
ユーロロックの世界を見ると、
イタリアから東ヨーロッパにかけて、
EL&Pのクローンのようなバンドを多く見かけます。
とくに、
共産体制下の東ヨーロッパでは、
唯一認められていたロックが、
“プログレッシブ・ロック”だったということですから、
彼らの功績は非常に大きかったと言えるでしょう。

さて、
EL&Pは、
クラシック・ミュージックとロックの融合による、
ひとつの様式を確立することに成功しましたが、
そのようなバンドの宿命か、
マンネリ状態に陥るのも早く、
また新しい方向性の模索も思ったように行かず、
結果的にバンドの寿命を短くしてしまいました。

しかし、
そのサウンドは確実に、
その後のロックシーンへと受け継がれていったのです。

「じみへんが きーすのよこで おとをだす
        そうぞうすると いとおそろしや」

★2008/07/27 (Sun)
ピンク・フロイドとともに、
プログレッシブ・ロック創成期に重要な役割を果たしたのが、
キング・クリムゾン(KING CRIMSON)です。

彼らのデビュー・アルバム、
『クリムゾンキングの宮殿/IN THE COURT OF THE CRIMSON KING』
は1969年に発表されました。

このアルバムが、
ビートルズの『アビーロード』をチャートから蹴落としたことは、
あまりにも有名な逸話ですが、
キング・クリムゾンの場合、
デビュー・アルバムの段階ですでに、
完成度の高いバンドサウンドが確立されていたのです。

それは、
比較的新しい時代の、
先進的なクラシック・ミュージックと
ジャズの要素をロックと融合させる試みでした。

この試みは、
たいへん新鮮な感動をもって音楽ファンに受け入れられました。
そして文字通り、
“進歩的/前衛的なロック”という本来の意味で、
人々はキング・クリムゾン・サウンドを、
プログレッシブ・ロックと呼んだのです。

また、
キング・クリムゾンは、
その後のプログレサウンドをイメージづける、
弦楽器のような音色でアンサンブルを埋め尽くす、
メロトロンという
鍵盤楽器を大々的に使用したことで有名です。

プログレサウンドの進化は、
鍵盤楽器の進化とシンクロするのですが、
後にストリングスシンセサイザーの普及によって一般的になる、
あの「サーッ」とした音色の原点が、
このメロトロンなのです。

キング・クリムゾンは、
そのデビュー・アルバムの段階で、
プログレサウンドの具体化に大きく貢献したといえます。

ところで私は、
そんな彼らが真価を発揮したのは、
ロバート・フリップが大きくバンドの路線変更をした、
6枚目のアルバム、
『太陽と戦慄/LARKS TONGUES IN ASPIC』
(1973年発表)から、
『暗黒の世界/STARLESS AND BIBLE BLACK』、
『レッド/RED』(両者とも1974年発表)
へとつながる、
再結成前の当時の表現で言うところの、
“後期”キング・クリムゾンの時期であると確信しています。

この時期の彼らは、
決められた形式の演奏だけではなく、
即興演奏、
インプロビゼイションの手法を大々的に取り入れていました。

これは、
『太陽と戦慄』当時のメンバーだったパーカッショニスト、
ジェイミー・ミューアが持ち込んだ、
フリー・ジャズからの影響だと言われていますが、
ロックとジャズの融合のみならず、
ジャズが進化すればそれを取り入れ、
バンドサウンドを一新するという、
このロバート・フリップの姿勢こそ、
“プログレッシブ・ロック”の神髄であると思います。

一方、
“後期”キング・クリムゾンの時期から、
ロバート・フリップは雄弁に自己の音楽を語るようになりました。
この「ロックについて語る」ことを始めたのは、
どうやらロバート・フリップが元祖のようです。
彼は自己の音楽コンセプトを言葉や文章で表現することと、
音で表現することを同格に扱っていたのです。

確固としたコンセプトに基づき、
構築美と即興性が見事にバランスをとる強靭なサウンド。
“後期”キング・クリムゾンは、
“プログレッシブ・ロック”を一気に、
芸術の高みへと押し上げたのでした。

「つうやくを なかせるほどの へりくつを
        てつがくなりと ひとはいうかな」 

★2008/07/20 (Sun)
暑いですね〜。

この暑い中、
ロックの中でももっとも暑苦しいと言われている
“プログレ”について語るのもどうかと思うのですが、
『web-magazine GYAN GYAN』で特集を考えていたテーマなので、
『狂気』について語ったこのタイミングでやっておこう、
などと一大決心した次第です。

しばらくお付き合いください。

- - - - - - - - - - - - - -

プログレ。
それは、
もはや死語と化してしまった単語かもしれません。

死語ではないとしても、
その単語はロックのある分野、
クラシックなどのフレーズを多用する、
キーボード主体の、
ちょっと大げさだが耳ざわりのよい音、
を指す単語になってしまっているかもしれません。

プログレは本来、
“プログレッシブ・ロック(PROGRESSIVE ROCK)”の略称であり、
文字通り、
“進歩的/前衛的なロック”を指す単語でした。

今回は、
プログレ5大バンドの功績から、
シーンを再検証してみようと思います。
題して『WHAT'S プログレ(プログレってなんだ?)』

最初に登場するのは、
ピンク・フロイド(PINK FLOYD)です。

“プログレッシブ・ロック”という単語は、
ピンク・フロイドのサウンドを指す言葉として、
使われ始めたと言われています。

つまり、
ピンク・フロイドのサウンドから、
プログレのルーツを見つけることができるのです。

1967年に発表された彼らのファーストアルバム、
『夜明けの口笛吹き/PIPER AT THE GATES OF DAWN』には、
アメリカ西海岸で流行していた、
サイケデリック・ロックの匂いがプンプンしています。

ピンク・フロイドだけでなく、
ソフト・マシーンやザ・ムーブなど、
当時のイギリスのロックバンドの中には、
サイケデリック・ロックを取り入れようと試みる一派がありました。

あまり大きな声では言えませんが、
サイケデリック・ロックでは、
ドラックが重要な役割を果たします。
しかし、
この件について、
イギリスはアメリカほど大らかではありませんでした。

そこで、
ドラッグ抜きでトリップするために考えられたのが、
ライトショウなどの映像効果による、
視覚に訴えかける演出でした。

ピンク・フロイドはその初期から、
ライトショウの導入に熱心で、
それが後年の、
壮大なステージ演出へ受け継がれて行きます。

そして、
視覚に訴えかけるサウンド創りの面で着目したのが、
現代音楽への接近でした。

そもそも、
ピンク・フロイドという
バンドを結成するきっかけになったのが、
現代音楽に関する議論であったと言われているほど、
この分野に対するメンバーの造詣は深かったようです。

ピンク・フロイドの現代音楽に対する接近は、
1968年に発表されたセカンドアルバム、
『神秘/SAUCERFUL OF SECRETS』で開花します。
その後、
1969年には、
バルベ・シュローダー監督の映画のサウンドトラック、
『モア/MORE』を担当し、
バンドサウンドを確立していきます。

その過程で、
彼らのサウンドを指す単語として生まれた言葉が
“プログレッシブ・ロック”であるとすれば、
“プログレッシブ・ロック”のルーツはサイケデリック・ロックであり、
その発展の過程において、
映像、
現代音楽、
が重要なキーワードであったと言えるでしょう。

「ぷろぐれに うまれどこかと たずねたら 
        にしかいがんの けむりのなか」

★2008/07/13 (Sun)
私的ロック評論シリーズの第4弾です。

第4回は、
PINK FLOYD の『THE DARK SIDE OF THE MOON』です。



『狂気/ピンク・フロイド(THE DARK SIDE OF THE MOON/PINK FLOYD )』
(1973年発表)

SDE1
1.スピーク・トゥ・ミー
 (Speak To Me)
生命の息吹
 (Breathe)
2.走り回って
 (On The Run)
3.タイム
 (Time)
4.虚空のスキャット
 (The Great Gig In The Sky)

SIDE2
5.マネー
 (Money)
6.アス・アンド・ゼム
 (Us And Them)
7.望みの色を
 (Any Color You Like)
8.狂人は心に
 (Brain Damage)
9.狂気日食
 (Eclipse)

思春期という時期は、
わけのわからない暴力衝動と、
美しいものに対する感動が、
激しい振幅をもって、
交互に現れるようです。

ハードロックという音楽と出会い、
この思春期特有の、
わけのわからない暴力衝動と
折り合いをつけられるようになった私が、
次に、
耽美的かつ幻想的な音を求めたことは、
自然の摂理であったのかもしれません。

1970年代の当時は、
ピンク・フロイドに代表されるカテゴリーを、
“プログレッシブ・ロック”と呼んでいました。
私は中学時代にすでに、
“プログレッシブ・ロック”については、
キング・クリムゾンの「エピタフ」をラジオで聴き、
イエスのライブをNHKのテレビで体験し、
ELPの「展覧会の絵」を音楽の授業(!)で聴き、
それなりの感動を覚えておりました。

しかし、
私が本格的に、
“プログレッシブ・ロック”に熱中する
きっかけとなったのは、
間違いなくピンク・フロイドの『狂気』を聴いてからのことで、
それは、
高校入学前後の時期(1977年)だったと記憶しています。
そしてこれ以降の私は、
最終的に“ユーロ・ロック”の世界に入るほどの、
“プログレッシブ・ロック”好きとなっていったのでした。

このアルバムがいかに偉大な作品であるかは、
私があらためて語るまでもないことでしょう。
ここでは、
ロックの歴史において、
内容/セールスの両面で、
後世に語り継がれるべき作品として、
誰が選んでも5本の指に入るアルバム、
とだけ言っておきましょう。

いずれにしても、
そのレベルのアルバムに出会ったのですから、
初めて『狂気』を聴いたときの私の感動は、
想像に難くないことでしょう。

私はいまでも『狂気』を聴くと、
“夕暮れ時”の光景が浮かんできます。
なにかが終わろうとしている瞬間、
なにかが滅する瞬間に見せる、
はかなくも耽美的な美しさ。
この頃、
所用で羽田空港へ行った帰り道に、
夕暮れ時の東京湾を眺めていたら、
とつぜん頭の中に
「生命の息吹」がフラッシュバックしたことがありました。
これなどはまさに『狂気』のイメージを、
具体的に表現した瞬間ではないでしょうか。

『狂気』と出会った私は、
『炎』、『雲の影』、『おせっかい』、
『原子心母』、『ウマグマ』、『神秘』…と、
ピンク・フロイドの旧作ばかりを聴くようになりました。
そして、
いずれの作品からも深い感銘を受けたのでした。

他の“プログレッシブ・ロック”勢をさしおいて、
ピンク・フロイドに熱中するようになったのは、
ギタリストのおかげです。
そう、デイブ・ギルモアとの出会いです。

“プログレッシブ・ロック”系のギタリストには、
クラシックやジャズ出身の人が多く、
いわゆる、
通常のロック・ギターとは違うマナーを身につけているため、
私には少々近寄り難い存在ばかりでした。

しかし、
デイブ・ギルモアはブルースをベースとし、
きわめてロック・ギター的なセンスを持っていたため、
たいへん親しみやすかったのです。

私はデイブ・ギルモアから、
空間的なギターの使い方を学びました。
クリアなトーンのアルペジオや、
エコーを使ったリード・ギター。
これ以降の私の機材に、
いつも欠かさずエコーが入るようになったのは、
間違いなくデイブ・ギルモアからの影響です。

マクソンのアナログディレイから、
ローランドのスペースエコー、
今でもヒュース&ケトナーのリプレックスが、
私の足元に置かれています。

ただし、
機種にはコダワリがあって、
あくまでも、
デジタルディレイではなく、
アナログディレイ系の暖かいトーンを選んでいます。
(わかりやすく言えば、
U2みたいなエコーのトーンはイマイチということです)

このコダワリの原点は、
『狂気』の中で見つけることができます。

「生命の息吹」、
「アス・アンド・ゼム」、
「狂人は心に」などのけだるいアルペジオ、
エコーを効かせた「タイム」のギターソロ、
「虚空のスキャット」のイントロで
ピアノにからむスライド・ギター、
空間系エフェクト満載の「望みの色を」…。

いつ聴いてもゾクゾクする瞬間です。

デイブ・ギルモアのギターは、
空間的な広がりとともに、
包み込むようなやさしさを感じさせてくれます。

この感じは、
デジタル・ディレイの冷たいトーンでは、
どうやっても再現できないのです。

またこれ以降、
私は鍵盤楽器(キーボード)入りの編成に、
たいへん興味を持つようになりました。
キッスやストーンズ、エアロスミスのように、
ギタリストが2人いる必要はないというか、
ギタリストは1人で、
キーボード・プレイヤーがいた方がいい、
と考えるようになったのです。

そしてこの直後に、
この考え方を決定的にする出会いがあるわけですが…、
その話は次回以降ということにしましょう。
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★ ILLUSTRATION BY nyao