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「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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  ★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2008/11/02 (Sun)
私が高校生の頃(1970年代後半)、
再結成前のディープ・パープルが発表したアルバムの中で
もっとも評価の低い作品は、
第2期では『紫の肖像(Who Do We Think We Are)』、
第3期では『嵐の使者(Stormbringer)』でした。

いずれも、
メンバーチェンジ直前に発表されたものであったため、
リッチー・ブラックモアがヤル気をなくしていたから
作品として充実していないのだという、
たいへん説得力のある理由がつけられており、
多くの音楽ファンもそう思っていたようです。

『紫の肖像』にはたしかに、
その理由が当てはまるようですが、
『嵐の使者』はどうでしょう?
本当にそうだったのでしょうか?

私は高校1年の終わり頃に、
初めて『嵐の使者』を聴いたのですが、
そのときの感想は、
「悪くない…んじゃない?」
どうしてこの作品の評価が低いのか、
理解できませんでした。

とくに、
従来のパープル・スタイルを踏襲した「嵐の使者」に続く、
LP時代のA面の出来が素晴らしく、
今でも年に数回は聴いているほどです。

「愛は何よりも強く(Love Don't Mean A Thing)」は、
グレン・ヒューズが、
どれだけスティーヴィー・ワンダーを敬愛しているか、
を理解できるナンバーです。
ハードロックというよりは、
少しハードなソウルという感じの曲調に乗って、
ディヴィッド・カヴァーディルと
グレンのツインヴォーカルが見事なハーモニーを作ります。

つづいて、
グレンが歌う「聖人(Holy Man)」。
デヴィッド・ボウイがこの曲を気に入って、
カバーしたいと許可を求めたようですが、
パープル側がなぜか却下して、
仕方なくボウイは、
この曲によく似た、
ビートルズの「アクロス・ザ・ユニヴァース」をカバーして、
アルバム『ヤング・アメリカンズ』に収録した、
というエピソードがありますが、
なるほど、
たしかに彼が歌ったらよく似合いそうな曲調です。

そして、
「ホールド・オン」。
これは文句なくカッコいい曲。
いわゆるファンキー・ハードロックの名曲でしょう。
とにかくノリがよく、
さりげなく使われているクラビネットが、
さらに雰囲気を盛り上げています。

ちなみに、
B面も同じような構成で、
パープル・スタイルの
「嵐の女(Lady Double Dealer)」につづき、
ファンキーな「ユー・キャント・ドゥ・イット・ライト」、
直線的な「ハイ・ボール・シューター」、
ファンキーというよりディスコビートに近いリズムに乗って、
叙情的なメロディを歌う「ジプシー」とつづき、
ラストは、
生ギターによる「幸運な兵士(Soldier Of Fortune)」です。

なにしろ、曲がいい。
これに尽きます。

ヤル気をなくしていたとされる
リッチー・ブラックモアのプレイですが、
これだけソフトな曲が並んでいるので、
いままでのようなハードなプレイを
意識的に控えたのではないでしょうか?
リッチーは下積み時代に、
歌手のバックバンドやスタジオワークが多かったので、
けっして
“KYな(空気読めない)”ギタリストではないはずです。
『嵐の使者』におけるリッチーのプレイは、
アルバム全体の雰囲気に合わせた結果であり、
けっしてヤル気がなかったわけではないでしょう。
いままであまり取り入れることのなかった、
ワウやスライドを使っていたりして、
逆に意欲的な部分が感じられるほどです。

一般的には、
従来のパープル・スタイルである、
「嵐の使者」や「嵐の女」
がコンパクトにまとまっているため、
スケールが小さくなったと思われたようですが、
作品をよく聴き込むと。
リッチーをはじめとした、
パープルのメンバーが、
新しい分野の音に挑んでいることがわかるはずです。

『嵐の使者』で聴かれる、
ファンキー・ハードロックという分野の音を、
イギリスではじめて一般的にしたのは、
じつはディープ・パープルではないか、
という説があります。
いや、
それ以前に、
レインボーとホワイトスネイクの
ファーストアルバムの音が、
『嵐の使者』の延長上にあることは間違いなく、
いろいろ考えると、
たいへん重要な作品であることがわかります。

そして当時から、
ファンはこのことをよくわかっていて、
じつは、
私と同じ感想を持つ人が多く存在していたのです。
そして『嵐の使者』は、
“隠れ名盤である”と伝えられていきました。

その結果…。

あれから30年ほどが経過した現在、
いろいろな場所で見ることができる、
ディープ・パープルのアルバム紹介では、
『嵐の使者』は名盤として評価され、
重要な位置にある作品である、
と書かれるようになりました。

『嵐の使者』は、
ファンの声と時間の経過が評価を変えた作品です。

そして、
この事例からもわかるように、
ディープ・パープルの不幸は、
既成路線から脱しようとして
新しいことに挑んでも、
それがリアルタイムでは、
正当に評価されなかった点に尽きるのです。

SHM-CDで出てるべ〜↓
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★2008/10/26 (Sun)
2回にわたって、
愛用のフェンダー・ストラトキャスターについて語りましたが、
私がいままで手にしたストラトタイプのギターは、
この2本だけではありません。
初めて手にしたジョーディ以来、
いくつかのメーカーの製品を手にしましたが、
いまでも記憶に残るモデルということになると、
3本のギターが思い浮かんできます。

そのうちの1本、
メタリック・ブルーのトーカイ・シルバースターについては、
フェンダー・ストラトキャスターの話題の中で触れたので、
割愛させていただくこととして、
今回は残りの2本、
シェクターPUが搭載されたESPのストラトタイプと、
ヤマハ・パシフィカ912Jについて語りたいと思います。

〓シェクターPUが搭載されたESPのストラトタイプ

これは1980年頃、
トーカイ・シルバースターを手に入れる
1年前ぐらいの時期に、
高校の同級生(女子)から借りたギターです。

どういうきっかけだったかは思い出せないのですが、
大学に通っていた私と偶然再会したその女子が、
「ギター弾けないんだけど買っちゃったの。一度、見てみる?」
と言い出したので、
さっそく見せてもらうことになりました。
それは、
ESPのストラトに、
当時流行していた、
シェクターピックアップが3基、
搭載されているモデルでした。
(それぞれのピックアップについて、
on-off-phase outの3つのポジションが選べる
ミニスィッチがついている…、
ジェフ・ベックが使っていたアレです。)

色は純白といってもいいホワイトで、
メイプル指板、
ピックガードは白いパールタイプ…。

私はギターを見るなりゾクゾクしてしまい、
「貸してくれ」と彼女を拝み倒し、
それからしばらく使わせてもらうことになりました。

このシェクターのアッセンブリーというヤツは、
たいへんおもしろい音が出る仕組みになっているので、
いろいろと試してみましたが、
その中で、
通常のストラトのハーフトーンをさらに強調したような、
いわゆるシャリシャリした音で、
ものすごくヌケのいいセッティングがあり、
私はすっかりそれにハマってしまいました。
(どういうセッティングであったかは、
思い出すことができないのですが…。)

私がこの音を多用したところ、
どこへ行っても、
周囲のギタリストから「いい音だね」
と言われました。
どうやら、
この音がいいと思ったのは、
私だけではなかったようです。

このギターに関しては、
残念なことに、
1ヶ月ほど経ってからかなり強い口調で、
「返してよ」と言われ、
渋々持ち主の元へ返すことになりました。
それ以来、
二度と手にすることはありませんでしたが、
あのトーンだけはいまだに忘れることができません。

おそらく、
その後の私が得意とした、
16ビート系の細かいカッティングなんかと、
ものすごく相性がいい音だろうなぁ…っと思われます。

機会があれば1本キープしておきたい、
というか…、
自分のストラトの1本に、
この
シェクターのアッセンブリーを搭載してみたいというのは、
私の長年の宿願ではあります。

ただ、
シェクターのアッセンブリーは、
その後急速に姿を見せなくなり、
今では誰も語ることがなくなってしまいました。
唯一、
ブライアン・メイ・モデルには、
それとよく似たシステムが搭載されているのですが、
そのものズバリではありません。

ブライアン・メイ・モデルを入手して、
バラして配線だけ流用しますか…?
いや、もったいない、もったいない。

〓ヤマハ・パシフィカ912J

これは1992年頃、
黒い2代目のフェンダーを入手する以前に、
手に入れたギターです。

パシフィカは、
ヤマハUSAがセミオーダー・システムを取り入れ、
完成度の高いギターを提供しようとした、
メーカー入魂のモデルでした。

私が手に入れたのは、
この市販タイプで、
SSHのピックアップ配置で、
ピックアップはすべてディマジオ。
フロイドローズ・トレモロユニットを搭載し、
指板はローズ、
メタリック・レッドのボディでした。

これを新品で、
かなり安い価格で手に入れ、
初代フェンダーの後継にしようと、
熱心に弾き込んだものです。

パシフィカは、
薄いU字シェイプのネックでありながら、
フレットがわりと高いタイプであったため、
とにかく運指がしやすい、
左手にストレスのかからないギターでした。

音に関しては、
ブリッジ側のハムバッキングより、
ネック側とセンターのシングルの音が素晴らしく、
私はディマジオの品質の高さを思い知ることになりました。

形も色もカッコよくて、
本当に気に入っていたのですが、
一点…、
どうしてもフロイドローズが使いこなせず、
チューニングが安定しないため、
結局2代目フェンダーの資金の足しになってしまいました。

フロイドローズなしで、
メイプル指板の仕様があれば、
これまた1本キープしておきたいところですが、
これも現在は販売されていないモデルのようで、
非常に残念で仕方ありません。

2本のギターに共通しているのは、
ピックアップがよかったという点であり、
そうであれば、
自分のギターに搭載すればいいのでは、
ということになりますが、
私の場合、
それはやりません。

ピックアップといえばこの他、
ビルローレンスのピックアップなども気に入ったのですが、
私は、
最初からそれが搭載されているギターを
探すことにしています。

ギター本体とピックアップは、
同じように年を取っていないと、
つまり、
ボディ材の水分のヌケ方と、
ピックアップの磁力の落ち方が合っていないと、
バランスが取れないので、
いい音は出ないはずだというのが、
私の持論です。

つまり、
長年連れ添った組み合わせがいちばん、
ということでしょうか?
人間と同じなんですね。
そう考えると、
今日ご紹介したような、
記憶に残るストラトタイプには、
なかなか再会できないということになり、
たいへん残念で仕方ありません。
★2008/10/19 (Sun)
フェンダー・ストラトキャスターを手に入れてから
およそ1年後のことです。
ステージでサブギターの必要性を感じた私は、
もう1本ストラトを入手しました。

それは、
ストラトキャスターのコピーでは定評のあった、
トーカイのシルバースターというモデルで、
色はメタリック・ブルーでした。

このギターは、
フェンダーと比較にならないほど低価格でありながら、
たいへん弾きやすいギターで、
私はまたしてもショックを受けたのでした。

「フェンダー買って、損したかも…。」

とはいえ、
とりあえず、
ストラトが2本になりました。
夢のストラト並べができるようになったのです。
私は嬉々として2本を並べてみることにしました。
すると…、
「あれっ、なんか違う?」
私はこの2本のストラトの相違点に気がつきました。

正面から見れば、
ラージヘッドでメイプル指板、
プラスティックパーツの色こそ違え、
同じ1970年代仕様のはずなのに、
トーカイのストラトの方が、
ネックが薄く、
ボディのコンタードが大きく、
全体的に軽量になっていたのです。
(コンタード=ストラトはボディの肘があたる部分をカットしてあります。)

もっと詳細に見ると、
トーカイのストラトでは、
ピックアップのボビンが不揃いに飛び出しているのに対して、
フェンダーはまったく平らでツライチでした。

私はこのとき初めて、
1970年代のストラトが
1975〜6年を境にマイナーチェンジされていたという事実を知りました。
最初に手にしたジョーディもトーカイも、
1970年代初期型であり、
薄いネックと軽量ボディ、
ボビンの不揃いなピックアップが特徴でした。
これに対して、
フェンダーは、
1970年代後期型であり、
厚いネックと重量級ボディ、
ボディの平らなピックアップが特徴でした。
私が「弾きづらい」と感じた理由は、
どうやらこのへんにあったようです。
そしてこの特徴のおかげで、
音色にも歴然とした差が生じていたのでした。

ここに至って、
私がイメージしていたストラトは、
間違いなく1970年代初期型であったことが判明し、
さらに大きなショックを受けたのでありました。

おかげで、
これ以降の私は、
もったいないことに、
フェンダーをサブにして、
トーカイをメインにするようになってしまったのです。
(ステージでフェンダーを投げるという暴挙に出たのもこの頃でした。)

そんなある日のこと、
プロギタリストとして活躍していた、
大学のサークルの先輩が私のフェンダーを手に取り、
こう言いました。
「このストラトいいな。
チューニングが安定しているし、
ボディが重いから音の輪郭がはっきりしてるよ。」

「えっ、そうですか?」

さらに、
楽器店の無料リペアサービスに参加したときに、
担当のリペアマンがこう言いました。
「このストラトいいですね。
最近のモノでは抜群の出来ですよ。」

「本当ですか?」

当時のフェンダー・ストラトキャスターはたいへん品質が悪く、
リッチー・ブラックモアがニューヨークで試奏したところ、
100本すべてがNGだった
という逸話が残っているほどでした。
ところが、
私のフェンダーはそんな中で稀に見る、
優れた個体だと言うのです。

人間などというものは単純なもので、
その道のプロにそう言われてしまうと、
すっかりその気になってしまい、
以来私は、
1970年代後期型のストラトを愛用しているギタリスト、
U2のジ・エッジと、
ブランドXのジョン・グッドソールのサウンドを研究するようになりました。

すると、
1970年代後期型の音の特徴は、
ブリッジ側の音にコシがあり、
ブリッジ+センターのハーフトーンのヌケがいいこと、
ということがわかりました。
さっそく自分のフェンダーで試してみると、
これはイケル。
実にいいトーンが出るじゃありませんか。

この頃の私(20歳頃:1982年)は、
LOOSE CONNECTIONの前身に当たるバンドができ、
オリジナル曲を作り始めた時期でした。
そこで私が目指したサウンドは、
ヘヴィなリズムセクションの上に乗って、
音の隙間を活かしながら、
ゴリゴリしたリフやニュアンスに富んだコードで曲を構築し、
ギターとヴォーカルがスリリングにからむ、
というものでした。
はたして、
私のフェンダーの音色は、
このサウンドにピッタリとハマったのでありました。

ギターというのはおもしろいもので、
持ち主がこのような気持ちで接すると、
それに応えるかのように素晴らしい音色を出すようになり、
当初気になった弾きづらさもどこへやら、
ローンが終わる頃には、
すっかり“愛機”となっていたのです。

それからというもの、
このフェンダーは約15年間にわたって、
私のメインギターの座を、
不動のものとしたのです。
(ちなみに、
トーカイはギブソン・ファイヤーバードを購入した際の、
頭金の足しになってしまいました。
今から考えると、
たいへんもったいないことをしたものです。)

LOOSE CONNECTION初期のオリジナル曲集、
その後ひとりで作った、
自宅録音作品の数々で、
このフェンダーのトーンは響きわたっているのです。

その後、
長年の酷使がたたったのか、
1994年頃になって、
ノイズがヒドくなり、
リペアをお願いしたところ、
内部の配線をすべて取り替えるという、
人間で言えば、
心臓バイパス手術のようなものを受けることになりました。
以来、
このストラトは一線から退き、
大事に保存されているというわけです。

現在の私は、
このときに購入した2代目のフェンダー・ストラトキャスター、
1957年型の復刻モデルをメインで使っています。
このギターを購入する際は、
前回の轍を踏まないように、
フェンダーUSAとフェンダージャパンの現行モデル、
すべてを試奏し、
もっとも弾きやすいモデルを選びました。
残念だったのは、
当時のラインアップに、
1970年代初期型がなかったことでしたが、
おかげで、
かなり早い時期から手に馴染み、
初代のような苦労を味わうことはありませんでした。

そんな2代目フェンダーも今年で満14歳を迎え、
そろそろ後継機種を考える時期になってきました。
現在は、
フェンダーUSAにもフェンダージャパンにも、
1970年代初期型がラインアップされており、
今度は迷うことなく、
コイツを手に入れてやろうと目論んでいるところです。

↓ということで、
2代目ストラト、通称“BLACKIE”です。
このギターは軽量で扱いやすいのですが、
ネック側およびセンターのピックアップの音がよく、
ブリッジ側はそれほどコシがありません。
ギターの音色って難しいですね。

★2008/10/12 (Sun)
デイヴ・ギルモア、
リッチー・ブラックモアに関心を持った私は、
彼らが愛用していたギター、
フェンダー・ストラトキャスターに興味を持つようになりました。

ストラトといえば、
それ以前から、
ジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトン、
ジェフ・ベックなどが使っていることを知っていましたが、
実際に弾いてみたいという気持ちが起きたのは、
先の2名の影響によるものでした。

リッチーが、
いろいろな色のストラトを弾いていたり、
それらを並べている楽屋の写真を見るにつけ、
「あ〜、いいなぁ〜っ、
俺もプロのギタリストになって、
あんな風にストラトを並べてみたい」
などとアコガレたものです。

ミーハーな私は、
まずはその流線型のボディ、
いわゆるスポーツカーのようなルックスに惹かれ、
その後、
トレモロアームという破壊兵器の存在を知り、
機能的な部分に興味を持つようになっていったのでした。

ところが、
そんな私が、
高校1年のときに初めて手にしたエレキギターは、
国産のアリア・プロ〓というメーカーの、
ギブソン・レスポールのコピーモデルでした。

なぜそうなったのかについては、
「初心者はストラトよりレスポールの方がいいよ」
という諸先輩のアドバイスに従ったからであり、
その他とくにレスポールに惹かれた理由は見当たりません。

この件については、
それなりの根拠があり、
後に納得することになるのですが、
自分のエレキギターを手に入れたものの、
「ストラトほしいなぁ〜っ」
の思いが消えることはありませんでした。

そんなある日、
思いがけないことが起こりました。

それは高校2年の春のこと、
一緒にバンドをやっていたヴォーカルの女の子が、
「ずっと使っていていいよ」
と自分のストラトを貸してくれたのです。

そのギターは、
ジョーディという国産メーカーのコピーモデルでした。
ラージヘッド、
メイプル指板、
色はクリームがかったホワイトで、
ウルリッヒ・ロスが使っていたような、
1970年代初期タイプのコピーでした。

アコガレのギターを手にした私は、
もう自分のレスポールはそっちのけで、
こればかりを弾くようになりました。
そして、
すっかりストラトの魅力のトリコになったのです。

さらに、
なぜかこのギターを“もらったもの”、
と勘違いしていた私は、
ブランド名を削って、
プラカラーで“フェンダー”と書いたり、
指板を削ってスキャロップド使用にしたり、
好き放題いじくり回してしまったのでした。

おかげで、
バンドが解散してしばらくして、
その娘から「ギター返して」と言われたときの、
焦ったことといったらありませんでした。

電話で正直に謝罪をしてから返しに行きましたが、
彼女は怒りもせずにギターを受け取り、
笑顔で「がんばってね」と言ってくれました。
彼女とは違う学校に通っていたこともあり。
それっきり音信不通になってしまいましたが、
大人になってからこのときのことを考えてみると、
どうも彼女は私に好意を持っていたようで、
それにしてはずいぶんヒドいことをしたものだと、
反省することしきりでした。
あらためて、
今頃どこかで立派なお母さんになっているであろう彼女に、
「すいませんでした」と言いたい気持ちでいっぱいです。

さて、
話題がそれてしまいましたが、
ジョーディのストラトを手放してからもその感触が忘れられず、
ついには夢にまで見るようになったストラトを手に入れるのは、
それから約1年半の後、
大学に入学した18歳の春のことでした。

なんと、
わずかな頭金を入れただけで、
本物のフェンダー・ストラトキャスターを、
30回もの長期ローンで手に入れてしまったのです。

それが、
いまだに手元にあるこのギターです↓



シリアルナンバーから1979年製であることがわかるこのギターは、
当時の標準仕様である、
黒いプラスチック・パーツが特徴である他は、
例のジョーディのストラトと同じ、
メイプル指板で、
クリームがかったホワイトのボディをしています。

当時は1ドル=365円の時代です。
フェンダーは新品で、
定価238,000円だったと記憶しておりますが、
これを毎月1万と少々の額で返済することになり、
以降2年半、
バイトにあけくれることになるのでありました。

さて、
天にも昇る思いで手にしたアコガレのギターでしたが、
第一印象はその想いに反して、
ただただ「弾きづらい」だけでした。

この頃のストラトは、
もっともネックが太くて厚い時期であったため、
握り心地が悪く、
さらにフェンダーの指板のスケールはギブソンよりも長いため、
とにかく左手にかかるストレスが大きいのでありました。

その上、
ギブソン系のハムバッキング・ピックアップと違い、
簡単に歪みが得られないシングルコイル・ピックアップです。
適度なゴマ化しが効かないから、
運指のアラは出るわ、
ピッキングのアラは出るわ、
丁寧に弾かなければ、
それがそのまま音になってしまいます。
(どうやら、
“初心者には向かない”とされた理由は、
このへんにあるようです)

「失敗したかも?」
「ギブソン・レスポールにした方がよかったかも?」

このギターに、
このような大金を払ったことを今更反省してみたところで、
時すでに遅し。
今売り払ったとしても、
残るは多額の借金のみ。

こうして、
私とストラトの、
格闘の日々が始まったのです。

(次回につづく)
★2008/10/05 (Sun)
エリック・クラプトン、
ジェフ・ベック、
ジミー・ペイジを
ブリティッシュ・ロック3大ギタリストと呼んでいた、
1970年代中期頃、
リッチー・ブラックモアは“第4の男”と呼ばれていました。
“第4の男”とは、異端の存在であるという意味です。

たしかに、
『イン・ロック』を聴いたかぎりでは、
イレギュラーな音の採り方が多く、
その表現にうなずける部分もありますが、
なぜリッチーは、“第4の男”などと呼ばれたのでしょう。

リッチーのギターを熱心にコピーするようになった私は、
あることに気がつくようになりました。
それは、
彼のプレイが異端どころか、
非常に端正であるということでした。

まず、
左手の運指は、
小指を含めた4本の指を均等に使う、
いわゆるクラシック・ギターの基本に忠実であること。
そして、
右手のピッキングは、
正確なアップ・ダウンを繰り返し、
意識的にリズムを崩したり、
変拍子を多用しないこと。
そのせいか、
リッチーのギターは前述の3大ギタリストより、
はるかにコピーしやすいものでした。

トリッキーなプレイのオンパレードである、
ジェフ・ベックや、
バンド自体がトリッキーであった、
ジミー・ペイジは言うまでもなく、
エリック・クラプトンですら、
ブルースマナーによるものか、
意識的にリズムを崩す場面が多く、
ギター初心者の私にとっては、
コピーに手こずる場面が多かったものです。

1977〜78年当時、
リッチーの教則本として、
非常に評価が高かった、
『リッチー・ブラックモア奏法』で、
著者である元ハルヲフォンの小林克己氏は、
「初心者はリッチーからギターの基本を学ぶとよい」
と述べていました。

「リッチーをコピーすると、
短期間でギターが巧くなるに違いない」
私の気づきは確信へと変わっていきました。

では、
なぜリッチーは、
“第4の男”などと呼ばれていたのでしょう。

それは、
3大ギタリストが身につけていて、
リッチーが身につけていなかったものによるものでした。

それは、ブルース。

そうです。
当時のブリティッシュ・ロックでは、
ブルース、またはソウル等の黒人音楽を
音楽的ルーツとすることが当たり前だったのです。

そんな時代にあって、
黒人音楽を音楽的ルーツとして持たない、
リッチー・ブラックモアはまさに異端の存在であった、
というわけです。

ブルースギターは正規の教育を受けていない人たちが、
自己流で感情を表現するところから発達したものであり、
厳格な音楽理論が確立していた、
クラシック・ミュージックとは対極の位置にある、
と言っても過言ではないでしょう。

変則的なチューニングや、
スライドギターやチョーキングを使った、
不安定で独特の音感。
感情によって緩急をつけるリズム。
ブルースギターのマナーは、
西洋的な音楽の枠を越えるものでした。
だからこそ、
多くの音楽ファンを魅了したのです。

ところが1970年代も後半になると、
黒人音楽をベースとしない、
プログレッシヴ・ロックが一般的になり、
ハードロック第一世代を手本とした、
第二世代によるヘヴィ・メタルが台頭するようになり、
このようなブルース主流の風潮が薄れてきました。

プログレッシヴ・ロックやヘヴィ・メタルは、
“白人による白人のためのロック”であり、
西洋における音楽のルーツである、
クラシックをベースとしたギタープレイを構築した、
リッチー・ブラックモアは、
そのムーブメントを先導する存在となったのです。

このようなスタイルが、
ヨーロッパで支持されたのは当然のことであり、
同じように黒人音楽とたいへん距離がある我が国、
日本において支持されたのもまた当然のことと言えるでしょう。

1980年代以降、
リッチーの評価は一気に高まり、
もはや誰もが彼のことを、
“第4の男”などと呼ばなくなりました。
そして彼のギタープレイは、
ロックギターの基本形として定着していったのです。

現在ではむしろ、
ブルースの方が、
一部のマニアが愛好する音楽、
というイメージが強くなっているおり、
そう考えると、
時代における音楽の評価というのは
たいへんおもしろいものだと思う、
今日この頃です。

イレギュラーがスタンダードになる…。
ヒネクレ者の私は、
リッチー・ブラックモアの存在が一般化するに従い、
どんどん興味を失っていったのでした。

そして今では街中に、
夏でも黒い服を着ている人があふれているのです。

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★ ILLUSTRATION BY nyao