「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2009/03/08 (Sun)
三島由紀夫は太宰治のことを、
“弱さをすっかり表に出して、
弱さを売り物にしている人間”であるとし、
忌み嫌っていたと言われております。
(著書「不道徳教育講座」では、
“弱さが最大の財産”とまで言っております)
太宰治という人は、
何度となく自殺を図り、
苦悩の連続のような生涯を送った、
とされていますが、
実態は少し違っていたようです。
その情報は、
最近になって、
少しずつ公表されるようになったのですが、
それは、
いままでのイメージのように、
根暗で弱々しい人ではなく、
かなりお気楽で、
いい加減な人だったということです。
太宰の場合はおまけに、
いわゆる“イケメン”だったから、
何をやっても絵になるし、
黙って座っているだけで、
影のある美青年を演出してしまうので、
女性が次から次へと寄ってくるし、
たまたま、
「死んじゃおうかなぁ~っ」と思ったときに、
そばにいた女性を道連れにしてしまったりして、
これがまた劇的な話になってしまうのですが、
本人はそれらのことを、
それほど深刻に考えていなかったというのが、
実際のところだったようです。
そんな自分の人生を、
これまた気ままに、
つらつらと書いたものが、
文壇で高い評価を受け、
大きな名声を受けるのですが、
本人はそんなことには一向に関心がなく、
相変わらずフラフラと気ままに生き、
酒を飲み、
女性を口説く…。
そう考えると、
三島由紀夫が言う、
“弱さをすっかり表に出して、
弱さを売り物にしている人間”という表現には、
少し違和感を覚えてしまいます。
私はかねがね、
三島が言っていることは、
“努力しないで、
自分の資質を作品にしただけで成り立ってしまう人”
という意味だと思っています。
そのように表現を変えると、
三島は太宰を、
単純に嫌っていたわけではなく、
どうやらそこには、
羨望のような気持ちが存在していたのではないか、
と思われて仕方ありません。
なぜなら、
太宰は三島の少し先輩に当たる程度で、
実態がわからないほど遠い存在ではなかったはずであるし、
三島はいくつかのエッセイで、
後から振り返ってみたら、
少しも面白みのない自分の前半生に対して、
コンプレックスを抱いているような記述が見られるからです。
(その反動が、あの劇的な後半生に向かわせたとも言えます)
さて、
私は太宰のような人間を、
「無手勝流 天才肌」と呼んでいます。
私がいままでの人生で深く関わってきた、
音楽の世界でこの「無手勝流 天才肌」を求めるならば、
前回話題になった、
エリック・クラプトン、ジョン・レノンはもちろん、
元祖“ヘタウマ”のキース・リチャーズや、
“ミステイクをフレーズにしてしまう”ジェフ・ベック、
いまさら議論は無用の、
ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、ジム・モリスン、
などの面々が即座に思い浮かんできます。
自分の資質を作品にする分だけ消耗が激しいのか、
天寿を全うせずに夭折する人が多いことも、
「無手勝流 天才肌」の特徴ではないでしょうか。
これに対して、
「精進流 秀才肌」とでも呼びましょうか、
時代の動きや世間の要望を的確に捉え、
芸術を理論的に構築し、
自分のイメージもそれに合わせて演出する、
というタイプが存在します。
こちらには、
レッド・ツェッペリン時代のジミー・ペイジ、
“変容の王子”デヴィッド・ボウイ、
“歪んだ美学”のブライアン・フェリーなどが当てはまるでしょう。
三島文学は“人工美の極限”と表現されるように、
先の三島由紀夫もこのタイプで、
彼の文学世界は、
イメージに合わせて粋を凝らした美の集大成であり、
彼自身も、
人生の最終目的に向けて、
意識的に肉体改造をしたことで有名です。
ところで、
先ほど挙げた面々を見ればおわかりにように、
我が国の大衆は、
圧倒的に「無手勝流 天才肌」を支持する傾向にあるようです。
例えば、
身近なところで、
V9時代の巨人打線の3、4番、
王貞治と長嶋茂雄のいわゆるONコンビ。
「精進流 秀才肌」の王に対し、
「無手勝流 天才肌」の長嶋とした場合に、
どちらが人気が高いか考えれば一目瞭然です。
どうやら勤勉な日本人は、
「無手勝流 天才肌」にひそかにアコガレを持っているようです。
しかし、
私の半世紀近い人生において、
実際に身辺でそのような人にお目にかかったことがあるか、
と言われると、
いや残念ながら、
ただの一人もお目にかかったことはありません。
それほど稀有な存在の、
「無手勝流 天才肌」がゴロゴロいる、
音楽の世界は、
やはりスゴい世界であると言えるでしょう。
前回お話した、
煩悩まみれ、
漂泊してのたれ死ぬ人生にアコガレることも、
「無手勝流 天才肌」へのアコガレかもしれません。
そう考えると、
三島由紀夫は、
「無手勝流 天才肌」の太宰治に、
密かなアコガレを抱いてはいたものの、
彼の文学世界のイメージから、
それを素直に表現するわけにもいかず、
冒頭のような表現を使い、
表面的には忌み嫌う態度を貫いたと言えます。
ところで、
あなたの近くに、
「無手勝流 天才肌」はおりますか?
「無手勝流 天才肌」に当てはまる面々を見ていると、
もしいたとしても、
そいつはきっと厄介で、
周囲に迷惑をかけまくる人間といえるでしょう。
ですから、
天才と気がつかないかもしれませんし、
天才と認めたくない気持ちになるかもしれません。
これが、
天才と呼ばれる人が少ない、
本当の理由でしょうか?
“弱さをすっかり表に出して、
弱さを売り物にしている人間”であるとし、
忌み嫌っていたと言われております。
(著書「不道徳教育講座」では、
“弱さが最大の財産”とまで言っております)
太宰治という人は、
何度となく自殺を図り、
苦悩の連続のような生涯を送った、
とされていますが、
実態は少し違っていたようです。
その情報は、
最近になって、
少しずつ公表されるようになったのですが、
それは、
いままでのイメージのように、
根暗で弱々しい人ではなく、
かなりお気楽で、
いい加減な人だったということです。
太宰の場合はおまけに、
いわゆる“イケメン”だったから、
何をやっても絵になるし、
黙って座っているだけで、
影のある美青年を演出してしまうので、
女性が次から次へと寄ってくるし、
たまたま、
「死んじゃおうかなぁ~っ」と思ったときに、
そばにいた女性を道連れにしてしまったりして、
これがまた劇的な話になってしまうのですが、
本人はそれらのことを、
それほど深刻に考えていなかったというのが、
実際のところだったようです。
そんな自分の人生を、
これまた気ままに、
つらつらと書いたものが、
文壇で高い評価を受け、
大きな名声を受けるのですが、
本人はそんなことには一向に関心がなく、
相変わらずフラフラと気ままに生き、
酒を飲み、
女性を口説く…。
そう考えると、
三島由紀夫が言う、
“弱さをすっかり表に出して、
弱さを売り物にしている人間”という表現には、
少し違和感を覚えてしまいます。
私はかねがね、
三島が言っていることは、
“努力しないで、
自分の資質を作品にしただけで成り立ってしまう人”
という意味だと思っています。
そのように表現を変えると、
三島は太宰を、
単純に嫌っていたわけではなく、
どうやらそこには、
羨望のような気持ちが存在していたのではないか、
と思われて仕方ありません。
なぜなら、
太宰は三島の少し先輩に当たる程度で、
実態がわからないほど遠い存在ではなかったはずであるし、
三島はいくつかのエッセイで、
後から振り返ってみたら、
少しも面白みのない自分の前半生に対して、
コンプレックスを抱いているような記述が見られるからです。
(その反動が、あの劇的な後半生に向かわせたとも言えます)
さて、
私は太宰のような人間を、
「無手勝流 天才肌」と呼んでいます。
私がいままでの人生で深く関わってきた、
音楽の世界でこの「無手勝流 天才肌」を求めるならば、
前回話題になった、
エリック・クラプトン、ジョン・レノンはもちろん、
元祖“ヘタウマ”のキース・リチャーズや、
“ミステイクをフレーズにしてしまう”ジェフ・ベック、
いまさら議論は無用の、
ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、ジム・モリスン、
などの面々が即座に思い浮かんできます。
自分の資質を作品にする分だけ消耗が激しいのか、
天寿を全うせずに夭折する人が多いことも、
「無手勝流 天才肌」の特徴ではないでしょうか。
これに対して、
「精進流 秀才肌」とでも呼びましょうか、
時代の動きや世間の要望を的確に捉え、
芸術を理論的に構築し、
自分のイメージもそれに合わせて演出する、
というタイプが存在します。
こちらには、
レッド・ツェッペリン時代のジミー・ペイジ、
“変容の王子”デヴィッド・ボウイ、
“歪んだ美学”のブライアン・フェリーなどが当てはまるでしょう。
三島文学は“人工美の極限”と表現されるように、
先の三島由紀夫もこのタイプで、
彼の文学世界は、
イメージに合わせて粋を凝らした美の集大成であり、
彼自身も、
人生の最終目的に向けて、
意識的に肉体改造をしたことで有名です。
ところで、
先ほど挙げた面々を見ればおわかりにように、
我が国の大衆は、
圧倒的に「無手勝流 天才肌」を支持する傾向にあるようです。
例えば、
身近なところで、
V9時代の巨人打線の3、4番、
王貞治と長嶋茂雄のいわゆるONコンビ。
「精進流 秀才肌」の王に対し、
「無手勝流 天才肌」の長嶋とした場合に、
どちらが人気が高いか考えれば一目瞭然です。
どうやら勤勉な日本人は、
「無手勝流 天才肌」にひそかにアコガレを持っているようです。
しかし、
私の半世紀近い人生において、
実際に身辺でそのような人にお目にかかったことがあるか、
と言われると、
いや残念ながら、
ただの一人もお目にかかったことはありません。
それほど稀有な存在の、
「無手勝流 天才肌」がゴロゴロいる、
音楽の世界は、
やはりスゴい世界であると言えるでしょう。
前回お話した、
煩悩まみれ、
漂泊してのたれ死ぬ人生にアコガレることも、
「無手勝流 天才肌」へのアコガレかもしれません。
そう考えると、
三島由紀夫は、
「無手勝流 天才肌」の太宰治に、
密かなアコガレを抱いてはいたものの、
彼の文学世界のイメージから、
それを素直に表現するわけにもいかず、
冒頭のような表現を使い、
表面的には忌み嫌う態度を貫いたと言えます。
ところで、
あなたの近くに、
「無手勝流 天才肌」はおりますか?
「無手勝流 天才肌」に当てはまる面々を見ていると、
もしいたとしても、
そいつはきっと厄介で、
周囲に迷惑をかけまくる人間といえるでしょう。
ですから、
天才と気がつかないかもしれませんし、
天才と認めたくない気持ちになるかもしれません。
これが、
天才と呼ばれる人が少ない、
本当の理由でしょうか?
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★2009/03/01 (Sun)
SHM-CDという、
高音質のCDが世に出て、
早や半年が過ぎましたが、
この間に購入したCDの中で、
もっとも聴く機会が多いのは、
エリック・クラプトン御大の、
『いとしのレイラ』です。
SHM-CD仕様の『いとしのレイラ』は、
LPレコードなど比較にならないほど音質が向上していて、
とくにギターの音が鮮明に聴こえるので、
たいへん感動モノです。
さて、
『いとしのレイラ』が名盤である、
などということを、
ここであらためて語るつもりではありません。
私が驚いたのは、
なにげなく目をやった、
このアルバムの歌詞の世界です。
たとえば、「ベル・ボトム・ブルース」…。
床を這いつくばりながら、
君に会いに行く姿を見たいかい?
もう一度やり直してくれと、
君にすがりつく姿を見たいかい?
俺は喜んでそうするさ…、
このまま消え去りたくないから。
頼むから、
もう一日だけチャンスをくれ。
このまま消え去りたくないんだ。
君の心の中にずっと住み続けていたいのさ…。
スゴイですね…。
のたうちまわっていますよ。
女性に捨てられてボロボロになり、
それでもなお、
あきらめきれない男の心情が、
切々と歌われているということでしょうか。
男の怨念っておそろしいですね、
こういう男がストーカーになるのでしょうか?
いやいや、
女性のみなさん、
男は基本的にこうなのです。
ここまで開き直って、
堂々と宣言(?)することは稀ですが、
大なり小なり、
このような感情を強く持っている生物なのです。
というのも、
女性の記憶はリセット型で、
過去の記憶の上に、
新しい記憶を重ねていくことができる。
その際、
過去の記憶は塗りつぶされてしまう…。
ところが、
男の記憶は蓄積型で、
過去の記憶を消去できずに、
新しい記憶が蓄積されていく。
過去の記憶は鮮明に残っていて、
いつでも思い出すことができる、
などと言われているように、
男の脳の特徴がそのような思考を生み出しているのです。
その説は、
よく世間で言われていることですが、
私はまったくその通りだと思っております。
つまり、
モトカノに対して、
“このまま消え去りたくないんだ。
君の心の中にずっと住み続けていたいのさ…。”
と思う部分は、
すべての男に共通した、
切なる願望といえるかもしれません。
しかし…、
それを、
ここまで堂々と歌えますか?
あらためて、
エリック・クラプトンって、
スゴイ人です。
『いとしのレイラ』の原題は、
『LAYLA and other assorted love songs』ですから、
収録曲は程度の差こそあれ、
だいたいこのような内容の歌詞になってるのですが、
これをいわゆる“ラブソング”と呼んでよいのでしょうか?
だって、
どの曲も「ベル・ボトム・ブルース」のように、
一方的に男の側から心情を吐き散らしているだけで、
男女双方が共有している“ラブ”には至っていないのですから…。
ときには、
強がって恰好つけたり、
女性などどうでもいいというような発言があったり、
まぁ…やりたい放題であります。
そして、
トドメが、「レイラーッ!」。
あろうことか、
人の妻の名前を連呼して、
「いとしい、いとしい」と悶えまくるという…。
やりたい放題もいい加減にしなさいと言いたくなるような、
トンデモナイ結末が用意されているのです。
エリック・クラプトンおそるべし…。
『いとしのレイラ』は、
男の煩悩うずまく作品集だったのです。
エリック・クラプトンは己の煩悩を、
女性に対するありとあらゆる感情を、
まるで除夜の鐘のように、
全世界に向かって放っています。
だいたいギタリストという人種は、
えーかっこしいというか、
恰好をつけたがる人が多くて、
クラプトンのように、
恥も外聞もなく自己をさらけ出すような人は、
他に例を見ません。
近い例としては、
ジョン・レノンの『イマジン』がありますが…、
理想郷を夢見た直後に、
「俺はただのヤキモチ焼きさ」と開き直り、
世界平和と、
恋人の過去を、
同レベルで語ってしまう…、
一人の男の、
思考の振幅の激しさを素直に表現していますが、
クラプトンのように煩悩をまき散らす程ではありません。
(余談ですが、
ジョンのヤキモチは半端ではなかったようで、
ヨーコの過去の男性経験数を聞き出したのみならず、
全員の姓名まで書かせたということです。)
クラプトンの場合はジョンと違い、
世界平和など一言も登場せず、
ただ…、
ただひたすらに煩悩にまみれ、
のたうちまわっているのです。
感情のおもむくまま煩悩に焼き焦がれ、
それを芸術作品として発表してしまう。
私には、
そんな人生を送ることができる人が、
うらやましくて仕方ありません。
“男のロマン”ってヤツかなぁ…?
そうそう、
“男のロマン”で思い出しましたが、
男には、
漂泊願望なるものがあるそうです。
つまり、
何もかも捨てて、
一人気ままにフラフラしたい…という願望。
私は、
種田山頭火(たねださんとうか:俳人)が大好きで、
彼のように、
晩年は漂泊を続け、
独り、
人里離れた庵でのたれ死ぬ、
なんてことに本気でアコガレたりします。
以前、
家族にそのような話をしたら、
「信じられない」と言われて、
白い眼で見られたことがありますが、
どうやらこのような心境は、
女性には理解できないもののようです。
山頭火が崇拝していたとされる、
尾崎放哉(おざきほうさい:俳人)という人は、
もっと徹底していて、
一流大学を出たエリートサラリーマンでありながら、
酒で身を持ち崩し、
持病の胸が悪化したことを期に、
妻子を捨て、
ひとり死に場所を求め、
瀬戸内海に面した庵で、
孤独をかこって死に至るのですが、
死期を悟ってからは、
計画的に食べものを減らし続け、
自然に死ねるよう我が身を弱らせた、
ということです。
山頭火も放哉も、
自分の人生を中途でリセットし、
漂泊の果てに、
死を迎える準備をしたのです。
周囲の迷惑などお構いなしに、
人生の終盤を自分の納得するように、
自分自身で仕上げる。
これができるということもまた、
うらやましい限りです。
私は、
一人で知らない街をフラフラするのが好きで、
ときに、
「このまま、どこかへ消えたらどうだろう?」
などという、
とんでもない誘惑にかられることがあり、
自分でも困惑することがあります。
たった一度の人生なのだから、
煩悩まみれになることも、
漂泊してのたれ死ぬことも、
思い残すことなくやればいいと思いますが、
実際には、
さまざまなものに囲まれ、
たくさんのものを背負ってしまっている現在、
まず実現することは不可能といえるでしょう。
いや、
実現させることは簡単なのですが、
一歩踏み出す勇気が出ないものです。
ゆえに、
私は凡人の域を出ません。
クラプトンや山頭火の、
煩悩にまみれ、
漂泊の果てに生まれた作品に触れるにつけ、
男のロマンだなぁ、
とアコガレるのでありました。
高音質のCDが世に出て、
早や半年が過ぎましたが、
この間に購入したCDの中で、
もっとも聴く機会が多いのは、
エリック・クラプトン御大の、
『いとしのレイラ』です。
SHM-CD仕様の『いとしのレイラ』は、
LPレコードなど比較にならないほど音質が向上していて、
とくにギターの音が鮮明に聴こえるので、
たいへん感動モノです。
さて、
『いとしのレイラ』が名盤である、
などということを、
ここであらためて語るつもりではありません。
私が驚いたのは、
なにげなく目をやった、
このアルバムの歌詞の世界です。
たとえば、「ベル・ボトム・ブルース」…。
床を這いつくばりながら、
君に会いに行く姿を見たいかい?
もう一度やり直してくれと、
君にすがりつく姿を見たいかい?
俺は喜んでそうするさ…、
このまま消え去りたくないから。
頼むから、
もう一日だけチャンスをくれ。
このまま消え去りたくないんだ。
君の心の中にずっと住み続けていたいのさ…。
スゴイですね…。
のたうちまわっていますよ。
女性に捨てられてボロボロになり、
それでもなお、
あきらめきれない男の心情が、
切々と歌われているということでしょうか。
男の怨念っておそろしいですね、
こういう男がストーカーになるのでしょうか?
いやいや、
女性のみなさん、
男は基本的にこうなのです。
ここまで開き直って、
堂々と宣言(?)することは稀ですが、
大なり小なり、
このような感情を強く持っている生物なのです。
というのも、
女性の記憶はリセット型で、
過去の記憶の上に、
新しい記憶を重ねていくことができる。
その際、
過去の記憶は塗りつぶされてしまう…。
ところが、
男の記憶は蓄積型で、
過去の記憶を消去できずに、
新しい記憶が蓄積されていく。
過去の記憶は鮮明に残っていて、
いつでも思い出すことができる、
などと言われているように、
男の脳の特徴がそのような思考を生み出しているのです。
その説は、
よく世間で言われていることですが、
私はまったくその通りだと思っております。
つまり、
モトカノに対して、
“このまま消え去りたくないんだ。
君の心の中にずっと住み続けていたいのさ…。”
と思う部分は、
すべての男に共通した、
切なる願望といえるかもしれません。
しかし…、
それを、
ここまで堂々と歌えますか?
あらためて、
エリック・クラプトンって、
スゴイ人です。
『いとしのレイラ』の原題は、
『LAYLA and other assorted love songs』ですから、
収録曲は程度の差こそあれ、
だいたいこのような内容の歌詞になってるのですが、
これをいわゆる“ラブソング”と呼んでよいのでしょうか?
だって、
どの曲も「ベル・ボトム・ブルース」のように、
一方的に男の側から心情を吐き散らしているだけで、
男女双方が共有している“ラブ”には至っていないのですから…。
ときには、
強がって恰好つけたり、
女性などどうでもいいというような発言があったり、
まぁ…やりたい放題であります。
そして、
トドメが、「レイラーッ!」。
あろうことか、
人の妻の名前を連呼して、
「いとしい、いとしい」と悶えまくるという…。
やりたい放題もいい加減にしなさいと言いたくなるような、
トンデモナイ結末が用意されているのです。
エリック・クラプトンおそるべし…。
『いとしのレイラ』は、
男の煩悩うずまく作品集だったのです。
エリック・クラプトンは己の煩悩を、
女性に対するありとあらゆる感情を、
まるで除夜の鐘のように、
全世界に向かって放っています。
だいたいギタリストという人種は、
えーかっこしいというか、
恰好をつけたがる人が多くて、
クラプトンのように、
恥も外聞もなく自己をさらけ出すような人は、
他に例を見ません。
近い例としては、
ジョン・レノンの『イマジン』がありますが…、
理想郷を夢見た直後に、
「俺はただのヤキモチ焼きさ」と開き直り、
世界平和と、
恋人の過去を、
同レベルで語ってしまう…、
一人の男の、
思考の振幅の激しさを素直に表現していますが、
クラプトンのように煩悩をまき散らす程ではありません。
(余談ですが、
ジョンのヤキモチは半端ではなかったようで、
ヨーコの過去の男性経験数を聞き出したのみならず、
全員の姓名まで書かせたということです。)
クラプトンの場合はジョンと違い、
世界平和など一言も登場せず、
ただ…、
ただひたすらに煩悩にまみれ、
のたうちまわっているのです。
感情のおもむくまま煩悩に焼き焦がれ、
それを芸術作品として発表してしまう。
私には、
そんな人生を送ることができる人が、
うらやましくて仕方ありません。
“男のロマン”ってヤツかなぁ…?
そうそう、
“男のロマン”で思い出しましたが、
男には、
漂泊願望なるものがあるそうです。
つまり、
何もかも捨てて、
一人気ままにフラフラしたい…という願望。
私は、
種田山頭火(たねださんとうか:俳人)が大好きで、
彼のように、
晩年は漂泊を続け、
独り、
人里離れた庵でのたれ死ぬ、
なんてことに本気でアコガレたりします。
以前、
家族にそのような話をしたら、
「信じられない」と言われて、
白い眼で見られたことがありますが、
どうやらこのような心境は、
女性には理解できないもののようです。
山頭火が崇拝していたとされる、
尾崎放哉(おざきほうさい:俳人)という人は、
もっと徹底していて、
一流大学を出たエリートサラリーマンでありながら、
酒で身を持ち崩し、
持病の胸が悪化したことを期に、
妻子を捨て、
ひとり死に場所を求め、
瀬戸内海に面した庵で、
孤独をかこって死に至るのですが、
死期を悟ってからは、
計画的に食べものを減らし続け、
自然に死ねるよう我が身を弱らせた、
ということです。
山頭火も放哉も、
自分の人生を中途でリセットし、
漂泊の果てに、
死を迎える準備をしたのです。
周囲の迷惑などお構いなしに、
人生の終盤を自分の納得するように、
自分自身で仕上げる。
これができるということもまた、
うらやましい限りです。
私は、
一人で知らない街をフラフラするのが好きで、
ときに、
「このまま、どこかへ消えたらどうだろう?」
などという、
とんでもない誘惑にかられることがあり、
自分でも困惑することがあります。
たった一度の人生なのだから、
煩悩まみれになることも、
漂泊してのたれ死ぬことも、
思い残すことなくやればいいと思いますが、
実際には、
さまざまなものに囲まれ、
たくさんのものを背負ってしまっている現在、
まず実現することは不可能といえるでしょう。
いや、
実現させることは簡単なのですが、
一歩踏み出す勇気が出ないものです。
ゆえに、
私は凡人の域を出ません。
クラプトンや山頭火の、
煩悩にまみれ、
漂泊の果てに生まれた作品に触れるにつけ、
男のロマンだなぁ、
とアコガレるのでありました。
★2009/02/22 (Sun)
私的ロック評論シリーズの第10弾です。
第10回は、
RUSHの『MOVING PICTURES』です。
『ラッシュ/ムーヴィング・ピクチャーズ(RUSH/MOVING PICTURES』
(1981年発表)
SIDE1
1,Tom Sawyer
2,Red Barchetta
3,YYZ
4,Limelight
SIDE2
1,Camera Eye
2,Witch Hunt
3,Vital Signs
JOHNNY,LOUIS&CHARや
THE POLICEに注目していた当時、
私にはもうひとつ、
大好きなトリオ編成のロックバンドがありました。
それが、ラッシュです。
ラッシュといえば、
高校の初め頃、
友人の家で「A FAREWELL TO KINGS」(1977年発表)
を聴いたことがあり、
リフ中心のハードロックではあるものの、
メタリックで少しプログレがかった独特のサウンドに、
衝撃を受けたものです。
ところがその後、
ラッシュは話題に上ることもなく、
新譜の情報も聞こえてこなくなりました。
私が、
そんなラッシュに、
ふたたびお目にかかったのは、
大学に入学した1980年のこと。
それは、
彼らが「PERMANENT WAVES」という新譜を発表したが、
日本での発売元が決まっていないという、
なんとも情けない記事でした。
私にはその記事を読んだ瞬間に、
なにかヒラメクものがあったようで、
さっそく輸入盤店へ行き、
「PERMANENT WAVES」を手に入れました。
これがたいへんすばらしい内容で、
私はそれまでに買い逃していたラッシュの旧作、
「HEMISPHERES」「A FAREWELL TO KINGS」「2112」を
一気に揃えたほどでした。
そして年が明け1981年になり、
相変わらず日本での発売元が決まっていない状態でありながら、
一部のファンが待ちに待った状況で発表されたのが、
この「MOVING PICTURES」です。
ラッシュの魅力は、
前述のように、
あくまでもリフ中心のハードロックではあるものの、
プログレっぽい曲構成と、
冷たくメタリックな感触のサウンドにあります。
わかりやすく例えるなら、
レッド・ツェッペリンとイエスを融合したような音、
とでも言いましょうか。
その独特の無機質なサウンドは唯一無比のものです。
加えて、
メンバーそれぞれが驚異的なテクニシャンで、
ニール・パートは極限に近いドラムキットに、
ベルやパーカッション類を装備し、
アレックス・ライフスンはエレキギターのみならず、
ガットギターや12弦ギターを使用、
ダブルネックギターを縦横無尽に操りながら、
足元でタウラス・ペダル・シンセを踏む。
圧巻はベースのゲディ・リーで、
ベースを弾きながら歌うだけでなく、
時に片手でシンセを弾き、
足元でタウラス・ペダル・シンセを踏み、
ベースと12弦ギターのダブルネックを操るという、
大道芸人のようなプレイをします。
このようにラッシュは、
3人で可能な限りの音を出し、
トリオの極限の姿を示しているのです。
しかし、
このスタイルを追求した結果、
1978年発表の「HEMISPHERES」では片面1曲、
(しかも、
前作「A FAREWELL TO KINGS」の最後の曲からつながっています。)
裏面3曲というたいへんマニアックな内容になってしまい、
本人たちもかなり煮詰まってしまったようです。
そこで、
「PERMANENT WAVES」では曲を短めにし、
当時の最新の音楽であったレゲエなどを取り入れ、
バンドを時代に合ったサウンドに変化させたのです。
「MOVING PICTURES」はその延長にあり、
ニューウェイブ的な音や、
ネオ・ヘヴィ・メタリックの音を意識し、
かなりモダンなサウンドに仕上がっています。
元々、
近未来的なコンセプトが強いバンドだったので、
このようなサウンドによくマッチしたといえるでしょう。
ギターのアレックス・ライフスンは、
「HEMISPHERES」あたりから、
例の「BOSS CE-1」(コーラス・アンサンブル)を使用し、
かなり歪んだ音ではあるものの、
独特の「シャラ〜ン」とした、
音の広がりを感じさせるようになりました。
アレックス・ライフスンは、
通常のロックでは使わないような、
テンションの効いた、
ミョーなコードを多用する人で、
そういう意味では、
THE POLICEのアンディ・サマーズと同系統といえるでしょう。
当時の私が、
そんなプレイに夢中にならないはずはなく、
それは一時期、
ラッシュのコピーバンドを結成したほどであり、
このアルバムからは、
「Red Barchetta」と「Limelight」を演奏したことがあります。
「MOVING PICTURES」では、
従来の彼らが得意とした、
変拍子ビシバシの曲は、
インストの「YYZ」ぐらいで、
後は比較的ストレートなビートに仕上がっています。
「Red Barchetta」「Camera Eye」「Vital Signs」といった曲からは、
どことなくTHE POLICEの香りがします。
(この後の彼らには、本当にTHE POLICEのようになる時期があります。)
そして、「Tom Sawyer」と「Limelight」は、
文句なしの名曲でしょう。
私はラッシュを究極のロックバンドの姿ととらえ、
ゲディ・リーのようなベーシストを探しました。
しかし、
そのようなベーシストには、
現在までお目にかかったことはなく、
世界のロック界でもフォロワーが存在しません。
ラッシュがどれだけ、
ワン&オンリーの存在であるか、
おわかりいただけるでしょう。
そこで私は、
トリオ+ワン(ヴォーカリスト)のユニットで、
オリジナル曲を模索し始めたのです。
第10回は、
RUSHの『MOVING PICTURES』です。
『ラッシュ/ムーヴィング・ピクチャーズ(RUSH/MOVING PICTURES』
(1981年発表)
SIDE1
1,Tom Sawyer
2,Red Barchetta
3,YYZ
4,Limelight
SIDE2
1,Camera Eye
2,Witch Hunt
3,Vital Signs
JOHNNY,LOUIS&CHARや
THE POLICEに注目していた当時、
私にはもうひとつ、
大好きなトリオ編成のロックバンドがありました。
それが、ラッシュです。
ラッシュといえば、
高校の初め頃、
友人の家で「A FAREWELL TO KINGS」(1977年発表)
を聴いたことがあり、
リフ中心のハードロックではあるものの、
メタリックで少しプログレがかった独特のサウンドに、
衝撃を受けたものです。
ところがその後、
ラッシュは話題に上ることもなく、
新譜の情報も聞こえてこなくなりました。
私が、
そんなラッシュに、
ふたたびお目にかかったのは、
大学に入学した1980年のこと。
それは、
彼らが「PERMANENT WAVES」という新譜を発表したが、
日本での発売元が決まっていないという、
なんとも情けない記事でした。
私にはその記事を読んだ瞬間に、
なにかヒラメクものがあったようで、
さっそく輸入盤店へ行き、
「PERMANENT WAVES」を手に入れました。
これがたいへんすばらしい内容で、
私はそれまでに買い逃していたラッシュの旧作、
「HEMISPHERES」「A FAREWELL TO KINGS」「2112」を
一気に揃えたほどでした。
そして年が明け1981年になり、
相変わらず日本での発売元が決まっていない状態でありながら、
一部のファンが待ちに待った状況で発表されたのが、
この「MOVING PICTURES」です。
ラッシュの魅力は、
前述のように、
あくまでもリフ中心のハードロックではあるものの、
プログレっぽい曲構成と、
冷たくメタリックな感触のサウンドにあります。
わかりやすく例えるなら、
レッド・ツェッペリンとイエスを融合したような音、
とでも言いましょうか。
その独特の無機質なサウンドは唯一無比のものです。
加えて、
メンバーそれぞれが驚異的なテクニシャンで、
ニール・パートは極限に近いドラムキットに、
ベルやパーカッション類を装備し、
アレックス・ライフスンはエレキギターのみならず、
ガットギターや12弦ギターを使用、
ダブルネックギターを縦横無尽に操りながら、
足元でタウラス・ペダル・シンセを踏む。
圧巻はベースのゲディ・リーで、
ベースを弾きながら歌うだけでなく、
時に片手でシンセを弾き、
足元でタウラス・ペダル・シンセを踏み、
ベースと12弦ギターのダブルネックを操るという、
大道芸人のようなプレイをします。
このようにラッシュは、
3人で可能な限りの音を出し、
トリオの極限の姿を示しているのです。
しかし、
このスタイルを追求した結果、
1978年発表の「HEMISPHERES」では片面1曲、
(しかも、
前作「A FAREWELL TO KINGS」の最後の曲からつながっています。)
裏面3曲というたいへんマニアックな内容になってしまい、
本人たちもかなり煮詰まってしまったようです。
そこで、
「PERMANENT WAVES」では曲を短めにし、
当時の最新の音楽であったレゲエなどを取り入れ、
バンドを時代に合ったサウンドに変化させたのです。
「MOVING PICTURES」はその延長にあり、
ニューウェイブ的な音や、
ネオ・ヘヴィ・メタリックの音を意識し、
かなりモダンなサウンドに仕上がっています。
元々、
近未来的なコンセプトが強いバンドだったので、
このようなサウンドによくマッチしたといえるでしょう。
ギターのアレックス・ライフスンは、
「HEMISPHERES」あたりから、
例の「BOSS CE-1」(コーラス・アンサンブル)を使用し、
かなり歪んだ音ではあるものの、
独特の「シャラ〜ン」とした、
音の広がりを感じさせるようになりました。
アレックス・ライフスンは、
通常のロックでは使わないような、
テンションの効いた、
ミョーなコードを多用する人で、
そういう意味では、
THE POLICEのアンディ・サマーズと同系統といえるでしょう。
当時の私が、
そんなプレイに夢中にならないはずはなく、
それは一時期、
ラッシュのコピーバンドを結成したほどであり、
このアルバムからは、
「Red Barchetta」と「Limelight」を演奏したことがあります。
「MOVING PICTURES」では、
従来の彼らが得意とした、
変拍子ビシバシの曲は、
インストの「YYZ」ぐらいで、
後は比較的ストレートなビートに仕上がっています。
「Red Barchetta」「Camera Eye」「Vital Signs」といった曲からは、
どことなくTHE POLICEの香りがします。
(この後の彼らには、本当にTHE POLICEのようになる時期があります。)
そして、「Tom Sawyer」と「Limelight」は、
文句なしの名曲でしょう。
私はラッシュを究極のロックバンドの姿ととらえ、
ゲディ・リーのようなベーシストを探しました。
しかし、
そのようなベーシストには、
現在までお目にかかったことはなく、
世界のロック界でもフォロワーが存在しません。
ラッシュがどれだけ、
ワン&オンリーの存在であるか、
おわかりいただけるでしょう。
そこで私は、
トリオ+ワン(ヴォーカリスト)のユニットで、
オリジナル曲を模索し始めたのです。
★2009/02/11 (Wed)
私的ロック評論シリーズの第9弾です。
第9回は、
THE POLICEの『REGATTA DE BLANC』です。
『白いレガッタ/ポリス(THE POLICE/REGATTA DE BLANC』
(1979年発表)
SDE1
1.孤独のメッセージ
(Message In A Bottle)
2.白いレガッタ
(Regatta De Blanc)
3.イッツ・オールライト・フォー・ユー
(It's Alright For You)
4.ブリング・オン・ザ・ナイト
(Bring On The Night)
5.死の誘惑
(Deathwish)
SIDE2
6.ウォーキング・オン・ザ・ムーン
(Walking On The Moon)
7.オン・エニイ・アザー・デイ
(On Any Other Day)
8.ひとりぼっちの夜
(The Bet's Too Big Without You)
9.コンタクト
(Contact)
ダズ・エブリワン・ステア
(Does Everyone Stare)
ノー・タイム・ディス・タイム
(No Time This Time)
JOHNNY,LOUIS&CHARがデビューした1979年のことです。
ミョーな曲がヒットチャートの上位にランクインされました。
その曲は、
祭り囃子みたいなリズムと、
ちょっと哀愁のただようアルペジオのイントロで始まり、
スカスカで隙間だらけの空間に、
アタマから抜けるようなハイトーンのヴォーカルが印象的でした。
それが、ポリスの「孤独のメッセージ」。
いままで聴いたことのない、
新しいサウンドとの出会いでした。
私は当初、
彼らのルックスを見て、
パンクロック系のグループだと勘違いしましたが、
ポリスのデビューは、
パンクロック以降のニューウェイブシーンの幕開けだったのです。
私が注目したのは、
まずリズム面の斬新なアプローチ。
ポリスは、
レゲエやスカといった最先端のリズムと、
従来のロックンロールの融合を図りました。
これは「孤独のメッセージ」や、
それ以前の曲、
「ロクサーヌ」、「キャント・スタンド・ルージング・ユー」
などで使われているパターン。
スネアをあまり強調しないので、
祭り囃子のように聴こえるのです。
そして次に、
「孤独のメッセージ」につづいてシングルカットされた、
「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」で聴かれる、
極端に音の密度を少なくすることで、
逆に空間的な広がりを生み出す効果。
これは、
イントロのジャキーンという、
D sus4のコードにディレイをかけているのですが、
後ろに音がほとんどない状態なので、
その効果は絶大です。
このように、
まったく音が出ていない空間をうまくコントロールするには、
トリオという編成が最適です。
ポリスは、
クリームのように、
演奏者同士が技術的に競い合い、
音を埋め尽くすことをしないトリオだったのです。
音が少ないというトリオのウィークポイントを、
逆にセールスポイントにしてしまったのです。
トリオなのにリードギターを弾きまくらないのです。(笑)
これはおもしろい。
私は「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」を聴いて、
ついにアルバムを買う決心をしました。
それがポリスにとって2枚目のアルバムになる、
「白いレガッタ」でした。
結果として、
私のギタープレイに決定的な影響を及ぼした1枚となったのです。
前述の「孤独のメッセージ」が優れたナンバーであることは、
あらためて言うまでもありません。
音を採り始めたところ、
9thを使ったアルペジオであることが判明したのですが、
それは指が長くないと出来ないプレイで、
アンディ・サマーズは小柄な割には指が長いのか?
などと変な所に感心した記憶があります。
「キャント・スタンド・ルージング・ユー」の間奏を発展させた、
「白いレガッタ」は私がもっとも好きなナンバーです。
予定調和とアドリブ、
無音の空間とバンドが一体となって疾走する瞬間が
見事なバランスを取っており、
この曲にポリスサウンドが凝縮されている、
と言っても過言ではないでしょう。
「イッツ・オールライト・フォー・ユー」は、
彼らにしては珍しく、
ストレートなビートのロックンロールで、
単純に心地よい、
とってもイカしたナンバー。
「ブリング・オン・ザ・ナイト」は、
「孤独のメッセージ」同様、
マイナーなアルペジオとレゲエの融合が新鮮なナンバーですが、
一方で、
スティングのベースが、
モロにレゲエのフレーズになっているところがおもしろい。
「死の誘惑」は、
「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」同様、
ギターのカッティングにディレイをかけて、
不思議な音空間を生み出すことに成功しています。
この曲のようなリズムに合わせた残響は、
デジタルディレイだからこそできる技であり、
ポリスが、
テクノロジーの進化もうまく使っているグループであることがわかります。
このアルバムはとにかく、
LP時代のA面の出来が素晴らしく、
何回聴いても厭きません。
それに反して、
B面はそれほどでもなく、
前述の「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」以外は、
それほど聴きこんだ記憶がありません。
まぁ…頻度とすると、
A面10回に対してB面1回ぐらいの割合だったでしょうか。
私はアンディ・サマーズの、
ニュアンスに富んだコードの使い方、
カッティングやアルペジオを中心として、
あまりリードギターを弾かないプレイに魅了されました。
また、
以前からたいへん好んでいた、
エコー系エフェクターの進化系、
デジタル・ディレイの威力を知り、
テープエコーやアナログ・ディレイと使い分けることを覚えました。
そして、
なによりも私は、
このアルバム全体で聴ける、
コードを弾き流したときに「シャラ〜ン」という独特の音揺れを生み出す、
モジュレーション系エフェクターのサウンドに魅了されました。
アンディ・サマーズは、
コーラスではなくフランジャーを
コーラスのようにセッティングして使っていたということですが、
私は当時話題になっていた、
「BOSS CE-1」というエフェックターに興味を持ち、
数年後に購入することになります。
そしてそれ以降、
私の足元には、
エコー系のエフェクターとともに、
必ずコーラスがセットされるようになるのです。
1980年前後、
ロックが大きく変化しようとしていた時期、
私のギタースタイルも大きく変化しようとしていたのです。
第9回は、
THE POLICEの『REGATTA DE BLANC』です。
『白いレガッタ/ポリス(THE POLICE/REGATTA DE BLANC』
(1979年発表)
SDE1
1.孤独のメッセージ
(Message In A Bottle)
2.白いレガッタ
(Regatta De Blanc)
3.イッツ・オールライト・フォー・ユー
(It's Alright For You)
4.ブリング・オン・ザ・ナイト
(Bring On The Night)
5.死の誘惑
(Deathwish)
SIDE2
6.ウォーキング・オン・ザ・ムーン
(Walking On The Moon)
7.オン・エニイ・アザー・デイ
(On Any Other Day)
8.ひとりぼっちの夜
(The Bet's Too Big Without You)
9.コンタクト
(Contact)
ダズ・エブリワン・ステア
(Does Everyone Stare)
ノー・タイム・ディス・タイム
(No Time This Time)
JOHNNY,LOUIS&CHARがデビューした1979年のことです。
ミョーな曲がヒットチャートの上位にランクインされました。
その曲は、
祭り囃子みたいなリズムと、
ちょっと哀愁のただようアルペジオのイントロで始まり、
スカスカで隙間だらけの空間に、
アタマから抜けるようなハイトーンのヴォーカルが印象的でした。
それが、ポリスの「孤独のメッセージ」。
いままで聴いたことのない、
新しいサウンドとの出会いでした。
私は当初、
彼らのルックスを見て、
パンクロック系のグループだと勘違いしましたが、
ポリスのデビューは、
パンクロック以降のニューウェイブシーンの幕開けだったのです。
私が注目したのは、
まずリズム面の斬新なアプローチ。
ポリスは、
レゲエやスカといった最先端のリズムと、
従来のロックンロールの融合を図りました。
これは「孤独のメッセージ」や、
それ以前の曲、
「ロクサーヌ」、「キャント・スタンド・ルージング・ユー」
などで使われているパターン。
スネアをあまり強調しないので、
祭り囃子のように聴こえるのです。
そして次に、
「孤独のメッセージ」につづいてシングルカットされた、
「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」で聴かれる、
極端に音の密度を少なくすることで、
逆に空間的な広がりを生み出す効果。
これは、
イントロのジャキーンという、
D sus4のコードにディレイをかけているのですが、
後ろに音がほとんどない状態なので、
その効果は絶大です。
このように、
まったく音が出ていない空間をうまくコントロールするには、
トリオという編成が最適です。
ポリスは、
クリームのように、
演奏者同士が技術的に競い合い、
音を埋め尽くすことをしないトリオだったのです。
音が少ないというトリオのウィークポイントを、
逆にセールスポイントにしてしまったのです。
トリオなのにリードギターを弾きまくらないのです。(笑)
これはおもしろい。
私は「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」を聴いて、
ついにアルバムを買う決心をしました。
それがポリスにとって2枚目のアルバムになる、
「白いレガッタ」でした。
結果として、
私のギタープレイに決定的な影響を及ぼした1枚となったのです。
前述の「孤独のメッセージ」が優れたナンバーであることは、
あらためて言うまでもありません。
音を採り始めたところ、
9thを使ったアルペジオであることが判明したのですが、
それは指が長くないと出来ないプレイで、
アンディ・サマーズは小柄な割には指が長いのか?
などと変な所に感心した記憶があります。
「キャント・スタンド・ルージング・ユー」の間奏を発展させた、
「白いレガッタ」は私がもっとも好きなナンバーです。
予定調和とアドリブ、
無音の空間とバンドが一体となって疾走する瞬間が
見事なバランスを取っており、
この曲にポリスサウンドが凝縮されている、
と言っても過言ではないでしょう。
「イッツ・オールライト・フォー・ユー」は、
彼らにしては珍しく、
ストレートなビートのロックンロールで、
単純に心地よい、
とってもイカしたナンバー。
「ブリング・オン・ザ・ナイト」は、
「孤独のメッセージ」同様、
マイナーなアルペジオとレゲエの融合が新鮮なナンバーですが、
一方で、
スティングのベースが、
モロにレゲエのフレーズになっているところがおもしろい。
「死の誘惑」は、
「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」同様、
ギターのカッティングにディレイをかけて、
不思議な音空間を生み出すことに成功しています。
この曲のようなリズムに合わせた残響は、
デジタルディレイだからこそできる技であり、
ポリスが、
テクノロジーの進化もうまく使っているグループであることがわかります。
このアルバムはとにかく、
LP時代のA面の出来が素晴らしく、
何回聴いても厭きません。
それに反して、
B面はそれほどでもなく、
前述の「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」以外は、
それほど聴きこんだ記憶がありません。
まぁ…頻度とすると、
A面10回に対してB面1回ぐらいの割合だったでしょうか。
私はアンディ・サマーズの、
ニュアンスに富んだコードの使い方、
カッティングやアルペジオを中心として、
あまりリードギターを弾かないプレイに魅了されました。
また、
以前からたいへん好んでいた、
エコー系エフェクターの進化系、
デジタル・ディレイの威力を知り、
テープエコーやアナログ・ディレイと使い分けることを覚えました。
そして、
なによりも私は、
このアルバム全体で聴ける、
コードを弾き流したときに「シャラ〜ン」という独特の音揺れを生み出す、
モジュレーション系エフェクターのサウンドに魅了されました。
アンディ・サマーズは、
コーラスではなくフランジャーを
コーラスのようにセッティングして使っていたということですが、
私は当時話題になっていた、
「BOSS CE-1」というエフェックターに興味を持ち、
数年後に購入することになります。
そしてそれ以降、
私の足元には、
エコー系のエフェクターとともに、
必ずコーラスがセットされるようになるのです。
1980年前後、
ロックが大きく変化しようとしていた時期、
私のギタースタイルも大きく変化しようとしていたのです。
★2009/02/01 (Sun)
私は、
その年に初めて購入したCDを、
“初買いCD”と呼んでおります。
昨年の“初買いCD”は、
アイズレー・ブラザーズの『グルーヴィ・アイズレーズ』で、
年頭からやたらと盛り上がった記憶がありますが、
今年は系統の違う2枚のCDを同時に購入しました。
まずは、
昨年ドイツで発売された、
『THE BEST OF YARDBIRDS』。
いわゆるベスト盤です。
年末に出た「レコードコレクターズ」で、
60年代のブリティッシュR&Bシーンの特集を読んで以来、
フーやストーンズの初期、
スモール・フェイセズ、
アニマルズなどを毎日のように聴いていたのですが、
そういえば、
ヤードバーズはCDで持っていなかったなぁ…っと。
しかし今さら、
LPで持っているアルバムを買い揃えるのもどうか、
と悩んでいたときに、
このアルバムのことを思い出し、
購入するに至りました。
このアルバムには、
アルバム未収録曲やシングルB面曲を含め、
リマスターされた、
ヤードバーズの代表曲がズラリ、
29曲も収録されているのですが、
価格はたったの2,300円ということで、
たいへんお得な1枚です。
「The Train Kept A' Rollin'」と
映画「欲望」のサントラとして再録音された、
「Stroll On」がいっしょに並んでいたり、
「Happenings Ten Years Time Ago」はもちろん、
「Little Games」や「Jeff's Boogie」まで収録されていて、
満足感いっぱいの選曲です。
ヤードバーズを聴いて、
あらためて感じたのは、
やはり、
フーやストーンズの初期、
スモール・フェイセズ、
アニマルズなどと比較して、
ギターの存在感が圧倒的だということ。
すでに、
ギュイ~ンという、
いわゆる“ハードロック”的なトーンが聴ける点がスゴイ。
ジェフ・ベックもそうですが、
ジミー・ペイジなんか、
すでにZEPのフレーズを使っていたりして、
まぁ…やりたい放題ですな。(笑)
で、
「Psycho Daisies」って曲がカッコイイことを知りました。
う~ん、新発見。
まだまだ、知らない曲があるんですね。
さて、
もう1枚は、
昨年の『グルーヴィ・アイズレーズ』と同じく、
日本で編集されたアルバム、
『JAZZ SUPREME:FENDER RHODES PRAYER』。
なんだか、オシャレな感じがしません?
これには、
フェンダー・ローズという、
エレキピアノをメインに使った、
ジャズナンバーという基準で、
1970年代から現代まで、
幅広いミュージシャンの作品から選ばれた、
18曲が収録されています。
ローズは、
独特のフワ~っとした、
浮遊感あふれるトーンが素晴らしく、
トドメにレズリー・スピーカーなどをかけると、
もうこれ以上ないほど、
メロメロなトーンになってしまいます。
そうそう、
ストーンズの「愚か者の涙」のイントロで聴ける、
あの音のことです。
私は、
とくにこのトーンを好むということもあり、
タイトルを見ただけで購入してしまったのですが、
今昔のジャズ…、
それも純粋なジャズではなく、
ソウルやヒップホップといったジャンルと、
限りなく近い位置にあるような、
ジャズファンからはマガイモノ扱いされそうな、
曲ばかりが並んでいて、
それが私のようなROCK中年には、
たまらなくGROOVYに感じられ、
毎晩のように聴いています。
こういうの好きだなぁ…。
で、
なにげなく、
ライナーを読んでいたら、
ドラムスに、
ビリー・コブハムだの、
レニー・ホワイトだの、
バーナード・パーディの名前があり、
やっぱこの方々はスゴいよね、
と納得してしまったりして、
いろいろな楽しみ方ができる1枚であります。
ここ数年というもの、
紙ジャケという魔女にすっかり魅せられたおかげで、
ストレートなロックばかり聴いていたのですが、
それではやはりボキャブラリーが貧困になりそうなので、
今年は“脱ロック”の年にしたいなぁなどと…、
いえ、
ロック以外の音楽を聴いて、
ロックのオリジナルを作るという…、
そういうことですが、
そうでなければ、
おもしろくないよなーっ、
などと思う年の始めでありました。
今年もいっぱい、
いい音楽に出会えるかな?
その年に初めて購入したCDを、
“初買いCD”と呼んでおります。
昨年の“初買いCD”は、
アイズレー・ブラザーズの『グルーヴィ・アイズレーズ』で、
年頭からやたらと盛り上がった記憶がありますが、
今年は系統の違う2枚のCDを同時に購入しました。
まずは、
昨年ドイツで発売された、
『THE BEST OF YARDBIRDS』。
いわゆるベスト盤です。
年末に出た「レコードコレクターズ」で、
60年代のブリティッシュR&Bシーンの特集を読んで以来、
フーやストーンズの初期、
スモール・フェイセズ、
アニマルズなどを毎日のように聴いていたのですが、
そういえば、
ヤードバーズはCDで持っていなかったなぁ…っと。
しかし今さら、
LPで持っているアルバムを買い揃えるのもどうか、
と悩んでいたときに、
このアルバムのことを思い出し、
購入するに至りました。
このアルバムには、
アルバム未収録曲やシングルB面曲を含め、
リマスターされた、
ヤードバーズの代表曲がズラリ、
29曲も収録されているのですが、
価格はたったの2,300円ということで、
たいへんお得な1枚です。
「The Train Kept A' Rollin'」と
映画「欲望」のサントラとして再録音された、
「Stroll On」がいっしょに並んでいたり、
「Happenings Ten Years Time Ago」はもちろん、
「Little Games」や「Jeff's Boogie」まで収録されていて、
満足感いっぱいの選曲です。
ヤードバーズを聴いて、
あらためて感じたのは、
やはり、
フーやストーンズの初期、
スモール・フェイセズ、
アニマルズなどと比較して、
ギターの存在感が圧倒的だということ。
すでに、
ギュイ~ンという、
いわゆる“ハードロック”的なトーンが聴ける点がスゴイ。
ジェフ・ベックもそうですが、
ジミー・ペイジなんか、
すでにZEPのフレーズを使っていたりして、
まぁ…やりたい放題ですな。(笑)
で、
「Psycho Daisies」って曲がカッコイイことを知りました。
う~ん、新発見。
まだまだ、知らない曲があるんですね。
さて、
もう1枚は、
昨年の『グルーヴィ・アイズレーズ』と同じく、
日本で編集されたアルバム、
『JAZZ SUPREME:FENDER RHODES PRAYER』。
なんだか、オシャレな感じがしません?
これには、
フェンダー・ローズという、
エレキピアノをメインに使った、
ジャズナンバーという基準で、
1970年代から現代まで、
幅広いミュージシャンの作品から選ばれた、
18曲が収録されています。
ローズは、
独特のフワ~っとした、
浮遊感あふれるトーンが素晴らしく、
トドメにレズリー・スピーカーなどをかけると、
もうこれ以上ないほど、
メロメロなトーンになってしまいます。
そうそう、
ストーンズの「愚か者の涙」のイントロで聴ける、
あの音のことです。
私は、
とくにこのトーンを好むということもあり、
タイトルを見ただけで購入してしまったのですが、
今昔のジャズ…、
それも純粋なジャズではなく、
ソウルやヒップホップといったジャンルと、
限りなく近い位置にあるような、
ジャズファンからはマガイモノ扱いされそうな、
曲ばかりが並んでいて、
それが私のようなROCK中年には、
たまらなくGROOVYに感じられ、
毎晩のように聴いています。
こういうの好きだなぁ…。
で、
なにげなく、
ライナーを読んでいたら、
ドラムスに、
ビリー・コブハムだの、
レニー・ホワイトだの、
バーナード・パーディの名前があり、
やっぱこの方々はスゴいよね、
と納得してしまったりして、
いろいろな楽しみ方ができる1枚であります。
ここ数年というもの、
紙ジャケという魔女にすっかり魅せられたおかげで、
ストレートなロックばかり聴いていたのですが、
それではやはりボキャブラリーが貧困になりそうなので、
今年は“脱ロック”の年にしたいなぁなどと…、
いえ、
ロック以外の音楽を聴いて、
ロックのオリジナルを作るという…、
そういうことですが、
そうでなければ、
おもしろくないよなーっ、
などと思う年の始めでありました。
今年もいっぱい、
いい音楽に出会えるかな?