「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2011/12/11 (Sun)
『トッド・ラングレン/サムシング / エニシング
(TODD RUNDGREN/SOMETHING / ANYTHING ?)』
(1972年発表)
SDE1
アイ・ソー・ザ・ライト(瞳の中の愛)
(I Saw the Light)
所詮は同じこと
(It Wouldn't Have Made Any Difference)
ウルフマン・ジャック
(Wolfman Jack)
冷たい朝の光
(Cold Morning Light)
イット・テイクス・トゥー・トゥ・タンゴ
(It Takes Two to Tango (This Is For the Girls))
甘い想い出
(Sweeter Memories)
SDE2
イントロ
(Intro)
ブレスレス
(Breathless)
ナイト・ザ・カルーゼル・バーント・ダウン
(Night the Carousel Burnt Down)
セイヴィング・グレイス
(Saving Grace)
マーリーン
(Marlene)
ソング・オブ・ザ・ヴァイキング
(Song of the Viking)
アイ・ウェント・トゥ・ザ・ミラー
(I Went to the Mirror)
SDE3
ブラック・マリア
(Black Maria)
ワン・モア・デイ
(One More Day (No Word))
伝えられずにいられない
(Couldn't I Just Tell You)
トーチ・ソング
(Torch Song)
小さな赤い灯
(Little Red Lights)
オーヴァーチュア/マイ・ルーツ:マネー~メッシン・ウィズ・ザ・キッド
(Overture- My Roots: Money (That's What I Want) / Messin' With The Kid)
SDE4
風に舞うほこり
(Dust in the Wind)
ピス・アローン
(Piss Aaron)
ハロー・イッツ・ミー
(Hello It's Me)
サム・フォークス・イズ・イーヴン・ホワイター・ザン・ミー
(Some Folks Is Even Whiter Than Me)
ユー・レフト・ミー・ソア
(You Left Me Sore)
スラット
(Slut)
前回、
U2の話の中で、
1987年…新婚当時、
経済的にまったく余裕のなかった年に、
2枚だけ手に入れたLPの1枚が
『ヨシュアトゥリー』であったと言いましたが、
その、
もう1枚というのが、
トッド・ラングレンの『サムシング / エニシング』でした。
トッド・ラングレンといえば、
その昔、
『ミュージックライフ』誌で、
ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズと、
顔の長さを争っていたことが印象に残っていて、
不覚にも、
ずっと、
お笑い系というか…、
マジメなミュージシャンではないと思っていました。
その後、
1978年頃、
ユートピアのメンバーとして来日し、
テレビの音楽番組に出演した彼を見て、
初めてミュージシャンとして認識するに至るのですが、
当時はCHAR以外に愛用者を知らなかった、
黒いフェンダー・ムスタングを抱え、
SFっぽい、
プログレがかったハードロックを演奏するトッドは、
とても新鮮に映ったものです。
ただ、
その当時すでに、
トッド・ラングレンはソロとユートピアの活動を並行させ、
一方プロデューサーとしても活躍していて、
たくさんのレコードを出していたので、
どこから聴いたらよいのか、
少々取っつきづらい存在でした。
その上、
ソロアルバムの多くは廃盤になっていて、
中古レコード屋で高値がついていました。
これも影響したのか、
私が彼に近づくまでには、
その後数年を必要としたのです。
1986年。
アメリカのライノが、
トッド・ラングレンの作品の販売権を手に入れ、
すべての作品を最発することになりました。
このタイミングで、
音楽雑誌がこぞって彼の特集を組み、
ようやく私は彼に近づくことができるようになりました。
そして、
多くの音楽評論家から高い評価を得ているのが、
この『サムシング / エニシング』だということがわかり、
経済的に余裕がない状況で2枚組はキビシかったのですが、
清水の舞台から飛び降りる勢いで、
手に入れたのでした。
結局、
こんなに聴きこんだ2枚組の作品は他にない、
という程の愛聴盤になりました。
LP時代は4面に分かれており、
3面までは、
トッド・ラングレンが一人ですべての楽器を操り、
多重録音をした作品、
最後の4面だけが、
多数のゲストを招いた、
バンド形態になっています。
当時はリズムガイドなどもなく、
おそらくドラムから順に録音したのでしょうが、
ときにリズムが早くなったり遅くなったり、
そしてそのツジツマというか帳尻を合わすべく、
ギターやピアノのフレーズが入っていたり、
相当な苦労の跡がうかがえるのですが、
それも作品の一部になっているのが、
素晴らしいところです。
SIDE2はシンセサイザーを駆使し、
後のユートピアに通じるような、
スペイシーなサウンドを展開していますが、
その他は、
ハードロックあり、
ロマンティックなバラードあり、
フォーク調の曲ありで、
まるで、
おもちゃ箱をひっくり返したようにバラエティに富んだ楽曲が並んでいます。
しかし、
全体は、
ソウルっぽいコード感覚とピアノを中心としたアレンジに支配されていて、
楽曲のバラエティの割には散漫な印象は受けません。
この感じは、
トッド・ラングレン特有のもので、
キャロル・キングの男性版、
ステーヴィー・ワンダーの白人版とでも言えばいいでしょうか…、
ただし、
ちょっとハードロックっぽく、
そしてホーンよりもコーラスを重視していて、
その部分は、
ビーチボーイズ的というか…、
変なたとえですが、
山下達郎っぽかったりして、
たいへんコダワリを感じる部分ですが、
一聴して彼とわかる、
特有のサウンドを構築しています。
ソウル、
ピアノ、
ハードロック、
コーラス、
プログレッシブロック…、
このへんが彼を語る上でのキーワードでしょうね。
そして、
基本的にはギタリストというか、
ギターが大好きなようで、
ギターソロを弾くと、
かなりプッツンいっちゃうというか、
のけぞっちゃっています。
このへんの、
きっちり作っているのに少々ほころんでいる部分があるのが、
とてもほほえましいですね。
個人的には、
SIDE1の6曲が強力なのと、
(とくにアタマの3曲とタイトル通り大甘の「甘い想い出」)
THE WHOみたいに12弦ギターをかき鳴らす、
「伝えられずにいられない(Couldn't I Just Tell You)」、
そして永遠の名曲、
「ハロー・イッツ・ミー」が気に入って、
とにかく、
よく聴きこんだものです。
また、
ミュージシャンとしては、
やはり、
マルチプレイヤーの面にアコガレ、
一人でも音楽はできるというか…、
一人でやれば妥協せずに、
100%自分のやりたい音が出せるという点に興味を持ちました。
当時の私は、
バンド活動を休止していたのですが、
ここから一人で多重録音をするべく、
少しずつ機材を集め始めることになります。
私が最低限の機材による、
多重録音のソロ作品を完成させたのは、
1990年のこと…、
以降、
1991年、1992年にそれぞれ1作ずつ、
計3作品を残すに至ったのは、
トッド・ラングレンのおかげ、
というより、
この『サムシング / エニシング』を聴いたからでしょうね。
さらに、
ギタリストもピアノを扱えるようになって、
コード感覚を磨くべきだと思い、
ヤマハのサンプリングシンセを手に入れ、
バイエル1冊を独学でこなすに至るわけですが、
これも間違いなくトッドからの影響です。
これ以降の私は、
ギターを中心に楽曲を考えるのではなく、
あくまでも楽曲優先に考え、
ギターはその表現手段のひとつ、
と考えるようになりました、
この主張が今に至ります。
そう考えると、
今の自分があるのは、
この『サムシング / エニシング』による所が大きく、
あのとき、
かなり無理をして購入したことは、
とても価値があったと思う次第です。
↓最近の映像で、ホール&オーツと共演した映像です。
(TODD RUNDGREN/SOMETHING / ANYTHING ?)』
(1972年発表)
SDE1
アイ・ソー・ザ・ライト(瞳の中の愛)
(I Saw the Light)
所詮は同じこと
(It Wouldn't Have Made Any Difference)
ウルフマン・ジャック
(Wolfman Jack)
冷たい朝の光
(Cold Morning Light)
イット・テイクス・トゥー・トゥ・タンゴ
(It Takes Two to Tango (This Is For the Girls))
甘い想い出
(Sweeter Memories)
SDE2
イントロ
(Intro)
ブレスレス
(Breathless)
ナイト・ザ・カルーゼル・バーント・ダウン
(Night the Carousel Burnt Down)
セイヴィング・グレイス
(Saving Grace)
マーリーン
(Marlene)
ソング・オブ・ザ・ヴァイキング
(Song of the Viking)
アイ・ウェント・トゥ・ザ・ミラー
(I Went to the Mirror)
SDE3
ブラック・マリア
(Black Maria)
ワン・モア・デイ
(One More Day (No Word))
伝えられずにいられない
(Couldn't I Just Tell You)
トーチ・ソング
(Torch Song)
小さな赤い灯
(Little Red Lights)
オーヴァーチュア/マイ・ルーツ:マネー~メッシン・ウィズ・ザ・キッド
(Overture- My Roots: Money (That's What I Want) / Messin' With The Kid)
SDE4
風に舞うほこり
(Dust in the Wind)
ピス・アローン
(Piss Aaron)
ハロー・イッツ・ミー
(Hello It's Me)
サム・フォークス・イズ・イーヴン・ホワイター・ザン・ミー
(Some Folks Is Even Whiter Than Me)
ユー・レフト・ミー・ソア
(You Left Me Sore)
スラット
(Slut)
前回、
U2の話の中で、
1987年…新婚当時、
経済的にまったく余裕のなかった年に、
2枚だけ手に入れたLPの1枚が
『ヨシュアトゥリー』であったと言いましたが、
その、
もう1枚というのが、
トッド・ラングレンの『サムシング / エニシング』でした。
トッド・ラングレンといえば、
その昔、
『ミュージックライフ』誌で、
ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズと、
顔の長さを争っていたことが印象に残っていて、
不覚にも、
ずっと、
お笑い系というか…、
マジメなミュージシャンではないと思っていました。
その後、
1978年頃、
ユートピアのメンバーとして来日し、
テレビの音楽番組に出演した彼を見て、
初めてミュージシャンとして認識するに至るのですが、
当時はCHAR以外に愛用者を知らなかった、
黒いフェンダー・ムスタングを抱え、
SFっぽい、
プログレがかったハードロックを演奏するトッドは、
とても新鮮に映ったものです。
ただ、
その当時すでに、
トッド・ラングレンはソロとユートピアの活動を並行させ、
一方プロデューサーとしても活躍していて、
たくさんのレコードを出していたので、
どこから聴いたらよいのか、
少々取っつきづらい存在でした。
その上、
ソロアルバムの多くは廃盤になっていて、
中古レコード屋で高値がついていました。
これも影響したのか、
私が彼に近づくまでには、
その後数年を必要としたのです。
1986年。
アメリカのライノが、
トッド・ラングレンの作品の販売権を手に入れ、
すべての作品を最発することになりました。
このタイミングで、
音楽雑誌がこぞって彼の特集を組み、
ようやく私は彼に近づくことができるようになりました。
そして、
多くの音楽評論家から高い評価を得ているのが、
この『サムシング / エニシング』だということがわかり、
経済的に余裕がない状況で2枚組はキビシかったのですが、
清水の舞台から飛び降りる勢いで、
手に入れたのでした。
結局、
こんなに聴きこんだ2枚組の作品は他にない、
という程の愛聴盤になりました。
LP時代は4面に分かれており、
3面までは、
トッド・ラングレンが一人ですべての楽器を操り、
多重録音をした作品、
最後の4面だけが、
多数のゲストを招いた、
バンド形態になっています。
当時はリズムガイドなどもなく、
おそらくドラムから順に録音したのでしょうが、
ときにリズムが早くなったり遅くなったり、
そしてそのツジツマというか帳尻を合わすべく、
ギターやピアノのフレーズが入っていたり、
相当な苦労の跡がうかがえるのですが、
それも作品の一部になっているのが、
素晴らしいところです。
SIDE2はシンセサイザーを駆使し、
後のユートピアに通じるような、
スペイシーなサウンドを展開していますが、
その他は、
ハードロックあり、
ロマンティックなバラードあり、
フォーク調の曲ありで、
まるで、
おもちゃ箱をひっくり返したようにバラエティに富んだ楽曲が並んでいます。
しかし、
全体は、
ソウルっぽいコード感覚とピアノを中心としたアレンジに支配されていて、
楽曲のバラエティの割には散漫な印象は受けません。
この感じは、
トッド・ラングレン特有のもので、
キャロル・キングの男性版、
ステーヴィー・ワンダーの白人版とでも言えばいいでしょうか…、
ただし、
ちょっとハードロックっぽく、
そしてホーンよりもコーラスを重視していて、
その部分は、
ビーチボーイズ的というか…、
変なたとえですが、
山下達郎っぽかったりして、
たいへんコダワリを感じる部分ですが、
一聴して彼とわかる、
特有のサウンドを構築しています。
ソウル、
ピアノ、
ハードロック、
コーラス、
プログレッシブロック…、
このへんが彼を語る上でのキーワードでしょうね。
そして、
基本的にはギタリストというか、
ギターが大好きなようで、
ギターソロを弾くと、
かなりプッツンいっちゃうというか、
のけぞっちゃっています。
このへんの、
きっちり作っているのに少々ほころんでいる部分があるのが、
とてもほほえましいですね。
個人的には、
SIDE1の6曲が強力なのと、
(とくにアタマの3曲とタイトル通り大甘の「甘い想い出」)
THE WHOみたいに12弦ギターをかき鳴らす、
「伝えられずにいられない(Couldn't I Just Tell You)」、
そして永遠の名曲、
「ハロー・イッツ・ミー」が気に入って、
とにかく、
よく聴きこんだものです。
また、
ミュージシャンとしては、
やはり、
マルチプレイヤーの面にアコガレ、
一人でも音楽はできるというか…、
一人でやれば妥協せずに、
100%自分のやりたい音が出せるという点に興味を持ちました。
当時の私は、
バンド活動を休止していたのですが、
ここから一人で多重録音をするべく、
少しずつ機材を集め始めることになります。
私が最低限の機材による、
多重録音のソロ作品を完成させたのは、
1990年のこと…、
以降、
1991年、1992年にそれぞれ1作ずつ、
計3作品を残すに至ったのは、
トッド・ラングレンのおかげ、
というより、
この『サムシング / エニシング』を聴いたからでしょうね。
さらに、
ギタリストもピアノを扱えるようになって、
コード感覚を磨くべきだと思い、
ヤマハのサンプリングシンセを手に入れ、
バイエル1冊を独学でこなすに至るわけですが、
これも間違いなくトッドからの影響です。
これ以降の私は、
ギターを中心に楽曲を考えるのではなく、
あくまでも楽曲優先に考え、
ギターはその表現手段のひとつ、
と考えるようになりました、
この主張が今に至ります。
そう考えると、
今の自分があるのは、
この『サムシング / エニシング』による所が大きく、
あのとき、
かなり無理をして購入したことは、
とても価値があったと思う次第です。
↓最近の映像で、ホール&オーツと共演した映像です。
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★2011/12/04 (Sun)
毎年恒例の、
忘年会ライブが、
昨夜「吉祥寺 曼荼羅Ⅱ」で開催されました。
演奏曲目は以下の通りです。
1、Feel Like A River(I Talk to Myself)
2、神曲:煉獄編
3、I've Got A Fever
4、プカプカ
原田芳雄さんへ追悼の意を込めた、
「プカプカ」以外はすべてオリジナルで、
1曲目の「Feel Like A River」は、
スタジオセッションから生まれた、
今年の新曲です。
今年は、
年頭こそ非常にモチベーションが上がっていたのですが、
その後、
震災あり、
メンバーのプライベートでいろいろありで、
数える程しか音を出すことができず、
10月後半に至って、
どうしよう?ということになり、
オリジナル3曲を、
インプロビゼーションでふくらまして、
なんとかしよう、
ということになりました。
そこへ、
軽い思い付きで「プカプカ」を加え、
このような選曲になったのです。
その結果はどうだったか?
といえば…、
奇しくも、
我々が何者であるかを、
演奏側も聴く側も共有することができた、
そんな内容になったようです。
LOOSE CONNECTIONが現在のメンバーになってから、
このイベントに参加するのは、
これで10回目になりますが、
これまでの最大の収穫が、
「神曲:煉獄編」
「I've Got A Fever」
という2曲のオリジナルです。
この2曲こそ、
各メンバーの持ち味が充分発揮され、
なおかつ、
我々独特の雰囲気を演出することができます。
これらを演奏すると、
場の空気が変わるらしいのです(笑)
先の「Feel Like A River」は、
これを継承しながらも、
新たな方向性を示唆しており、
この曲を今回発表できたことには、
たいへん大きな意味があったと思います。
(この曲以来、
marcさんは声に派手なエフェクトをかけるようになり、
またそれが、
キャラクターによく合っています)
来年は、
復活10周年を迎える、
LOOSE CONNECTION。
来年こそは、
いくつかのイベントを企画し、
実現へ向けたいと思います。
PS:
今だから、
そんなカッコいいこと言えますが…、
先週になって、
またバンド活動に支障をきたしかねないトラブルが発生…、
なんとか参加できそうになったら、
当日の早朝、
千葉県で地震が発生し、
交通機関が一時ストップ。
(直下型だったから、ウチの方はスゴイ揺れ方だったんです!
また来た?と思ったくらいでした)
その上、
夜からの大雨…(これは私だけ?)
…もうやめたーっと、
何度思ったかことか…(笑)
本当に、
直前まで何度も、
ダメかな?と思いながら、
なんとか演奏までこぎつけました。
そういう点からも、
忘れられない年になりそうです。
でも、
どんなにヒドイ演奏になっても、
できるかぎり続けていきたいし、
続けることに意味がある、
それがどれだけありがたいことか、
そんなことを意識した一日でした。
画像、音源等、
用意できたら紹介します、
と言いたいところですが…、
今回は、
事前の準備が間に合わなかったので、
何もアップできないかもしれません。
何かあればアップしますが、
あまり期待しないでくださーい。
忘年会ライブが、
昨夜「吉祥寺 曼荼羅Ⅱ」で開催されました。
演奏曲目は以下の通りです。
1、Feel Like A River(I Talk to Myself)
2、神曲:煉獄編
3、I've Got A Fever
4、プカプカ
原田芳雄さんへ追悼の意を込めた、
「プカプカ」以外はすべてオリジナルで、
1曲目の「Feel Like A River」は、
スタジオセッションから生まれた、
今年の新曲です。
今年は、
年頭こそ非常にモチベーションが上がっていたのですが、
その後、
震災あり、
メンバーのプライベートでいろいろありで、
数える程しか音を出すことができず、
10月後半に至って、
どうしよう?ということになり、
オリジナル3曲を、
インプロビゼーションでふくらまして、
なんとかしよう、
ということになりました。
そこへ、
軽い思い付きで「プカプカ」を加え、
このような選曲になったのです。
その結果はどうだったか?
といえば…、
奇しくも、
我々が何者であるかを、
演奏側も聴く側も共有することができた、
そんな内容になったようです。
LOOSE CONNECTIONが現在のメンバーになってから、
このイベントに参加するのは、
これで10回目になりますが、
これまでの最大の収穫が、
「神曲:煉獄編」
「I've Got A Fever」
という2曲のオリジナルです。
この2曲こそ、
各メンバーの持ち味が充分発揮され、
なおかつ、
我々独特の雰囲気を演出することができます。
これらを演奏すると、
場の空気が変わるらしいのです(笑)
先の「Feel Like A River」は、
これを継承しながらも、
新たな方向性を示唆しており、
この曲を今回発表できたことには、
たいへん大きな意味があったと思います。
(この曲以来、
marcさんは声に派手なエフェクトをかけるようになり、
またそれが、
キャラクターによく合っています)
来年は、
復活10周年を迎える、
LOOSE CONNECTION。
来年こそは、
いくつかのイベントを企画し、
実現へ向けたいと思います。
PS:
今だから、
そんなカッコいいこと言えますが…、
先週になって、
またバンド活動に支障をきたしかねないトラブルが発生…、
なんとか参加できそうになったら、
当日の早朝、
千葉県で地震が発生し、
交通機関が一時ストップ。
(直下型だったから、ウチの方はスゴイ揺れ方だったんです!
また来た?と思ったくらいでした)
その上、
夜からの大雨…(これは私だけ?)
…もうやめたーっと、
何度思ったかことか…(笑)
本当に、
直前まで何度も、
ダメかな?と思いながら、
なんとか演奏までこぎつけました。
そういう点からも、
忘れられない年になりそうです。
でも、
どんなにヒドイ演奏になっても、
できるかぎり続けていきたいし、
続けることに意味がある、
それがどれだけありがたいことか、
そんなことを意識した一日でした。
画像、音源等、
用意できたら紹介します、
と言いたいところですが…、
今回は、
事前の準備が間に合わなかったので、
何もアップできないかもしれません。
何かあればアップしますが、
あまり期待しないでくださーい。
★2011/11/27 (Sun)
『U2/ヨシュアトゥリー
(U2/JOSHUA TREE』
(1987年発表)
SDE1
約束の地
(Where The Streets Have No Name)
終りなき旅
(I Still Haven't Found What I'm Looking For)
ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー
(With Or Without You)
ブリット・ザ・ブルー・スカイ
(Bullet The Blue Sky)
ラニング・トゥ・スタンド・スティル
(Running To Stand Still)
SDE2
レッド・ヒル・マイニング・タウン
(Red Hill Mining Town)
神の国
(In God's Country)
トリップ・スルー・ユア・ワイアーズ
(Trip Through Your Wires)
ワン・トゥリー・ヒル
(One Tree Hill)
イグジット
(Exit)
マザーズ・オブ・ザ・ディサピアード
(Mothers Of The Disappeared)
天から音が降ってくる…。
このアルバムの1曲目、
「約束の地」のイントロが流れてきた瞬間に、
そう感じたものです。
今となっては、
それがどこだったのか、
よく覚えていないのですが、
1987年…新婚当時、
経済的にまったく余裕のなかった年に、
2枚だけ手に入れたLPの1枚であったことだけは、
今でも覚えています。
私とU2の出会いは、
この時から数年遡る1983年
…ちょうどLOOSE CONNECTIONがオリジナル曲を作り始めた頃…
になります。
このとき彼らは、
サードアルバム『WAR』を発表し、
そこからシングルカットされた、
「Two Hearts Beat As One」と「New Year's Day」
を聴いたことから、
私は彼らに興味を持つようになったのです。
なにしろ、
ギターサウンドが新鮮で、
さっそくそれを自分のギタープレイに取り込もうとしたおかげか、
初期の LOOSE CONNECTIONのオリジナル曲には、
かなり“U2っぽい”アレンジが見られます。
“U2っぽい”とはつまり…、
ギタリストの THE EDGEは、
基本的にフォークっぽく、
コードをかき鳴らすタイプなのですが、
そこに、
当時の最新鋭エフェクト、
デジタルディレイをかまし、
独特な音の奥行きと響きを生んでいます。
これが、
U2サウンドを印象的なものにしているのです。
デジタルディレイとは、
簡単に言うとエコーマシンの発展型です。
1970年代初頭、
テープを使って音をリピートさせていたエコーマシンは、
1970年代後半、
テープをメンテナンスするわずらわしさを解消するために
電子回路を使うようになり(いわゆるアナログディレイの登場)、
その数年後に、
回路をデジタル化したデジタルディレイへと進化を遂げました。
サウンド的には、
テープ式エコーとアナログディレイは、
リピートする音の輪郭が不鮮明で、
靄がかかったような感じになりますが、
デジタルディレイはそうではなく、
音の輪郭が限りなく鮮明で、
原音が「カキン、カキン、カキン…」と、
そのまま永遠に繰り返される感じになります。
ピンク・フロイドのデイブ・ギルモアはテープ式エコー、
U2の THE EDGEがデジタルディレイと言えば、
ギターを弾かない人でもイメージがつかめると思います。
ただし、
テープ式エコーやアナログディレイは、
もはや使えないのかと言えばそうではなく、
リピート音の輪郭の不鮮明さが、
かえって暖かい印象を与えるために、
デジタルディレイの冷たい音の感触を嫌い、
今でも愛用する人が多いのです。
両者は好みや目的に応じて使い分けることが必要で、
道具としては共存するべきものなのです。
THE EDGEは、
このようなデジタルディレイの特質を活かし、
たいへんクールな、
独特のギタープレイを展開しています。
デイブ・ギルモアに影響を受けて以来、
いつもエコーマシンを足元に置いていた私は、
さっそくデジタルディレイを購入し、
いろいろと試してみたというわけです。
冒頭の“天から音が降ってきた音”
「約束の地」のイントロこそ、
デジタルディレイを使った効果として、
もっともわかりやすいものでしょう。
さて、
この『ヨシュアトゥリー』ですが、
そんなTHE EDGEのギターのおかげで、
クールな音に仕上がっているのかと言えば、
そんなことはなく、
ボーノの声やメロディラインがとてもホットなためか、
音はクールなのに、
全体的には暖かい印象を受ける、
不思議なサウンドに仕上がっています。
(プロデューサーである、
イーノが随所に使用した、
鍵盤楽器の装飾音が効いているのかもしれません)
一方では、
アイルランドのバンドとして立脚していた彼らが、
アメリカの音楽に正面から向き合ったことで、
ヨーロッパ的なのに、
なぜかブルースやフォーク、ソウルを感じさせる、
不思議なサウンドを生み出したことによるのかもしれません。
この作品から彼らは、
一段大きなグループに成長していったのですから…。
さて、
この作品、
今さら私が何か言わなくても、
すでにロックの名盤として地位を確立しているわけですが、
とにかく、
1曲目から4曲目が強力で、
不幸にしてまだ聴いたことのない方がいたら、
これを聴いていただければ、
私の言っていることを理解してもらえるのではないでしょうか。
テクノロジーの進化をうまく利用し、
それを自分達のサウンドとして昇華した U2。
これ以降、
私は2種類のエコーサウンド…、
アナログとデジタルを使い分けるようになりました。
そして、
アメリカのルーツミュージックを
自分流に解釈することの可能性を知りました。
俺流ブルース、俺流ソウルでいいんですよ。
ところで、
この「約束の地」を胎教のように
毎日聴かされていたのが私の長男なのですが…、
これが彼の人格形成にどのように影響したかについては、
いまだ検証中です。
というか…、
彼は覚えていなかったですね(笑)
(U2/JOSHUA TREE』
(1987年発表)
SDE1
約束の地
(Where The Streets Have No Name)
終りなき旅
(I Still Haven't Found What I'm Looking For)
ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー
(With Or Without You)
ブリット・ザ・ブルー・スカイ
(Bullet The Blue Sky)
ラニング・トゥ・スタンド・スティル
(Running To Stand Still)
SDE2
レッド・ヒル・マイニング・タウン
(Red Hill Mining Town)
神の国
(In God's Country)
トリップ・スルー・ユア・ワイアーズ
(Trip Through Your Wires)
ワン・トゥリー・ヒル
(One Tree Hill)
イグジット
(Exit)
マザーズ・オブ・ザ・ディサピアード
(Mothers Of The Disappeared)
天から音が降ってくる…。
このアルバムの1曲目、
「約束の地」のイントロが流れてきた瞬間に、
そう感じたものです。
今となっては、
それがどこだったのか、
よく覚えていないのですが、
1987年…新婚当時、
経済的にまったく余裕のなかった年に、
2枚だけ手に入れたLPの1枚であったことだけは、
今でも覚えています。
私とU2の出会いは、
この時から数年遡る1983年
…ちょうどLOOSE CONNECTIONがオリジナル曲を作り始めた頃…
になります。
このとき彼らは、
サードアルバム『WAR』を発表し、
そこからシングルカットされた、
「Two Hearts Beat As One」と「New Year's Day」
を聴いたことから、
私は彼らに興味を持つようになったのです。
なにしろ、
ギターサウンドが新鮮で、
さっそくそれを自分のギタープレイに取り込もうとしたおかげか、
初期の LOOSE CONNECTIONのオリジナル曲には、
かなり“U2っぽい”アレンジが見られます。
“U2っぽい”とはつまり…、
ギタリストの THE EDGEは、
基本的にフォークっぽく、
コードをかき鳴らすタイプなのですが、
そこに、
当時の最新鋭エフェクト、
デジタルディレイをかまし、
独特な音の奥行きと響きを生んでいます。
これが、
U2サウンドを印象的なものにしているのです。
デジタルディレイとは、
簡単に言うとエコーマシンの発展型です。
1970年代初頭、
テープを使って音をリピートさせていたエコーマシンは、
1970年代後半、
テープをメンテナンスするわずらわしさを解消するために
電子回路を使うようになり(いわゆるアナログディレイの登場)、
その数年後に、
回路をデジタル化したデジタルディレイへと進化を遂げました。
サウンド的には、
テープ式エコーとアナログディレイは、
リピートする音の輪郭が不鮮明で、
靄がかかったような感じになりますが、
デジタルディレイはそうではなく、
音の輪郭が限りなく鮮明で、
原音が「カキン、カキン、カキン…」と、
そのまま永遠に繰り返される感じになります。
ピンク・フロイドのデイブ・ギルモアはテープ式エコー、
U2の THE EDGEがデジタルディレイと言えば、
ギターを弾かない人でもイメージがつかめると思います。
ただし、
テープ式エコーやアナログディレイは、
もはや使えないのかと言えばそうではなく、
リピート音の輪郭の不鮮明さが、
かえって暖かい印象を与えるために、
デジタルディレイの冷たい音の感触を嫌い、
今でも愛用する人が多いのです。
両者は好みや目的に応じて使い分けることが必要で、
道具としては共存するべきものなのです。
THE EDGEは、
このようなデジタルディレイの特質を活かし、
たいへんクールな、
独特のギタープレイを展開しています。
デイブ・ギルモアに影響を受けて以来、
いつもエコーマシンを足元に置いていた私は、
さっそくデジタルディレイを購入し、
いろいろと試してみたというわけです。
冒頭の“天から音が降ってきた音”
「約束の地」のイントロこそ、
デジタルディレイを使った効果として、
もっともわかりやすいものでしょう。
さて、
この『ヨシュアトゥリー』ですが、
そんなTHE EDGEのギターのおかげで、
クールな音に仕上がっているのかと言えば、
そんなことはなく、
ボーノの声やメロディラインがとてもホットなためか、
音はクールなのに、
全体的には暖かい印象を受ける、
不思議なサウンドに仕上がっています。
(プロデューサーである、
イーノが随所に使用した、
鍵盤楽器の装飾音が効いているのかもしれません)
一方では、
アイルランドのバンドとして立脚していた彼らが、
アメリカの音楽に正面から向き合ったことで、
ヨーロッパ的なのに、
なぜかブルースやフォーク、ソウルを感じさせる、
不思議なサウンドを生み出したことによるのかもしれません。
この作品から彼らは、
一段大きなグループに成長していったのですから…。
さて、
この作品、
今さら私が何か言わなくても、
すでにロックの名盤として地位を確立しているわけですが、
とにかく、
1曲目から4曲目が強力で、
不幸にしてまだ聴いたことのない方がいたら、
これを聴いていただければ、
私の言っていることを理解してもらえるのではないでしょうか。
テクノロジーの進化をうまく利用し、
それを自分達のサウンドとして昇華した U2。
これ以降、
私は2種類のエコーサウンド…、
アナログとデジタルを使い分けるようになりました。
そして、
アメリカのルーツミュージックを
自分流に解釈することの可能性を知りました。
俺流ブルース、俺流ソウルでいいんですよ。
ところで、
この「約束の地」を胎教のように
毎日聴かされていたのが私の長男なのですが…、
これが彼の人格形成にどのように影響したかについては、
いまだ検証中です。
というか…、
彼は覚えていなかったですね(笑)
★2011/11/20 (Sun)
『プリテンダーズ/ゲット・クローズ
(PRETENDERS/GET CLOSE』
(1986年発表)
SDE1
マイ・ベイビー
(My Baby)
チェンジ・マイ・ライフ
(When I Change My Life)
月の光
(Light Of The Moon)
ダンス
(Dance!)
愛の伝説
(Tradition Of Love)
SDE2
ドント・ゲット・ミー・ロング
(Don't Get Me Wrong)
アイ・リメンバー・ユー
(I Remember You)
魂の値
(How Much Did You Get For Your Soul?)
チル・ファクター
(Chill Factor)
ヒム・トゥ・ハー(聖歌)
(Hymn To Her)
鏡の部屋
(Room Full Of Mirrors)
前回、
プリテンダーズの『ラーニング・トゥ・クロール』を紹介しましたが、
文中で触れたように、
このアルバムの続編というか、
ほとんど対になっているような作品が、
本作『ゲット・クローズ』です。
アルバムジャケットの色調も前作と同じことから、
製作サイド側にもこのような意識があったことをうかがわせます。
とはいえ、
メンバーは前作から大きく変化しており、
最後のオリジナルメンバーであった、
ドラマーのマーティン・チェンバースが脱退し、
ベーシストも交替し、
リズムセクションは。
TM・スティーブンスとブレア・カニンガムの。
黒人コンビになっています。
しかし、
例の“名手”ロビー・マッキントッシュは健在で、
前作以上にバリバリ弾きまくっております。
それから、
プロデューサーがボブ・クリアマウンテンで、
いわゆる当時流行のゲートホールサウンド…、
U2やストーンズの『アンダーカヴァー』で聴かれるような、
ベシャっと水平方向に音が流れる特有の残響感が特徴…、
の音に仕上がっています。
この洗練された音は日本でも売れると思われたのか、
前作に比べて邦題の数が増えています。(笑)
たしかに…、
ヒット曲、
「ドント・ゲット・ミー・ロング」は今でも耳にするし、
あきらかにこの曲をパクっていた、
本田美奈子さんの「One Way Generation」もヒットしたし、
(この映像、かわいいですね…
それにしても惜しい人材を亡くしました…)
見事に予想が当たり、
プリテンダーズ最大のヒットとなったわけです。
粋なロックンロールを聴かせていたものの、
どこかパンクっぽいというか、
学生のガレージバンドみたいだったバンドが、
思いっきりプロフェッショナルになり、
さてこれからどこまで大きくなるのか?
そんな期待を抱かせた瞬間でした。
私が大好きだったのは、
「ヒム・トゥ・ハー(聖歌)」で、
この荘厳なメロディの美しさに、
どれだけ感動したことでしょう。
1987年の来日公演の際は、
クリッシーの後ろからスポットが当たり、
まるで後光がさしたような演出がされ、
彼女が女神のように見えたものです。
ラストの「鏡の部屋」はご存じ、
ジミヘンのカヴァーですが、
ちょっとテクノっぽいアレンジになっていて、
カッコいいですね。
同じく1987年の来日公演の際は、
この曲でロビーが弾きまくっており、
これも印象に残っております。
残念ながら、
プリテンダーズはこの後、
ロビー・マッキントッシュが
ポール・マッカートニーに引き抜かれて脱退、
作品にも恵まれず、
徐々にフェイドアウトしていきます。
もう1〜2作、
このレベルの作品を発表できたら、
ロック史に残るバンド…、
そして。
クリッシーは女性ロッカーの鏡になったのでしょうが、
そうはなりませんでした。
“知る人ぞ知る”存在では、
もったいないと思うのですが、
いかがなものでしょう?
(PRETENDERS/GET CLOSE』
(1986年発表)
SDE1
マイ・ベイビー
(My Baby)
チェンジ・マイ・ライフ
(When I Change My Life)
月の光
(Light Of The Moon)
ダンス
(Dance!)
愛の伝説
(Tradition Of Love)
SDE2
ドント・ゲット・ミー・ロング
(Don't Get Me Wrong)
アイ・リメンバー・ユー
(I Remember You)
魂の値
(How Much Did You Get For Your Soul?)
チル・ファクター
(Chill Factor)
ヒム・トゥ・ハー(聖歌)
(Hymn To Her)
鏡の部屋
(Room Full Of Mirrors)
前回、
プリテンダーズの『ラーニング・トゥ・クロール』を紹介しましたが、
文中で触れたように、
このアルバムの続編というか、
ほとんど対になっているような作品が、
本作『ゲット・クローズ』です。
アルバムジャケットの色調も前作と同じことから、
製作サイド側にもこのような意識があったことをうかがわせます。
とはいえ、
メンバーは前作から大きく変化しており、
最後のオリジナルメンバーであった、
ドラマーのマーティン・チェンバースが脱退し、
ベーシストも交替し、
リズムセクションは。
TM・スティーブンスとブレア・カニンガムの。
黒人コンビになっています。
しかし、
例の“名手”ロビー・マッキントッシュは健在で、
前作以上にバリバリ弾きまくっております。
それから、
プロデューサーがボブ・クリアマウンテンで、
いわゆる当時流行のゲートホールサウンド…、
U2やストーンズの『アンダーカヴァー』で聴かれるような、
ベシャっと水平方向に音が流れる特有の残響感が特徴…、
の音に仕上がっています。
この洗練された音は日本でも売れると思われたのか、
前作に比べて邦題の数が増えています。(笑)
たしかに…、
ヒット曲、
「ドント・ゲット・ミー・ロング」は今でも耳にするし、
あきらかにこの曲をパクっていた、
本田美奈子さんの「One Way Generation」もヒットしたし、
(この映像、かわいいですね…
それにしても惜しい人材を亡くしました…)
見事に予想が当たり、
プリテンダーズ最大のヒットとなったわけです。
粋なロックンロールを聴かせていたものの、
どこかパンクっぽいというか、
学生のガレージバンドみたいだったバンドが、
思いっきりプロフェッショナルになり、
さてこれからどこまで大きくなるのか?
そんな期待を抱かせた瞬間でした。
私が大好きだったのは、
「ヒム・トゥ・ハー(聖歌)」で、
この荘厳なメロディの美しさに、
どれだけ感動したことでしょう。
1987年の来日公演の際は、
クリッシーの後ろからスポットが当たり、
まるで後光がさしたような演出がされ、
彼女が女神のように見えたものです。
ラストの「鏡の部屋」はご存じ、
ジミヘンのカヴァーですが、
ちょっとテクノっぽいアレンジになっていて、
カッコいいですね。
同じく1987年の来日公演の際は、
この曲でロビーが弾きまくっており、
これも印象に残っております。
残念ながら、
プリテンダーズはこの後、
ロビー・マッキントッシュが
ポール・マッカートニーに引き抜かれて脱退、
作品にも恵まれず、
徐々にフェイドアウトしていきます。
もう1〜2作、
このレベルの作品を発表できたら、
ロック史に残るバンド…、
そして。
クリッシーは女性ロッカーの鏡になったのでしょうが、
そうはなりませんでした。
“知る人ぞ知る”存在では、
もったいないと思うのですが、
いかがなものでしょう?
★2011/11/13 (Sun)
じつは、
前回の THE WHO で、
このシリーズの第1部が完結します。
というのも、
そこまでが学生時代…
ギターでメシを食おうと夢を見ていた時代…
に影響を受けた作品で、
ここからは、
社会人になってから…
つまりギターでメシを食うことをあきらめてから…
影響を受けた作品ということになるからです。
では、
いままでの作品を一覧にしてみましょう。
①『地獄の軍団/キッス』(1976年発表)
②『ブラック・アンド・ブルー/ローリング・ストーンズ』(1976年発表)
③『ロックス/エアロスミス』(1976年発表)
④『狂気/ピンク・フロイド』(1973年発表)
⑤『ディープ・パープル・イン・ロック』(1970年発表)
⑥『悪魔と魔法使い/ユーライア・ヒープ』(1972年発表)
⑦『ジェフ・ベック・グループ』(通称『オレンジ』:1972年発表)
⑧『フリースピリット/ジョニー・ルイス&チャー』(1979年発表)
⑨『白いレガッタ/ポリス』(1979年発表)
⑩『ムーヴィング・ピクチャーズ/ラッシュ』(1981年発表)
⑪『ザ・フー/キッズ・アー・オールライト』(1979年発表)
(過去のバックナンバーはこちらから)
つまり、
ハードなロックンロールを骨格に、
プログレッシブロックで装飾を加え、
リッチー・ブラックモアからギターテクを学び、
ソウルやファンクといったブラックミュージックで幅を広げた…、
それが私のギタースタイルということになるのでしょうね。
さらに、
バンドでオリジナルを意識してから、
『製なる館』以降の後期レッド・ツェッペリン、
そして、
『太陽と戦慄』から『レッド』あたりの、
こちらもいわゆる、後期キング・クリムゾン
の影響も無視できません。
第三者的に見ると、
私はそんなヤツなんです。
それでは、
そろそろ参りましょうか。
--------------------------------------------------------
私的ロック評論シリーズの第12弾です。
第12回は、
PRETENDERSの『LEARNING TO CRAWL』です。
『プリテンダーズ/ラーニング・トゥ・クロール
(PRETENDERS/LEARNING TO CRAWL』
(1984年発表)
SDE1
ミドル・オブ・ザ・ロード
(Middle Of The Road)
チェイン・ギャング
(Back On The Chain Gang)
タイム・ジ・アヴェンジャー
(Time The Avenger)
ウォッチング・ザ・クローズ
(Watching The Clothes)
ショー・ミー
(Show Me)
SDE2
サンベリーナ
(Thumbelina)
マイ・シティ
(My City Was Gone)
ラブ・アンド・ヘイト
(Thin Line Between Love And Hate)
アイ・ハート・ユー
(I Hurt You)
2000マイルズ
(2000 Miles)
この作品は、
1979年にデビューしたプリテンダーズの3枚目のアルバムです。
プリテンダーズといえば、
ヴォーカル&ギターのクリッシー・ハインド。
彼女が白いSGジュニアを抱えて、
「ストップ・ユア・ソビン」でデビューした際に、
女版キース・リチャーズのようで恰好よかったことは、
いまでも鮮烈に覚えています。
キンクスの大ファンで、
ちょっと跳ねっ返りの彼女は、
まさしくロッカーそのもの。
シンプルで軽めの、
どこか懐かしいタイプの楽曲にも好感が持て、
私はすぐにこのバンドのファンになりました。
それから5年の歳月が流れ、
大学を卒業して就職をした年(1984年)、
「ベストヒットUSA」に
「チェイン・ギャング」がランクインされていました。
あ…これはいい曲だ。
ひさびさのヒットだね。
っと早速購入したのが、
このアルバム『ラーニング・トゥ・クロール』だったのです。
アルバムを聴いてみたところ、
これは素晴らしい…。
名作と言われたファーストアルバムを
はるかに上回る傑作であることに気がつき、
熱心に聴き込むようになりました。
そして、
この年の初めに、
オリジナルメンバーであった、
ジェイムズ・ハニーマン・スコット(ギタリスト)
と
ピート・ファーンドン(ベーシスト)が相次いで、
ドラックが原因で亡くなっていたこと。
さらに…、
クリッシーが、
かねてから愛人関係だった、
キンクスのレイ・デイヴィスとの間にできた子供を
出産していたこと。
を知りました。
あの跳ねっ返りの女キースが、
メンバー2人を…、
いや、
ピートは元カレだから、
単なるメンバーでは済まされない存在のはず…、
そんな自分にとってかけがえのない人を亡くし、
そして、
愛人とはいえ、
子供を産み、
今で言うシングルマザーになったとは…。
この作品から感じとれる、
優しさ、
そして骨太さは、
ここに由来しているものだったのか、
と感心してしまいました。
私にこの世で生きていることの意味を教えて、
と歌う「ショー・ミー」。
好きと嫌いの感情にはほんの少しの境界線しかないのよ、
と歌う「ラブ・アンド・ヘイト」。
そして…、
愛しい人に会いたいけれど、
あなたはもう会えないほど遠くへ行ってしまった、
とクリスマスに歌う「2000マイルズ」。
どれも簡単には言葉で表せない、
壮絶な人生の修羅場を歌っているのですが…、
おそらく、
出産という新しい生命の誕生を経験した彼女は、
それらすべてを受け入れて、
その上で前へ進むことを決心したのでしょう…、
軽やかに、
そしてきらびやかな楽曲に、
さりげなくメッセージを封じ込め、
完成度の高い作品に仕上げています。
だから、
アルバムタイトルが LEARNING TO CRAWL …
ハイハイをし始める…なんですね。
これは、
彼女なりに表現した、
新しい一歩の決意表明なんでしょうね。
(そういえば、
アルバムジャケットのデザインは THE WHO のファーストにそっくり)
女性ってスゴいですよ。
ホントにスゴい!
つくづくそう思いました。
一方楽曲は、
フォークやカントリー、
そしてソウルっぽいタイプが多いのですが、
さすがにイギリスのバンドだけあって、
自分流の音として見事に消化しています。
サウンド面で特筆すべきは、
ギターの音の素晴らしさ。
フェンダー系
シングルコイルピックアップの素晴らしさを堪能することができます。
新加入のロビー・マッキントッシュは、
1987年の来日公演では実際に目の前で見たのですが、
じつに腕のいい、
気の利いたプレイをするギタリストで、
ヴォーカルをサポートするタイプとしては、
最高レベルの人だなと思いました。
さすがに、
私が気がつく以上に、
周囲のプロが気がついたようで、
数年後には、
あのポール・マッカートニーのバンドに引き抜かれることになりますが、
彼のキャリアのベストプレイのいくつかは、
間違いなく、
このアルバムに収められております。
また、
この次のアルバム『GET CLOSE』(1986年)は
本作の続編のような内容で、
私はこの2枚がプリテンダーズのベストであり、
ロック史に残る名作であると思います。
私はこの作品と、
それに関連したエピソードを知り、
やはり、
音楽の力はスゴい、
人生のそれぞれの場面で、
その瞬間を表現できるものなんだ、
ロックは人生そのものなんだ…と痛感しました。
プロのギタリストになれなかったとしても、
ずっと音楽を続けていこう、
続けていくことが重要なんだということに気がつきました。
そしてそれは、
今でも続いています。
クリッシーの母性が、
東洋の果てにいる私に伝えたメッセージは、
いまでも生き続けているのです。
母は強し。
前回の THE WHO で、
このシリーズの第1部が完結します。
というのも、
そこまでが学生時代…
ギターでメシを食おうと夢を見ていた時代…
に影響を受けた作品で、
ここからは、
社会人になってから…
つまりギターでメシを食うことをあきらめてから…
影響を受けた作品ということになるからです。
では、
いままでの作品を一覧にしてみましょう。
①『地獄の軍団/キッス』(1976年発表)
②『ブラック・アンド・ブルー/ローリング・ストーンズ』(1976年発表)
③『ロックス/エアロスミス』(1976年発表)
④『狂気/ピンク・フロイド』(1973年発表)
⑤『ディープ・パープル・イン・ロック』(1970年発表)
⑥『悪魔と魔法使い/ユーライア・ヒープ』(1972年発表)
⑦『ジェフ・ベック・グループ』(通称『オレンジ』:1972年発表)
⑧『フリースピリット/ジョニー・ルイス&チャー』(1979年発表)
⑨『白いレガッタ/ポリス』(1979年発表)
⑩『ムーヴィング・ピクチャーズ/ラッシュ』(1981年発表)
⑪『ザ・フー/キッズ・アー・オールライト』(1979年発表)
(過去のバックナンバーはこちらから)
つまり、
ハードなロックンロールを骨格に、
プログレッシブロックで装飾を加え、
リッチー・ブラックモアからギターテクを学び、
ソウルやファンクといったブラックミュージックで幅を広げた…、
それが私のギタースタイルということになるのでしょうね。
さらに、
バンドでオリジナルを意識してから、
『製なる館』以降の後期レッド・ツェッペリン、
そして、
『太陽と戦慄』から『レッド』あたりの、
こちらもいわゆる、後期キング・クリムゾン
の影響も無視できません。
第三者的に見ると、
私はそんなヤツなんです。
それでは、
そろそろ参りましょうか。
--------------------------------------------------------
私的ロック評論シリーズの第12弾です。
第12回は、
PRETENDERSの『LEARNING TO CRAWL』です。
『プリテンダーズ/ラーニング・トゥ・クロール
(PRETENDERS/LEARNING TO CRAWL』
(1984年発表)
SDE1
ミドル・オブ・ザ・ロード
(Middle Of The Road)
チェイン・ギャング
(Back On The Chain Gang)
タイム・ジ・アヴェンジャー
(Time The Avenger)
ウォッチング・ザ・クローズ
(Watching The Clothes)
ショー・ミー
(Show Me)
SDE2
サンベリーナ
(Thumbelina)
マイ・シティ
(My City Was Gone)
ラブ・アンド・ヘイト
(Thin Line Between Love And Hate)
アイ・ハート・ユー
(I Hurt You)
2000マイルズ
(2000 Miles)
この作品は、
1979年にデビューしたプリテンダーズの3枚目のアルバムです。
プリテンダーズといえば、
ヴォーカル&ギターのクリッシー・ハインド。
彼女が白いSGジュニアを抱えて、
「ストップ・ユア・ソビン」でデビューした際に、
女版キース・リチャーズのようで恰好よかったことは、
いまでも鮮烈に覚えています。
キンクスの大ファンで、
ちょっと跳ねっ返りの彼女は、
まさしくロッカーそのもの。
シンプルで軽めの、
どこか懐かしいタイプの楽曲にも好感が持て、
私はすぐにこのバンドのファンになりました。
それから5年の歳月が流れ、
大学を卒業して就職をした年(1984年)、
「ベストヒットUSA」に
「チェイン・ギャング」がランクインされていました。
あ…これはいい曲だ。
ひさびさのヒットだね。
っと早速購入したのが、
このアルバム『ラーニング・トゥ・クロール』だったのです。
アルバムを聴いてみたところ、
これは素晴らしい…。
名作と言われたファーストアルバムを
はるかに上回る傑作であることに気がつき、
熱心に聴き込むようになりました。
そして、
この年の初めに、
オリジナルメンバーであった、
ジェイムズ・ハニーマン・スコット(ギタリスト)
と
ピート・ファーンドン(ベーシスト)が相次いで、
ドラックが原因で亡くなっていたこと。
さらに…、
クリッシーが、
かねてから愛人関係だった、
キンクスのレイ・デイヴィスとの間にできた子供を
出産していたこと。
を知りました。
あの跳ねっ返りの女キースが、
メンバー2人を…、
いや、
ピートは元カレだから、
単なるメンバーでは済まされない存在のはず…、
そんな自分にとってかけがえのない人を亡くし、
そして、
愛人とはいえ、
子供を産み、
今で言うシングルマザーになったとは…。
この作品から感じとれる、
優しさ、
そして骨太さは、
ここに由来しているものだったのか、
と感心してしまいました。
私にこの世で生きていることの意味を教えて、
と歌う「ショー・ミー」。
好きと嫌いの感情にはほんの少しの境界線しかないのよ、
と歌う「ラブ・アンド・ヘイト」。
そして…、
愛しい人に会いたいけれど、
あなたはもう会えないほど遠くへ行ってしまった、
とクリスマスに歌う「2000マイルズ」。
どれも簡単には言葉で表せない、
壮絶な人生の修羅場を歌っているのですが…、
おそらく、
出産という新しい生命の誕生を経験した彼女は、
それらすべてを受け入れて、
その上で前へ進むことを決心したのでしょう…、
軽やかに、
そしてきらびやかな楽曲に、
さりげなくメッセージを封じ込め、
完成度の高い作品に仕上げています。
だから、
アルバムタイトルが LEARNING TO CRAWL …
ハイハイをし始める…なんですね。
これは、
彼女なりに表現した、
新しい一歩の決意表明なんでしょうね。
(そういえば、
アルバムジャケットのデザインは THE WHO のファーストにそっくり)
女性ってスゴいですよ。
ホントにスゴい!
つくづくそう思いました。
一方楽曲は、
フォークやカントリー、
そしてソウルっぽいタイプが多いのですが、
さすがにイギリスのバンドだけあって、
自分流の音として見事に消化しています。
サウンド面で特筆すべきは、
ギターの音の素晴らしさ。
フェンダー系
シングルコイルピックアップの素晴らしさを堪能することができます。
新加入のロビー・マッキントッシュは、
1987年の来日公演では実際に目の前で見たのですが、
じつに腕のいい、
気の利いたプレイをするギタリストで、
ヴォーカルをサポートするタイプとしては、
最高レベルの人だなと思いました。
さすがに、
私が気がつく以上に、
周囲のプロが気がついたようで、
数年後には、
あのポール・マッカートニーのバンドに引き抜かれることになりますが、
彼のキャリアのベストプレイのいくつかは、
間違いなく、
このアルバムに収められております。
また、
この次のアルバム『GET CLOSE』(1986年)は
本作の続編のような内容で、
私はこの2枚がプリテンダーズのベストであり、
ロック史に残る名作であると思います。
私はこの作品と、
それに関連したエピソードを知り、
やはり、
音楽の力はスゴい、
人生のそれぞれの場面で、
その瞬間を表現できるものなんだ、
ロックは人生そのものなんだ…と痛感しました。
プロのギタリストになれなかったとしても、
ずっと音楽を続けていこう、
続けていくことが重要なんだということに気がつきました。
そしてそれは、
今でも続いています。
クリッシーの母性が、
東洋の果てにいる私に伝えたメッセージは、
いまでも生き続けているのです。
母は強し。