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「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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  ★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2012/03/18 (Sun)
なかなか春がやって来ませんね。

先週の土曜日(3月10日)は、
新宿文化センターへ、
元ハイファイセットの、
山本潤子さんのソロコンサートを観に行きました。

もちろん(?)、
私が観たかったわけではなく、
連れ(♀)にせがまれて付き合ったというのが本当のところですが、
予想以上によかったせいか、
演奏曲目を探していたりします。

喉は不調と言いながら、
透明感のある美しい声は相変わらずで、
もう50を過ぎているのに、
女子大生のような瑞々しい感性で歌い上げます。

芸術的な声…。

リアルタイムでは、
ハードロック命だったせいか(笑)
それほど響かなかった(もしくは認めたくなかった?)タイプの音ですが、
ファンクやソウル、
そして渋谷系と呼ばれるミュージシャンを通過したおかげか…、
今聴くと、
素直に心に届いて来ます。

都会的でいいセンス…。

とくに、
ユーミンの曲は、
この人が歌うと、
格段に完成度が上がります。

後半になって、
徳武弘文さんがゲストで登場し、
見事なテレキャスターさばきを見せつけてくれました。
ストリングスベンダーって使えるかも…。

NHKで「SONGS」が放映されたこともあり、
チケットは完売。
堂々2時間30分のステージでした…。
来年も3月23日にやるそうですが、
今度はチケット入手困難になるかもしれませんなぁ…。

最近はどうも、
適度に力の抜けたヤツがいいようで…、

そんな私が最近ハマっているのが、
VODKA COLLINS(ウォッカ・コリンズ)の
『東京 ニューヨーク』(1973年)です。



これは、
ジョーン・ジェットの「アイ・ラブ・ロックンロール」の作者、
アラン・メリルと、
元テンプターズの大口ヒロシが中心になり、
後にTENSAWを結成するタケがベースを弾いたトリオの作品で、
バンドはこのアルバム完成時にはもう解散していたようです。

バンド名は、キース・リチャーズの好んだカクテルの名前だとか…。

日本のバンドなのですが、
ぜんぜん日本っぽくないので、
驚かされます。
2曲を除いて英詞のためか、
海外のバンドといってもわからないかもしれません。
それほどイケてる音です。

「オートマティック・パイロット」と「ポンティアック・パン」は、
モロにグラムロックというか、
T-REXという感じ。





私がいちばん気に入っているのが「ビリー・マース」で、
これは初期のKISSみたいです。



なんというか、
ちょっと不良っぽい毒があり、
ちょっとケバくて華があり…、
とは言いながら、
軽やかに、
オシャレにキメている、
そんなところが、
今聴いても新鮮なんでしょうね。

残念ながらこのバンド、
このアルバム1枚で消滅してしまったようですが、
1996年に、
アラン、大口、
それにムッシュかまやつ、ルイズルイス加部を加えて再結成。
アルバム3枚を発表し、
ツアーもやったらしいのですが、
2009年に大口が死去し、
またもや活動を停止してしまいました。

美人薄命ならぬ、
名バンド短命というヤツでしょうか、
最後に、
貴重な、
再結成後のツアー、ステージの画像を楽しんでください。





やっぱバンドのルックスは、
重要ですなぁ…アランはカッコいいですね。
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★2012/03/11 (Sun)
3月11日がやってきました。

1年前を思い出してみましょう。

あの日、
私は午前の経営会議で重要な答申を済ませ、
昼食の後、
事務処理をしていました。

午前中に重要な仕事が片付き、
しかも金曜日の午後ということもあり、
少しゆったりとした、
緊張の緩んだ時間帯でした。

今夜はとくに予定もないし、
何をしようかな?…
そんななにげない日常の、
ある瞬間に、
東日本大震災は発生したのです。

最初は、
ちょっと大きな地震だな…、
ぐらいの感覚で、
周囲の女子社員に
「大丈夫だよ」と言っていたのですが、
次の瞬間、
足元をつかまれて振り回されるような、
激しい揺れがやって来ました。

「!」
これは、
かつて経験したことのない、
大きな地震だ。

そう思った私は、
窓際の自分のデスクから、
オフィスの中央付近へ移動しました。
そのままいたら、
外へ放り出されるような気がしたのです。

「長いっ!」
激しい揺れはかなりの時間続きました。

机の下に非難した女子社員の悲鳴が、
泣き声へ変わり始めました。
「イヤっ、何これ?」
私はそれに対して、
「落ち着け、あわてるな」
と言うのが精一杯で、
自分の頭の中も真っ白になっていくのを感じました。

揺れがおさまって、
周囲がざわめき始めると、
震源地は三陸沖であるという速報が入り、
一瞬妻の実家が脳裏をよぎりましたが…、
当然のごとく携帯電話はつながらず、
私は自宅へ電話を入れました。
今度は、
年老いた自分の両親が心配になったのです。

携帯電話は頼りにならないと思い、
一般回線へかけてみると、
これは一発でつながりました。
すると…、
たまたま大学の卒業式間近だった、
私の長男が家にいたということがわかり、
とりあえずひと安心。

同じように勤務中だった妻と、
高校にいた長女からも連絡があったということで、
こちらもひと安心。
やれやれと思っていたら、
ビルの管理会社から、
この建物は古く倒壊の恐れがあるので、
広域避難場所へ移動するようにという指示。

私はまずトイレにいき、
そして会社から支給されていた、
緊急用のリュックを背負い、
部下を誘導しながら外へ出ました。
「まさか、このリュックを使う日が来るとは…」
リュックの中には、
水と食料、そしてアルミのブランケットが入っています。

外へ出て、
少し空間のある通りに出た瞬間、
茨城沖で地震が発生し(あとで聞けば3発目だったとか)、
周囲のビルがユラユラと揺れ、
ガラスが激しく音を立て始めました…。
「建物から離れて、道路の真ん中へ移動しろっ」と叫びながら、
私はうっすらと、
もしかすると今日ここで死ぬかも…と思いました。

数分後に揺れがおさまると、
私たちは広域避難場所に指定されている、
港区の小学校跡地へ移動しましたが、
移動してすぐに、
津波の恐れがあるから、
もう一度ビルへ戻るよう指示を受けました。

おそらく…、
三陸から宮城、福島、茨城、千葉の沿岸が津波に襲われたのは、
この時間帯。
もし、
津波が東京湾までやって来ていたら、
あのような海抜の低い避難場所にいた私たちは、
間違いなく命を落としていたことでしょう。

その後、
ビルへ戻り、
私が出した指示は、
「無理して帰宅するな。
ここで無理をして後で悔いることになりたくなければ、ここにいなさい。
ここにいれば安全だから。」
でした。
都心に住んでいない、
独身の女子社員のほとんどは、
オフィスで一夜を明かすことになったのです。

あの夜の不気味さは、
一生忘れられないでしょう。
絶え間ない余震、
とくに夜中に発生した新潟・長野県境付近の大地震、
沿岸部の大火災、
仙台の海岸に多数の遺体が漂着しているという報道…。
本当に日本が沈没してしまうのではないだろうか、
と思った夜でした。

翌朝になり、
徐々に鉄道が運転再開をしているニュースを聞き、
全員に帰宅の指示を出し、
私は途中で、
高校の近くで友人宅に泊まっていた長女を拾って、
歩いたり、
電車に乗ったりを繰り返しながら、
およそ半日かけて自宅に戻りました。

長女は私の姿を見るなり飛びついてきて、
「こわかった、こわかったよ」を連発し、
帰宅中はずっと、
私と手をつないでいました。

その後、
鉄道が満足に動かず、
スーパーやコンビニの棚に多数の欠品が生じ、
ガソリンを入れることができず、
計画停電、節電…、
それが当たり前になり、
加えて、
放射能におびえる日々が続きました。

それも日常、
今も日常…、
当たり前になれば、
すべてが日常になってしまいます。

しかし、
この記憶を忘れてはいけないと思います。

復興については、
いろいろと騒がれていますが、
自分達にできないことを騒いでみても意味がないし、
ましてや、
綺麗ごとやお題目ばかりを連呼しても仕方がないと思います。

私は、
自分が体験した、
あの日のできごと、
感じたことを忘れないようにすることが、
ささやかながら、
生き残った者にできる、
せめてものことだと思っています。

今日現在、
亡くなられた方 15,854人、
行方不明の方   3,155人、
私と同じような日常を送っていた人たちが、
たまたま、
住んでいた場所の違いで、
津波に呑まれ、
大切な命を落としてしまったという事実。

私と同じように、
普通の金曜日の夜を考えていた人たち…、
デートの約束をしていたり、
家に帰ったらお母さんに謝ろうと思っていたり、
その日あったできごとを家族に話そうと思っていたり…、
2万人近い人たちのそれがすべて、
あの時間帯で終わってしまった。
たくさんの未来が、
可能性が、
あの時間帯で終わってしまった。
そして…、
その数時間後に、
物言わない姿で海岸に流れついてきた…、
あまりにも凄惨な事実。

最近では、
被災された現地の方々の中から、
絆とか、
復興支援とか、
がんばれとか…、
そういう言葉を聞きたくない、
という意見が聞かれるようになってきました。

また、
ボランティアや国を頼っていてはいけない。
自分達の力でなんとかしなければ、
という意見も聞かれるようになってきました。

どちらの言葉も、
今回の災害の桁外れのダメージを物語っていると思います。
しかし、
私が昨年5月に、
津波で被害を受けた妻の実家の庭で撮影した、
水仙の姿を見てください。
植物は何も考えずに、
生の営みを続け、
季節がくれば花を咲かせます。



大切なのは、
とにかく生きること…、
生きて、
自分がやるべきことを、
しっかりやること…、
ただそれに尽きるのではないでしょうか?

瓦礫に凛と咲いた、
水仙の姿に教えられる。
★2012/03/04 (Sun)
↓我が家のおひな様です。



本来は、
これに御所車が並ぶのですが、
場所を取るので省略しています。
ちなみに、
飾る場所も、
普段は食器が入っているサイドボードの上段で、
この時期だけ、
10日ほど食器を片付けて、
おひな様が鎮座いたします。

このおひな様は、
18年前に、
長女が生まれた記念に、
私の母(現在78歳)が作ったもので、
いわゆる木目込み人形と呼ばれているものです。

材料費は15万円程度だったということですから、
高級品の部類に入ると思います。

それにしても、
こういう、
モノを作るという技術は、
私に受け継がれているようで、
それをまた、
長女が受け継いでいるというのは、
血統とはいえ、
おもしろいものです。

長女は今年の春から、
某音楽大学の器楽学科へ進学します。
担当楽器は金管のホルン。
将来は音楽を職業にしたい、
と申しております。

子どもの性格というのは、
よく、
母親からの影響が大きいと言われています。
それは、
いっしょにいる時間が長いから、
という単純な理由によるものらしいのですが、
我が家の長男などは、
母親そっくりの、
なんだかのんびりした…、
ゆる〜い性格をしており(笑)
父親である私とは正反対のキャラになっております。

長女の方は、
楽器の件だけでなく、
性格もなんとなく私に似ているのですが、
これは、
私からというより、
もしかすると、
祖母から影響を受けたのかもしれません。

で…結果として、私に似ていると…(笑)

遺伝子というのは、
おもしろいものですね、
などと呑気なことばかり言っていられない、
多額の学費が出て行く4年間を目前にした、
今年の我が家のひな祭りです。

そうは言っても、
今年はぜったいOVATIONを買うのだ。

生誕50周年、
結婚25周年(いわゆる銀婚式です…)
たいへんな年なのです(笑)
★2012/02/26 (Sun)
前回、
デコギターの話をしたところ、
もっとよくギターを見せてほしい、
というリクエストをいただきましたので、
まずはこの画像からご覧ください。



これは、
現在の私のメインになっている、
2010年バッカス製のストラトキャスターです。

いわゆる、
60年代フェンダーの完全コピーですが、
本物よりずっといいかもしれません(笑)

これは、
公式には「もう完全コピーは作りません」と宣言したバッカスが、
とつぜん限定で再開した完全コピー・シリーズですが、
いち早くその情報を入手した私は、
わざわざ名古屋のショップからコイツを取り寄せました。

カラーはCHARがPINK CLOUD時代に使っていた、
バーガンディミストで、
トップ・ラッカー仕上げ、
ヘッドもボディと同色の、
いわゆるマッチングヘッド仕様になっています。




このとき製造された中で、
マッチングヘッド仕様は3本しかなかったということで、
同じものは世界中探してもあと2本しかないそうです。
それが…なんと、
10万円でおつりが来るぐらいの価格だったのです(笑)

ネックの感触がサイコーで、
さすがに職人集団、
バッカスと唸らされるものがありました。

これはお買い得でしたね。

音はまだ、
新しいギターなので、
若い女の子のような(?)キンキンと、
角のある音ですが、
おそらく時間が経つにつれて、
枯れたイイ音になってくるでしょう。
ちなみに、
センター&リアのハーフトーンの抜けがよく、
今の段階ではこのポジションがサイコーです。

だから、
アイロンの打痕はショックだったわけですが、
例のデコシールのおかげで…、
エンドピンのあたり、
1カ所だけではなんとなくバランス悪く感じられたので、
もう1カ所追加してみましたが…、
立ち直ることができ、
とっても助かりました。





昔は、
フェンダーのローズ指板が苦手で、
ずっとメイプル一本できていたのですが、
慣れたらこちらの方が弾きやすく感じるようになりました。

というのも…、
バッカスのネックは、
当時のモデルを忠実に再現して、
いわゆるRの少ない(丸みの少ない)、
平らな感じに仕上げられていますが、



バッカスを購入する前にメインだった、
フェンダー(57年モデルのレプリカ)はこのように、
かなりRがつけられています。



メイプルのツルツルした感触に加えて、
このRのおけげで、
左手はかなり力を入れないと、
綺麗に音が出ません。
バッカスはそこまで力を入れる必要がなく、
かなり楽に弾くことができます。

このせいか、
ギターを替えたら、
(寄る年波による…(笑)
演奏後の肩コリがかなり解消されたのです。

年齢とともに、
弾きやすいギターも変わっていく、
ということなんでしょうね。

ちなみに、
このフェンダーにも、
数カ所シールが貼ってありましたが、
傷を隠す目的ではありません(笑)





ボディ裏には、
THE WHOのシールが…、



ちなみにこの位置には、
初代のフェンダーにも、
ストーンズのベロマークが貼られていました。



結局、
愛用のギターには、
何かシールが貼ってあったんですね…、
可愛がっている証拠なのかしら?


ムスタングはこんな感じです。





これは、
1966年モデルのレプリカで、
フェンダーJAPAN製、
1995年に購入しました。

こちらは5万と少々ぐらいで、
かねてからムスタングは欲しかったものの、
USAで20万はないだろう、
そこまでの価値はないよ〜っと思っていたので、
私としては、
この価格は妥当だと思っています。

でも、
価格は安くても、
しっかりムスタングの音がするんですよ。

楽器って、
価格が高いからいい音がするわけでもなく、
安くても大事に使いこんでいれば、
それなりの音になるんですよね。

このムスタングを見ていると、
そんな気になりますね。

さて、
バッカスのストラトは、
3代目のメインギターとして、
どのような音を出していくのでしょうか?
それは、
これからの私次第だと思いますが、
とりあえず…、

頼むぜ、相棒!
★2012/02/19 (Sun)
先週の日曜日のことです…。

ここで紹介した、
KURT VILEの「Jesus Fever」をコピーしようとしたら、
3フレットにカポタストを装着していることに気づき、
カポ、カポ…と探したあげく、
あった、あったと手にした直後、
カポタストは私の手からすべり落ち、
床に置いてあった青いムスタングへ、
ガッチーンと当たったのでした。

あらら…なんてこった。

このムスタングは、
フェンダーJAPAN製の低価格モデルなので、
堅牢なポリウレタン塗装だったようで、
表面に1〜2cmほどのヒビが入ってしまいました。

低価格のエレキは、
ポリウレタンを塗料に使っていて、
非常に厚くて堅い塗膜を形成しています。
ゆえに、
ボディがよく鳴りません。

これに対して、
高価格のエレキは、
塗装に手間のかかるラッカーを使っているため、
塗膜は非常に薄くて、
このような場合には、
ベリベリと塗装が剥がれて、
下の木目が出てきてしまいます。

う〜っ、これはよろしくない。

ラッカー塗装のオールドギターだと、
使い込んでところどころ塗装がハゲてもサマになるのですが、
このようなヒビは美しくない。
しかも…、
ステージでついた傷なら歴戦の傷跡になるのですが、
家庭で練習中の事故とは、
なんともやりきれません。

じつは、
昨年末にも、
バッカスのストラトのエンドピンのあたりに、
なんとアイロンをぶつけてしまい、
これまた1~2cmほどの傷をつけてしまったことがあり…、
こちらの場合はラッカーだったので、
ヒビは入らなかったものの、
思いっきり表面がヘコんでいて、
見るたびに、
こちらの気持ちもヘコんでしまいます。

2回連続は落ち込むなぁ…。

ムスタングは、
このヒビだけでも消そうと、
水で濡らして、
耐水ペーパーをかけてみたところ、
表面はなめらかになったのですが、
その部分だけツヤがなくなってしまい、
光の当たり方によっては、
モロにそれがわかってしまいます。

「う〜む」と悩むこと数日…。

ある夜のことでした。

通勤電車で、
私の前に座っていたギャルが、
カバンから携帯電話を取り出した瞬間…、
「あっ、これだ!」
彼女の携帯電話は、
ゴテゴテとラメだのラインストーンだので着飾った、
いわゆる“デコ電”だったのです。

シールでうまく隠せばいーじゃんっ。
キラキラしていればカッコいいし…(笑)

いつもだったら、
「しょーがねーなぁ…このアホ娘」と思うところですが、
この日ばかりは、
菩薩か女神か…(笑)
私はそれから、
デコシール売り場を熱心にチェックするようになりました。

デコシールを芸術的に貼れば美しかろう…。

その結果、
LOFTのシール売り場に、
イメージに合う商品がなかり並んでいることに気づき、
数点を購入し、
ギターに合わせてみること、
数十分…。

以下のような作品ができ上がりました。
どうです?
なかなかイケてるでしょう?

(ムスタングはCHARをイメージして、三日月と星をあしらってみました)



(ストラトはカラーリングから、バラしかないだろう?と思いました)



こういうのを、
怪我の功名というのかなぁ…。
なに、
結果がよければ、
それでよし…ポジティブ・シンキングですね。
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★ ILLUSTRATION BY nyao