「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2020/10/18 (Sun)
あれは確か、
高校1年の冬のこと…
(1977年)
アルバムがリリースされるかなり以前に、
オンエアしてしまうことで有名な、
渋谷陽一氏のラジオ番組で、
一枚のニュー・ディスクが紹介されました。
それは、
ヴァン・ヘイレンのデビューアルバム、
『VAN HALEN(邦題:炎の導火線)』で、
その夜は、
「On fire」
「Runnin’ with the devil」
「Atomic punk」の3曲がオンエアされました。
当時のハードロック界は、
ZEPが健在で、
DEEP PURPLEは解散して数年が経ち、
初期RAINBOWが全盛期、
KISS、AEROSMITH、QUEENの新御三家は、
安定した地位を獲得し、
さて、
後続組は…となると、
スコーピオンズ、ジューダス・プリースト、
という感じの状況でした。
そこへいきなり登場したのが、
ヴァン・ヘイレン…
夜のラジオ番組に、
文字通り“いきなり登場”してきたわけです。
私は1曲目でぶっ飛び、
後の2曲を慌てて録音し、
それから毎日のように聴くことになるのですが、
何か、
ケタの違う大物が現れた、
と感じた事は、
あれから40年以上経った、
今でも鮮明に覚えています。
ZEPのニュー・ヴァージョンが現れた!
そんな印象でした。
(そして、アメリカのバンドとは思わなかった)
その後、
シングル「You really got me」がリリースされ、
プロモーション・フィルムがテレビで放映されるようになり、
ディヴ・リー・ロスを初めとする、
ゴージャスなルックスと、
エディの右手が指板を叩く姿に衝撃を受け、
春頃になり、
アルバムの国内盤が発売されました。
アルバムが発表されると、
「Eruption」で何をやっているのか、
まったくわからず…
それを、
日曜の昼頃に、
東京12チャンネルで放送されていた、
「ROCKおもしロック」という番組で、
バウワウの山本恭司氏が、
「アレはこうやっているんだよ」と、
ヘラヘラ解説をした直後から、
日本中のアマチュアギタリストたちが、
必死になって右手で指板を叩くようになったのです。
(司会の近田春夫氏に、
「この人、さりげなく自慢しますから」
と突っ込まれていたような記憶が…(笑)
そして、
あの白黒ストライプのストラト、
(今でも、時々欲しくなる…)
ノコギリでチョン切った、
真っ赤なエキスプローラなど、
使用ギターも個性的で、
これまた、
大勢のアマチュアギタリストたちが、
自分のストラトにビニールテープを巻き付けたものでした。
(私は当時、
黒いレスポールを使っていましたが、
ご多分にもれず、
そこへ白いビニールテープを巻き付けました…(笑)
悪趣味スレスレの派手な衣装と、
猥雑な雰囲気のロスが、
ハードロック・ヴォーカリストの理想型であるとすれば、
その横で、
ひたすら超絶テクニックで弾きまくるエディの姿も、
ハードロック・ギタリストの理想型でした。
ただ、
エディのテクニックはあまりにも超絶で、
セカンド・アルバムの時点で、
早くも、
ついていけなくなった私は、
その後、
ファンクやソウルといった、
16ビート系のカッティングに視点を移し、
ハードロックから離れてしまうのでした。
(正確に言うと、
エディとウルリッヒ・ロス…
「カロンの渡し守」のイントロの2つで挫折したのです)
再び、
ヴァン・ヘイレンに関心を持ったのは、
シングル「Pretty woman」で、
カバーのセンスというか、
ポップな曲の良さは、
このグループの特徴で、
それゆえに、
この後「Jump」以降の大躍進があるわけです。
そして私は、
デイヴ・リー・ロスの存在あってのヴァン・ヘイレン、
と思っていたので、
彼の脱退以降は急速に興味を失い、
風の便りに、
エディがガンと闘病していると聞いた程度でしたが、
65歳の若さで逝ってしまうとは…
本当に、
早過ぎるとしか言いようがありませんね。
デビューから、
大物になる過程を見てきたミュージシャンが逝くようになると、
いよいよ、
自分も歳とったなぁ…と感慨深いものがありますが、
もう、
こんなギタリストは出てこないだろうなぁ。
↓やっぱコレでしょう
高校1年の冬のこと…
(1977年)
アルバムがリリースされるかなり以前に、
オンエアしてしまうことで有名な、
渋谷陽一氏のラジオ番組で、
一枚のニュー・ディスクが紹介されました。
それは、
ヴァン・ヘイレンのデビューアルバム、
『VAN HALEN(邦題:炎の導火線)』で、
その夜は、
「On fire」
「Runnin’ with the devil」
「Atomic punk」の3曲がオンエアされました。
当時のハードロック界は、
ZEPが健在で、
DEEP PURPLEは解散して数年が経ち、
初期RAINBOWが全盛期、
KISS、AEROSMITH、QUEENの新御三家は、
安定した地位を獲得し、
さて、
後続組は…となると、
スコーピオンズ、ジューダス・プリースト、
という感じの状況でした。
そこへいきなり登場したのが、
ヴァン・ヘイレン…
夜のラジオ番組に、
文字通り“いきなり登場”してきたわけです。
私は1曲目でぶっ飛び、
後の2曲を慌てて録音し、
それから毎日のように聴くことになるのですが、
何か、
ケタの違う大物が現れた、
と感じた事は、
あれから40年以上経った、
今でも鮮明に覚えています。
ZEPのニュー・ヴァージョンが現れた!
そんな印象でした。
(そして、アメリカのバンドとは思わなかった)
その後、
シングル「You really got me」がリリースされ、
プロモーション・フィルムがテレビで放映されるようになり、
ディヴ・リー・ロスを初めとする、
ゴージャスなルックスと、
エディの右手が指板を叩く姿に衝撃を受け、
春頃になり、
アルバムの国内盤が発売されました。
アルバムが発表されると、
「Eruption」で何をやっているのか、
まったくわからず…
それを、
日曜の昼頃に、
東京12チャンネルで放送されていた、
「ROCKおもしロック」という番組で、
バウワウの山本恭司氏が、
「アレはこうやっているんだよ」と、
ヘラヘラ解説をした直後から、
日本中のアマチュアギタリストたちが、
必死になって右手で指板を叩くようになったのです。
(司会の近田春夫氏に、
「この人、さりげなく自慢しますから」
と突っ込まれていたような記憶が…(笑)
そして、
あの白黒ストライプのストラト、
(今でも、時々欲しくなる…)
ノコギリでチョン切った、
真っ赤なエキスプローラなど、
使用ギターも個性的で、
これまた、
大勢のアマチュアギタリストたちが、
自分のストラトにビニールテープを巻き付けたものでした。
(私は当時、
黒いレスポールを使っていましたが、
ご多分にもれず、
そこへ白いビニールテープを巻き付けました…(笑)
悪趣味スレスレの派手な衣装と、
猥雑な雰囲気のロスが、
ハードロック・ヴォーカリストの理想型であるとすれば、
その横で、
ひたすら超絶テクニックで弾きまくるエディの姿も、
ハードロック・ギタリストの理想型でした。
ただ、
エディのテクニックはあまりにも超絶で、
セカンド・アルバムの時点で、
早くも、
ついていけなくなった私は、
その後、
ファンクやソウルといった、
16ビート系のカッティングに視点を移し、
ハードロックから離れてしまうのでした。
(正確に言うと、
エディとウルリッヒ・ロス…
「カロンの渡し守」のイントロの2つで挫折したのです)
再び、
ヴァン・ヘイレンに関心を持ったのは、
シングル「Pretty woman」で、
カバーのセンスというか、
ポップな曲の良さは、
このグループの特徴で、
それゆえに、
この後「Jump」以降の大躍進があるわけです。
そして私は、
デイヴ・リー・ロスの存在あってのヴァン・ヘイレン、
と思っていたので、
彼の脱退以降は急速に興味を失い、
風の便りに、
エディがガンと闘病していると聞いた程度でしたが、
65歳の若さで逝ってしまうとは…
本当に、
早過ぎるとしか言いようがありませんね。
デビューから、
大物になる過程を見てきたミュージシャンが逝くようになると、
いよいよ、
自分も歳とったなぁ…と感慨深いものがありますが、
もう、
こんなギタリストは出てこないだろうなぁ。
↓やっぱコレでしょう
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