「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
★ カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
★ フリーエリア
★ 最新コメント
[01/25 matsuZACK]
[01/23 shiba]
[01/02 matsuZACK ]
[01/02 ういん]
[12/27 shiba]
★ 最新トラックバック
★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
★ ブログ内検索
★ 最古記事
★ P R
★ カウンター
★2018/03/11 (Sun)
先週は、
妻の実家で法事があり、
(義父の三十三回忌法要)
岩手県宮古市におりました。
7年前の今日…
3月11日は、
東日本大震災が発生した日です。
法事のおかげで、
奇しくも、
被災した現地の、
現在の姿を見ることができました。
まず目立つのは、
沿岸部を走る道路沿いに、
かなりの高さの防潮堤が築かれていることです。
これが延々と続いているので、
海岸の景色を見ることができなくなっています。
(ところどころに小さな窓があり、
ここに透明のアクリルをはめるということですが、
ドライブしながら景色を見ることはできなくなりました)
そして、
住宅を造成する予定地が、
ビルの3階程度の高さまで、
土地をかさ上げしているのが目につきます。
道路の整備状況は驚くべきものがあり、
7年前には存在しなかった、
自動車専用道路が沿岸ではなく、
少し内陸寄りの高台にいくつも建設され、
町から町への移動時間が短縮されました。
どの道路も道幅が広く、
さすがに大物政治家を何人も輩出している県だな、
と感じてしまいます。
(我が家の近辺の道の粗悪さは比較になりません)
そして、
鉄道も着々と整備されており、
かつてJR山田線の一部だった、
宮古・釜石間の沿岸区間は、
線路の敷設がかなり進み、
三陸鉄道の運営による復旧を待つばかりになっています。
↓完成間近の陸中山田駅
↓仮設住宅内にあった商店街は駅周辺に移転し、
駅前の繁華街が復活しつつある
このように、
インフラや土地の復興が進む一方、
岩手・宮城・福島の沿岸部で被災した、
17万人もの方々は他の地域で生活をしており、
元の居住地に戻ることが難しくなっている、
という実状があります。
7年間という歳月は、
小学校に入学した子が、
中学生になっているほどの期間であり、
この間を別の土地で過ごしてしまえば、
もはや帰りたくないという心境も、
わかる気がします。
それほど、
この震災の被害は甚大なものであったと、
あらためて、
復興した街並みを見ながら、
痛感した次第です。
人の往来を含め、
かつての賑わいを取り戻すには、
まだまだかなりの歳月が必要と思われます。
私の半世紀ちょっとの人生で、
東日本大震災、
そして熊本大震災という、
2回の大きな自然災害に遭遇し、
どちらも被災直後に現地を訪問するなど、
何かの因縁を感じずにはいられません。
2020東京で盛り上がる最近ですが、
震災の復興はまだまだであることを、
多くの方に知っていただきたいと思います。
↓復旧した宮古市魚市場から対岸の重茂半島を見る
美しい風景に見とれていたら、
iPhoneをエサと勘違いしたウミネコに襲撃され、
この後ほうほうの体で逃げる私でありました(笑)
妻の実家で法事があり、
(義父の三十三回忌法要)
岩手県宮古市におりました。
7年前の今日…
3月11日は、
東日本大震災が発生した日です。
法事のおかげで、
奇しくも、
被災した現地の、
現在の姿を見ることができました。
まず目立つのは、
沿岸部を走る道路沿いに、
かなりの高さの防潮堤が築かれていることです。
これが延々と続いているので、
海岸の景色を見ることができなくなっています。
(ところどころに小さな窓があり、
ここに透明のアクリルをはめるということですが、
ドライブしながら景色を見ることはできなくなりました)
そして、
住宅を造成する予定地が、
ビルの3階程度の高さまで、
土地をかさ上げしているのが目につきます。
道路の整備状況は驚くべきものがあり、
7年前には存在しなかった、
自動車専用道路が沿岸ではなく、
少し内陸寄りの高台にいくつも建設され、
町から町への移動時間が短縮されました。
どの道路も道幅が広く、
さすがに大物政治家を何人も輩出している県だな、
と感じてしまいます。
(我が家の近辺の道の粗悪さは比較になりません)
そして、
鉄道も着々と整備されており、
かつてJR山田線の一部だった、
宮古・釜石間の沿岸区間は、
線路の敷設がかなり進み、
三陸鉄道の運営による復旧を待つばかりになっています。
↓完成間近の陸中山田駅
↓仮設住宅内にあった商店街は駅周辺に移転し、
駅前の繁華街が復活しつつある
このように、
インフラや土地の復興が進む一方、
岩手・宮城・福島の沿岸部で被災した、
17万人もの方々は他の地域で生活をしており、
元の居住地に戻ることが難しくなっている、
という実状があります。
7年間という歳月は、
小学校に入学した子が、
中学生になっているほどの期間であり、
この間を別の土地で過ごしてしまえば、
もはや帰りたくないという心境も、
わかる気がします。
それほど、
この震災の被害は甚大なものであったと、
あらためて、
復興した街並みを見ながら、
痛感した次第です。
人の往来を含め、
かつての賑わいを取り戻すには、
まだまだかなりの歳月が必要と思われます。
私の半世紀ちょっとの人生で、
東日本大震災、
そして熊本大震災という、
2回の大きな自然災害に遭遇し、
どちらも被災直後に現地を訪問するなど、
何かの因縁を感じずにはいられません。
2020東京で盛り上がる最近ですが、
震災の復興はまだまだであることを、
多くの方に知っていただきたいと思います。
↓復旧した宮古市魚市場から対岸の重茂半島を見る
美しい風景に見とれていたら、
iPhoneをエサと勘違いしたウミネコに襲撃され、
この後ほうほうの体で逃げる私でありました(笑)
PR