「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2016/12/18 (Sun)
なんだかんだと言いながら1年間、
1回も欠かさず見てしまいました。
この作品は、
真田信繁の生涯というよりは、
真田信繁という人の目で見た、
戦国時代の終焉…
さらに、
きりという女性の目で見た、
そんな真田信繁の生涯…
念入りに、
二人の目を使い、
客観性を強調したため、
視聴者がストーリーに入りやすくなっていたのです。
本能寺の変と関ヶ原の合戦、
そのどちらも戦闘シーンを描かず、
情報だけで伝えたあたりは、
まさにそれを象徴していました。
そのため、
真田昌幸たちの受けた衝撃が伝わってきたのです。
「それはマコトか…?」
真田信繁に関しては、
中学生の頃、
「新八犬伝」の後の人形劇が、
「真田十勇士」であったこともあり、
何度となく、
その生涯を描いた物語を読みました。
日本の歴史には不思議なことに、
動乱期の節目に、
同じようなタイプの人物が現れます。
室町幕府ができた頃の楠木正成、
江戸幕府末期の土方歳三…
いずれも徹底して、
時流に抵抗して生涯を終えています。
真田信繁もその一人。
判官びいきの日本人にはたまらない、
典型的なヒーローです。
私が興味があるのは、
そんな彼らが、
実際のところ、
どんな人だったのだろうか?
そして、
何を考えて生きていたのだろうか?
ということです。
したがって、
小説でも映像作品でも、
リアリズムを重要視します。
「真田丸」では、
真田信繁が九度山を脱出して大坂へ向かうあたりが、
じつにリアルな心理描写でした。
秀吉の小姓として、
歴史の大舞台を体験し、
偉大な戦略家である父と身近に接した前半生を送りながら、
15年近くの幽閉生活は、
さぞかし無念であったことでしょう。
その鬱屈が一気に噴出したのが、
大坂冬の陣と夏の陣だったとすれば、
それは自然な流れといえます。
劇中、
真田信繁は、
自分がこの世に生きた証を残したのか、
と問うシーンがありましたが、
それは何よりも自身が納得した生涯を送ったか、
ということであり、
証などはどうでもよいのかもしれません。
芸術作品というのは、
そんな、
生きた証の最たる例かもしれませんが、
長くその意思を伝えるものなどはきわめて稀であり、
多くは、
時間の経過の中に埋もれてしまいます。
考えてみれば、
100年も経たない過去の人が、
どんな人で、
何を考えていたのかすら、
正確に伝えることが難しいのが、
人の世の常…
真田信繁のように、
後世の多くの人が、
その生涯に思いを馳せるなど、
珍しいことかもしれません。
先月、
大阪城へ行ったので、
感慨ひとしおではあります。
ああ…この世は無情なり。
追記:
物語の最後で活躍していた、
毛利勝永という人は、
実際スゴかったらしく、
徳川方の名だたる武将、
数名の首を上げています。
ちょっと興味ありますね。
真田信繁と同じタイプかもしれません。
1回も欠かさず見てしまいました。
この作品は、
真田信繁の生涯というよりは、
真田信繁という人の目で見た、
戦国時代の終焉…
さらに、
きりという女性の目で見た、
そんな真田信繁の生涯…
念入りに、
二人の目を使い、
客観性を強調したため、
視聴者がストーリーに入りやすくなっていたのです。
本能寺の変と関ヶ原の合戦、
そのどちらも戦闘シーンを描かず、
情報だけで伝えたあたりは、
まさにそれを象徴していました。
そのため、
真田昌幸たちの受けた衝撃が伝わってきたのです。
「それはマコトか…?」
真田信繁に関しては、
中学生の頃、
「新八犬伝」の後の人形劇が、
「真田十勇士」であったこともあり、
何度となく、
その生涯を描いた物語を読みました。
日本の歴史には不思議なことに、
動乱期の節目に、
同じようなタイプの人物が現れます。
室町幕府ができた頃の楠木正成、
江戸幕府末期の土方歳三…
いずれも徹底して、
時流に抵抗して生涯を終えています。
真田信繁もその一人。
判官びいきの日本人にはたまらない、
典型的なヒーローです。
私が興味があるのは、
そんな彼らが、
実際のところ、
どんな人だったのだろうか?
そして、
何を考えて生きていたのだろうか?
ということです。
したがって、
小説でも映像作品でも、
リアリズムを重要視します。
「真田丸」では、
真田信繁が九度山を脱出して大坂へ向かうあたりが、
じつにリアルな心理描写でした。
秀吉の小姓として、
歴史の大舞台を体験し、
偉大な戦略家である父と身近に接した前半生を送りながら、
15年近くの幽閉生活は、
さぞかし無念であったことでしょう。
その鬱屈が一気に噴出したのが、
大坂冬の陣と夏の陣だったとすれば、
それは自然な流れといえます。
劇中、
真田信繁は、
自分がこの世に生きた証を残したのか、
と問うシーンがありましたが、
それは何よりも自身が納得した生涯を送ったか、
ということであり、
証などはどうでもよいのかもしれません。
芸術作品というのは、
そんな、
生きた証の最たる例かもしれませんが、
長くその意思を伝えるものなどはきわめて稀であり、
多くは、
時間の経過の中に埋もれてしまいます。
考えてみれば、
100年も経たない過去の人が、
どんな人で、
何を考えていたのかすら、
正確に伝えることが難しいのが、
人の世の常…
真田信繁のように、
後世の多くの人が、
その生涯に思いを馳せるなど、
珍しいことかもしれません。
先月、
大阪城へ行ったので、
感慨ひとしおではあります。
ああ…この世は無情なり。
追記:
物語の最後で活躍していた、
毛利勝永という人は、
実際スゴかったらしく、
徳川方の名だたる武将、
数名の首を上げています。
ちょっと興味ありますね。
真田信繁と同じタイプかもしれません。
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