「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2016/06/05 (Sun)
ウリ・ジョン・ロート…
いつからこんな名前になったのだ。
私は当時と同じく、
ウルリッヒ・ロスと呼ばせてもらいます。
(正確にはウーリッヒと発音したようです…)
さて、
ウルリッヒが誰であるか、
忘れた方も多いと思うので、
注釈を入れておきます。
1970年代の中盤、
西ドイツのハードロックの雄、
スコーピオンズをメジャーにのし上げる基盤を作りながら、
自己の音楽を探求する道を選び、
1978年にバンドから脱退。
当初は尊敬するジミヘンを意識した音を出していたが、
その後はクラシックミュージックを意識した、
おそるべきほど精緻に構築された楽曲をマイペースで作り続け、
孤高の存在となっていた男…
その生き方も風貌も(笑)まさに仙人。
31フレットの特注ギター(スカイギター)を操る男…
それがウルリッヒ・ロスであります。
私がウルリッヒの超絶プレイに接したのは、
高校1~2年頃(1977~1978年)のことです。
ちょっと恥ずかしくて買えなかった、
『ヴァージン・キラー』の次に、
スコーピオンズの来日公演を収録した、
『蠍団爆発(原題はTOKYO TAPESだよ~ん)』(1978年)
というライヴアルバムのプレイがあまりに凄まじく、
一発でショックトリートメントされたのでありました。
スコーピオンズのスタジオ作品は、
ギターが何層にもオーヴァータビングされており…
とくに哀愁のメロディをハモる、
リードギターのフレーズが印象的でした。
ライヴではとーぜん、
これを再現するのかと思いきや…
もう一方のギタリストである、
ルドルフ・シェンカーは弟のマイケルとは違い、
99%リズムギターに徹し、
リードギターはウルリッヒの独壇場だったのです。
そこで繰り広げられたウルリッヒのプレイは、
壮絶そのものでした。
まず、
指が異常に早く動く!
華麗な指使いで、
難易度の高い、
哀愁のメロディを次から次へと繰り出す一方…
ハウリングやフィードバックを自由自在に操り、
泣き叫ぶような音の効果で感情を吐き出します。
エコーやワウといったエフェクトの使い方がうまく、
ファズで歪ませた音とクリアーな音の対比も見事でした。
リッチー・ブラックモア、デイヴ・ギルモアに続き、
私にとって3人目の、
ストラト・マイスターが現れた瞬間です。
そして、
続くスタジオ作品『暴虐の蠍団(TAKEN BY FORCE)』で、
「カロンの渡し守(The Sails of Charon)」という、
コピー不可能な楽曲を提示され、
私はエキセントリックなテクニシャンをあきらめ、
(もう一人、エディ・ヴァンヘイレンも、
このきっかけに関わっています…)
別の方向性を模索することになるのですが…
当のウルリッヒはあっさりスコーピオンズから脱退し、
メジャーなシーンから消えてしまうのでありました。
そんなウルリッヒが、
あるきっかけから、
スコーピオンズ時代のナンバーを再現するツアーを行い、
それをスタジオライヴの形式でレコーディングしたのです。
それが、
昨年発表された、
『SCORPIONS REVISITED』という2枚組のアルバム…
40年近くの歳月を経て、
仙人が戻ってきました。
収録曲は、
ウルリッヒ作のスコーピオンズ時代のナンバーと、
ルドルフ&クラウス・マイネによるスコーピオンズナンバーですが、
大方のファンが納得する選曲…
聴きたい曲にモレはありません。
「カロンの渡し守」も、
「ヴァージン・キラー」も入っておりまっせーっ。
ウルリッヒは、
例の『TOKYO TAPES』がお気に入りだったようで、
私もあのアルバムの白眉と思っていた、
「暗黒の極限(Polar Night)」と「フライ・トゥ・ザ・レインボウ」が、
『TOKYO TAPES』のヴァージョンで入っているあたり、
なかなかのモノです。
「暗黒の極限」は、
ディスコ調のインストから入り、
フィードバックの嵐になる展開が、
まさに圧巻…
「フライ・トゥ・ザ・レインボウ」は、
静と動の対比、
歪みとクリアなトーンの使い分けが絶品…
壮絶の一言では片付けられない、
芸術的な二品です。
おもしろいのは、
どの曲もスタジオライヴでありながら、
オリジナルのスタジオテイクにかなり忠実…
ハーモニーがより深化しているところで、
このために、
ウルリッヒは自分以外に2名のギタリストをバンドに加えています。
先に話した、
ライヴでルドルフがリズムギターに徹し、
リードギターのハーモニーを再現しなかったことは、
誰よりもウルリッヒが不本意に感じていた、
ということなのです。
それにしても…
これが、
齢60をとうに過ぎた人のプレイでありましょうか。
「カロンの渡し守」などは余裕で、
あの超絶フレーズを弾き切っており、
相変わらず、
おそるべき仙人と舌を巻くことしばし…
ところで、
私もこれまで、
ダテに歳をとってきたわけではないので、
ウルリッヒのプレイを少しは理解できるようになったはず…
今回は、
この超絶プレイに挑んでみようか、
などと企んでおります。
リッチーに続けて、
この人に影響されたんだよなぁ…
ヨーロッパのダークなクラシカルミュージックの素養を、
身に付けたかったんですよ…あの頃は。
いつからこんな名前になったのだ。
私は当時と同じく、
ウルリッヒ・ロスと呼ばせてもらいます。
(正確にはウーリッヒと発音したようです…)
さて、
ウルリッヒが誰であるか、
忘れた方も多いと思うので、
注釈を入れておきます。
1970年代の中盤、
西ドイツのハードロックの雄、
スコーピオンズをメジャーにのし上げる基盤を作りながら、
自己の音楽を探求する道を選び、
1978年にバンドから脱退。
当初は尊敬するジミヘンを意識した音を出していたが、
その後はクラシックミュージックを意識した、
おそるべきほど精緻に構築された楽曲をマイペースで作り続け、
孤高の存在となっていた男…
その生き方も風貌も(笑)まさに仙人。
31フレットの特注ギター(スカイギター)を操る男…
それがウルリッヒ・ロスであります。
私がウルリッヒの超絶プレイに接したのは、
高校1~2年頃(1977~1978年)のことです。
ちょっと恥ずかしくて買えなかった、
『ヴァージン・キラー』の次に、
スコーピオンズの来日公演を収録した、
『蠍団爆発(原題はTOKYO TAPESだよ~ん)』(1978年)
というライヴアルバムのプレイがあまりに凄まじく、
一発でショックトリートメントされたのでありました。
スコーピオンズのスタジオ作品は、
ギターが何層にもオーヴァータビングされており…
とくに哀愁のメロディをハモる、
リードギターのフレーズが印象的でした。
ライヴではとーぜん、
これを再現するのかと思いきや…
もう一方のギタリストである、
ルドルフ・シェンカーは弟のマイケルとは違い、
99%リズムギターに徹し、
リードギターはウルリッヒの独壇場だったのです。
そこで繰り広げられたウルリッヒのプレイは、
壮絶そのものでした。
まず、
指が異常に早く動く!
華麗な指使いで、
難易度の高い、
哀愁のメロディを次から次へと繰り出す一方…
ハウリングやフィードバックを自由自在に操り、
泣き叫ぶような音の効果で感情を吐き出します。
エコーやワウといったエフェクトの使い方がうまく、
ファズで歪ませた音とクリアーな音の対比も見事でした。
リッチー・ブラックモア、デイヴ・ギルモアに続き、
私にとって3人目の、
ストラト・マイスターが現れた瞬間です。
そして、
続くスタジオ作品『暴虐の蠍団(TAKEN BY FORCE)』で、
「カロンの渡し守(The Sails of Charon)」という、
コピー不可能な楽曲を提示され、
私はエキセントリックなテクニシャンをあきらめ、
(もう一人、エディ・ヴァンヘイレンも、
このきっかけに関わっています…)
別の方向性を模索することになるのですが…
当のウルリッヒはあっさりスコーピオンズから脱退し、
メジャーなシーンから消えてしまうのでありました。
そんなウルリッヒが、
あるきっかけから、
スコーピオンズ時代のナンバーを再現するツアーを行い、
それをスタジオライヴの形式でレコーディングしたのです。
それが、
昨年発表された、
『SCORPIONS REVISITED』という2枚組のアルバム…
40年近くの歳月を経て、
仙人が戻ってきました。
収録曲は、
ウルリッヒ作のスコーピオンズ時代のナンバーと、
ルドルフ&クラウス・マイネによるスコーピオンズナンバーですが、
大方のファンが納得する選曲…
聴きたい曲にモレはありません。
「カロンの渡し守」も、
「ヴァージン・キラー」も入っておりまっせーっ。
ウルリッヒは、
例の『TOKYO TAPES』がお気に入りだったようで、
私もあのアルバムの白眉と思っていた、
「暗黒の極限(Polar Night)」と「フライ・トゥ・ザ・レインボウ」が、
『TOKYO TAPES』のヴァージョンで入っているあたり、
なかなかのモノです。
「暗黒の極限」は、
ディスコ調のインストから入り、
フィードバックの嵐になる展開が、
まさに圧巻…
「フライ・トゥ・ザ・レインボウ」は、
静と動の対比、
歪みとクリアなトーンの使い分けが絶品…
壮絶の一言では片付けられない、
芸術的な二品です。
おもしろいのは、
どの曲もスタジオライヴでありながら、
オリジナルのスタジオテイクにかなり忠実…
ハーモニーがより深化しているところで、
このために、
ウルリッヒは自分以外に2名のギタリストをバンドに加えています。
先に話した、
ライヴでルドルフがリズムギターに徹し、
リードギターのハーモニーを再現しなかったことは、
誰よりもウルリッヒが不本意に感じていた、
ということなのです。
それにしても…
これが、
齢60をとうに過ぎた人のプレイでありましょうか。
「カロンの渡し守」などは余裕で、
あの超絶フレーズを弾き切っており、
相変わらず、
おそるべき仙人と舌を巻くことしばし…
ところで、
私もこれまで、
ダテに歳をとってきたわけではないので、
ウルリッヒのプレイを少しは理解できるようになったはず…
今回は、
この超絶プレイに挑んでみようか、
などと企んでおります。
リッチーに続けて、
この人に影響されたんだよなぁ…
ヨーロッパのダークなクラシカルミュージックの素養を、
身に付けたかったんですよ…あの頃は。
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