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「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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  ★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2015/08/16 (Sun)
いつのまにか、
そんなに歳月を重ねていたんですね。

半世紀以上経過しているわけですから、
今の子供たちにとっては、
歴史の教科書の1ページのような感覚だとしても、
無理のない話です。

一方で、
私は昭和37年生まれですから、
戦後わずか17年…
今になって考えてみると、
戦争がついこの間の出来事だった時代に、
生まれてきたことになります。

ですから、
子供の頃には、
戦争を感じさせるものが、
まだ身近にたくさん残っていたのです。

例えば…
上野動物園などへ遊びに行くと、
途中のお山の入り口あたりで見かけた、
傷痍軍人の方々。

手や足のない白衣姿の傷痍軍人が、
無表情で楽器を演奏する光景を見て、
とてもコワかったことを覚えていますが、
みなさん、
まだ若かったんですね。
せいぜい40代だったのではないでしょうか。

それから、
特攻隊だった、
母方の伯父の体験談や、
当時の写真。

伯父は予科練に所属し、
昭和20年8月20日の出撃予定だったおかげで、
終戦を迎えることができたのです。
当時はお国のためと、
当たり前のように考えていたので、
何も疑問に思わなかったと淡々と語っていたものです。

わずか16歳の伯父は、
日本刀を片手に、
それは凛々しい姿で写真に収まっていました。

先日亡くなった父は、
東京大空襲の翌日の光景を、
ずっと忘れることができない、
あれは簡単に言葉で表せる程度のものではないよ、
と言っていました。

千住あたりも焼け野原になったそうですが、
墨田区ほどではなかったようで、
父は祖父といっしょに、
翌日の町中を歩き回ったそうです。

そしてなぜか、
就職した最初の会社に大勢いた元軍人たち。
多くは役員クラスでしたが、
酒が入ると当時の話題になったものです。

重慶爆撃に参加し、
昭和16年にはラバウル航空隊にいたという、
元陸軍のパイロットだった役員の話。
この方は肋膜を患い、
肺結核の疑いもあり内地へ帰され、
生き残ってしまったそうです。

また別の役員は、
これまた元陸軍のパイロットで、
帝都防衛のため、
厚木にあった302空にいたという話でした。

いちばん衝撃だったのは、
森村誠一の『悪魔の飽食』で話題になった、
満州の細菌部隊(731部隊)
に在籍していたという管理職の話。
この方はまだ、
幼い少年兵だったという話でした。

みなさん同じように、
当時はお国のためと、
罪悪感など少しも感じなかった、
と語っていたものです。

そして、
揃いも揃って、
我々とは違う人種のような、
一種独特の気骨にあふれていました。

ここで、
忘れてはいけないことは、
我が国日本は、
戦争の被害者であると同時に、
加害者でもあるということ。

我々は、
その両方の事実に、
しっかり向き合わなければならないのです。

最近になって思うのは、
先の大戦でアジアの隣国は、
被害者でこそあれ、
加害者ではなかったということ。

したがって、
こと戦争問題になると、
日本の一挙手一投足に、
非常に敏感になる…
これは、
当たり前のことなのだと思います。

政府は、
周辺のアジア各国に対する抑止力、
ということを盛んに強調して、
憲法9条の拡大解釈に踏み込もうとしています。

アメリカは、
同時多発テロに見舞われるまで、
民間人の被害はほとんどなかったわけで、
そういう観点から考えると、
本当に戦争の悲惨さを理解しているかどうか、
少々疑問の生じるところであります。

そのアメリカの顔色ばかりをうかがって、
国会で強行採決をする政府は、
はたして正しいと言えるのだろうか?

戦後70年が経過し、
直接の体験を語る人たちが少なくなる中、
間接的であるにせよ、
少しは身近に戦争を感じたことのある我々が、
伝えるべきことを後進に伝えなければならないのでは、
などと考える今日この頃です。

なぜかと言えば、
私の年齢が、
私に戦争体験を語ってくれた方々の当時の年齢と、
ほぼ同じになってきたからなんですね。

光陰矢のごとし…
まったくその通りであります。
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★ ILLUSTRATION BY nyao