「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2008/10/12 (Sun)
デイヴ・ギルモア、
リッチー・ブラックモアに関心を持った私は、
彼らが愛用していたギター、
フェンダー・ストラトキャスターに興味を持つようになりました。
ストラトといえば、
それ以前から、
ジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトン、
ジェフ・ベックなどが使っていることを知っていましたが、
実際に弾いてみたいという気持ちが起きたのは、
先の2名の影響によるものでした。
リッチーが、
いろいろな色のストラトを弾いていたり、
それらを並べている楽屋の写真を見るにつけ、
「あ〜、いいなぁ〜っ、
俺もプロのギタリストになって、
あんな風にストラトを並べてみたい」
などとアコガレたものです。
ミーハーな私は、
まずはその流線型のボディ、
いわゆるスポーツカーのようなルックスに惹かれ、
その後、
トレモロアームという破壊兵器の存在を知り、
機能的な部分に興味を持つようになっていったのでした。
ところが、
そんな私が、
高校1年のときに初めて手にしたエレキギターは、
国産のアリア・プロ〓というメーカーの、
ギブソン・レスポールのコピーモデルでした。
なぜそうなったのかについては、
「初心者はストラトよりレスポールの方がいいよ」
という諸先輩のアドバイスに従ったからであり、
その他とくにレスポールに惹かれた理由は見当たりません。
この件については、
それなりの根拠があり、
後に納得することになるのですが、
自分のエレキギターを手に入れたものの、
「ストラトほしいなぁ〜っ」
の思いが消えることはありませんでした。
そんなある日、
思いがけないことが起こりました。
それは高校2年の春のこと、
一緒にバンドをやっていたヴォーカルの女の子が、
「ずっと使っていていいよ」
と自分のストラトを貸してくれたのです。
そのギターは、
ジョーディという国産メーカーのコピーモデルでした。
ラージヘッド、
メイプル指板、
色はクリームがかったホワイトで、
ウルリッヒ・ロスが使っていたような、
1970年代初期タイプのコピーでした。
アコガレのギターを手にした私は、
もう自分のレスポールはそっちのけで、
こればかりを弾くようになりました。
そして、
すっかりストラトの魅力のトリコになったのです。
さらに、
なぜかこのギターを“もらったもの”、
と勘違いしていた私は、
ブランド名を削って、
プラカラーで“フェンダー”と書いたり、
指板を削ってスキャロップド使用にしたり、
好き放題いじくり回してしまったのでした。
おかげで、
バンドが解散してしばらくして、
その娘から「ギター返して」と言われたときの、
焦ったことといったらありませんでした。
電話で正直に謝罪をしてから返しに行きましたが、
彼女は怒りもせずにギターを受け取り、
笑顔で「がんばってね」と言ってくれました。
彼女とは違う学校に通っていたこともあり。
それっきり音信不通になってしまいましたが、
大人になってからこのときのことを考えてみると、
どうも彼女は私に好意を持っていたようで、
それにしてはずいぶんヒドいことをしたものだと、
反省することしきりでした。
あらためて、
今頃どこかで立派なお母さんになっているであろう彼女に、
「すいませんでした」と言いたい気持ちでいっぱいです。
さて、
話題がそれてしまいましたが、
ジョーディのストラトを手放してからもその感触が忘れられず、
ついには夢にまで見るようになったストラトを手に入れるのは、
それから約1年半の後、
大学に入学した18歳の春のことでした。
なんと、
わずかな頭金を入れただけで、
本物のフェンダー・ストラトキャスターを、
30回もの長期ローンで手に入れてしまったのです。
それが、
いまだに手元にあるこのギターです↓
シリアルナンバーから1979年製であることがわかるこのギターは、
当時の標準仕様である、
黒いプラスチック・パーツが特徴である他は、
例のジョーディのストラトと同じ、
メイプル指板で、
クリームがかったホワイトのボディをしています。
当時は1ドル=365円の時代です。
フェンダーは新品で、
定価238,000円だったと記憶しておりますが、
これを毎月1万と少々の額で返済することになり、
以降2年半、
バイトにあけくれることになるのでありました。
さて、
天にも昇る思いで手にしたアコガレのギターでしたが、
第一印象はその想いに反して、
ただただ「弾きづらい」だけでした。
この頃のストラトは、
もっともネックが太くて厚い時期であったため、
握り心地が悪く、
さらにフェンダーの指板のスケールはギブソンよりも長いため、
とにかく左手にかかるストレスが大きいのでありました。
その上、
ギブソン系のハムバッキング・ピックアップと違い、
簡単に歪みが得られないシングルコイル・ピックアップです。
適度なゴマ化しが効かないから、
運指のアラは出るわ、
ピッキングのアラは出るわ、
丁寧に弾かなければ、
それがそのまま音になってしまいます。
(どうやら、
“初心者には向かない”とされた理由は、
このへんにあるようです)
「失敗したかも?」
「ギブソン・レスポールにした方がよかったかも?」
このギターに、
このような大金を払ったことを今更反省してみたところで、
時すでに遅し。
今売り払ったとしても、
残るは多額の借金のみ。
こうして、
私とストラトの、
格闘の日々が始まったのです。
(次回につづく)
リッチー・ブラックモアに関心を持った私は、
彼らが愛用していたギター、
フェンダー・ストラトキャスターに興味を持つようになりました。
ストラトといえば、
それ以前から、
ジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトン、
ジェフ・ベックなどが使っていることを知っていましたが、
実際に弾いてみたいという気持ちが起きたのは、
先の2名の影響によるものでした。
リッチーが、
いろいろな色のストラトを弾いていたり、
それらを並べている楽屋の写真を見るにつけ、
「あ〜、いいなぁ〜っ、
俺もプロのギタリストになって、
あんな風にストラトを並べてみたい」
などとアコガレたものです。
ミーハーな私は、
まずはその流線型のボディ、
いわゆるスポーツカーのようなルックスに惹かれ、
その後、
トレモロアームという破壊兵器の存在を知り、
機能的な部分に興味を持つようになっていったのでした。
ところが、
そんな私が、
高校1年のときに初めて手にしたエレキギターは、
国産のアリア・プロ〓というメーカーの、
ギブソン・レスポールのコピーモデルでした。
なぜそうなったのかについては、
「初心者はストラトよりレスポールの方がいいよ」
という諸先輩のアドバイスに従ったからであり、
その他とくにレスポールに惹かれた理由は見当たりません。
この件については、
それなりの根拠があり、
後に納得することになるのですが、
自分のエレキギターを手に入れたものの、
「ストラトほしいなぁ〜っ」
の思いが消えることはありませんでした。
そんなある日、
思いがけないことが起こりました。
それは高校2年の春のこと、
一緒にバンドをやっていたヴォーカルの女の子が、
「ずっと使っていていいよ」
と自分のストラトを貸してくれたのです。
そのギターは、
ジョーディという国産メーカーのコピーモデルでした。
ラージヘッド、
メイプル指板、
色はクリームがかったホワイトで、
ウルリッヒ・ロスが使っていたような、
1970年代初期タイプのコピーでした。
アコガレのギターを手にした私は、
もう自分のレスポールはそっちのけで、
こればかりを弾くようになりました。
そして、
すっかりストラトの魅力のトリコになったのです。
さらに、
なぜかこのギターを“もらったもの”、
と勘違いしていた私は、
ブランド名を削って、
プラカラーで“フェンダー”と書いたり、
指板を削ってスキャロップド使用にしたり、
好き放題いじくり回してしまったのでした。
おかげで、
バンドが解散してしばらくして、
その娘から「ギター返して」と言われたときの、
焦ったことといったらありませんでした。
電話で正直に謝罪をしてから返しに行きましたが、
彼女は怒りもせずにギターを受け取り、
笑顔で「がんばってね」と言ってくれました。
彼女とは違う学校に通っていたこともあり。
それっきり音信不通になってしまいましたが、
大人になってからこのときのことを考えてみると、
どうも彼女は私に好意を持っていたようで、
それにしてはずいぶんヒドいことをしたものだと、
反省することしきりでした。
あらためて、
今頃どこかで立派なお母さんになっているであろう彼女に、
「すいませんでした」と言いたい気持ちでいっぱいです。
さて、
話題がそれてしまいましたが、
ジョーディのストラトを手放してからもその感触が忘れられず、
ついには夢にまで見るようになったストラトを手に入れるのは、
それから約1年半の後、
大学に入学した18歳の春のことでした。
なんと、
わずかな頭金を入れただけで、
本物のフェンダー・ストラトキャスターを、
30回もの長期ローンで手に入れてしまったのです。
それが、
いまだに手元にあるこのギターです↓
シリアルナンバーから1979年製であることがわかるこのギターは、
当時の標準仕様である、
黒いプラスチック・パーツが特徴である他は、
例のジョーディのストラトと同じ、
メイプル指板で、
クリームがかったホワイトのボディをしています。
当時は1ドル=365円の時代です。
フェンダーは新品で、
定価238,000円だったと記憶しておりますが、
これを毎月1万と少々の額で返済することになり、
以降2年半、
バイトにあけくれることになるのでありました。
さて、
天にも昇る思いで手にしたアコガレのギターでしたが、
第一印象はその想いに反して、
ただただ「弾きづらい」だけでした。
この頃のストラトは、
もっともネックが太くて厚い時期であったため、
握り心地が悪く、
さらにフェンダーの指板のスケールはギブソンよりも長いため、
とにかく左手にかかるストレスが大きいのでありました。
その上、
ギブソン系のハムバッキング・ピックアップと違い、
簡単に歪みが得られないシングルコイル・ピックアップです。
適度なゴマ化しが効かないから、
運指のアラは出るわ、
ピッキングのアラは出るわ、
丁寧に弾かなければ、
それがそのまま音になってしまいます。
(どうやら、
“初心者には向かない”とされた理由は、
このへんにあるようです)
「失敗したかも?」
「ギブソン・レスポールにした方がよかったかも?」
このギターに、
このような大金を払ったことを今更反省してみたところで、
時すでに遅し。
今売り払ったとしても、
残るは多額の借金のみ。
こうして、
私とストラトの、
格闘の日々が始まったのです。
(次回につづく)
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