「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2014/06/29 (Sun)
最近は以前ほど、
何かに取り憑かれたように、
“紙ジャケ仕様再発CD”(通称“紙ジャケ”)を
集めることはなくなりましたが、
ディープ・パープル来日記念ということで、
今年の冬に“紙ジャケ”で再発された、
初期ディープ・パープルの3枚のアルバムは、
日本国内初販当時のオリジナル仕様ということもあり、
往年のパープル・ファンとしては、
見過ごすわけにはいきませんでした。
3枚のアルバムとは、
『紫の世界』
(ファーストアルバム:その後の邦題は『ハッシュ』)
『ディープ・パープルの華麗なる世界』
(セカンドアルバム:その後の邦題は『詩人タリエシンの世界』)
『素晴らしきアート・ロックの世界』
(サードアルバム:その後の邦題は『ディープ・パープルⅢ』)
いずれも、
かつては第1期パープルと称された時期の作品です。
これが、
見開きジャケットの内側に
日本語の解説がプリントされた、
オリジナルの国内盤仕様で再発されたのでした。
見開きの解説は、
さすがに1969年当時のものなので、
表現含めて、
何か違うぞ?と、
今となっては笑える部分もありますが…
たとえば…
フィードバック(電気装置のイタズラとされている再生音の技法)
※注)決して誤った表現ではないと思いますが…(笑)
ウァオ・ウァオ・エコーライザー
※注)ワウワウペダルのことと思われますが…(笑)
パープルのサウンドを評して、
クリームやバニラ・ファッジのような、
アートロックを志向しているものの、
彼らに比べると、
かなりわかりやすいサウンドとしているので、
音のメッセージは正確に伝わっていたようです。
この“わかりやすい”というのは、
第2期以降にもいえることで…
もっとうまく表現すると、
“ポップで聴きやすい”ということだと思いますが…
パープルサウンドを象徴する言葉でしょう。
それはこの最初期から、
すでに確立されていたということになります。
ファーストとセカンドは、
構成がよく似ていて…
大半がカバーであること。
ヒットを狙ったと思われるポップな曲を含むこと。
そして、
意外とハードな演奏があること。
などが共通しています。
なぜか、
両作品ともカバーが多く、
ファーストには「ハッシュ」、
セカンドにも「ケンタッキー・ウーマン」
「リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ」など、
シングルヒットを狙ったと思える曲を収録しています。
そして…
意外とリッチーが暴れています。
ファーストのオープニング、
「アンド・ジ・アドレス」を聴くと、
もうこの時点で、
彼のスタイルができあがっていることがわかります。
この曲はインストで、
後年レインボーのファーストに収録する、
「スティル・アイム・サッド」によく似ています。
ギター・ソロでは意識的に、
スケールから外れたような調子はずれな音を使い、
聴き手に強烈な印象を残します。
さらにファーストでは、
LP時代ではB面1曲目だった
「マンドレイク・ルート」が、
「パープル・ヘイズ」や「フォクシー・レディ」にそっくりで、
これはジミ・ヘンそのものという感じです。
(この植物は『ハリーポッター』に出てきましたね…
発売当時の邦題「マンダラゲ」はどうも…(笑)
「マンドレイク・ルート」後半のアドリブ部分は、
第2期の代表作『ライブ・イン・ジャパン』における、
「スペース・トラッキン」後半の
長尺演奏の部分にそのまま流用されています。
セカンドでも、
オープニングの「リッスン」の終盤で、
フィードバックさせながら、
ハンパない暴れ方をしています。
(残念なことに、
すぐにフェイドアウトされて、
聴こえなくなってしまいますが…)
また、
「シールド」という曲でも、
当時のブルース主流のギタリストとは明らかに違う、
イレギュラーなフレーズを連発して、
異彩を放っています。
リッチーは、
かなりメチャクチャなことをやっても、
最後にはうまくおさめてしまうという特技があって、
ここに非常に高度な理論とテクニックを感じますが、
それはすでにデビューの時点で確立されていたのです。
イアン・ペイスのドラムも、
すでにパワフルに叩きまくっていて、
意識的にそうなっているのか、
録音時に想定していたダイナミックレンジを超えていただけなのか、
かなり音が割れていて、
迫力十分です。
(この感じは『ファイヤーボール』ぐらいまで同じですなぁ…)
ロッド・エヴェンスは、
中域から低音にかけて響く、
マイルドな声の持ち主です。
私はこの感じ、
少し抑えぎみに歌ったときの、
イアン・ギランの声に似ていると思うのですが、
いかがでしょう?
全体の演奏も、
後のパープル・サウンドの特徴である、
中音域で一丸となって、
ゴリゴリとリズムを出してくる…
「ハイウェイ・スター」の感じですね…
これがすでに確立されているし、
キーボードがリフを弾くことが多いことと、
ヴォーカルがシャウトしないことを除けば、
第2期のハードロック路線と、
初期の2枚のアルバムが、
意外とつばがっていることがよくわかると思います。
そういえば、
前述の「マンドレイク・ルート」や、
セカンド収録の「ハード・ロード」は、
第2期初期のライブでは定番でした。
一方、
サードは少々雰囲気が違っていて、
完全に鍵盤主体の、
それこそ、
プログレっぽいアートロック作品になっています。
チェンバロを使ったり、
弦楽を導入したり、
この延長に、
例の『ロイヤル・フィル・ハーモニック・オーケストラ』
が予感される音です。
これはどういうことなのだろうか?
私はパープルの公式年表を見てみました。
すると…
1968年2月 ファーストアルバムをリリース
1968年4月 初のアメリカンツアー
1968年12月 セカンドアルバムをリリース
1969年3月 ロッド・エバンスとニック・シンパーを解雇
1969年4月 2度目のアメリカンツアー
(ツアー後、前述の2人は正式脱退)
1969年6月 イアン・ギランとロジャー・グローバー加入
1969年9月 サードアルバムをリリース
同月にロイヤル・フィル・ハーモニック・オーケストラと共演
1970年6月 『イン・ロック』リリース
つまり、
第1期というのは、
独立した時期としてとらえられるほど、
十分な期間にわたる活動はしておらず、
セカンドアルバムリリース後すぐに、
第2期のメンバーになっているということなのです。
当初から中心メンバーには、
第2期に開花するサウンドのイメージがあったものの、
それを表現するにはヴォーカリストの力量が足りず、
また、
ジョン・ロードはクラシック志向が強く、
バンドとしての方向性に悩んでいた。
ジョンは、
サードアルバムとオーケストラとの共演で、
自分の欲求を満足させたものの、
『イン・ロック』の成功で、
その後のハードロック路線に合意した、
ということでしょう?
実際、
クラシック路線を主張するジョンと、
よりハードな路線を主張するリッチーが、
紳士的な解決策として、
お互いがイニシアティヴをとるアルバムを1枚ずつ作り、
成功した方の路線で行くことで、
和解をしたと言われているのです。
第1期ディープ・パープルは、
文字通りの“第1期”ではなく、
第2期の初期…黎明期というのが正しい解釈。
そう考えると、
初期のこの3枚は、
非常に興味深く聴けるのでありました。
↓やはり、このノリでゴーゴー踊るんだ(笑)
何かに取り憑かれたように、
“紙ジャケ仕様再発CD”(通称“紙ジャケ”)を
集めることはなくなりましたが、
ディープ・パープル来日記念ということで、
今年の冬に“紙ジャケ”で再発された、
初期ディープ・パープルの3枚のアルバムは、
日本国内初販当時のオリジナル仕様ということもあり、
往年のパープル・ファンとしては、
見過ごすわけにはいきませんでした。
3枚のアルバムとは、
『紫の世界』
(ファーストアルバム:その後の邦題は『ハッシュ』)
『ディープ・パープルの華麗なる世界』
(セカンドアルバム:その後の邦題は『詩人タリエシンの世界』)
『素晴らしきアート・ロックの世界』
(サードアルバム:その後の邦題は『ディープ・パープルⅢ』)
いずれも、
かつては第1期パープルと称された時期の作品です。
これが、
見開きジャケットの内側に
日本語の解説がプリントされた、
オリジナルの国内盤仕様で再発されたのでした。
見開きの解説は、
さすがに1969年当時のものなので、
表現含めて、
何か違うぞ?と、
今となっては笑える部分もありますが…
たとえば…
フィードバック(電気装置のイタズラとされている再生音の技法)
※注)決して誤った表現ではないと思いますが…(笑)
ウァオ・ウァオ・エコーライザー
※注)ワウワウペダルのことと思われますが…(笑)
パープルのサウンドを評して、
クリームやバニラ・ファッジのような、
アートロックを志向しているものの、
彼らに比べると、
かなりわかりやすいサウンドとしているので、
音のメッセージは正確に伝わっていたようです。
この“わかりやすい”というのは、
第2期以降にもいえることで…
もっとうまく表現すると、
“ポップで聴きやすい”ということだと思いますが…
パープルサウンドを象徴する言葉でしょう。
それはこの最初期から、
すでに確立されていたということになります。
ファーストとセカンドは、
構成がよく似ていて…
大半がカバーであること。
ヒットを狙ったと思われるポップな曲を含むこと。
そして、
意外とハードな演奏があること。
などが共通しています。
なぜか、
両作品ともカバーが多く、
ファーストには「ハッシュ」、
セカンドにも「ケンタッキー・ウーマン」
「リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ」など、
シングルヒットを狙ったと思える曲を収録しています。
そして…
意外とリッチーが暴れています。
ファーストのオープニング、
「アンド・ジ・アドレス」を聴くと、
もうこの時点で、
彼のスタイルができあがっていることがわかります。
この曲はインストで、
後年レインボーのファーストに収録する、
「スティル・アイム・サッド」によく似ています。
ギター・ソロでは意識的に、
スケールから外れたような調子はずれな音を使い、
聴き手に強烈な印象を残します。
さらにファーストでは、
LP時代ではB面1曲目だった
「マンドレイク・ルート」が、
「パープル・ヘイズ」や「フォクシー・レディ」にそっくりで、
これはジミ・ヘンそのものという感じです。
(この植物は『ハリーポッター』に出てきましたね…
発売当時の邦題「マンダラゲ」はどうも…(笑)
「マンドレイク・ルート」後半のアドリブ部分は、
第2期の代表作『ライブ・イン・ジャパン』における、
「スペース・トラッキン」後半の
長尺演奏の部分にそのまま流用されています。
セカンドでも、
オープニングの「リッスン」の終盤で、
フィードバックさせながら、
ハンパない暴れ方をしています。
(残念なことに、
すぐにフェイドアウトされて、
聴こえなくなってしまいますが…)
また、
「シールド」という曲でも、
当時のブルース主流のギタリストとは明らかに違う、
イレギュラーなフレーズを連発して、
異彩を放っています。
リッチーは、
かなりメチャクチャなことをやっても、
最後にはうまくおさめてしまうという特技があって、
ここに非常に高度な理論とテクニックを感じますが、
それはすでにデビューの時点で確立されていたのです。
イアン・ペイスのドラムも、
すでにパワフルに叩きまくっていて、
意識的にそうなっているのか、
録音時に想定していたダイナミックレンジを超えていただけなのか、
かなり音が割れていて、
迫力十分です。
(この感じは『ファイヤーボール』ぐらいまで同じですなぁ…)
ロッド・エヴェンスは、
中域から低音にかけて響く、
マイルドな声の持ち主です。
私はこの感じ、
少し抑えぎみに歌ったときの、
イアン・ギランの声に似ていると思うのですが、
いかがでしょう?
全体の演奏も、
後のパープル・サウンドの特徴である、
中音域で一丸となって、
ゴリゴリとリズムを出してくる…
「ハイウェイ・スター」の感じですね…
これがすでに確立されているし、
キーボードがリフを弾くことが多いことと、
ヴォーカルがシャウトしないことを除けば、
第2期のハードロック路線と、
初期の2枚のアルバムが、
意外とつばがっていることがよくわかると思います。
そういえば、
前述の「マンドレイク・ルート」や、
セカンド収録の「ハード・ロード」は、
第2期初期のライブでは定番でした。
一方、
サードは少々雰囲気が違っていて、
完全に鍵盤主体の、
それこそ、
プログレっぽいアートロック作品になっています。
チェンバロを使ったり、
弦楽を導入したり、
この延長に、
例の『ロイヤル・フィル・ハーモニック・オーケストラ』
が予感される音です。
これはどういうことなのだろうか?
私はパープルの公式年表を見てみました。
すると…
1968年2月 ファーストアルバムをリリース
1968年4月 初のアメリカンツアー
1968年12月 セカンドアルバムをリリース
1969年3月 ロッド・エバンスとニック・シンパーを解雇
1969年4月 2度目のアメリカンツアー
(ツアー後、前述の2人は正式脱退)
1969年6月 イアン・ギランとロジャー・グローバー加入
1969年9月 サードアルバムをリリース
同月にロイヤル・フィル・ハーモニック・オーケストラと共演
1970年6月 『イン・ロック』リリース
つまり、
第1期というのは、
独立した時期としてとらえられるほど、
十分な期間にわたる活動はしておらず、
セカンドアルバムリリース後すぐに、
第2期のメンバーになっているということなのです。
当初から中心メンバーには、
第2期に開花するサウンドのイメージがあったものの、
それを表現するにはヴォーカリストの力量が足りず、
また、
ジョン・ロードはクラシック志向が強く、
バンドとしての方向性に悩んでいた。
ジョンは、
サードアルバムとオーケストラとの共演で、
自分の欲求を満足させたものの、
『イン・ロック』の成功で、
その後のハードロック路線に合意した、
ということでしょう?
実際、
クラシック路線を主張するジョンと、
よりハードな路線を主張するリッチーが、
紳士的な解決策として、
お互いがイニシアティヴをとるアルバムを1枚ずつ作り、
成功した方の路線で行くことで、
和解をしたと言われているのです。
第1期ディープ・パープルは、
文字通りの“第1期”ではなく、
第2期の初期…黎明期というのが正しい解釈。
そう考えると、
初期のこの3枚は、
非常に興味深く聴けるのでありました。
↓やはり、このノリでゴーゴー踊るんだ(笑)
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