「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2013/09/15 (Sun)
人生には何度か、
あーあのときこうしておけばよかったなー
と思うことがありますが、
私のいままでの人生では2回ほど、
見に行かなかったことを後悔しているライブがあります。
ひとつは、
以前「私の人生を変えたアルバム」で紹介した、
1979年日比谷野音における、
ジョニー・ルイス&チャー・のデビューライブ。
行かなかった理由は、
雨がヒドく降っていたからでした…(笑)
もうひとつは、
1980年法政大学での、
裸のラリーズのライブ。
当時は、
出演予定であっても、
実際に演奏する保証はないと言われた、
幻のバンドのライブでした。
当日、
私は体調が悪く、
そんな状況ならいいやとパスし、
私を除く友人3人がライブに出かけました。
ところが、
その夜のライブは、
後に伝説となったほどの名演だったのです。
友人の証言によると、
出演時間から1時間が経過し、
今夜もスッポカシか?と危惧し始めた頃、
とつぜん客席に向かって、
ストロボのような照明の明滅が数分…
脳内物質が異常に分泌されたような気分になると、
轟音が響き渡り、
それから3時間近く、
ノンストップの演奏が続いたそうです。
なにしろ、
その音のデカかったこと…
水谷さんの使ったアンプは、
グヤトーンの…
マーシャルの3段積みより大きなアンプだった、
ということ。
そして、
観客の雰囲気も異常で、
どこからこんな人たちが出て来た?
と思われる異形の集団が、
ひたすら無言でこの演奏に聞き入っていた、
ということ。
なにしろ、
未知の体験だったようです。
友人は、
そのときの演奏をひそかに録音しており、
その後、
私も耳にすることができました。
それは、
当時話題になっていた、
PILやジャーマン系の音に近いものでした、
その頃から、
裸のラリーズは、
日本アンダーグラウンドシーンの極北、
と称され、
神格化されるようになりました。
私は何度か、
彼らの音に触れようと試みましたが、
いずれもかなわず、
1991年に3枚のアルバムがひそかに販売された際も、
気がついたときにはすでに遅く、
入手することはできませんでした。
現在では、
この3枚のアルバムは、
いずれも高額で取り引きされているだけでなく、
それにもかかわらず、
出てくると即買い手がついてしまう状態。
機会あるごとに、
あー聴いてみたい、
あのとき無理してでも行っておけばよかったなぁ…
と反省しきりでした。
それが今回、
山口富士夫さんが亡くなり、
彼の関わった作品を検索していたら、
なんと!
アメリカのレーベルから、
裸のラリーズの作品群が逆輸入されていることを知ったのです。
今回だけはどうしても逃したくない。
そんな気持ちでアレコレ調べ、
購入を試みたのですが、
これが一筋縄ではいきませんでした。
入荷まで時間がかかるとの表示を信じて、
しばらく待っていたら、
入手困難で必ず手に入る保証がありません、
などという通知をもらうこと2回。
それでもメゲずにいろいろ試してみたところ、
ようやく2枚の作品を入手することができました。
1枚は、
『HEAVIER THAN A DEATH IN THE FAMILY』という、
1991年に発表された3枚の中で、
最高傑作と言われている『’77 LIVE』を1枚にまとめ、
最後の1曲を削除したもの。
もう1枚は、
山口富士夫さんが在籍していた、
1980~81年のライブ音源を収録した6枚組、
『DOUBLE HEADS』です。
もちろん、
映像はついておらず、
また輸入盤のため、
思い入れたっぷりの日本語の解説もついておらず、
本当にシンプルに、
裸のラリーズの音と向き合うことができました。
冷静に聴いてみると、
曲の構造はいたってシンプルで、
ロックンロールやブルースの基本形である
3コードの進行が多いことに気がつきます。
ヴォーカルは歌というより、
むしろ詩吟に近く、
轟音の中、
ときおり印象的なフレーズが聴こえてきます。
バンドのサウンドを特異なものにしているのは、
ヴォーカルを含め、
全体にかけられている、
リバーブまたはエコーを使った、
独特の反響効果。
そして、
水谷さんのギターサウンド。
水谷さんのギターは、
たえずフィードバック、またはハウリングを起こしていて、
それにフランジャーをかけ、
その上にギター単体、
またはバンド全体の反響が加味されています。
いわゆる、
ジミヘンのライブで連発される、
キーンとかピーとかいう音、
それだけで表現をしている…
そんな印象です。
このようなサウンドは、
1990年以降、
アメリカを中心に流行していて、
ソニック・ユースやモグワイなど、
多くの有名バンドを輩出しています。
ですから、
裸のラリーズは海外で評価が高く、
これらの轟音&残響系ギターサウンドのルーツとして…
なぜかそのルーツがヒッピーと伝統が交わる、
京都から生まれたということで、
注目を集めております。
私も今回、
彼らの音源をよく聴いてみて、
それから、
ロックフェスティバル『夕焼け祭り』の映像なども参考にしたところ、
1960年代後半のサイケデリック・ムーブメントに端を発し、
1970年代のジャーマンロックの音響処理に触発され、
1990年代の轟音&残響系ギターサウンドの普及につながる、
架け橋的な存在として、
裸のラリーズが存在しているということが、
よくわかりました。
つまり、
特異とか、
突然変異ではなく、
必然的な音ということになるのですが、
ジミヘンのキーンとかピーとかいう部分だけを、
どのような状況でも守り続けた、
というか、
自らの表現手段として極め続けた、
という姿勢にはつくづく頭が下がります。
今回入手した分で、
予想外によかったのは、
富士夫さんが在籍していた、
『DOUBLE HEADS』で…
裸のラリーズには、
なぜかいつも、
もう一人のギタリストがいるのですが…
先ほど言ったように、
3コードのシンプルな曲が多いため、
その分野で修行をしていた、
たいへんボキャブラリーの豊富な富士夫さんのギターが効果的で、
演奏のボトムをしっかり引き締めています。
正直、
富士夫さんのギターが、
どのように裸のラリーズに同化していたのか、
イメージがつかなかったのですが、
これで納得しました。
彼ならではの効果があったわけです。
友人が録音した法政大学のライブや、
ロックフェスティバル『夕焼け祭り』で見た、
聴き覚えのある曲も多数収録されていますが、
まったく完成度が違っており、
興奮しながら何度も聴き返してします。
これを至福の時というのだろうか?
ついに私は、
裸のラリーズに触れることができました。
富士夫さんありがとね。
あなたからいただいた、
最高のプレゼントだぜ。
↓ついでに、こんなのも見つけた(笑)
あーあのときこうしておけばよかったなー
と思うことがありますが、
私のいままでの人生では2回ほど、
見に行かなかったことを後悔しているライブがあります。
ひとつは、
以前「私の人生を変えたアルバム」で紹介した、
1979年日比谷野音における、
ジョニー・ルイス&チャー・のデビューライブ。
行かなかった理由は、
雨がヒドく降っていたからでした…(笑)
もうひとつは、
1980年法政大学での、
裸のラリーズのライブ。
当時は、
出演予定であっても、
実際に演奏する保証はないと言われた、
幻のバンドのライブでした。
当日、
私は体調が悪く、
そんな状況ならいいやとパスし、
私を除く友人3人がライブに出かけました。
ところが、
その夜のライブは、
後に伝説となったほどの名演だったのです。
友人の証言によると、
出演時間から1時間が経過し、
今夜もスッポカシか?と危惧し始めた頃、
とつぜん客席に向かって、
ストロボのような照明の明滅が数分…
脳内物質が異常に分泌されたような気分になると、
轟音が響き渡り、
それから3時間近く、
ノンストップの演奏が続いたそうです。
なにしろ、
その音のデカかったこと…
水谷さんの使ったアンプは、
グヤトーンの…
マーシャルの3段積みより大きなアンプだった、
ということ。
そして、
観客の雰囲気も異常で、
どこからこんな人たちが出て来た?
と思われる異形の集団が、
ひたすら無言でこの演奏に聞き入っていた、
ということ。
なにしろ、
未知の体験だったようです。
友人は、
そのときの演奏をひそかに録音しており、
その後、
私も耳にすることができました。
それは、
当時話題になっていた、
PILやジャーマン系の音に近いものでした、
その頃から、
裸のラリーズは、
日本アンダーグラウンドシーンの極北、
と称され、
神格化されるようになりました。
私は何度か、
彼らの音に触れようと試みましたが、
いずれもかなわず、
1991年に3枚のアルバムがひそかに販売された際も、
気がついたときにはすでに遅く、
入手することはできませんでした。
現在では、
この3枚のアルバムは、
いずれも高額で取り引きされているだけでなく、
それにもかかわらず、
出てくると即買い手がついてしまう状態。
機会あるごとに、
あー聴いてみたい、
あのとき無理してでも行っておけばよかったなぁ…
と反省しきりでした。
それが今回、
山口富士夫さんが亡くなり、
彼の関わった作品を検索していたら、
なんと!
アメリカのレーベルから、
裸のラリーズの作品群が逆輸入されていることを知ったのです。
今回だけはどうしても逃したくない。
そんな気持ちでアレコレ調べ、
購入を試みたのですが、
これが一筋縄ではいきませんでした。
入荷まで時間がかかるとの表示を信じて、
しばらく待っていたら、
入手困難で必ず手に入る保証がありません、
などという通知をもらうこと2回。
それでもメゲずにいろいろ試してみたところ、
ようやく2枚の作品を入手することができました。
1枚は、
『HEAVIER THAN A DEATH IN THE FAMILY』という、
1991年に発表された3枚の中で、
最高傑作と言われている『’77 LIVE』を1枚にまとめ、
最後の1曲を削除したもの。
もう1枚は、
山口富士夫さんが在籍していた、
1980~81年のライブ音源を収録した6枚組、
『DOUBLE HEADS』です。
もちろん、
映像はついておらず、
また輸入盤のため、
思い入れたっぷりの日本語の解説もついておらず、
本当にシンプルに、
裸のラリーズの音と向き合うことができました。
冷静に聴いてみると、
曲の構造はいたってシンプルで、
ロックンロールやブルースの基本形である
3コードの進行が多いことに気がつきます。
ヴォーカルは歌というより、
むしろ詩吟に近く、
轟音の中、
ときおり印象的なフレーズが聴こえてきます。
バンドのサウンドを特異なものにしているのは、
ヴォーカルを含め、
全体にかけられている、
リバーブまたはエコーを使った、
独特の反響効果。
そして、
水谷さんのギターサウンド。
水谷さんのギターは、
たえずフィードバック、またはハウリングを起こしていて、
それにフランジャーをかけ、
その上にギター単体、
またはバンド全体の反響が加味されています。
いわゆる、
ジミヘンのライブで連発される、
キーンとかピーとかいう音、
それだけで表現をしている…
そんな印象です。
このようなサウンドは、
1990年以降、
アメリカを中心に流行していて、
ソニック・ユースやモグワイなど、
多くの有名バンドを輩出しています。
ですから、
裸のラリーズは海外で評価が高く、
これらの轟音&残響系ギターサウンドのルーツとして…
なぜかそのルーツがヒッピーと伝統が交わる、
京都から生まれたということで、
注目を集めております。
私も今回、
彼らの音源をよく聴いてみて、
それから、
ロックフェスティバル『夕焼け祭り』の映像なども参考にしたところ、
1960年代後半のサイケデリック・ムーブメントに端を発し、
1970年代のジャーマンロックの音響処理に触発され、
1990年代の轟音&残響系ギターサウンドの普及につながる、
架け橋的な存在として、
裸のラリーズが存在しているということが、
よくわかりました。
つまり、
特異とか、
突然変異ではなく、
必然的な音ということになるのですが、
ジミヘンのキーンとかピーとかいう部分だけを、
どのような状況でも守り続けた、
というか、
自らの表現手段として極め続けた、
という姿勢にはつくづく頭が下がります。
今回入手した分で、
予想外によかったのは、
富士夫さんが在籍していた、
『DOUBLE HEADS』で…
裸のラリーズには、
なぜかいつも、
もう一人のギタリストがいるのですが…
先ほど言ったように、
3コードのシンプルな曲が多いため、
その分野で修行をしていた、
たいへんボキャブラリーの豊富な富士夫さんのギターが効果的で、
演奏のボトムをしっかり引き締めています。
正直、
富士夫さんのギターが、
どのように裸のラリーズに同化していたのか、
イメージがつかなかったのですが、
これで納得しました。
彼ならではの効果があったわけです。
友人が録音した法政大学のライブや、
ロックフェスティバル『夕焼け祭り』で見た、
聴き覚えのある曲も多数収録されていますが、
まったく完成度が違っており、
興奮しながら何度も聴き返してします。
これを至福の時というのだろうか?
ついに私は、
裸のラリーズに触れることができました。
富士夫さんありがとね。
あなたからいただいた、
最高のプレゼントだぜ。
↓ついでに、こんなのも見つけた(笑)
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