「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2008/08/03 (Sun)
デビューアルバムの時点で
大きな成功をおさめたキング・クリムゾンですが、
ロバート・フリップ以外のメンバーは、
より大きな成功を手に入れるべく、
別のプロジェクトの構想を練っていました。
それは、
イアン・マクドナルドとマイケル・ジャイルス、
そしてもう一人、グレッグ・レイクでした。
グレッグ・レイクは、
クリムゾンのアメリカツアーに同行した際に、
どうしたらこの国で成功することができるか、
具体的な案を考えついたと言われています。
それが、
『クリムゾンキングの宮殿』で構築した、
クラシック・ミュージックとロックの融合を、
よりポップな音で進化させること。
さらに、
そのサウンドをステージにおいて、
強烈なパフォーマンスで表現することでした。
グレッグ・レイクは、
前者はもとより後者にも相当なコダワリを持っていたようで、
ロバート・フリップがステージで椅子に座って演奏し始めたことについて、
かなり強く異を唱えたと言われています。
そして、
彼の構想に従ってメンバーが集められました。
当初はジミ・ヘンドリックスをギタリストとする計画があったようですが、
最終的にはキース・エマーソンとカール・パーマーによる、
ギターレスのトリオに落ち着きました。
エマーソン・レイク&パーマー、EL&Pの誕生です。
EL&Pは1970年に、
『エマーソン・レイク&パーマー/EMERSON LAKE & PALMER』でデビュー、
その後も『タルカス/TARKUS』、
『展覧会の絵/PICTURES AT AN EXHIBITION』(ともに1971年)と、
たてつづけに傑作を発表。
日本では少女マンガに登場するほどになった、
キース・エマーソンの派手なパフォーマンスもあいまって、
グレッグ・レイクの予測通り、
あっという間に不動の地位を確立したのでした。
私は初めて彼らの存在を知ったとき、
「ケンカ売ってんのかぁ?」っと…。
つまり、
ギターがロックのホームラン王だと思っていた少年にとって、
EL&Pの編成はたいへん衝撃的であったというわけです。
そして、
いろいろとアルバムを聴くようになったのですが、
『タルカス』を初めて聴いたときに、
「これって、キーボードのハードロックじゃん」と思い、
彼らに対する認識を改めた記憶があります。
少し後になって、
ジョン・ロードやケン・ヘンズレー、
リック・ウェイクマンなどが、
自身のバンドに、
大々的にクラシック・ミュージックの要素を持ち込みますが、
どうやら、
その先駆的存在が、
EL&Pだったようです。
つまり、
彼らは後のプログレサウンドを決定づける、
キーボードの役割を具体的に示したといえます。
そして、
それはハードロックの分野へも浸透していったのです。
余談ですが、
このようなクラシック・ミュージックの導入は、
イギリス以外の、
ヨーロッパ各国でもかなりの衝撃だったようで、
ユーロロックの世界を見ると、
イタリアから東ヨーロッパにかけて、
EL&Pのクローンのようなバンドを多く見かけます。
とくに、
共産体制下の東ヨーロッパでは、
唯一認められていたロックが、
“プログレッシブ・ロック”だったということですから、
彼らの功績は非常に大きかったと言えるでしょう。
さて、
EL&Pは、
クラシック・ミュージックとロックの融合による、
ひとつの様式を確立することに成功しましたが、
そのようなバンドの宿命か、
マンネリ状態に陥るのも早く、
また新しい方向性の模索も思ったように行かず、
結果的にバンドの寿命を短くしてしまいました。
しかし、
そのサウンドは確実に、
その後のロックシーンへと受け継がれていったのです。
「じみへんが きーすのよこで おとをだす
そうぞうすると いとおそろしや」
大きな成功をおさめたキング・クリムゾンですが、
ロバート・フリップ以外のメンバーは、
より大きな成功を手に入れるべく、
別のプロジェクトの構想を練っていました。
それは、
イアン・マクドナルドとマイケル・ジャイルス、
そしてもう一人、グレッグ・レイクでした。
グレッグ・レイクは、
クリムゾンのアメリカツアーに同行した際に、
どうしたらこの国で成功することができるか、
具体的な案を考えついたと言われています。
それが、
『クリムゾンキングの宮殿』で構築した、
クラシック・ミュージックとロックの融合を、
よりポップな音で進化させること。
さらに、
そのサウンドをステージにおいて、
強烈なパフォーマンスで表現することでした。
グレッグ・レイクは、
前者はもとより後者にも相当なコダワリを持っていたようで、
ロバート・フリップがステージで椅子に座って演奏し始めたことについて、
かなり強く異を唱えたと言われています。
そして、
彼の構想に従ってメンバーが集められました。
当初はジミ・ヘンドリックスをギタリストとする計画があったようですが、
最終的にはキース・エマーソンとカール・パーマーによる、
ギターレスのトリオに落ち着きました。
エマーソン・レイク&パーマー、EL&Pの誕生です。
EL&Pは1970年に、
『エマーソン・レイク&パーマー/EMERSON LAKE & PALMER』でデビュー、
その後も『タルカス/TARKUS』、
『展覧会の絵/PICTURES AT AN EXHIBITION』(ともに1971年)と、
たてつづけに傑作を発表。
日本では少女マンガに登場するほどになった、
キース・エマーソンの派手なパフォーマンスもあいまって、
グレッグ・レイクの予測通り、
あっという間に不動の地位を確立したのでした。
私は初めて彼らの存在を知ったとき、
「ケンカ売ってんのかぁ?」っと…。
つまり、
ギターがロックのホームラン王だと思っていた少年にとって、
EL&Pの編成はたいへん衝撃的であったというわけです。
そして、
いろいろとアルバムを聴くようになったのですが、
『タルカス』を初めて聴いたときに、
「これって、キーボードのハードロックじゃん」と思い、
彼らに対する認識を改めた記憶があります。
少し後になって、
ジョン・ロードやケン・ヘンズレー、
リック・ウェイクマンなどが、
自身のバンドに、
大々的にクラシック・ミュージックの要素を持ち込みますが、
どうやら、
その先駆的存在が、
EL&Pだったようです。
つまり、
彼らは後のプログレサウンドを決定づける、
キーボードの役割を具体的に示したといえます。
そして、
それはハードロックの分野へも浸透していったのです。
余談ですが、
このようなクラシック・ミュージックの導入は、
イギリス以外の、
ヨーロッパ各国でもかなりの衝撃だったようで、
ユーロロックの世界を見ると、
イタリアから東ヨーロッパにかけて、
EL&Pのクローンのようなバンドを多く見かけます。
とくに、
共産体制下の東ヨーロッパでは、
唯一認められていたロックが、
“プログレッシブ・ロック”だったということですから、
彼らの功績は非常に大きかったと言えるでしょう。
さて、
EL&Pは、
クラシック・ミュージックとロックの融合による、
ひとつの様式を確立することに成功しましたが、
そのようなバンドの宿命か、
マンネリ状態に陥るのも早く、
また新しい方向性の模索も思ったように行かず、
結果的にバンドの寿命を短くしてしまいました。
しかし、
そのサウンドは確実に、
その後のロックシーンへと受け継がれていったのです。
「じみへんが きーすのよこで おとをだす
そうぞうすると いとおそろしや」
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