忍者ブログ
「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
  ★ カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
  ★ フリーエリア
  ★ 最新コメント
[01/25 matsuZACK]
[01/23 shiba]
[01/02 matsuZACK ]
[01/02 ういん]
[12/27 shiba]
  ★ 最新記事
(02/16)
(02/15)
(02/13)
(02/06)
(01/30)
  ★ 最新トラックバック
  ★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
  ★ バーコード
  ★ ブログ内検索
  ★ P R
  ★ カウンター
  ★ お天気情報
[30] [29] [28] [27] [26] [25] [24] [23] [22] [21] [20]
★2024/11/22 (Fri)
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

★2008/08/03 (Sun)
デビューアルバムの時点で
大きな成功をおさめたキング・クリムゾンですが、
ロバート・フリップ以外のメンバーは、
より大きな成功を手に入れるべく、
別のプロジェクトの構想を練っていました。

それは、
イアン・マクドナルドとマイケル・ジャイルス、
そしてもう一人、グレッグ・レイクでした。

グレッグ・レイクは、
クリムゾンのアメリカツアーに同行した際に、
どうしたらこの国で成功することができるか、
具体的な案を考えついたと言われています。

それが、
『クリムゾンキングの宮殿』で構築した、
クラシック・ミュージックとロックの融合を、
よりポップな音で進化させること。
さらに、
そのサウンドをステージにおいて、
強烈なパフォーマンスで表現することでした。

グレッグ・レイクは、
前者はもとより後者にも相当なコダワリを持っていたようで、
ロバート・フリップがステージで椅子に座って演奏し始めたことについて、
かなり強く異を唱えたと言われています。

そして、
彼の構想に従ってメンバーが集められました。
当初はジミ・ヘンドリックスをギタリストとする計画があったようですが、
最終的にはキース・エマーソンとカール・パーマーによる、
ギターレスのトリオに落ち着きました。

エマーソン・レイク&パーマー、EL&Pの誕生です。

EL&Pは1970年に、
『エマーソン・レイク&パーマー/EMERSON LAKE & PALMER』でデビュー、
その後も『タルカス/TARKUS』、
『展覧会の絵/PICTURES AT AN EXHIBITION』(ともに1971年)と、
たてつづけに傑作を発表。
日本では少女マンガに登場するほどになった、
キース・エマーソンの派手なパフォーマンスもあいまって、
グレッグ・レイクの予測通り、
あっという間に不動の地位を確立したのでした。

私は初めて彼らの存在を知ったとき、
「ケンカ売ってんのかぁ?」っと…。
つまり、
ギターがロックのホームラン王だと思っていた少年にとって、
EL&Pの編成はたいへん衝撃的であったというわけです。

そして、
いろいろとアルバムを聴くようになったのですが、
『タルカス』を初めて聴いたときに、
「これって、キーボードのハードロックじゃん」と思い、
彼らに対する認識を改めた記憶があります。

少し後になって、
ジョン・ロードやケン・ヘンズレー、
リック・ウェイクマンなどが、
自身のバンドに、
大々的にクラシック・ミュージックの要素を持ち込みますが、
どうやら、
その先駆的存在が、
EL&Pだったようです。

つまり、
彼らは後のプログレサウンドを決定づける、
キーボードの役割を具体的に示したといえます。
そして、
それはハードロックの分野へも浸透していったのです。

余談ですが、
このようなクラシック・ミュージックの導入は、
イギリス以外の、
ヨーロッパ各国でもかなりの衝撃だったようで、
ユーロロックの世界を見ると、
イタリアから東ヨーロッパにかけて、
EL&Pのクローンのようなバンドを多く見かけます。
とくに、
共産体制下の東ヨーロッパでは、
唯一認められていたロックが、
“プログレッシブ・ロック”だったということですから、
彼らの功績は非常に大きかったと言えるでしょう。

さて、
EL&Pは、
クラシック・ミュージックとロックの融合による、
ひとつの様式を確立することに成功しましたが、
そのようなバンドの宿命か、
マンネリ状態に陥るのも早く、
また新しい方向性の模索も思ったように行かず、
結果的にバンドの寿命を短くしてしまいました。

しかし、
そのサウンドは確実に、
その後のロックシーンへと受け継がれていったのです。

「じみへんが きーすのよこで おとをだす
        そうぞうすると いとおそろしや」

PR
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする★
忍者ブログ★ [PR]

★ ILLUSTRATION BY nyao