「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2008/07/27 (Sun)
ピンク・フロイドとともに、
プログレッシブ・ロック創成期に重要な役割を果たしたのが、
キング・クリムゾン(KING CRIMSON)です。
彼らのデビュー・アルバム、
『クリムゾンキングの宮殿/IN THE COURT OF THE CRIMSON KING』
は1969年に発表されました。
このアルバムが、
ビートルズの『アビーロード』をチャートから蹴落としたことは、
あまりにも有名な逸話ですが、
キング・クリムゾンの場合、
デビュー・アルバムの段階ですでに、
完成度の高いバンドサウンドが確立されていたのです。
それは、
比較的新しい時代の、
先進的なクラシック・ミュージックと
ジャズの要素をロックと融合させる試みでした。
この試みは、
たいへん新鮮な感動をもって音楽ファンに受け入れられました。
そして文字通り、
“進歩的/前衛的なロック”という本来の意味で、
人々はキング・クリムゾン・サウンドを、
プログレッシブ・ロックと呼んだのです。
また、
キング・クリムゾンは、
その後のプログレサウンドをイメージづける、
弦楽器のような音色でアンサンブルを埋め尽くす、
メロトロンという
鍵盤楽器を大々的に使用したことで有名です。
プログレサウンドの進化は、
鍵盤楽器の進化とシンクロするのですが、
後にストリングスシンセサイザーの普及によって一般的になる、
あの「サーッ」とした音色の原点が、
このメロトロンなのです。
キング・クリムゾンは、
そのデビュー・アルバムの段階で、
プログレサウンドの具体化に大きく貢献したといえます。
ところで私は、
そんな彼らが真価を発揮したのは、
ロバート・フリップが大きくバンドの路線変更をした、
6枚目のアルバム、
『太陽と戦慄/LARKS TONGUES IN ASPIC』
(1973年発表)から、
『暗黒の世界/STARLESS AND BIBLE BLACK』、
『レッド/RED』(両者とも1974年発表)
へとつながる、
再結成前の当時の表現で言うところの、
“後期”キング・クリムゾンの時期であると確信しています。
この時期の彼らは、
決められた形式の演奏だけではなく、
即興演奏、
インプロビゼイションの手法を大々的に取り入れていました。
これは、
『太陽と戦慄』当時のメンバーだったパーカッショニスト、
ジェイミー・ミューアが持ち込んだ、
フリー・ジャズからの影響だと言われていますが、
ロックとジャズの融合のみならず、
ジャズが進化すればそれを取り入れ、
バンドサウンドを一新するという、
このロバート・フリップの姿勢こそ、
“プログレッシブ・ロック”の神髄であると思います。
一方、
“後期”キング・クリムゾンの時期から、
ロバート・フリップは雄弁に自己の音楽を語るようになりました。
この「ロックについて語る」ことを始めたのは、
どうやらロバート・フリップが元祖のようです。
彼は自己の音楽コンセプトを言葉や文章で表現することと、
音で表現することを同格に扱っていたのです。
確固としたコンセプトに基づき、
構築美と即興性が見事にバランスをとる強靭なサウンド。
“後期”キング・クリムゾンは、
“プログレッシブ・ロック”を一気に、
芸術の高みへと押し上げたのでした。
「つうやくを なかせるほどの へりくつを
てつがくなりと ひとはいうかな」
プログレッシブ・ロック創成期に重要な役割を果たしたのが、
キング・クリムゾン(KING CRIMSON)です。
彼らのデビュー・アルバム、
『クリムゾンキングの宮殿/IN THE COURT OF THE CRIMSON KING』
は1969年に発表されました。
このアルバムが、
ビートルズの『アビーロード』をチャートから蹴落としたことは、
あまりにも有名な逸話ですが、
キング・クリムゾンの場合、
デビュー・アルバムの段階ですでに、
完成度の高いバンドサウンドが確立されていたのです。
それは、
比較的新しい時代の、
先進的なクラシック・ミュージックと
ジャズの要素をロックと融合させる試みでした。
この試みは、
たいへん新鮮な感動をもって音楽ファンに受け入れられました。
そして文字通り、
“進歩的/前衛的なロック”という本来の意味で、
人々はキング・クリムゾン・サウンドを、
プログレッシブ・ロックと呼んだのです。
また、
キング・クリムゾンは、
その後のプログレサウンドをイメージづける、
弦楽器のような音色でアンサンブルを埋め尽くす、
メロトロンという
鍵盤楽器を大々的に使用したことで有名です。
プログレサウンドの進化は、
鍵盤楽器の進化とシンクロするのですが、
後にストリングスシンセサイザーの普及によって一般的になる、
あの「サーッ」とした音色の原点が、
このメロトロンなのです。
キング・クリムゾンは、
そのデビュー・アルバムの段階で、
プログレサウンドの具体化に大きく貢献したといえます。
ところで私は、
そんな彼らが真価を発揮したのは、
ロバート・フリップが大きくバンドの路線変更をした、
6枚目のアルバム、
『太陽と戦慄/LARKS TONGUES IN ASPIC』
(1973年発表)から、
『暗黒の世界/STARLESS AND BIBLE BLACK』、
『レッド/RED』(両者とも1974年発表)
へとつながる、
再結成前の当時の表現で言うところの、
“後期”キング・クリムゾンの時期であると確信しています。
この時期の彼らは、
決められた形式の演奏だけではなく、
即興演奏、
インプロビゼイションの手法を大々的に取り入れていました。
これは、
『太陽と戦慄』当時のメンバーだったパーカッショニスト、
ジェイミー・ミューアが持ち込んだ、
フリー・ジャズからの影響だと言われていますが、
ロックとジャズの融合のみならず、
ジャズが進化すればそれを取り入れ、
バンドサウンドを一新するという、
このロバート・フリップの姿勢こそ、
“プログレッシブ・ロック”の神髄であると思います。
一方、
“後期”キング・クリムゾンの時期から、
ロバート・フリップは雄弁に自己の音楽を語るようになりました。
この「ロックについて語る」ことを始めたのは、
どうやらロバート・フリップが元祖のようです。
彼は自己の音楽コンセプトを言葉や文章で表現することと、
音で表現することを同格に扱っていたのです。
確固としたコンセプトに基づき、
構築美と即興性が見事にバランスをとる強靭なサウンド。
“後期”キング・クリムゾンは、
“プログレッシブ・ロック”を一気に、
芸術の高みへと押し上げたのでした。
「つうやくを なかせるほどの へりくつを
てつがくなりと ひとはいうかな」
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