「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
★ カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
★ フリーエリア
★ 最新コメント
[01/25 matsuZACK]
[01/23 shiba]
[01/02 matsuZACK ]
[01/02 ういん]
[12/27 shiba]
★ 最新トラックバック
★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
★ ブログ内検索
★ 最古記事
★ P R
★ カウンター
★2011/07/10 (Sun)
暑いですね。
暑くて何もしたくないし、
何も考えられない…。
昨日はこの暑さの中、
果敢にもバンドで練習をしたのですが、
冷房の効いたスタジオから一歩外へ出た瞬間、
あまりの暑さにクラクラと…、
そのまま昇天しそうになりました(笑)
夏の午後に、
バンドの練習など入れるものではありませんね。
というか、
夏は諸般の活動を停止するべしですなぁ…。
ということで、
更新はまた来週…、
などと言ってしまうと、
夏の間まったく更新しなくなりそうなので(笑)、
ここは一発気分を変えて…、
涼しげな画像をひとつ
どうですか?
これは、
私が通勤で使っている、
JR新木場駅から東京のウォーターフロント側の景色です。
時刻は、
おととい(7/8)の午後7時30分ぐらい。
あまりにスゴイ夕焼けだったので、
思わずシャッターを切りました。
この後、
私の好きな東京の夜景が見られるのです。
東京の夜景って、
昼間どんなにヒドイことがあっても、
すべてを飲みこんでくれて、
静かに癒してくれるというか…、
許してくれるというか…、
そんな気持ちにしてくれるので、
私は大好きです。
街全体が、
本来の姿に戻るような気がして、
すごくホッとします。
そして、
翌日になると、
また消耗する一日が始まるわけです。
暑さは消耗を倍にしますね。
人間は歳を重ねるといろいろなことで、
激しく消耗するようになるから、
夏を嫌うようになるんでしょうね。
早く夏が終わらないかな。
暑くて何もしたくないし、
何も考えられない…。
昨日はこの暑さの中、
果敢にもバンドで練習をしたのですが、
冷房の効いたスタジオから一歩外へ出た瞬間、
あまりの暑さにクラクラと…、
そのまま昇天しそうになりました(笑)
夏の午後に、
バンドの練習など入れるものではありませんね。
というか、
夏は諸般の活動を停止するべしですなぁ…。
ということで、
更新はまた来週…、
などと言ってしまうと、
夏の間まったく更新しなくなりそうなので(笑)、
ここは一発気分を変えて…、
涼しげな画像をひとつ
どうですか?
これは、
私が通勤で使っている、
JR新木場駅から東京のウォーターフロント側の景色です。
時刻は、
おととい(7/8)の午後7時30分ぐらい。
あまりにスゴイ夕焼けだったので、
思わずシャッターを切りました。
この後、
私の好きな東京の夜景が見られるのです。
東京の夜景って、
昼間どんなにヒドイことがあっても、
すべてを飲みこんでくれて、
静かに癒してくれるというか…、
許してくれるというか…、
そんな気持ちにしてくれるので、
私は大好きです。
街全体が、
本来の姿に戻るような気がして、
すごくホッとします。
そして、
翌日になると、
また消耗する一日が始まるわけです。
暑さは消耗を倍にしますね。
人間は歳を重ねるといろいろなことで、
激しく消耗するようになるから、
夏を嫌うようになるんでしょうね。
早く夏が終わらないかな。
PR
★2011/06/23 (Thu)
コンビナート・フェチって、
ご存じですか?
化学工場のコンビナートで見かける、
複雑な配管や配線に惹かれる、
マニアックな人種のことを指すのですが、
なんと、
写真集まで発売されていて、
ひそかなブームを呼んでいます。
どうやら私にも、
その傾向があるようで、
整然とした配管や配線に囲まれた
巨大な施設を見かけると、
ワクワクしてしまいます。
今回も…、
見つけてしまったんですよーっ(笑)
↓こんなヤツを…。
(例によって、クリックすると、デカくなります)
モノはセメント工場で…、
場所は山口県の山中です。
おとといから昨日にかけて、
仕事で、
その山口県にある、
PFI(民間運営による公共施設)の
刑務所…、
社会復帰促進センターというのですが…、
に行ってきたのですが、
感動したのは、
その施設ではなく、
同じ市内にある、
この工場でした。
画像だと、
イマイチ迫力がありませんが、
古い街並みを背景に、
山肌をえぐり取るように展開された、
配管と配線の芸術…。
あまりにも唐突にして、
不自然…。
そう、
突然現れるんですよ、
この禍々しくも、
悪魔的な情景が…。
後ろにある、
異様に巨大な煙突が、
この建物の禍々しさを、
更に強調していますね。
こういうの好きだなーっ。
芸術作品だと思いますよ。
いやーっ、
また、
なんかヘンなものに、
ハマりそう(笑)
ところで、
このブログ、
iPhoneからアップできるようになったので、
これからは、
なにかに感動したら、
そのタイミングで投稿するつもりです。
完全な、
ランダム更新(笑)
よろしく。
ご存じですか?
化学工場のコンビナートで見かける、
複雑な配管や配線に惹かれる、
マニアックな人種のことを指すのですが、
なんと、
写真集まで発売されていて、
ひそかなブームを呼んでいます。
どうやら私にも、
その傾向があるようで、
整然とした配管や配線に囲まれた
巨大な施設を見かけると、
ワクワクしてしまいます。
今回も…、
見つけてしまったんですよーっ(笑)
↓こんなヤツを…。
(例によって、クリックすると、デカくなります)
モノはセメント工場で…、
場所は山口県の山中です。
おとといから昨日にかけて、
仕事で、
その山口県にある、
PFI(民間運営による公共施設)の
刑務所…、
社会復帰促進センターというのですが…、
に行ってきたのですが、
感動したのは、
その施設ではなく、
同じ市内にある、
この工場でした。
画像だと、
イマイチ迫力がありませんが、
古い街並みを背景に、
山肌をえぐり取るように展開された、
配管と配線の芸術…。
あまりにも唐突にして、
不自然…。
そう、
突然現れるんですよ、
この禍々しくも、
悪魔的な情景が…。
後ろにある、
異様に巨大な煙突が、
この建物の禍々しさを、
更に強調していますね。
こういうの好きだなーっ。
芸術作品だと思いますよ。
いやーっ、
また、
なんかヘンなものに、
ハマりそう(笑)
ところで、
このブログ、
iPhoneからアップできるようになったので、
これからは、
なにかに感動したら、
そのタイミングで投稿するつもりです。
完全な、
ランダム更新(笑)
よろしく。
★2011/06/19 (Sun)
昨夜は、
東京都立白鷗高校3年7組(笑)
のクラス会に参加してきました。
卒業してから30年以上が経ち、
さらに生誕から半世紀に近づき、
みんなどれほど変貌を遂げたのかと思いきや…、
案外それほどでもないんですね、
これが…。
まぁ…都市部に住んでいて、
ほとんどがサラリーマンだし、
容貌が著しく変わるほど過酷な生活をしている者もいないし…、
だいたいそういう人は参加しないだろうし…、
おかげで、
なんだか、
タイムマシーンに乗ったみたいな、
不思議な感覚の一夜になりました。
最初のうちは、
やはり、
中高年の集いにふさわしく(笑)
体のことや、
そろそろ見えてきた老後の話で会話が始まったものの、
時間が経つにしたがって、
昔の話題に花が咲き、
すっかり忘れ去っていたような話まで出て、
「俺ってそんなだったっけ?」と、
自分で驚いてしまう始末…。
若い頃って、
自分の姿が見えていないものなんですね。
いわく、
かなりのマイペースだったようで、
また、
そーとー自由人だったようで(笑)
そういえば、
よく絵を書いていたなぁ…とか、
アタマのいい女はかわいくねーっと言ったとか、
まぁまぁ…耳が痛かったです。
昨夜は土曜だったから、
ライダージャケットにジーンズだったのですが、
今でもとっても自由な感じと言われ、
少し複雑な心境でした。
月曜から金曜は、
まったく自由じゃないんだけど…。
それでも、
そう見えるってとこは、
きっとまだ、
私の中に、
かつての片鱗が残っているんだなぁと…、
そう思うと、
ミョーな安心感、
そして、
ミョーな自信が生まれてきてしまいました。
まだ…染まっていないよ、俺(笑)
きっと、
永遠に子供でいたいんだろうなぁ…。
ギターなんかぶら下げて、
おねーちゃんを横目で見ながら…(笑)
あと数年経つと、
きっと孫の話題なんか出るんでしょうね。
でも、
そうなっても、
同級生は同級生のままだから、
また、
くっだらない話題で盛り上がってほしいもんです。
高校時代はイヤでイヤで仕方なかったんだけど、
クラスメートっていいもんですね…。
気がつくの遅い?(笑)
東京都立白鷗高校3年7組(笑)
のクラス会に参加してきました。
卒業してから30年以上が経ち、
さらに生誕から半世紀に近づき、
みんなどれほど変貌を遂げたのかと思いきや…、
案外それほどでもないんですね、
これが…。
まぁ…都市部に住んでいて、
ほとんどがサラリーマンだし、
容貌が著しく変わるほど過酷な生活をしている者もいないし…、
だいたいそういう人は参加しないだろうし…、
おかげで、
なんだか、
タイムマシーンに乗ったみたいな、
不思議な感覚の一夜になりました。
最初のうちは、
やはり、
中高年の集いにふさわしく(笑)
体のことや、
そろそろ見えてきた老後の話で会話が始まったものの、
時間が経つにしたがって、
昔の話題に花が咲き、
すっかり忘れ去っていたような話まで出て、
「俺ってそんなだったっけ?」と、
自分で驚いてしまう始末…。
若い頃って、
自分の姿が見えていないものなんですね。
いわく、
かなりのマイペースだったようで、
また、
そーとー自由人だったようで(笑)
そういえば、
よく絵を書いていたなぁ…とか、
アタマのいい女はかわいくねーっと言ったとか、
まぁまぁ…耳が痛かったです。
昨夜は土曜だったから、
ライダージャケットにジーンズだったのですが、
今でもとっても自由な感じと言われ、
少し複雑な心境でした。
月曜から金曜は、
まったく自由じゃないんだけど…。
それでも、
そう見えるってとこは、
きっとまだ、
私の中に、
かつての片鱗が残っているんだなぁと…、
そう思うと、
ミョーな安心感、
そして、
ミョーな自信が生まれてきてしまいました。
まだ…染まっていないよ、俺(笑)
きっと、
永遠に子供でいたいんだろうなぁ…。
ギターなんかぶら下げて、
おねーちゃんを横目で見ながら…(笑)
あと数年経つと、
きっと孫の話題なんか出るんでしょうね。
でも、
そうなっても、
同級生は同級生のままだから、
また、
くっだらない話題で盛り上がってほしいもんです。
高校時代はイヤでイヤで仕方なかったんだけど、
クラスメートっていいもんですね…。
気がつくの遅い?(笑)
★2011/05/29 (Sun)
いきなりの梅雨ですね…。
高校生じゃないので、
雨が降ったからといって会社を休むわけにも行かず、
ユウウツな毎日です。
雨は大嫌いなのだ。
毎年この季節になると、
レコード会社の戦略なのか…、
ボーナス目当ての
“紙ジャケ再発盤”ラッシュがやってくるのですが、
今年はとっても静かです。
とはいえ、
パブリック・イメージ・リミテッドが出るというので、
それだけは予約を入れてしまいましたが…、
来日記念と書いてあったんですね、
これが…。
まだ活動していたんだ?
今は何をやってるのだろうか、
というより来日して何をやるんだろう?
キミタチの場合、
昔の曲などやらんでよいのだが…(笑)
“紙ジャケ”といえば、
今回ひさびさに1枚手に入れました。
これは、
ユーライア・ヒープの『幻想への回帰』という、
ジョン・ウェットン在籍時の作品です。
じつは、
私はウェットン先生在籍時のヒープを、
マジメに聴いたことがなく、
さらに、
前回の再発のときに入手し損なっていたので、
今回は何が何でもと思い、
しっかりと確保しました。
聴いてみたら、
けっこうよいですなぁ…これ。
全盛期のアヤシさに近いものがありますね。
ミック・ボックスのギターがワウワウしていなくて、
いままで聴いた作品の中で、
いちばんカッコいいギターを弾いているかも…。
ウェットン先生のベースはやたら重くて、
やっぱりスゴいですね。
これでチョーシに乗って、
次のアルバムも手に入れたら、
きっと後悔するんでしょうね…(笑)
今月は、
当社の社長が交替するんですよ。
オーナー企業じゃないので、
任期が満了すると、
次の社長が親会社からやって来るのですが、
ずっとオーナー企業にいた私にとって、
これは、
明治維新級の衝撃です。
周りの連中の話によると、
いままでとは、
まったく違う体制になることがあるとか、
価値観や判断基準が変わることも多いとか…。
そうだとすると、
これはうっとーしいことですよ。
オーナー会社がいいか、
そうでない会社がいいか、
これは一長一短ありますが、
ひとつだけ言えるのは、
オーナーの場合、
会社に対する責任がケタ違いなので、
それが、
よきにつけ悪きにつけ、
さまざまな場面で表れるということです。
村上龍は、
『愛と幻想のファシズム』の中で
人の上に立つ者は、
コンプレックスを持たず、
すべてに満ち足りているべきである。
と言っています。
そういう者だけが、
他人を冷静に評価できるし、
誤った判断をしないということなのです。
私はかつて、
そのようなオーナーと出会ったことがありますが、
取巻きがヒド過ぎて、
長く勤めるには至りませんでした。
つくづく、
サラリーマンってつまんねーなぁっと思う、
今日この頃です。
今ユウウツな気分なのは、
梅雨のせいだけではなかったんですね。(笑)
高校生じゃないので、
雨が降ったからといって会社を休むわけにも行かず、
ユウウツな毎日です。
雨は大嫌いなのだ。
毎年この季節になると、
レコード会社の戦略なのか…、
ボーナス目当ての
“紙ジャケ再発盤”ラッシュがやってくるのですが、
今年はとっても静かです。
とはいえ、
パブリック・イメージ・リミテッドが出るというので、
それだけは予約を入れてしまいましたが…、
来日記念と書いてあったんですね、
これが…。
まだ活動していたんだ?
今は何をやってるのだろうか、
というより来日して何をやるんだろう?
キミタチの場合、
昔の曲などやらんでよいのだが…(笑)
“紙ジャケ”といえば、
今回ひさびさに1枚手に入れました。
これは、
ユーライア・ヒープの『幻想への回帰』という、
ジョン・ウェットン在籍時の作品です。
じつは、
私はウェットン先生在籍時のヒープを、
マジメに聴いたことがなく、
さらに、
前回の再発のときに入手し損なっていたので、
今回は何が何でもと思い、
しっかりと確保しました。
聴いてみたら、
けっこうよいですなぁ…これ。
全盛期のアヤシさに近いものがありますね。
ミック・ボックスのギターがワウワウしていなくて、
いままで聴いた作品の中で、
いちばんカッコいいギターを弾いているかも…。
ウェットン先生のベースはやたら重くて、
やっぱりスゴいですね。
これでチョーシに乗って、
次のアルバムも手に入れたら、
きっと後悔するんでしょうね…(笑)
今月は、
当社の社長が交替するんですよ。
オーナー企業じゃないので、
任期が満了すると、
次の社長が親会社からやって来るのですが、
ずっとオーナー企業にいた私にとって、
これは、
明治維新級の衝撃です。
周りの連中の話によると、
いままでとは、
まったく違う体制になることがあるとか、
価値観や判断基準が変わることも多いとか…。
そうだとすると、
これはうっとーしいことですよ。
オーナー会社がいいか、
そうでない会社がいいか、
これは一長一短ありますが、
ひとつだけ言えるのは、
オーナーの場合、
会社に対する責任がケタ違いなので、
それが、
よきにつけ悪きにつけ、
さまざまな場面で表れるということです。
村上龍は、
『愛と幻想のファシズム』の中で
人の上に立つ者は、
コンプレックスを持たず、
すべてに満ち足りているべきである。
と言っています。
そういう者だけが、
他人を冷静に評価できるし、
誤った判断をしないということなのです。
私はかつて、
そのようなオーナーと出会ったことがありますが、
取巻きがヒド過ぎて、
長く勤めるには至りませんでした。
つくづく、
サラリーマンってつまんねーなぁっと思う、
今日この頃です。
今ユウウツな気分なのは、
梅雨のせいだけではなかったんですね。(笑)
★2011/05/08 (Sun)
(画像はクリックすると拡大されます)
5月3日(火)の午後、
運転再開して間もない東北新幹線を利用して、
私は岩手県宮古市を目指しました。
運転再開したとはいえ、
福島から先の区間を徐行しているので、
盛岡までは、
通常より1時間30分も余分にかかります。
徐行区間に入ると、
震災で瓦が落ちたのか、
屋根にブルーシートをかぶせた家が目立ち、
仙台駅近くの、
旧国鉄長町貨物駅跡地には、
完成したばかりの仮設住宅が並んでいました。
仙台駅はまだ足場を組んだままで、
とりあえず新幹線を動かしたかったという、
現地の切羽詰まった思いが感じられます。
街全体が、
なんとも言えない緊迫感に包まれている、
そんな印象でした、
盛岡は、
屋根のブルーシートもあまりなく、
少しだけ気持ちがホッとしたのですが、
盛岡から三陸へ出るために乗った、
国道106号線の急行バスが
休憩のために立ち寄ったパーキングエリアでは、
自衛隊の車両がたくさん並んでいて、
ふたたび緊迫感が迫ってきました。
だんだん被災地に近づいているんだ…。
バスは2時間ちょっとの道のりを走破し、
終着のJR宮古駅前に着きました。
バスの路線から見える、
山側の景色はいつも通りで、
また、
宮古駅周辺は、
綺麗に片付けられていて、
人々の様子もとくに変わりはなく、
震災の面影はあまり感じられませんでした。
ただ…、
そこから海へ向かうにしたがって、
ところどころ、
津波を受けたのか、
1階がそっくりなくなっている家屋が目立つようになります。
見覚えのある建物の変わり果てた姿…。
そして、
それらの家屋の壁には、
住民が書いた「解体希望」の4文字と、
それを認定した役所の担当者による、
「○○地区-No○○」という、
おそらく処理の順番を表記した文字が並んでいます。
宮古の市街地には、
とりあえず無事だった家屋と、
1階部分を中心に大破している家屋が並んでおり、
現地の方によれば、
津波で、
道路が水路と化したため、
家屋と道路の位置関係によって、
被害の程度に差が生じているということでした。
天国と地獄が隣り合わせの光景…。
それでも、
市の中心部はまだいい方で、
少し周辺地に行ってみようということになり、
三陸沿岸を走る、
国道45号線を使って、
南北70kmにわたる範囲を訪れてみました。
宮古から北の方角、
田老、小本、田野畑、普代と言った各地区は、
ほぼ壊滅状態。
壊滅状態などと書くと、
やけにあっさりしていますが、
文字通り、
何もない状態、
なのです。
かなりの人数の自衛隊を見かけたので、
大雑把な整理は済んでいるのでしょう。
とにかく…、
何もない。
この画像は、
国道45号線を北に向かって、
本来であれば、
左に田老の駅があり、
駅前商店街だった場所。
商店や住宅が並び、
夏場などはたいへん賑わう場所です。
それが、
この有様…。
これは、
鵜の巣断崖という場所の岬です。
画像ではわかりにくいのですが、
山頂近くの部分まで、
葉の色は黄色くなっています。
これは、
塩水をかぶったからだそうで、
つまり、
あの日は…、
おそろしいことに、
この岬がすっぽりと水没したということです。
それを裏付けるかのように、
この下の湾に川が注いでいて、
右奥ぐらいの場所に…、
そうですね、
標高およそ20〜30メートルあたりに、
山間の集落があったのですが、
すべて津波にさらわれており、
何も残っていませんでした。
この高さまで、
川を逆流した津波が上がってきたわけです。
信じられないことですが、
目の前の光景がそれを物語っていました。
信じられない…。
さすがに、全身に寒気が走りました。
こちらは、
宮古漁港あたりの景色ですが、
これも画像ではわかりにくいのですが、
本来であれば、
桟橋があって、
その下あたりに海面があるはずなのに、
まるで、
池か湖のように、
すぐそこまで水が来ていました。
つまり、
地盤が1〜3m程度、
沈下したおかげだそうで、
たしかに、
地形が変わってしまったのです。
さて、
今度は、
国道45号線を南に下り、
宮古湾をはさんだ重茂半島側の、
赤前という地区…、
ここには市の運動公園があるのですが…、
こちらを訪れてみました。
この地区は、
まだ住宅街の瓦礫が撤去されておらず、
これこそ…、
地獄の光景でした…。
運動公園はいまや、
廃車と瓦礫の集積所と化しています。
私はこの場所が好きで、
昨年の夏にもここを訪れているのですが、
(この日の記事)
ブログで公開した画像と同じ場所の現在の姿です。
この防潮堤の上にあるフェンスは、
津波によってなぎ倒されているのですが、
15〜20mの高さにあります。
本当にあの日は、
信じられないことが起こったのです。
海はいつも通りの、
穏やかな表情を見せていましたが、
私は妙に、
その美しい光景に腹が立ちました。
オマエら、いったい何をしたんだ?
地震による直接の被害は、
どこに行っても聞こえてこなかったぞ。
オマエらが何かしなかったら、
こんな地獄は出現しなかったはずだ…。
オマエらが…。
私は、
このような光景を目の前にして、
復興とか、
支援とかいう言葉が、
すっかり無意味に思えるようになりました。
そんな生易しいレベルの話ではない…。
後片付けすら終わっていないのだから。
今、
現地に必要なのは、
お金と、
そしてマンパワー。
ボランティアとか義援金とか、
そんなレベルではぜんぜん足りない。
比較的交通の便がいい地域や、
名前の知れた市町村には、
世間の目がいっていますが、
それ以外の大半の地域は、
いまだ手つかずの状態であるのが、
真実。
そして、
そこにたくさんの人々が生活しているのが、
真実。
今、
この瞬間も、
生活をしているのが、
真実。
国が、
自治体が、
しっかりと財源を確保して、
建設会社などのプロを大量投入しなければ、
いつまで経っても状況は改善されないことを痛感しました。
自分の職業でできること。
つまりプロの仕事で、
現地を支えること。
そこから考えないと、
何も始まらないのではないでしょうか?
鉄橋が流れてしまったJR山田線の閉伊川橋梁。
船が打ち上げられたままの住宅街。
-----------------------------------------------------------------------------------
さて、
今回のレポートで、
震災に関する話題に、
ひと区切りをつけようと思います。
これからは、
日常の生活を通して、
今回の悲惨なできごとに立ち向かいたい、
そんな気持ちでいっぱいです。
現地が元通りになるまでには、
10年、
いや20年ぐらいかかるかもしれませんね。
いやいや…、
失われた命は、
元には戻りませんよ。
5月3日(火)の午後、
運転再開して間もない東北新幹線を利用して、
私は岩手県宮古市を目指しました。
運転再開したとはいえ、
福島から先の区間を徐行しているので、
盛岡までは、
通常より1時間30分も余分にかかります。
徐行区間に入ると、
震災で瓦が落ちたのか、
屋根にブルーシートをかぶせた家が目立ち、
仙台駅近くの、
旧国鉄長町貨物駅跡地には、
完成したばかりの仮設住宅が並んでいました。
仙台駅はまだ足場を組んだままで、
とりあえず新幹線を動かしたかったという、
現地の切羽詰まった思いが感じられます。
街全体が、
なんとも言えない緊迫感に包まれている、
そんな印象でした、
盛岡は、
屋根のブルーシートもあまりなく、
少しだけ気持ちがホッとしたのですが、
盛岡から三陸へ出るために乗った、
国道106号線の急行バスが
休憩のために立ち寄ったパーキングエリアでは、
自衛隊の車両がたくさん並んでいて、
ふたたび緊迫感が迫ってきました。
だんだん被災地に近づいているんだ…。
バスは2時間ちょっとの道のりを走破し、
終着のJR宮古駅前に着きました。
バスの路線から見える、
山側の景色はいつも通りで、
また、
宮古駅周辺は、
綺麗に片付けられていて、
人々の様子もとくに変わりはなく、
震災の面影はあまり感じられませんでした。
ただ…、
そこから海へ向かうにしたがって、
ところどころ、
津波を受けたのか、
1階がそっくりなくなっている家屋が目立つようになります。
見覚えのある建物の変わり果てた姿…。
そして、
それらの家屋の壁には、
住民が書いた「解体希望」の4文字と、
それを認定した役所の担当者による、
「○○地区-No○○」という、
おそらく処理の順番を表記した文字が並んでいます。
宮古の市街地には、
とりあえず無事だった家屋と、
1階部分を中心に大破している家屋が並んでおり、
現地の方によれば、
津波で、
道路が水路と化したため、
家屋と道路の位置関係によって、
被害の程度に差が生じているということでした。
天国と地獄が隣り合わせの光景…。
それでも、
市の中心部はまだいい方で、
少し周辺地に行ってみようということになり、
三陸沿岸を走る、
国道45号線を使って、
南北70kmにわたる範囲を訪れてみました。
宮古から北の方角、
田老、小本、田野畑、普代と言った各地区は、
ほぼ壊滅状態。
壊滅状態などと書くと、
やけにあっさりしていますが、
文字通り、
何もない状態、
なのです。
かなりの人数の自衛隊を見かけたので、
大雑把な整理は済んでいるのでしょう。
とにかく…、
何もない。
この画像は、
国道45号線を北に向かって、
本来であれば、
左に田老の駅があり、
駅前商店街だった場所。
商店や住宅が並び、
夏場などはたいへん賑わう場所です。
それが、
この有様…。
これは、
鵜の巣断崖という場所の岬です。
画像ではわかりにくいのですが、
山頂近くの部分まで、
葉の色は黄色くなっています。
これは、
塩水をかぶったからだそうで、
つまり、
あの日は…、
おそろしいことに、
この岬がすっぽりと水没したということです。
それを裏付けるかのように、
この下の湾に川が注いでいて、
右奥ぐらいの場所に…、
そうですね、
標高およそ20〜30メートルあたりに、
山間の集落があったのですが、
すべて津波にさらわれており、
何も残っていませんでした。
この高さまで、
川を逆流した津波が上がってきたわけです。
信じられないことですが、
目の前の光景がそれを物語っていました。
信じられない…。
さすがに、全身に寒気が走りました。
こちらは、
宮古漁港あたりの景色ですが、
これも画像ではわかりにくいのですが、
本来であれば、
桟橋があって、
その下あたりに海面があるはずなのに、
まるで、
池か湖のように、
すぐそこまで水が来ていました。
つまり、
地盤が1〜3m程度、
沈下したおかげだそうで、
たしかに、
地形が変わってしまったのです。
さて、
今度は、
国道45号線を南に下り、
宮古湾をはさんだ重茂半島側の、
赤前という地区…、
ここには市の運動公園があるのですが…、
こちらを訪れてみました。
この地区は、
まだ住宅街の瓦礫が撤去されておらず、
これこそ…、
地獄の光景でした…。
運動公園はいまや、
廃車と瓦礫の集積所と化しています。
私はこの場所が好きで、
昨年の夏にもここを訪れているのですが、
(この日の記事)
ブログで公開した画像と同じ場所の現在の姿です。
この防潮堤の上にあるフェンスは、
津波によってなぎ倒されているのですが、
15〜20mの高さにあります。
本当にあの日は、
信じられないことが起こったのです。
海はいつも通りの、
穏やかな表情を見せていましたが、
私は妙に、
その美しい光景に腹が立ちました。
オマエら、いったい何をしたんだ?
地震による直接の被害は、
どこに行っても聞こえてこなかったぞ。
オマエらが何かしなかったら、
こんな地獄は出現しなかったはずだ…。
オマエらが…。
私は、
このような光景を目の前にして、
復興とか、
支援とかいう言葉が、
すっかり無意味に思えるようになりました。
そんな生易しいレベルの話ではない…。
後片付けすら終わっていないのだから。
今、
現地に必要なのは、
お金と、
そしてマンパワー。
ボランティアとか義援金とか、
そんなレベルではぜんぜん足りない。
比較的交通の便がいい地域や、
名前の知れた市町村には、
世間の目がいっていますが、
それ以外の大半の地域は、
いまだ手つかずの状態であるのが、
真実。
そして、
そこにたくさんの人々が生活しているのが、
真実。
今、
この瞬間も、
生活をしているのが、
真実。
国が、
自治体が、
しっかりと財源を確保して、
建設会社などのプロを大量投入しなければ、
いつまで経っても状況は改善されないことを痛感しました。
自分の職業でできること。
つまりプロの仕事で、
現地を支えること。
そこから考えないと、
何も始まらないのではないでしょうか?
鉄橋が流れてしまったJR山田線の閉伊川橋梁。
船が打ち上げられたままの住宅街。
-----------------------------------------------------------------------------------
さて、
今回のレポートで、
震災に関する話題に、
ひと区切りをつけようと思います。
これからは、
日常の生活を通して、
今回の悲惨なできごとに立ち向かいたい、
そんな気持ちでいっぱいです。
現地が元通りになるまでには、
10年、
いや20年ぐらいかかるかもしれませんね。
いやいや…、
失われた命は、
元には戻りませんよ。