「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2008/07/13 (Sun)
私的ロック評論シリーズの第4弾です。
第4回は、
PINK FLOYD の『THE DARK SIDE OF THE MOON』です。
『狂気/ピンク・フロイド(THE DARK SIDE OF THE MOON/PINK FLOYD )』
(1973年発表)
SDE1
1.スピーク・トゥ・ミー
(Speak To Me)
生命の息吹
(Breathe)
2.走り回って
(On The Run)
3.タイム
(Time)
4.虚空のスキャット
(The Great Gig In The Sky)
SIDE2
5.マネー
(Money)
6.アス・アンド・ゼム
(Us And Them)
7.望みの色を
(Any Color You Like)
8.狂人は心に
(Brain Damage)
9.狂気日食
(Eclipse)
思春期という時期は、
わけのわからない暴力衝動と、
美しいものに対する感動が、
激しい振幅をもって、
交互に現れるようです。
ハードロックという音楽と出会い、
この思春期特有の、
わけのわからない暴力衝動と
折り合いをつけられるようになった私が、
次に、
耽美的かつ幻想的な音を求めたことは、
自然の摂理であったのかもしれません。
1970年代の当時は、
ピンク・フロイドに代表されるカテゴリーを、
“プログレッシブ・ロック”と呼んでいました。
私は中学時代にすでに、
“プログレッシブ・ロック”については、
キング・クリムゾンの「エピタフ」をラジオで聴き、
イエスのライブをNHKのテレビで体験し、
ELPの「展覧会の絵」を音楽の授業(!)で聴き、
それなりの感動を覚えておりました。
しかし、
私が本格的に、
“プログレッシブ・ロック”に熱中する
きっかけとなったのは、
間違いなくピンク・フロイドの『狂気』を聴いてからのことで、
それは、
高校入学前後の時期(1977年)だったと記憶しています。
そしてこれ以降の私は、
最終的に“ユーロ・ロック”の世界に入るほどの、
“プログレッシブ・ロック”好きとなっていったのでした。
このアルバムがいかに偉大な作品であるかは、
私があらためて語るまでもないことでしょう。
ここでは、
ロックの歴史において、
内容/セールスの両面で、
後世に語り継がれるべき作品として、
誰が選んでも5本の指に入るアルバム、
とだけ言っておきましょう。
いずれにしても、
そのレベルのアルバムに出会ったのですから、
初めて『狂気』を聴いたときの私の感動は、
想像に難くないことでしょう。
私はいまでも『狂気』を聴くと、
“夕暮れ時”の光景が浮かんできます。
なにかが終わろうとしている瞬間、
なにかが滅する瞬間に見せる、
はかなくも耽美的な美しさ。
この頃、
所用で羽田空港へ行った帰り道に、
夕暮れ時の東京湾を眺めていたら、
とつぜん頭の中に
「生命の息吹」がフラッシュバックしたことがありました。
これなどはまさに『狂気』のイメージを、
具体的に表現した瞬間ではないでしょうか。
『狂気』と出会った私は、
『炎』、『雲の影』、『おせっかい』、
『原子心母』、『ウマグマ』、『神秘』…と、
ピンク・フロイドの旧作ばかりを聴くようになりました。
そして、
いずれの作品からも深い感銘を受けたのでした。
他の“プログレッシブ・ロック”勢をさしおいて、
ピンク・フロイドに熱中するようになったのは、
ギタリストのおかげです。
そう、デイブ・ギルモアとの出会いです。
“プログレッシブ・ロック”系のギタリストには、
クラシックやジャズ出身の人が多く、
いわゆる、
通常のロック・ギターとは違うマナーを身につけているため、
私には少々近寄り難い存在ばかりでした。
しかし、
デイブ・ギルモアはブルースをベースとし、
きわめてロック・ギター的なセンスを持っていたため、
たいへん親しみやすかったのです。
私はデイブ・ギルモアから、
空間的なギターの使い方を学びました。
クリアなトーンのアルペジオや、
エコーを使ったリード・ギター。
これ以降の私の機材に、
いつも欠かさずエコーが入るようになったのは、
間違いなくデイブ・ギルモアからの影響です。
マクソンのアナログディレイから、
ローランドのスペースエコー、
今でもヒュース&ケトナーのリプレックスが、
私の足元に置かれています。
ただし、
機種にはコダワリがあって、
あくまでも、
デジタルディレイではなく、
アナログディレイ系の暖かいトーンを選んでいます。
(わかりやすく言えば、
U2みたいなエコーのトーンはイマイチということです)
このコダワリの原点は、
『狂気』の中で見つけることができます。
「生命の息吹」、
「アス・アンド・ゼム」、
「狂人は心に」などのけだるいアルペジオ、
エコーを効かせた「タイム」のギターソロ、
「虚空のスキャット」のイントロで
ピアノにからむスライド・ギター、
空間系エフェクト満載の「望みの色を」…。
いつ聴いてもゾクゾクする瞬間です。
デイブ・ギルモアのギターは、
空間的な広がりとともに、
包み込むようなやさしさを感じさせてくれます。
この感じは、
デジタル・ディレイの冷たいトーンでは、
どうやっても再現できないのです。
またこれ以降、
私は鍵盤楽器(キーボード)入りの編成に、
たいへん興味を持つようになりました。
キッスやストーンズ、エアロスミスのように、
ギタリストが2人いる必要はないというか、
ギタリストは1人で、
キーボード・プレイヤーがいた方がいい、
と考えるようになったのです。
そしてこの直後に、
この考え方を決定的にする出会いがあるわけですが…、
その話は次回以降ということにしましょう。
第4回は、
PINK FLOYD の『THE DARK SIDE OF THE MOON』です。
『狂気/ピンク・フロイド(THE DARK SIDE OF THE MOON/PINK FLOYD )』
(1973年発表)
SDE1
1.スピーク・トゥ・ミー
(Speak To Me)
生命の息吹
(Breathe)
2.走り回って
(On The Run)
3.タイム
(Time)
4.虚空のスキャット
(The Great Gig In The Sky)
SIDE2
5.マネー
(Money)
6.アス・アンド・ゼム
(Us And Them)
7.望みの色を
(Any Color You Like)
8.狂人は心に
(Brain Damage)
9.狂気日食
(Eclipse)
思春期という時期は、
わけのわからない暴力衝動と、
美しいものに対する感動が、
激しい振幅をもって、
交互に現れるようです。
ハードロックという音楽と出会い、
この思春期特有の、
わけのわからない暴力衝動と
折り合いをつけられるようになった私が、
次に、
耽美的かつ幻想的な音を求めたことは、
自然の摂理であったのかもしれません。
1970年代の当時は、
ピンク・フロイドに代表されるカテゴリーを、
“プログレッシブ・ロック”と呼んでいました。
私は中学時代にすでに、
“プログレッシブ・ロック”については、
キング・クリムゾンの「エピタフ」をラジオで聴き、
イエスのライブをNHKのテレビで体験し、
ELPの「展覧会の絵」を音楽の授業(!)で聴き、
それなりの感動を覚えておりました。
しかし、
私が本格的に、
“プログレッシブ・ロック”に熱中する
きっかけとなったのは、
間違いなくピンク・フロイドの『狂気』を聴いてからのことで、
それは、
高校入学前後の時期(1977年)だったと記憶しています。
そしてこれ以降の私は、
最終的に“ユーロ・ロック”の世界に入るほどの、
“プログレッシブ・ロック”好きとなっていったのでした。
このアルバムがいかに偉大な作品であるかは、
私があらためて語るまでもないことでしょう。
ここでは、
ロックの歴史において、
内容/セールスの両面で、
後世に語り継がれるべき作品として、
誰が選んでも5本の指に入るアルバム、
とだけ言っておきましょう。
いずれにしても、
そのレベルのアルバムに出会ったのですから、
初めて『狂気』を聴いたときの私の感動は、
想像に難くないことでしょう。
私はいまでも『狂気』を聴くと、
“夕暮れ時”の光景が浮かんできます。
なにかが終わろうとしている瞬間、
なにかが滅する瞬間に見せる、
はかなくも耽美的な美しさ。
この頃、
所用で羽田空港へ行った帰り道に、
夕暮れ時の東京湾を眺めていたら、
とつぜん頭の中に
「生命の息吹」がフラッシュバックしたことがありました。
これなどはまさに『狂気』のイメージを、
具体的に表現した瞬間ではないでしょうか。
『狂気』と出会った私は、
『炎』、『雲の影』、『おせっかい』、
『原子心母』、『ウマグマ』、『神秘』…と、
ピンク・フロイドの旧作ばかりを聴くようになりました。
そして、
いずれの作品からも深い感銘を受けたのでした。
他の“プログレッシブ・ロック”勢をさしおいて、
ピンク・フロイドに熱中するようになったのは、
ギタリストのおかげです。
そう、デイブ・ギルモアとの出会いです。
“プログレッシブ・ロック”系のギタリストには、
クラシックやジャズ出身の人が多く、
いわゆる、
通常のロック・ギターとは違うマナーを身につけているため、
私には少々近寄り難い存在ばかりでした。
しかし、
デイブ・ギルモアはブルースをベースとし、
きわめてロック・ギター的なセンスを持っていたため、
たいへん親しみやすかったのです。
私はデイブ・ギルモアから、
空間的なギターの使い方を学びました。
クリアなトーンのアルペジオや、
エコーを使ったリード・ギター。
これ以降の私の機材に、
いつも欠かさずエコーが入るようになったのは、
間違いなくデイブ・ギルモアからの影響です。
マクソンのアナログディレイから、
ローランドのスペースエコー、
今でもヒュース&ケトナーのリプレックスが、
私の足元に置かれています。
ただし、
機種にはコダワリがあって、
あくまでも、
デジタルディレイではなく、
アナログディレイ系の暖かいトーンを選んでいます。
(わかりやすく言えば、
U2みたいなエコーのトーンはイマイチということです)
このコダワリの原点は、
『狂気』の中で見つけることができます。
「生命の息吹」、
「アス・アンド・ゼム」、
「狂人は心に」などのけだるいアルペジオ、
エコーを効かせた「タイム」のギターソロ、
「虚空のスキャット」のイントロで
ピアノにからむスライド・ギター、
空間系エフェクト満載の「望みの色を」…。
いつ聴いてもゾクゾクする瞬間です。
デイブ・ギルモアのギターは、
空間的な広がりとともに、
包み込むようなやさしさを感じさせてくれます。
この感じは、
デジタル・ディレイの冷たいトーンでは、
どうやっても再現できないのです。
またこれ以降、
私は鍵盤楽器(キーボード)入りの編成に、
たいへん興味を持つようになりました。
キッスやストーンズ、エアロスミスのように、
ギタリストが2人いる必要はないというか、
ギタリストは1人で、
キーボード・プレイヤーがいた方がいい、
と考えるようになったのです。
そしてこの直後に、
この考え方を決定的にする出会いがあるわけですが…、
その話は次回以降ということにしましょう。
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★2008/07/06 (Sun)
私がハタチの頃、
初めてオリジナル曲を人前で演奏した際、
何人かの友人から同じことを言われた。
「ジョー・ペリーっぽいじゃん…」
当時はそれほど彼に関心を持っていなかったのだが、
少年期にかなりの衝撃を受けたので、
私のDNAに強く刷り込まれていたのだろう。
ジョーのギター、ありゃなんだろう?
ウマイのか、ヘタなのかよくわからないギター。
リフやコードカッティングのセンスは一級品なのに、
リードギターを弾き始めると、
とたんに妙な指癖フレーズばかりになり、
もつれたような、
スライドを使っていないのにスライドみたいに粘る、
不思議な引っ掛かりのある、
ぎこちない不器用なプレイになってしまう。
とくに『ロックス』の自作曲では、
何をやっているのかよくわからない、
グニョグニョしたパートが多く、
(「バック・イン・ザ・サドル」「地下室のドブねずみ」「コンビネイション」など)
もう一方のギタリスト、
ブラッド・ウィットフォード作の曲における、
(「ラスト・チャイルド」「ノーバディズ・フォールト」)
整然としたフレーズと対照的である。
『ロックス』は、
前後のアルバム、
『闇夜のヘヴィロック(TOYS IN THE ATTIC)』『ドロー・ザ・ライン(DRAW THE LINE)』と比較すると、
音がスッキリ聴こえてこないというか、
モヤがかかったようなエコーが全体を支配しているため、
余計にそう聴こえるのかもしれない。
一説によると、
この頃のジョーはヘヴィ・ドラッグで、
いつもアタマの中に霧がかかっていたらしい。
また、
ブラッドとの対比は、
『ライブ・ブートレグ(LIVE BOOTLEG)』で明らかだが、
キチンとしたリズムで端正なソロをとる“巧い”ブラッドと、
リズムが早くなったり遅くなったりしながら、
イレギュラーなソロをとる“旨い”ジョーが、
微妙なバランスをとりながらアンサンブルを構成している。
このキナクサイ感じは、
ジョーが当時のバンド内で浮いていたことによるものだといわれているが、
まさに火花が散るようなインター・プレイが克明に記録されている。
ジョーはブラッドあっての存在であり、
しっかりと下ごしらえされた料理にほんの少々加える、
刺激の強い調味料のようなものなのである。
おかげで、
エアロスミスを脱退したジョーによる、
ジョー・ペリー・プロジェクトの作品は、
どれも中途半端な内容で終わってしまっている。
そもそも、
刺激の強い調味料だけの料理なんて、
食べたいと思わないでしょう?
その後、
過去の過ちを反省したジョーは、
エアロスミスに復帰し、
健康的な生活と盤石のチームワークを手に入れたが、
もうそこには、
かつてのような妖しさやキナクサさはまったくなかった。
再結成後のエアロスミスはおもしろくない。
私が好きなジョー・ペリーは、
『ロックス』と『ライブ・ブートレグ』で聴けるような、
妖しく火花を放っている瞬間だけである。
時期的には、
ほんの2〜3年のことなのだ。
にもかかわらず、
オリジナル曲を作ったら、
「ジョー・ペリーっぽいじゃん…」などと言われるのだから、
その衝撃度の大きさが伺い知れるというもの。
余談だが、
ジョーはインタビューなどで、
ジェフ・ベックのファンであることを公言しており、
来日公演のリハーサルで、
「フリーウェイ・ジャム」を完全コピーして弾いていた、
などという証言があるので、
あのトリッキーなプレイのヒントがそこから来ていることは確か。
同じようにジェフ・ベック・ファンである私には、
ジョーのフレーズのルーツがよくわかる。
いずれにしても、
私と同じように、
ジョーにインスパイアされたグループは、
海外にもたくさんいて、
ハノイ・ロックス、
ラット、
ガンズ・アンド・ローゼス…。
とくにアメリカにおいて、
これ以降の、
ロックバンドのお手本となっていることは間違いない。
ストーンズから影響を受けて…、
ヤードバーズにあこがれて…、
いえいえ、
みんな正直に言いましょう。
エアロスミスに、
いや、
ジョー・ペリーにあこがれた、
っとね…。
私がハタチの頃、
初めてオリジナル曲を人前で演奏した際、
何人かの友人から同じことを言われた。
「ジョー・ペリーっぽいじゃん…」
当時はそれほど彼に関心を持っていなかったのだが、
少年期にかなりの衝撃を受けたので、
私のDNAに強く刷り込まれていたのだろう。
ジョーのギター、ありゃなんだろう?
ウマイのか、ヘタなのかよくわからないギター。
リフやコードカッティングのセンスは一級品なのに、
リードギターを弾き始めると、
とたんに妙な指癖フレーズばかりになり、
もつれたような、
スライドを使っていないのにスライドみたいに粘る、
不思議な引っ掛かりのある、
ぎこちない不器用なプレイになってしまう。
とくに『ロックス』の自作曲では、
何をやっているのかよくわからない、
グニョグニョしたパートが多く、
(「バック・イン・ザ・サドル」「地下室のドブねずみ」「コンビネイション」など)
もう一方のギタリスト、
ブラッド・ウィットフォード作の曲における、
(「ラスト・チャイルド」「ノーバディズ・フォールト」)
整然としたフレーズと対照的である。
『ロックス』は、
前後のアルバム、
『闇夜のヘヴィロック(TOYS IN THE ATTIC)』『ドロー・ザ・ライン(DRAW THE LINE)』と比較すると、
音がスッキリ聴こえてこないというか、
モヤがかかったようなエコーが全体を支配しているため、
余計にそう聴こえるのかもしれない。
一説によると、
この頃のジョーはヘヴィ・ドラッグで、
いつもアタマの中に霧がかかっていたらしい。
また、
ブラッドとの対比は、
『ライブ・ブートレグ(LIVE BOOTLEG)』で明らかだが、
キチンとしたリズムで端正なソロをとる“巧い”ブラッドと、
リズムが早くなったり遅くなったりしながら、
イレギュラーなソロをとる“旨い”ジョーが、
微妙なバランスをとりながらアンサンブルを構成している。
このキナクサイ感じは、
ジョーが当時のバンド内で浮いていたことによるものだといわれているが、
まさに火花が散るようなインター・プレイが克明に記録されている。
ジョーはブラッドあっての存在であり、
しっかりと下ごしらえされた料理にほんの少々加える、
刺激の強い調味料のようなものなのである。
おかげで、
エアロスミスを脱退したジョーによる、
ジョー・ペリー・プロジェクトの作品は、
どれも中途半端な内容で終わってしまっている。
そもそも、
刺激の強い調味料だけの料理なんて、
食べたいと思わないでしょう?
その後、
過去の過ちを反省したジョーは、
エアロスミスに復帰し、
健康的な生活と盤石のチームワークを手に入れたが、
もうそこには、
かつてのような妖しさやキナクサさはまったくなかった。
再結成後のエアロスミスはおもしろくない。
私が好きなジョー・ペリーは、
『ロックス』と『ライブ・ブートレグ』で聴けるような、
妖しく火花を放っている瞬間だけである。
時期的には、
ほんの2〜3年のことなのだ。
にもかかわらず、
オリジナル曲を作ったら、
「ジョー・ペリーっぽいじゃん…」などと言われるのだから、
その衝撃度の大きさが伺い知れるというもの。
余談だが、
ジョーはインタビューなどで、
ジェフ・ベックのファンであることを公言しており、
来日公演のリハーサルで、
「フリーウェイ・ジャム」を完全コピーして弾いていた、
などという証言があるので、
あのトリッキーなプレイのヒントがそこから来ていることは確か。
同じようにジェフ・ベック・ファンである私には、
ジョーのフレーズのルーツがよくわかる。
いずれにしても、
私と同じように、
ジョーにインスパイアされたグループは、
海外にもたくさんいて、
ハノイ・ロックス、
ラット、
ガンズ・アンド・ローゼス…。
とくにアメリカにおいて、
これ以降の、
ロックバンドのお手本となっていることは間違いない。
ストーンズから影響を受けて…、
ヤードバーズにあこがれて…、
いえいえ、
みんな正直に言いましょう。
エアロスミスに、
いや、
ジョー・ペリーにあこがれた、
っとね…。
★2008/06/29 (Sun)
私的ロック評論シリーズの第3弾です。
第3回は、
AEROSMITH の『ROCKS』です。
『ロックス/エアロスミス(ROCKS/AEROSMITH)』
(1976年発表)
SDE1
1.バック・イン・ザ・サドル
(Back In The Saddle)
2.ラスト・チャイルド
(Last Child)
3.地下室のドブねずみ
(Rats In The Cellar)
4.コンビネイション
(Combination)
SIDE2
5.シック・アズ・ア・ドッグ
(Sick As A Dog)
6.ノーバディズ・フォールト
(Nobody's Fault)
7.ゲット・ザ・リード・アウト
(Get The Lead Out)
8.リック・アンド・ア・プロミス
(Lick And A Promise)
9.ホーム・トゥナイト
(Home Tonight)
私がロックに入門した、
1975〜76年当時、
“新ロック御三家”と呼ばれていたのが、
KISS、QUEEN、そしてエアロスミスでした。
派手にマスコミに露出していた、
KISSやQUEENに比べ、
エアロスミスは幾分控えめで、
シングル曲も少なかったこともあり、
なかなかその実像が把握できませんでした。
そんな1976年の暮のこと、
親しい友人が『ロックス』を購入し、
「ハンパじゃねーっ!」と騒ぎ始めたので、
私はそれを借りることにしました。
ものスゴく寒い日であったことを覚えています。
帰宅してすぐに、
誰もいない自宅のステレオで、
『ロックス』をかけてみたところ…、
いきなり「バック・イン・ザ・サドル」が、
かつて耳にしたことのない重低音で、
私に迫ってきました。
「…!」
私は、
他に誰もいないことを幸いと、
ステレオのヴォリュームを、
思いっ切り上げて、
そのヘヴィな音の世界を堪能しました。
「…!」
正直なところ、
言葉が出なかった、
という以前に、
表現する言葉すら見当たらなかった、
という状態…。
“カッコイイ”と叫ぶしか対応できない。
私は、
いままで体験したことのない、
異様な興奮状態に陥っていたのです。
というのも、
LP時代のSDE1のたたみかけ方は尋常でなく、
「バック・イン・ザ・サドル」
「ラスト・チャイルド」と続いて、
完全なトランス状態に入っているにも関わらず、
「地下室のドブねずみ」で、
さらに追い打ちをかけるように
スピード・アップをするので、
テンションは上がる一方になるのです。
1980年代のロンドンのヘヴィ・メタル・カフェで、
あまりに激しくヘッド・バンギングしたおかげで、
脳の血管が切れて亡くなった人がいる、
という話を聞きましたが、
『ロックス』の前半でも、
それは十分あり得ると思えます。
それは、
ハードロックっていいなぁ…っと実感する瞬間、
まさに、死んでもいいやっ、と思える瞬間です。
「シック・アズ・ア・ドッグ」で始まる、
LP時代のSIDE2は、
SDE1ほどのテンポではなく、
ゆったりした曲が多いものの、
その分、
重低音が腹の底にズシズシ響きます。
そして、
「ゲット・ザ・リード・アウト」
「リック・アンド・ア・プロミス」
と続くあたりで、
アルバムの第2のピークがやってきます。
その後、
どれだけ盛り上がって終わるのだろうか、
と期待していると、
最後は、
切なく「ホーム・トゥナイト」が始まり、
静かに、
そしてドラマティックに盛り上げ、
エンディングを迎えます…。
ストーブも点けずに
『ロックス』を聴いていた私ですが、
「ホーム・トゥナイト」を聴き終える頃には、
寒い日であったにもかかわらず、
汗びっしょりになっていたことを覚えています。
これほどカッコいいサウンドがこの世に存在するものなのか。
今から考えると滑稽ですが、
このときは真剣にそう思ったものです。
さて、
一段落して、
インナースリーブに目をやると、
メンバーの、
ステージやレコーディング時の写真が、
びっしりコラージュしてあり、
ミーハーな私は、
またもや、
ここから一撃をくらってしまったのでありました。
「ストーンズっぽいなぁ…」
「こっちのギタリスト、イカしてるじゃん」
ジョー・ペリーとの出会いでした。
私の理想とする、
ロック・ギタリストのルックスとファッションがそこにありました。
長髪、
レザー、
ウェスタンブーツ、
インドシルクのスカーフ、
ターコイズやシルバーのアクセサリー…。
ジョー・ペリーになりたい…。
これまた、
今から考えると滑稽ですが、
このときは真剣にそう思ったものです。
私が高校入学と同時に髪を伸ばし始めたのは、
間違いなくジョー・ペリーからの影響です。
もうひとつ、
私は『ロックス』から、
その後の音楽人生に影響を及ぼすことになる、
“ファンキーなリズム”を教えられました。
エアロスミスのリズムは細かく、
さらに語尾がハネる特徴があります。
(それは、「ラスト・チャイルド」や
「ゲット・ザ・リード・アウト」のリフに顕著です。)
このおかげで、
リズムが単調にならず、
またベッタンベッタンした、
ただ重いだけのサウンドにならずに済んでいるのです。
私がこれ以降、
ファンキーなハードロックのリフを好むようになったのは、
これまた、
間違いなく『ロックス』からの影響です。
その後、
長いこと、
『ロックス』における、
重低音サウンドは私の研究対象となりました。
しかし、
あれから30年以上が経った今になっても、
これを超えるアルバムにはお目にかかることができませんでした。
『ロックス』が、
いかに突出したアルバムであったか、
おわかりいただけたことでしょう。
第3回は、
AEROSMITH の『ROCKS』です。
『ロックス/エアロスミス(ROCKS/AEROSMITH)』
(1976年発表)
SDE1
1.バック・イン・ザ・サドル
(Back In The Saddle)
2.ラスト・チャイルド
(Last Child)
3.地下室のドブねずみ
(Rats In The Cellar)
4.コンビネイション
(Combination)
SIDE2
5.シック・アズ・ア・ドッグ
(Sick As A Dog)
6.ノーバディズ・フォールト
(Nobody's Fault)
7.ゲット・ザ・リード・アウト
(Get The Lead Out)
8.リック・アンド・ア・プロミス
(Lick And A Promise)
9.ホーム・トゥナイト
(Home Tonight)
私がロックに入門した、
1975〜76年当時、
“新ロック御三家”と呼ばれていたのが、
KISS、QUEEN、そしてエアロスミスでした。
派手にマスコミに露出していた、
KISSやQUEENに比べ、
エアロスミスは幾分控えめで、
シングル曲も少なかったこともあり、
なかなかその実像が把握できませんでした。
そんな1976年の暮のこと、
親しい友人が『ロックス』を購入し、
「ハンパじゃねーっ!」と騒ぎ始めたので、
私はそれを借りることにしました。
ものスゴく寒い日であったことを覚えています。
帰宅してすぐに、
誰もいない自宅のステレオで、
『ロックス』をかけてみたところ…、
いきなり「バック・イン・ザ・サドル」が、
かつて耳にしたことのない重低音で、
私に迫ってきました。
「…!」
私は、
他に誰もいないことを幸いと、
ステレオのヴォリュームを、
思いっ切り上げて、
そのヘヴィな音の世界を堪能しました。
「…!」
正直なところ、
言葉が出なかった、
という以前に、
表現する言葉すら見当たらなかった、
という状態…。
“カッコイイ”と叫ぶしか対応できない。
私は、
いままで体験したことのない、
異様な興奮状態に陥っていたのです。
というのも、
LP時代のSDE1のたたみかけ方は尋常でなく、
「バック・イン・ザ・サドル」
「ラスト・チャイルド」と続いて、
完全なトランス状態に入っているにも関わらず、
「地下室のドブねずみ」で、
さらに追い打ちをかけるように
スピード・アップをするので、
テンションは上がる一方になるのです。
1980年代のロンドンのヘヴィ・メタル・カフェで、
あまりに激しくヘッド・バンギングしたおかげで、
脳の血管が切れて亡くなった人がいる、
という話を聞きましたが、
『ロックス』の前半でも、
それは十分あり得ると思えます。
それは、
ハードロックっていいなぁ…っと実感する瞬間、
まさに、死んでもいいやっ、と思える瞬間です。
「シック・アズ・ア・ドッグ」で始まる、
LP時代のSIDE2は、
SDE1ほどのテンポではなく、
ゆったりした曲が多いものの、
その分、
重低音が腹の底にズシズシ響きます。
そして、
「ゲット・ザ・リード・アウト」
「リック・アンド・ア・プロミス」
と続くあたりで、
アルバムの第2のピークがやってきます。
その後、
どれだけ盛り上がって終わるのだろうか、
と期待していると、
最後は、
切なく「ホーム・トゥナイト」が始まり、
静かに、
そしてドラマティックに盛り上げ、
エンディングを迎えます…。
ストーブも点けずに
『ロックス』を聴いていた私ですが、
「ホーム・トゥナイト」を聴き終える頃には、
寒い日であったにもかかわらず、
汗びっしょりになっていたことを覚えています。
これほどカッコいいサウンドがこの世に存在するものなのか。
今から考えると滑稽ですが、
このときは真剣にそう思ったものです。
さて、
一段落して、
インナースリーブに目をやると、
メンバーの、
ステージやレコーディング時の写真が、
びっしりコラージュしてあり、
ミーハーな私は、
またもや、
ここから一撃をくらってしまったのでありました。
「ストーンズっぽいなぁ…」
「こっちのギタリスト、イカしてるじゃん」
ジョー・ペリーとの出会いでした。
私の理想とする、
ロック・ギタリストのルックスとファッションがそこにありました。
長髪、
レザー、
ウェスタンブーツ、
インドシルクのスカーフ、
ターコイズやシルバーのアクセサリー…。
ジョー・ペリーになりたい…。
これまた、
今から考えると滑稽ですが、
このときは真剣にそう思ったものです。
私が高校入学と同時に髪を伸ばし始めたのは、
間違いなくジョー・ペリーからの影響です。
もうひとつ、
私は『ロックス』から、
その後の音楽人生に影響を及ぼすことになる、
“ファンキーなリズム”を教えられました。
エアロスミスのリズムは細かく、
さらに語尾がハネる特徴があります。
(それは、「ラスト・チャイルド」や
「ゲット・ザ・リード・アウト」のリフに顕著です。)
このおかげで、
リズムが単調にならず、
またベッタンベッタンした、
ただ重いだけのサウンドにならずに済んでいるのです。
私がこれ以降、
ファンキーなハードロックのリフを好むようになったのは、
これまた、
間違いなく『ロックス』からの影響です。
その後、
長いこと、
『ロックス』における、
重低音サウンドは私の研究対象となりました。
しかし、
あれから30年以上が経った今になっても、
これを超えるアルバムにはお目にかかることができませんでした。
『ロックス』が、
いかに突出したアルバムであったか、
おわかりいただけたことでしょう。
★2008/06/22 (Sun)
私的ロック評論シリーズの第2弾です。
第2回は、
以前『web-magazine GYAN GYAN』で特集したことがある、
THE ROLLING STONESの『BLACK AND BLUE』です。
『ブラック・アンド・ブルー/ローリング・ストーンズ
(BLACK AND BLUE/THE ROLLING STONES)』
(1976年発表)
SDE1
1.ホット・スタッフ
(Hot Stuff)
2.ハンド・オブ・フェイト
(Hand Of Fate)
3.チェリー・オー・ベイビー
(Cherry Oh Baby)
4.メモリー・モーテル
(Memory Motel)
SIDE2
5.ヘイ・ネグリータ
(Hey Negrita)
6.メロディ
(Melody)
7.フール・トゥ・クライ
(Fool To Cry)
8.クレイジー・ママ
(Crazy Mama)
アルバムの内容の詳細については、
以前の特集を参照していただくことにして、
今回は違った角度から語ってみたいと思います。
私が中学3年のときに、
生まれて初めて、
ロックのアルバムを買おうと思ったときに、
発売直後だったストーンズの新作にしようか、
それとも前回紹介した『地獄の軍団』にしようか、
迷いに迷った記憶があります。
結局、
そのときは『地獄の軍団』を選んだわけですが、
その後ほどなくして、
『ブラック・アンド・ブルー』を購入し、
続けてベスト・アルバム
(『ザ・ヴェリィ・ベスト・オブ・ザ・ローリング・ストーンズ/
ROLLED GOLD
THE VERY BEST OF THE ROLLING STONES』
を購入し、
一気にストーンズへハマっていったのでした。
私はそれ以前に、
中学2年のときに、
テレビで「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」を見て以来、
ストーンズに興味を持っていたわけですが、
ちょうどこの時期は、
ロン・ウッドがウトーンズに加入するというニュースで、
ロック・ファンが大騒ぎをしていたタイミングでした。
当時はNHKで、
『ヤング・ミュージック・ショー』という番組があり、
月に一回程度、
海外のロック・ミュージシャンのライブ映像を見ることができました。
その番組で、
どちらが先であったかは忘れましたが、
ロン・ウッドが在籍していたフェイセズのライブと、
ロン・ウッド加入直後のストーンズのパリのライブが放映されたのです。
そのどちらもが、
私をシビれさせたわけですが、
そのおかげで、
「あのフェイセズの、
イカしたギタリストが、
ストーンズに入るんだって?
それってサイコーじゃん」、
と注目するようになっていたのでした。
また、
その頃、
民放で毎週土曜日の午後にやっていた、
日本のロック・ミュージシャンのライブを放映する番組で、
『ブラック・アンド・ブルー』のプロモーション・フィルムが紹介されたことがありました。
それは、
「ホット・スタッフ」、
「ヘイ・ネグリータ」、
「フール・トゥ・クライ」、
「クレイジー・ママ」の4曲で、
いずれも、
最高にカッコイイ彼らの姿を見ることができます。
(ちなみに、
これらは現在では、YOU TUBEで簡単に見ることができます。
そこでは、
L6-Sをかまえたキース、
『ブラック・アンド・ブルー』の内ジャケと同じ衣装のビル、
ギンナンみたいなアタマのチャーリー、
グラムっぽいミックを堪能することができます)
つまり、
ミーハー少年だった私は、
まず、
ルックス面でストーンズに惹かれたのでした。
これは否定しようのない事実です。
それにしても、
この頃(70年代中期)のストーンズって、
本当に絵になりますよね。
さて、
カンジンな音の面ではどうだったのかと言えば、
KISS、ストーンズ、フェイセズ…、
ここにエアロスミスやTHE WHOも加わりますが、
ロックに入門したばかりの頃の私は、
いわゆる“ロックンロール”、
もしくは“ブギー”と表現してもいいかもしれませんが、
その系統のサウンドにシビれていたのです。
この好みはいまだに続いており、
この年齢になっても、
VELVET REVOLVERあたりに惹かれるのは、
そのせいなのであります。
つまり、
どうやら私は、
ストーンズのことを、
単なる“ロックンロール”バンドだと思っていたようなのです。
『ブラック・アンド・ブルー』の後に購入した、
ベスト・アルバムが、
その系統の曲中心の選曲だったこともあって、
余計そう感じたのかもしれません。
そんな私ですから、
『ブラック・アンド・ブルー』を初めてときには、
「へぇ〜、いろんな曲やるんだ」と感心したほどでした。
後になって、
この、
“いろいろな曲をやれること”のスゴさを思い知ることになるのですが、
そのときはまだわからなかったようです。
さて、
ストーンズはこの後、
現在に至るまで、
30年以上にわたって、
ずっと私の側に寄り添うことになるですが、
それは、
私がどのような音楽に興味を持っても、
彼らはその分野に関連した曲を持っている、
というか、
いつの時代でも、
その時代を投影した音楽を創り続けているからです。
これがストーンズの凄さなのですが、
『ブラック・アンド・ブルー』の収録曲は、
このことを端的に証明しています。
ファンキーな「ホット・スタッフ」、
王道的なストーンズ・サウンドの
「ハンド・オブ・フェイト」と「クレイジー・ママ」、
当時の流行最先端であるレゲエを取り入れた
「チェリー・オー・ベイビー」と「ヘイ・ネグリータ」、
都会的なソウル・バラードでは
「メモリー・モーテル」と「フール・トゥ・クライ」
ジャズっぽい「メロディ」。
バラエティに富んでいますが、
いずれの曲も、
どこから聴いてもストーンズ・サウンドになっている点が、
これまたスゴいことです。
『ブラック・アンド・ブルー』は、
これ以降、
その時点で、
自分が興味を持っているジャンルに近い曲から聴く、
そんな聴き方をするようになりました。
おかげで、
いまだに年に数回は聴く、
重要な愛聴盤の一枚になっています。
このように、
ストーンズは私に、
理想的なロックバンドの姿を、
外見とサウンド面の両面から、
教えてくれました。
さらに、
キース・リチャーズの骨太なリズム感覚とリフのセンスは、
私のギタープレイにおける骨格になっています。
まさに、
『ブラック・アンド・ブルー』は、
私の人生を変えたアルバム、
と言えるでしょう。
第2回は、
以前『web-magazine GYAN GYAN』で特集したことがある、
THE ROLLING STONESの『BLACK AND BLUE』です。
『ブラック・アンド・ブルー/ローリング・ストーンズ
(BLACK AND BLUE/THE ROLLING STONES)』
(1976年発表)
SDE1
1.ホット・スタッフ
(Hot Stuff)
2.ハンド・オブ・フェイト
(Hand Of Fate)
3.チェリー・オー・ベイビー
(Cherry Oh Baby)
4.メモリー・モーテル
(Memory Motel)
SIDE2
5.ヘイ・ネグリータ
(Hey Negrita)
6.メロディ
(Melody)
7.フール・トゥ・クライ
(Fool To Cry)
8.クレイジー・ママ
(Crazy Mama)
アルバムの内容の詳細については、
以前の特集を参照していただくことにして、
今回は違った角度から語ってみたいと思います。
私が中学3年のときに、
生まれて初めて、
ロックのアルバムを買おうと思ったときに、
発売直後だったストーンズの新作にしようか、
それとも前回紹介した『地獄の軍団』にしようか、
迷いに迷った記憶があります。
結局、
そのときは『地獄の軍団』を選んだわけですが、
その後ほどなくして、
『ブラック・アンド・ブルー』を購入し、
続けてベスト・アルバム
(『ザ・ヴェリィ・ベスト・オブ・ザ・ローリング・ストーンズ/
ROLLED GOLD
THE VERY BEST OF THE ROLLING STONES』
を購入し、
一気にストーンズへハマっていったのでした。
私はそれ以前に、
中学2年のときに、
テレビで「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」を見て以来、
ストーンズに興味を持っていたわけですが、
ちょうどこの時期は、
ロン・ウッドがウトーンズに加入するというニュースで、
ロック・ファンが大騒ぎをしていたタイミングでした。
当時はNHKで、
『ヤング・ミュージック・ショー』という番組があり、
月に一回程度、
海外のロック・ミュージシャンのライブ映像を見ることができました。
その番組で、
どちらが先であったかは忘れましたが、
ロン・ウッドが在籍していたフェイセズのライブと、
ロン・ウッド加入直後のストーンズのパリのライブが放映されたのです。
そのどちらもが、
私をシビれさせたわけですが、
そのおかげで、
「あのフェイセズの、
イカしたギタリストが、
ストーンズに入るんだって?
それってサイコーじゃん」、
と注目するようになっていたのでした。
また、
その頃、
民放で毎週土曜日の午後にやっていた、
日本のロック・ミュージシャンのライブを放映する番組で、
『ブラック・アンド・ブルー』のプロモーション・フィルムが紹介されたことがありました。
それは、
「ホット・スタッフ」、
「ヘイ・ネグリータ」、
「フール・トゥ・クライ」、
「クレイジー・ママ」の4曲で、
いずれも、
最高にカッコイイ彼らの姿を見ることができます。
(ちなみに、
これらは現在では、YOU TUBEで簡単に見ることができます。
そこでは、
L6-Sをかまえたキース、
『ブラック・アンド・ブルー』の内ジャケと同じ衣装のビル、
ギンナンみたいなアタマのチャーリー、
グラムっぽいミックを堪能することができます)
つまり、
ミーハー少年だった私は、
まず、
ルックス面でストーンズに惹かれたのでした。
これは否定しようのない事実です。
それにしても、
この頃(70年代中期)のストーンズって、
本当に絵になりますよね。
さて、
カンジンな音の面ではどうだったのかと言えば、
KISS、ストーンズ、フェイセズ…、
ここにエアロスミスやTHE WHOも加わりますが、
ロックに入門したばかりの頃の私は、
いわゆる“ロックンロール”、
もしくは“ブギー”と表現してもいいかもしれませんが、
その系統のサウンドにシビれていたのです。
この好みはいまだに続いており、
この年齢になっても、
VELVET REVOLVERあたりに惹かれるのは、
そのせいなのであります。
つまり、
どうやら私は、
ストーンズのことを、
単なる“ロックンロール”バンドだと思っていたようなのです。
『ブラック・アンド・ブルー』の後に購入した、
ベスト・アルバムが、
その系統の曲中心の選曲だったこともあって、
余計そう感じたのかもしれません。
そんな私ですから、
『ブラック・アンド・ブルー』を初めてときには、
「へぇ〜、いろんな曲やるんだ」と感心したほどでした。
後になって、
この、
“いろいろな曲をやれること”のスゴさを思い知ることになるのですが、
そのときはまだわからなかったようです。
さて、
ストーンズはこの後、
現在に至るまで、
30年以上にわたって、
ずっと私の側に寄り添うことになるですが、
それは、
私がどのような音楽に興味を持っても、
彼らはその分野に関連した曲を持っている、
というか、
いつの時代でも、
その時代を投影した音楽を創り続けているからです。
これがストーンズの凄さなのですが、
『ブラック・アンド・ブルー』の収録曲は、
このことを端的に証明しています。
ファンキーな「ホット・スタッフ」、
王道的なストーンズ・サウンドの
「ハンド・オブ・フェイト」と「クレイジー・ママ」、
当時の流行最先端であるレゲエを取り入れた
「チェリー・オー・ベイビー」と「ヘイ・ネグリータ」、
都会的なソウル・バラードでは
「メモリー・モーテル」と「フール・トゥ・クライ」
ジャズっぽい「メロディ」。
バラエティに富んでいますが、
いずれの曲も、
どこから聴いてもストーンズ・サウンドになっている点が、
これまたスゴいことです。
『ブラック・アンド・ブルー』は、
これ以降、
その時点で、
自分が興味を持っているジャンルに近い曲から聴く、
そんな聴き方をするようになりました。
おかげで、
いまだに年に数回は聴く、
重要な愛聴盤の一枚になっています。
このように、
ストーンズは私に、
理想的なロックバンドの姿を、
外見とサウンド面の両面から、
教えてくれました。
さらに、
キース・リチャーズの骨太なリズム感覚とリフのセンスは、
私のギタープレイにおける骨格になっています。
まさに、
『ブラック・アンド・ブルー』は、
私の人生を変えたアルバム、
と言えるでしょう。
★2008/06/15 (Sun)
現代イギリスの音楽シーンについて、
語ってみたいと思います。
パンク〜ニューウェイブ以降の、
イギリスの音楽シーンは、
クラブだ、
ハウスだ、
テクノだ、
ハイブリッドポップだのと、
いろいろな名称で分類されていますが、
どのジャンルも、
ニューウェイブの延長上、
つまり、
我々が体験した、
1980年代の音の発展形です。
おもしろいことに、
1970年代以前の、
いわゆる、
ロック黄金期の音を再現しているグループは、
あまり見当たらず、
かつての“ブリティッシュ・ロック”のイメージは、
大きく変わってしまったといえるでしょう。
そして、
現代イギリスの音楽シーンを語る際、
欠くことのできないグループが、
ケミカル・ブラザースです。
ケミカル・ブラザースは、
トム・ローランズとエド・シモンズによる、
コンピューターを駆使したDJユニットで、
1995年に、
アルバム『EXIT PLANET DUST』でデビュー。
ビートを強調したエレクトリック・サウンドで、
あっという間に、
イギリスの音楽シーンを制覇してしまいました。
日本では彼らを、
“テクノ”として分類することが多いようですが、
一般的な“テクノ”と大きく異なる点は、
リズムが無機質なものではなく、
たいへん躍動的で、
ときに暴力的ともいえる、
生々しいリズムであるということです。
リズムだけ聴いていたら、
まるでレッド・ツェッペリンみたいなのです。
そんなリズムの上に、
コンピューターでプログラムされた、
フレーズが繰り返される。
それは、
私がかつて愛聴していた、
フランスの“エレクトリック・ゲリラ”、
エルドンと同じような方法論といえるでしょう。
ただし、
エルドンと違い、
ケミカル・ブラザースは、
一部のマニアックなファン向けの音ではなく、
ヒット・チャートの常連になるような、
ポップな音作りを心がけています。
その結果、
彼らは、
実に多くのヒットナンバーを、
世に送り出すことに成功しました。
おかげで、
ケミカル・ブラザースは、
あのジェフ・ベック師匠までが、
「今いちばん興味があるのは、ケミカル・ブラザースだね」
と言うほどの、
イギリスを代表する国民的スターになったのです。
(師匠の『YOU HAD IT COMING』は、まさに“それ風”の音になっています)
さて、
そんなケミカル・ブラザースの音に、
これから触れてみようと思う方には、
2枚目から4枚目のアルバムを、
順番に聴くことをオススメします。
セカンドアルバム『DIG YOUR OWN HOLE』は、
彼らのサウンドが確立された、
記念すべきアルバムであり、
早くも名盤扱いされている重要作です。
サードアルバム『SURRENDER』は、
「Let Forever Be」と
「Hey Boy Hey Girl」という、
シングルヒット曲を収録した、
少しポップな内容になっています。
つづいて『COME WTH US』は、
全体的にソフトになったような印象で、
ファンから賛否両論を浴びた作品ですが、
私がもっとも好きなシングル、
「STAR GUITAR」が収録されています。
ちなみに、
ケミカル・ブラザースのシングルは、
いろいろな場所で、
簡単に聴くことができるので、
ここから体験することもオススメです。
(You Tubeにも多数ありました)
とにかく、
この暴力的なリズムに身を任せていると、
なんとも不思議な、
心地よい感覚に支配されるようになります。
これを“癒し”というのでしょうか?
いやいや、
これは“トリップ”というヤツでしょう。
語ってみたいと思います。
パンク〜ニューウェイブ以降の、
イギリスの音楽シーンは、
クラブだ、
ハウスだ、
テクノだ、
ハイブリッドポップだのと、
いろいろな名称で分類されていますが、
どのジャンルも、
ニューウェイブの延長上、
つまり、
我々が体験した、
1980年代の音の発展形です。
おもしろいことに、
1970年代以前の、
いわゆる、
ロック黄金期の音を再現しているグループは、
あまり見当たらず、
かつての“ブリティッシュ・ロック”のイメージは、
大きく変わってしまったといえるでしょう。
そして、
現代イギリスの音楽シーンを語る際、
欠くことのできないグループが、
ケミカル・ブラザースです。
ケミカル・ブラザースは、
トム・ローランズとエド・シモンズによる、
コンピューターを駆使したDJユニットで、
1995年に、
アルバム『EXIT PLANET DUST』でデビュー。
ビートを強調したエレクトリック・サウンドで、
あっという間に、
イギリスの音楽シーンを制覇してしまいました。
日本では彼らを、
“テクノ”として分類することが多いようですが、
一般的な“テクノ”と大きく異なる点は、
リズムが無機質なものではなく、
たいへん躍動的で、
ときに暴力的ともいえる、
生々しいリズムであるということです。
リズムだけ聴いていたら、
まるでレッド・ツェッペリンみたいなのです。
そんなリズムの上に、
コンピューターでプログラムされた、
フレーズが繰り返される。
それは、
私がかつて愛聴していた、
フランスの“エレクトリック・ゲリラ”、
エルドンと同じような方法論といえるでしょう。
ただし、
エルドンと違い、
ケミカル・ブラザースは、
一部のマニアックなファン向けの音ではなく、
ヒット・チャートの常連になるような、
ポップな音作りを心がけています。
その結果、
彼らは、
実に多くのヒットナンバーを、
世に送り出すことに成功しました。
おかげで、
ケミカル・ブラザースは、
あのジェフ・ベック師匠までが、
「今いちばん興味があるのは、ケミカル・ブラザースだね」
と言うほどの、
イギリスを代表する国民的スターになったのです。
(師匠の『YOU HAD IT COMING』は、まさに“それ風”の音になっています)
さて、
そんなケミカル・ブラザースの音に、
これから触れてみようと思う方には、
2枚目から4枚目のアルバムを、
順番に聴くことをオススメします。
セカンドアルバム『DIG YOUR OWN HOLE』は、
彼らのサウンドが確立された、
記念すべきアルバムであり、
早くも名盤扱いされている重要作です。
サードアルバム『SURRENDER』は、
「Let Forever Be」と
「Hey Boy Hey Girl」という、
シングルヒット曲を収録した、
少しポップな内容になっています。
つづいて『COME WTH US』は、
全体的にソフトになったような印象で、
ファンから賛否両論を浴びた作品ですが、
私がもっとも好きなシングル、
「STAR GUITAR」が収録されています。
ちなみに、
ケミカル・ブラザースのシングルは、
いろいろな場所で、
簡単に聴くことができるので、
ここから体験することもオススメです。
(You Tubeにも多数ありました)
とにかく、
この暴力的なリズムに身を任せていると、
なんとも不思議な、
心地よい感覚に支配されるようになります。
これを“癒し”というのでしょうか?
いやいや、
これは“トリップ”というヤツでしょう。