忍者ブログ
「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
  ★ カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
  ★ フリーエリア
  ★ 最新コメント
[01/25 matsuZACK]
[01/23 shiba]
[01/02 matsuZACK ]
[01/02 ういん]
[12/27 shiba]
  ★ 最新記事
(02/16)
(02/15)
(02/13)
(02/06)
(01/30)
  ★ 最新トラックバック
  ★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
  ★ バーコード
  ★ ブログ内検索
  ★ P R
  ★ カウンター
  ★ お天気情報
[90] [91] [92] [93] [94] [95] [96] [97] [98] [99] [100]
★2024/11/24 (Sun)
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

★2008/11/09 (Sun)
私的ロック評論シリーズの第6弾です。

第6回は、
URIAH HEEPの『DEMONS AND WIZARDS』です。



『悪魔と魔法使い/ユーライア・ヒープ(DEMONS AND WIZARDS/URIAH HEEP)』
(1972年発表)

SDE1
1.魔法使い
 (The Wizard)
2.時間を旅する人
 (Traveller In Time)
3.安息の日々
 (Easy Livin')
4.詩人の裁き
 (Poet's Justice)
5.連帯
 (Circle Of Hands)

SIDE2
6.虹の悪魔
 (Rainbow Demon)
7.オール・マイ・ライフ
 (All My Life)
8.楽園
 (Paradise)
9.呪文
 (The Spell)

ディープ・パープルに熱中していた高校2年の夏頃、
誰に勧められたのかは忘れてしまいましたが、
「パープル好きなら、きっと気に入ると思うよ」
と友人に言われて手に入れたのが、
ユーライア・ヒープの
『対自核(LOOK AT YOURSELF)』でした。

友人はおそらく、
“キーボードが入ったハードロック”という視点で、
私にこのアルバムを勧めたと思われますが、
思惑通り、
私は『対自核』を気に入ってしまいました。

パープルが、
“ギターが強い、キーボード入りのハードロック”とすれば、
ヒープはさしずめ、
“キーボードが強い、キーボード入りのハードロック”
といったところでしょうか。

さすがに、
ギターではパープルに一歩譲るとして、
ヒープにはそれを補って余りある、
強力な武器がありました。

それは、コーラスワークです。

パープルではありえない、
多層構造のヴォーカルによるパートが、
このグループの“売り”でした。

私は、
クィーンのジョン・ディーコンが、
ミュージックライフのインタビューで、
「ヒープ、大好き」と言っていたことを思い出し、
あのクィーンが影響を受けたほどなんだから
このコーラスワークはスゴいんだ、
と妙な納得をしてしまいました。

クィーンにはそれほど興味を持てなかった私ですが、
なぜかヒープのコーラスワークには感動を覚えたのです。

このコーラスワークが、
芸術的といえるほど美しく、
ヒープ・サウンドの耽美的な面を強調していて、
暴力的な部分とうまくバランスをとっているのでした。

私は、
思春期に激しい振幅をもって交互に現れる、
わけのわからない暴力衝動と、
美しいものに対する感動の、
両方を満足させるグループに出会った、
そんな気持ちでいっぱいになりました。

そして、
『悪魔と魔法使い』が、
『対自核』の次に発表された作品だということを知った私は、
早速それを購入するためにレコード店へ駆け込んだのです。

レコード店でアルバムを手にした私が
最初に感動したのは、
イエスのアルバムジャケットで有名な、
ロジャー・ディーンによる、
神秘的なジャケット・ワークでした。

綺麗だなぁ…中身もこういう感じなのかな?

私はイエスの一連の作品、
そう、
いわゆるプログレッシヴ・ロックの音を思い浮かべました。

そしてその予感は、
1曲目の「魔法使い」が始まった瞬間に、
現実のものとなったのです。

ああっ…プログレっぽい、
深くて綺麗な音…。

神秘的な光景をドラマティックに描いた「魔法使い」は、
これ以降、
現在に至るまで、
私のフェイバリット・ソングになっています。

『悪魔と魔法使い』は、
『対自核』のサウンドを整理し、
もっと丁寧に作り上げたという印象で、
『対自核』をパープルの『イン・ロック』にたとえるなら、
こちらは『マシン・ヘッド』ということになる、
暴力的で荒削りな部分を抑えて、
整合性を強く打ち出した、
そんな印象の作品です。

とくに、
LP時代のA面の出来が素晴らしく、
前述の「魔法使い」を別にしても、
「詩人の裁き」のイントロの短いコーラスや、
「連帯」の荘厳なオルガンの響きなど、
本当に鳥肌が立つほどの美しさを感じる瞬間が
何度も現れます。
音の感触はまさに“プログレッシヴ・ロック”。
アルバム・ジャケットから受けたイメージが、
そのまま音になっていたのです。

パープルでは、
より暴力的な『イン・ロック』を好んだ私が、
ヒープに関しては、
暴力的な部分を抑えた『悪魔と魔法使い』を好んだのは、
私が両者に対して求めたものが違っていたからでしょう。

私はヒープに、耽美的なものを求めたのです。

さてこの他、
前作『対自核』と大きく違ったのは、
ベーシストの存在感でした。
『対自核』と『悪魔と魔法使い』の間では、
ベーシストとドラマーが交替しています。
もともとこのグループは、
ギターの手数が少ない分、
ベースが細かいフレーズを弾く傾向にあったのですが、
新加入の名手ゲイリー・セインは、
ベーシストというよりは、
低音メロディ担当とでも言いたくなるような、
たいへん美しい旋律を奏で、
全体のサウンド作りに大きく貢献しています。

ベーシストがウマいと、音が変わるんだ…。

私が、
バンドにおけるベーシストの重要性に気がついたのは、
ユーライア・ヒープが最初でした。

そして、
このようなヒープ・サウンドに、
リッチー・ブラックモアのような
エキセントリックなギタリストが加わったら最強なのでは、
と思うようになり、
それが私の当面の目標になりました。
それは高校2年頃のことだと記憶していますが、
私はマジメにユーライア・ヒープになりたい、
と願うほどになったのです。

しかし、
それはすぐに、
コーラスをとりながら演奏する難しさと、
コーラスでハモるには
リードヴォーカル級のトレーニングが必要である、
という大きな問題に当たり、
あっけなく挫折してしまいました。

理想のサウンドに出会ったものの、
それを表現することの困難さを知った私。
人生とはこのようなことの繰り返しと言えますが、
さて、
その後どのような方向へ向かうことで、
この現実に折り合いをつけたのでしょう?
それは、
次回以降のお楽しみということにして、
今回はあらためて
『悪魔と魔法使い』の素晴らしさを堪能することにしましょう。
PR
★2008/11/02 (Sun)
私が高校生の頃(1970年代後半)、
再結成前のディープ・パープルが発表したアルバムの中で
もっとも評価の低い作品は、
第2期では『紫の肖像(Who Do We Think We Are)』、
第3期では『嵐の使者(Stormbringer)』でした。

いずれも、
メンバーチェンジ直前に発表されたものであったため、
リッチー・ブラックモアがヤル気をなくしていたから
作品として充実していないのだという、
たいへん説得力のある理由がつけられており、
多くの音楽ファンもそう思っていたようです。

『紫の肖像』にはたしかに、
その理由が当てはまるようですが、
『嵐の使者』はどうでしょう?
本当にそうだったのでしょうか?

私は高校1年の終わり頃に、
初めて『嵐の使者』を聴いたのですが、
そのときの感想は、
「悪くない…んじゃない?」
どうしてこの作品の評価が低いのか、
理解できませんでした。

とくに、
従来のパープル・スタイルを踏襲した「嵐の使者」に続く、
LP時代のA面の出来が素晴らしく、
今でも年に数回は聴いているほどです。

「愛は何よりも強く(Love Don't Mean A Thing)」は、
グレン・ヒューズが、
どれだけスティーヴィー・ワンダーを敬愛しているか、
を理解できるナンバーです。
ハードロックというよりは、
少しハードなソウルという感じの曲調に乗って、
ディヴィッド・カヴァーディルと
グレンのツインヴォーカルが見事なハーモニーを作ります。

つづいて、
グレンが歌う「聖人(Holy Man)」。
デヴィッド・ボウイがこの曲を気に入って、
カバーしたいと許可を求めたようですが、
パープル側がなぜか却下して、
仕方なくボウイは、
この曲によく似た、
ビートルズの「アクロス・ザ・ユニヴァース」をカバーして、
アルバム『ヤング・アメリカンズ』に収録した、
というエピソードがありますが、
なるほど、
たしかに彼が歌ったらよく似合いそうな曲調です。

そして、
「ホールド・オン」。
これは文句なくカッコいい曲。
いわゆるファンキー・ハードロックの名曲でしょう。
とにかくノリがよく、
さりげなく使われているクラビネットが、
さらに雰囲気を盛り上げています。

ちなみに、
B面も同じような構成で、
パープル・スタイルの
「嵐の女(Lady Double Dealer)」につづき、
ファンキーな「ユー・キャント・ドゥ・イット・ライト」、
直線的な「ハイ・ボール・シューター」、
ファンキーというよりディスコビートに近いリズムに乗って、
叙情的なメロディを歌う「ジプシー」とつづき、
ラストは、
生ギターによる「幸運な兵士(Soldier Of Fortune)」です。

なにしろ、曲がいい。
これに尽きます。

ヤル気をなくしていたとされる
リッチー・ブラックモアのプレイですが、
これだけソフトな曲が並んでいるので、
いままでのようなハードなプレイを
意識的に控えたのではないでしょうか?
リッチーは下積み時代に、
歌手のバックバンドやスタジオワークが多かったので、
けっして
“KYな(空気読めない)”ギタリストではないはずです。
『嵐の使者』におけるリッチーのプレイは、
アルバム全体の雰囲気に合わせた結果であり、
けっしてヤル気がなかったわけではないでしょう。
いままであまり取り入れることのなかった、
ワウやスライドを使っていたりして、
逆に意欲的な部分が感じられるほどです。

一般的には、
従来のパープル・スタイルである、
「嵐の使者」や「嵐の女」
がコンパクトにまとまっているため、
スケールが小さくなったと思われたようですが、
作品をよく聴き込むと。
リッチーをはじめとした、
パープルのメンバーが、
新しい分野の音に挑んでいることがわかるはずです。

『嵐の使者』で聴かれる、
ファンキー・ハードロックという分野の音を、
イギリスではじめて一般的にしたのは、
じつはディープ・パープルではないか、
という説があります。
いや、
それ以前に、
レインボーとホワイトスネイクの
ファーストアルバムの音が、
『嵐の使者』の延長上にあることは間違いなく、
いろいろ考えると、
たいへん重要な作品であることがわかります。

そして当時から、
ファンはこのことをよくわかっていて、
じつは、
私と同じ感想を持つ人が多く存在していたのです。
そして『嵐の使者』は、
“隠れ名盤である”と伝えられていきました。

その結果…。

あれから30年ほどが経過した現在、
いろいろな場所で見ることができる、
ディープ・パープルのアルバム紹介では、
『嵐の使者』は名盤として評価され、
重要な位置にある作品である、
と書かれるようになりました。

『嵐の使者』は、
ファンの声と時間の経過が評価を変えた作品です。

そして、
この事例からもわかるように、
ディープ・パープルの不幸は、
既成路線から脱しようとして
新しいことに挑んでも、
それがリアルタイムでは、
正当に評価されなかった点に尽きるのです。

SHM-CDで出てるべ〜↓
★2008/10/26 (Sun)
2回にわたって、
愛用のフェンダー・ストラトキャスターについて語りましたが、
私がいままで手にしたストラトタイプのギターは、
この2本だけではありません。
初めて手にしたジョーディ以来、
いくつかのメーカーの製品を手にしましたが、
いまでも記憶に残るモデルということになると、
3本のギターが思い浮かんできます。

そのうちの1本、
メタリック・ブルーのトーカイ・シルバースターについては、
フェンダー・ストラトキャスターの話題の中で触れたので、
割愛させていただくこととして、
今回は残りの2本、
シェクターPUが搭載されたESPのストラトタイプと、
ヤマハ・パシフィカ912Jについて語りたいと思います。

〓シェクターPUが搭載されたESPのストラトタイプ

これは1980年頃、
トーカイ・シルバースターを手に入れる
1年前ぐらいの時期に、
高校の同級生(女子)から借りたギターです。

どういうきっかけだったかは思い出せないのですが、
大学に通っていた私と偶然再会したその女子が、
「ギター弾けないんだけど買っちゃったの。一度、見てみる?」
と言い出したので、
さっそく見せてもらうことになりました。
それは、
ESPのストラトに、
当時流行していた、
シェクターピックアップが3基、
搭載されているモデルでした。
(それぞれのピックアップについて、
on-off-phase outの3つのポジションが選べる
ミニスィッチがついている…、
ジェフ・ベックが使っていたアレです。)

色は純白といってもいいホワイトで、
メイプル指板、
ピックガードは白いパールタイプ…。

私はギターを見るなりゾクゾクしてしまい、
「貸してくれ」と彼女を拝み倒し、
それからしばらく使わせてもらうことになりました。

このシェクターのアッセンブリーというヤツは、
たいへんおもしろい音が出る仕組みになっているので、
いろいろと試してみましたが、
その中で、
通常のストラトのハーフトーンをさらに強調したような、
いわゆるシャリシャリした音で、
ものすごくヌケのいいセッティングがあり、
私はすっかりそれにハマってしまいました。
(どういうセッティングであったかは、
思い出すことができないのですが…。)

私がこの音を多用したところ、
どこへ行っても、
周囲のギタリストから「いい音だね」
と言われました。
どうやら、
この音がいいと思ったのは、
私だけではなかったようです。

このギターに関しては、
残念なことに、
1ヶ月ほど経ってからかなり強い口調で、
「返してよ」と言われ、
渋々持ち主の元へ返すことになりました。
それ以来、
二度と手にすることはありませんでしたが、
あのトーンだけはいまだに忘れることができません。

おそらく、
その後の私が得意とした、
16ビート系の細かいカッティングなんかと、
ものすごく相性がいい音だろうなぁ…っと思われます。

機会があれば1本キープしておきたい、
というか…、
自分のストラトの1本に、
この
シェクターのアッセンブリーを搭載してみたいというのは、
私の長年の宿願ではあります。

ただ、
シェクターのアッセンブリーは、
その後急速に姿を見せなくなり、
今では誰も語ることがなくなってしまいました。
唯一、
ブライアン・メイ・モデルには、
それとよく似たシステムが搭載されているのですが、
そのものズバリではありません。

ブライアン・メイ・モデルを入手して、
バラして配線だけ流用しますか…?
いや、もったいない、もったいない。

〓ヤマハ・パシフィカ912J

これは1992年頃、
黒い2代目のフェンダーを入手する以前に、
手に入れたギターです。

パシフィカは、
ヤマハUSAがセミオーダー・システムを取り入れ、
完成度の高いギターを提供しようとした、
メーカー入魂のモデルでした。

私が手に入れたのは、
この市販タイプで、
SSHのピックアップ配置で、
ピックアップはすべてディマジオ。
フロイドローズ・トレモロユニットを搭載し、
指板はローズ、
メタリック・レッドのボディでした。

これを新品で、
かなり安い価格で手に入れ、
初代フェンダーの後継にしようと、
熱心に弾き込んだものです。

パシフィカは、
薄いU字シェイプのネックでありながら、
フレットがわりと高いタイプであったため、
とにかく運指がしやすい、
左手にストレスのかからないギターでした。

音に関しては、
ブリッジ側のハムバッキングより、
ネック側とセンターのシングルの音が素晴らしく、
私はディマジオの品質の高さを思い知ることになりました。

形も色もカッコよくて、
本当に気に入っていたのですが、
一点…、
どうしてもフロイドローズが使いこなせず、
チューニングが安定しないため、
結局2代目フェンダーの資金の足しになってしまいました。

フロイドローズなしで、
メイプル指板の仕様があれば、
これまた1本キープしておきたいところですが、
これも現在は販売されていないモデルのようで、
非常に残念で仕方ありません。

2本のギターに共通しているのは、
ピックアップがよかったという点であり、
そうであれば、
自分のギターに搭載すればいいのでは、
ということになりますが、
私の場合、
それはやりません。

ピックアップといえばこの他、
ビルローレンスのピックアップなども気に入ったのですが、
私は、
最初からそれが搭載されているギターを
探すことにしています。

ギター本体とピックアップは、
同じように年を取っていないと、
つまり、
ボディ材の水分のヌケ方と、
ピックアップの磁力の落ち方が合っていないと、
バランスが取れないので、
いい音は出ないはずだというのが、
私の持論です。

つまり、
長年連れ添った組み合わせがいちばん、
ということでしょうか?
人間と同じなんですね。
そう考えると、
今日ご紹介したような、
記憶に残るストラトタイプには、
なかなか再会できないということになり、
たいへん残念で仕方ありません。
★2008/10/19 (Sun)
フェンダー・ストラトキャスターを手に入れてから
およそ1年後のことです。
ステージでサブギターの必要性を感じた私は、
もう1本ストラトを入手しました。

それは、
ストラトキャスターのコピーでは定評のあった、
トーカイのシルバースターというモデルで、
色はメタリック・ブルーでした。

このギターは、
フェンダーと比較にならないほど低価格でありながら、
たいへん弾きやすいギターで、
私はまたしてもショックを受けたのでした。

「フェンダー買って、損したかも…。」

とはいえ、
とりあえず、
ストラトが2本になりました。
夢のストラト並べができるようになったのです。
私は嬉々として2本を並べてみることにしました。
すると…、
「あれっ、なんか違う?」
私はこの2本のストラトの相違点に気がつきました。

正面から見れば、
ラージヘッドでメイプル指板、
プラスティックパーツの色こそ違え、
同じ1970年代仕様のはずなのに、
トーカイのストラトの方が、
ネックが薄く、
ボディのコンタードが大きく、
全体的に軽量になっていたのです。
(コンタード=ストラトはボディの肘があたる部分をカットしてあります。)

もっと詳細に見ると、
トーカイのストラトでは、
ピックアップのボビンが不揃いに飛び出しているのに対して、
フェンダーはまったく平らでツライチでした。

私はこのとき初めて、
1970年代のストラトが
1975〜6年を境にマイナーチェンジされていたという事実を知りました。
最初に手にしたジョーディもトーカイも、
1970年代初期型であり、
薄いネックと軽量ボディ、
ボビンの不揃いなピックアップが特徴でした。
これに対して、
フェンダーは、
1970年代後期型であり、
厚いネックと重量級ボディ、
ボディの平らなピックアップが特徴でした。
私が「弾きづらい」と感じた理由は、
どうやらこのへんにあったようです。
そしてこの特徴のおかげで、
音色にも歴然とした差が生じていたのでした。

ここに至って、
私がイメージしていたストラトは、
間違いなく1970年代初期型であったことが判明し、
さらに大きなショックを受けたのでありました。

おかげで、
これ以降の私は、
もったいないことに、
フェンダーをサブにして、
トーカイをメインにするようになってしまったのです。
(ステージでフェンダーを投げるという暴挙に出たのもこの頃でした。)

そんなある日のこと、
プロギタリストとして活躍していた、
大学のサークルの先輩が私のフェンダーを手に取り、
こう言いました。
「このストラトいいな。
チューニングが安定しているし、
ボディが重いから音の輪郭がはっきりしてるよ。」

「えっ、そうですか?」

さらに、
楽器店の無料リペアサービスに参加したときに、
担当のリペアマンがこう言いました。
「このストラトいいですね。
最近のモノでは抜群の出来ですよ。」

「本当ですか?」

当時のフェンダー・ストラトキャスターはたいへん品質が悪く、
リッチー・ブラックモアがニューヨークで試奏したところ、
100本すべてがNGだった
という逸話が残っているほどでした。
ところが、
私のフェンダーはそんな中で稀に見る、
優れた個体だと言うのです。

人間などというものは単純なもので、
その道のプロにそう言われてしまうと、
すっかりその気になってしまい、
以来私は、
1970年代後期型のストラトを愛用しているギタリスト、
U2のジ・エッジと、
ブランドXのジョン・グッドソールのサウンドを研究するようになりました。

すると、
1970年代後期型の音の特徴は、
ブリッジ側の音にコシがあり、
ブリッジ+センターのハーフトーンのヌケがいいこと、
ということがわかりました。
さっそく自分のフェンダーで試してみると、
これはイケル。
実にいいトーンが出るじゃありませんか。

この頃の私(20歳頃:1982年)は、
LOOSE CONNECTIONの前身に当たるバンドができ、
オリジナル曲を作り始めた時期でした。
そこで私が目指したサウンドは、
ヘヴィなリズムセクションの上に乗って、
音の隙間を活かしながら、
ゴリゴリしたリフやニュアンスに富んだコードで曲を構築し、
ギターとヴォーカルがスリリングにからむ、
というものでした。
はたして、
私のフェンダーの音色は、
このサウンドにピッタリとハマったのでありました。

ギターというのはおもしろいもので、
持ち主がこのような気持ちで接すると、
それに応えるかのように素晴らしい音色を出すようになり、
当初気になった弾きづらさもどこへやら、
ローンが終わる頃には、
すっかり“愛機”となっていたのです。

それからというもの、
このフェンダーは約15年間にわたって、
私のメインギターの座を、
不動のものとしたのです。
(ちなみに、
トーカイはギブソン・ファイヤーバードを購入した際の、
頭金の足しになってしまいました。
今から考えると、
たいへんもったいないことをしたものです。)

LOOSE CONNECTION初期のオリジナル曲集、
その後ひとりで作った、
自宅録音作品の数々で、
このフェンダーのトーンは響きわたっているのです。

その後、
長年の酷使がたたったのか、
1994年頃になって、
ノイズがヒドくなり、
リペアをお願いしたところ、
内部の配線をすべて取り替えるという、
人間で言えば、
心臓バイパス手術のようなものを受けることになりました。
以来、
このストラトは一線から退き、
大事に保存されているというわけです。

現在の私は、
このときに購入した2代目のフェンダー・ストラトキャスター、
1957年型の復刻モデルをメインで使っています。
このギターを購入する際は、
前回の轍を踏まないように、
フェンダーUSAとフェンダージャパンの現行モデル、
すべてを試奏し、
もっとも弾きやすいモデルを選びました。
残念だったのは、
当時のラインアップに、
1970年代初期型がなかったことでしたが、
おかげで、
かなり早い時期から手に馴染み、
初代のような苦労を味わうことはありませんでした。

そんな2代目フェンダーも今年で満14歳を迎え、
そろそろ後継機種を考える時期になってきました。
現在は、
フェンダーUSAにもフェンダージャパンにも、
1970年代初期型がラインアップされており、
今度は迷うことなく、
コイツを手に入れてやろうと目論んでいるところです。

↓ということで、
2代目ストラト、通称“BLACKIE”です。
このギターは軽量で扱いやすいのですが、
ネック側およびセンターのピックアップの音がよく、
ブリッジ側はそれほどコシがありません。
ギターの音色って難しいですね。

★2008/10/12 (Sun)
デイヴ・ギルモア、
リッチー・ブラックモアに関心を持った私は、
彼らが愛用していたギター、
フェンダー・ストラトキャスターに興味を持つようになりました。

ストラトといえば、
それ以前から、
ジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトン、
ジェフ・ベックなどが使っていることを知っていましたが、
実際に弾いてみたいという気持ちが起きたのは、
先の2名の影響によるものでした。

リッチーが、
いろいろな色のストラトを弾いていたり、
それらを並べている楽屋の写真を見るにつけ、
「あ〜、いいなぁ〜っ、
俺もプロのギタリストになって、
あんな風にストラトを並べてみたい」
などとアコガレたものです。

ミーハーな私は、
まずはその流線型のボディ、
いわゆるスポーツカーのようなルックスに惹かれ、
その後、
トレモロアームという破壊兵器の存在を知り、
機能的な部分に興味を持つようになっていったのでした。

ところが、
そんな私が、
高校1年のときに初めて手にしたエレキギターは、
国産のアリア・プロ〓というメーカーの、
ギブソン・レスポールのコピーモデルでした。

なぜそうなったのかについては、
「初心者はストラトよりレスポールの方がいいよ」
という諸先輩のアドバイスに従ったからであり、
その他とくにレスポールに惹かれた理由は見当たりません。

この件については、
それなりの根拠があり、
後に納得することになるのですが、
自分のエレキギターを手に入れたものの、
「ストラトほしいなぁ〜っ」
の思いが消えることはありませんでした。

そんなある日、
思いがけないことが起こりました。

それは高校2年の春のこと、
一緒にバンドをやっていたヴォーカルの女の子が、
「ずっと使っていていいよ」
と自分のストラトを貸してくれたのです。

そのギターは、
ジョーディという国産メーカーのコピーモデルでした。
ラージヘッド、
メイプル指板、
色はクリームがかったホワイトで、
ウルリッヒ・ロスが使っていたような、
1970年代初期タイプのコピーでした。

アコガレのギターを手にした私は、
もう自分のレスポールはそっちのけで、
こればかりを弾くようになりました。
そして、
すっかりストラトの魅力のトリコになったのです。

さらに、
なぜかこのギターを“もらったもの”、
と勘違いしていた私は、
ブランド名を削って、
プラカラーで“フェンダー”と書いたり、
指板を削ってスキャロップド使用にしたり、
好き放題いじくり回してしまったのでした。

おかげで、
バンドが解散してしばらくして、
その娘から「ギター返して」と言われたときの、
焦ったことといったらありませんでした。

電話で正直に謝罪をしてから返しに行きましたが、
彼女は怒りもせずにギターを受け取り、
笑顔で「がんばってね」と言ってくれました。
彼女とは違う学校に通っていたこともあり。
それっきり音信不通になってしまいましたが、
大人になってからこのときのことを考えてみると、
どうも彼女は私に好意を持っていたようで、
それにしてはずいぶんヒドいことをしたものだと、
反省することしきりでした。
あらためて、
今頃どこかで立派なお母さんになっているであろう彼女に、
「すいませんでした」と言いたい気持ちでいっぱいです。

さて、
話題がそれてしまいましたが、
ジョーディのストラトを手放してからもその感触が忘れられず、
ついには夢にまで見るようになったストラトを手に入れるのは、
それから約1年半の後、
大学に入学した18歳の春のことでした。

なんと、
わずかな頭金を入れただけで、
本物のフェンダー・ストラトキャスターを、
30回もの長期ローンで手に入れてしまったのです。

それが、
いまだに手元にあるこのギターです↓



シリアルナンバーから1979年製であることがわかるこのギターは、
当時の標準仕様である、
黒いプラスチック・パーツが特徴である他は、
例のジョーディのストラトと同じ、
メイプル指板で、
クリームがかったホワイトのボディをしています。

当時は1ドル=365円の時代です。
フェンダーは新品で、
定価238,000円だったと記憶しておりますが、
これを毎月1万と少々の額で返済することになり、
以降2年半、
バイトにあけくれることになるのでありました。

さて、
天にも昇る思いで手にしたアコガレのギターでしたが、
第一印象はその想いに反して、
ただただ「弾きづらい」だけでした。

この頃のストラトは、
もっともネックが太くて厚い時期であったため、
握り心地が悪く、
さらにフェンダーの指板のスケールはギブソンよりも長いため、
とにかく左手にかかるストレスが大きいのでありました。

その上、
ギブソン系のハムバッキング・ピックアップと違い、
簡単に歪みが得られないシングルコイル・ピックアップです。
適度なゴマ化しが効かないから、
運指のアラは出るわ、
ピッキングのアラは出るわ、
丁寧に弾かなければ、
それがそのまま音になってしまいます。
(どうやら、
“初心者には向かない”とされた理由は、
このへんにあるようです)

「失敗したかも?」
「ギブソン・レスポールにした方がよかったかも?」

このギターに、
このような大金を払ったことを今更反省してみたところで、
時すでに遅し。
今売り払ったとしても、
残るは多額の借金のみ。

こうして、
私とストラトの、
格闘の日々が始まったのです。

(次回につづく)
忍者ブログ★ [PR]

★ ILLUSTRATION BY nyao