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「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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  ★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2009/04/26 (Sun)
「私の人生を変えたアルバム」シリーズを、
『web-magazine GYAN GYAN』で継続させようと決めたおかげで、
ここで続けられるシリーズものがなくなってしまいました。

下世話な話題ばかり展開するのもねぇ…、
なにしろ、
ブログのタイトルが『ROCKのある風景』ですから、
このままではマズイと思案を重ねた結果…、
ROCKの“名盤紹介”というのはいままでいろいろとやってきましたが、
そういえば“名曲紹介”というのはやったことがなかったことに思い当たり、
始めてみようということになりました。

シリーズのタイトルはまだ決めていませんが、
第1回は、
リック・デリンジャーの
「ロックンロール・フー・チー・クー」です。

--------------------------------------------------------------------------------

あれは、
私が高校に入学した頃のことです。
そろそろ、
『ミュージック・ライフ』に物足りなさを覚え始めた私は、
当時はまだ、
一部マニアの同人誌の域を脱していなかった、
『プレイヤー』を定期購読することにしました。

定価が500円以下だったこともありましたが、
日本のプロミュージシャンが執筆に加わっていることもあって、
内容がより実践的で、
『ミュージック・ライフ』より
身近にロックを感じられることがポイントでした。

その記念すべき1冊目、
たしか1977年5月号、
表紙はジョニー・ウィンターだったと思いますが、
その巻頭インタビューが、
当時、自らの名前を冠したデリンジャーというバンドで活動していた、
リック・デリンジャーでした。

デリンジャーは、
リックをはじめとするメンバーのルックスがよかったおかげで、
マスコミの注目を集めていましたが、
私のようなギター小僧は、
このバンドが新興ブランド、
「BCリッチ」のギターを使用していたことに、
注目していたのです。

「BCリッチ」は、
独特のボディシェイプと、
独自の電気系サーキットを持つ、
ハンドメイドのギターで、
モッキンバードやイーグル、ビッチ
といったラインアップを揃えていました。
当時の日本ではかなり高価で、
40万前後の定価だったと記憶しております。
(この後、エアロスミスも使い始めますね)

さて、
リック・デリンジャーは、
この「BCリッチ」の他、
ヘッドが逆V字型(俗にいうバルタン・ヘッド)の
ギブソン・エクスプローラなどを使っていて、
インタビューでもさかんにそのへんのギターの話を展開していました。

これが、
ギター小僧のハートをくすぐらないワケはありませんね。

プレイヤー誌のインタビューを読んで数週間後、
ラジオで『デリンジャー・ライブ』の放送があり、
私は当然のごとくエア・チェックをして(なつかしい言葉だ)、
カセットテープに録音した演奏を聴き込みました。



かなり期待していたのですが、
大半の曲は、「まぁ…、こんなもんか?」と思える程度の、
いわゆる平均的な楽曲で、
「BCリッチ」のトーンはさすがに素晴らしかったものの、
それほど印象に残らない演奏でした。
ところが、
アンコールの1曲だけが、
ものスゴい存在感で、
しばらく耳から離れなくなったのです。

それが「ロックンロール・フー・チー・クー」。
当時の正直な感想は、
「エアロスミスみたいでカッコイイ~」でした。

「ロックンロール・フー・チー・クー」は、
1973年発表のリック・デリンジャーのソロ・アルバム
『オール・アメリカン・ボーイ』に収録されています。

シングルカットされて大ヒットしたわけではありませんが、
アメリカでは人気の高い曲のようです。

リック・デリンジャーという人は、
こういうポップな曲が得意らしく、
マッコイズ時代には「ハング・オン・スルーピー」
の大ヒットを記録していることで有名です。

私は「ロックンロール・フー・チー・クー」のスタジオテイクを求め、
あちこちのレコード店を探したのですが、
当時は『オール・アメリカン・ボーイ』のLPは入手困難で、
アルバムを手に入れたのは、
それからだいぶ時間が経ってからになりました。

おかげで、
かなりの期間、
カセットテープのライブ音源だけが、
私の愛聴盤でした。
音は悪くても名曲は名曲ですね。

のちに『オール・アメリカン・ボーイ』を見つけた時は、
驚喜したものですが、
またしても1曲目の
「ロックンロール・フー・チー・クー」以外は印象に残らず、
結局、
私にとってリック・デリンジャーは、
「ロックンロール・フー・チー・クー」だけの存在、
ということになりました。



「ロックンロール・フー・チー・クー」は、
リフを中心として2本のギターがからむ構造になっており、
後にエアロスミスの成功によって一般的になる、
ちょっとだけハネるリズムをベースにした、
ツインギターによるハードロックの先駆的存在といえます。

曲調からセッションに向いており、
いろいろと重宝な曲ではあります。

セッションといえば、
この曲で、
リック・デリンジャーが
エドガー・ウィンター・グループと共演している映像を
見たことがありますが、
ギターソロになった瞬間から、
リックの目がイッってしまい、
猛然と凄まじいフレーズを連発するのを見て、
リックとエドガーの兄、ジョニー・ウィンターが出会った場所が
精神病院であったという話を思い出し、
(ふたりともジャンキーだったそうです)
背筋がゾクゾクッとしました。

そういえば、
リック・デリンジャーって、
どことなく、
ブライアン・ジョーンズに似ているような気がするのですが、
いかがでしょう?

いずれにしても、
「ロックンロール・フー・チー・クー」は、
これ以降、
私の好きな、
ハード・ロックンロールの代表曲になり、
いまでもときどき聴いては、
アタマを振っております。

聴いたことのない人には、
ぜひ一度耳にしてほしいのですが…、
「宅ファイル便」でお届けしましょうか?
PR
★2009/04/05 (Sun)
最近、
音楽の話題が減っていたので、
「もしかして?」と感じていた人もいたかもしれませんが…。
そうです、
本日「web-magazine GYAN GYAN」が復刊しました。

URLは以下の通り↓
http://matsuzack.jougennotuki.com/

ブログ左下に表示してある部分をクリックしても、
トップ画面にリンクします。
(プロフィールのHPの部分)

以下、復刊にあたってのコメントです。
(サイトにも掲載されています。)

 「web-magazine GYAN GYAN」は、当時私が寄稿していた音楽雑誌、「ニュー・ルーディーズ・クラブ」(シンコーミュージックMOOK)の廃刊にともない、未発表原稿を発表する目的で、2001年5月4日に創刊されました。
 その後、ニュー・ルーディーズ・クラブの編集長だった、作家・山川健一氏が主催する「文学メルマ」への寄稿と並行する形で順調に更新を重ね、コンテンツを増やしていきました。

 ところが2008年2月に、私が愛用していた旧型のi-Bookが壊れ、新しい機種へ買い替えたところ、旧OSに対応していたホームページ・ビルダー(ADOBE GoLive 5.0)とプロバイダーへのアップロード・システムが使えなくなり、サイトのメンテナンスができない状態になってしまいました。このため、「web-magazine GYAN GYAN」は、2008年2月29日をもって、やむなく終刊することになりました。

 さらに、サイトのプロバイダーであったAOLが、2008年9月30日をもってAOL HOMETOWNを閉鎖したおかげで、閲覧することもできなくなり、「web-magazine GYAN GYAN」は完全に消滅してしまいました。

 一方、「web-magazine GYAN GYAN」終刊を受けて、新たに2008年4月1日に開設したブログ「ROCKのある風景」も、AOLが2009年1月31日をもってブログサービスを終了することになったため、継続するなら移転を検討せざるを得ない状況になりました。

 結局、ブログ「ROCKのある風景」は、親しい友人のすすめにより「忍者ホームページ」というサービスを利用することが決まり、2009年2月1日に移転を完了させ現在に至っております。その際、このサービスがホームページもサポートしており、汎用性の高いホームページ・ビルダーとアップロード・システムを無償で使えることがわかりました。そこで私は、「web-magazine GYAN GYAN」の復刊を決心したのです。

 以来3ヶ月にわたりコンテンツの復元に取り組み、ようやくこのたび閲覧可能な状態になったため、復刊を宣言することに至りました。

 今回復刊するのは、AOL時代の「web-magazine GYAN GYAN」すべてのコンテンツと、「たたかふ、ちうねんろっかぁ」の2回分の更新記事です。

 初めて閲覧する方のために、簡単に内容を紹介しましょう。

 「web-magazine GYAN GYAN」の基本コンセプトは、“わかりやすく、気軽に楽しめること”です。したがって各コンテンツは、ROCK初心者でも十分に取り組めるよう、配慮してあります。

 メインになる「特集記事」は、「ニュー・ルーディーズ・クラブ」や「文学メルマ」へ発表した原稿を中心に、ROCKシーンに対する私の主張が満載されているコーナー。長文の記事が多く、すべてを読破するには少々時間がかかるかもしれません。

 「だまって、コイツを聴いてくれ!」は、私の独断による名盤紹介で、ROCK初心者の方にガイドブックとしていただきたいコーナー。

 「コレクターにならずに、ユーロ・ロックを聴く方法」は、少しマニアックなヨーロッパのプログレッシヴ・ロック・シーンの名盤を紹介するコーナーですが、これもユーロ・ロック初心者の方にガイドブックとしていただきたいコーナーになっています。

 「神格化しない、ブラック・ミュージック」は、これまたマニアックなファンの多いブラック・ミュージック・シーンにあって、比較的取り組みやすいミュージシャンを紹介するコーナー。これもブラック・ミュージック初心者の方にガイドブックとしていただきたいコーナーになっています。

 「カバーアートは、ゲージュツだ!」は、ROCKアルバムのカバーアートを取り上げたコーナーで、これはまったく音楽に興味のない方でも楽しめる内容になっています。

 「たたかふ、ちうねんろっかぁ!」は、私の音楽活動に関するコーナーで、現在在籍しているLOOSE CONNECTIONの情報が掲載されています。

 掲載されている画像については、可能な限り撮影者の許可を取り付けております。(もちろん海外の方も)中には著名なカメラマンもおり、画像だけでも楽しめるようになっています。

 さて、
 今回新たに、「私の人生を変えたアルバム」というコーナーを設置しましたが、ここにはブログ「ROCKのある風景」で発表した記事をまとめるつもりです。(現在、工事中)

 今後は、ブログ「ROCKのある風景」で発表する音楽の話題をまとめ、「web-magazine GYAN GYAN」へ掲載していく予定です。

 また、「web-magazine GYAN GYAN」復刊と同時に掲示板も復活させますので、来訪者のみなさんの情報交換の場としてご利用ください。

 最後に、「忍者ホームページ」を紹介してくださったkisatoさんへ。
 あなたのおかげで今日を迎えることができました。感謝しています!
★2009/03/15 (Sun)
近況報告をします。

スティーヴィー・ワンダーばかり聴いています…。

これでは、1行で終わってしまいますね。(笑)
SHM-CD仕様の紙ジャケシリーズを集めているのですが、
とりあえず、
『インナーヴィジョンズ』と『キー・オブ・ライフ』を、
毎日聴いています。
いわゆる、1970年代のスティーヴィー・ワンダー。





最近になってようやく、
歳のせいか、
やわらかい音というか、
ゆるい音…、
いや、癒される音か、
を求めるようになりまして、
8ビートのジャカジャカした音を、
なんとなく遠ざけるようになっています。

私の場合やはり、
ブルースではなく、
ソウル、
それも…、
1970年代前半の、
いわゆるニュー・ソウル系が、
いちばん相性がいいようで、
どうやらここに、
私の“安息の地”があるようです。

ジャカジャカした音でも、
16ビート系だと、
あまりうるさく感じないから不思議です。

『キー・オブ・ライフ』はたいへん完成度が高く、
また2枚組で作品もギッシリ詰まっているのですが、
通しで聴くことにたいして労力を感じないのは、
スティーヴィー・ワンダーのマジックというか、
非凡なセンスに感心させられる部分です。

このアルバムの音に近いのは、
トッド・ラングレンとかキャロル・キング、
それからロバータ・フラックあたりで、
いわゆる、
純粋なブラックのカテゴリーには入らない音です。
“ホワイトっぽいブラック”、とでも言いましょうか。
しかし、
私には限りなく心地よい音なのです。

また今の私が、
スティーヴィー・ワンダーと並んで、
“大人買い”を企んでいるのは、
ロッド・ステュワートですが、
彼のソロ・アルバムも、
フェイセズほど単純なロックンロールばかりではなく、
ソウル系のカバーが多いので、
とってもいい雰囲気に仕上がっています。
こちらは、
“ソウルっぽいロックンロール”とでも言いましょうか。

それから、
4月の中旬頃になると、
以前紹介した、
『JAZZ SUPREME : Fender Rhodes Prayer』に
収録されていて、
たいへん気に入った、
KARIN KROGという、
女性ジャズシンガーの1974年の作品、
『WE COULD BE FLYING』がイギリスから届く予定で、
これもたいへん楽しみです。

このアルバムは、
日本国内では入手困難な上に、
中古盤が信じられないくらい高額なため、
直輸入で手配するという方法で、
入手することにしました。

KARIN KROGという人は、
たいへん色っぽい声の正統派シンガーですが、
バックの演奏がブッ飛んでいて、
そのアンバランスさのおかげか、
作品がミステリアスな雰囲気に仕上がっています。
ベース弾きまくり、
ドラム叩きまくりで、
ピアノはガン、ガンっとコードを置くだけ、
という音をバックに、
歌というより、
楽器のひとつみたいな歌い方をする…。
機会があったら、
ぜひみなさんにも聴かせてあげたい、
そんなシンガーです。
そんな音の感触を一言で表すと、
“ソウルっぽいジャズ”…。

しばらくはこのへんにとどまるかな?
いや…、
今回は、
このままとどまりそうな予感がします。
だって私はようやく、
“安息の地”を見つけたのですから。
★2009/03/08 (Sun)
三島由紀夫は太宰治のことを、
“弱さをすっかり表に出して、
弱さを売り物にしている人間”であるとし、
忌み嫌っていたと言われております。
(著書「不道徳教育講座」では、
“弱さが最大の財産”とまで言っております)



太宰治という人は、
何度となく自殺を図り、
苦悩の連続のような生涯を送った、
とされていますが、
実態は少し違っていたようです。

その情報は、
最近になって、
少しずつ公表されるようになったのですが、
それは、
いままでのイメージのように、
根暗で弱々しい人ではなく、
かなりお気楽で、
いい加減な人だったということです。

太宰の場合はおまけに、
いわゆる“イケメン”だったから、
何をやっても絵になるし、
黙って座っているだけで、
影のある美青年を演出してしまうので、
女性が次から次へと寄ってくるし、
たまたま、
「死んじゃおうかなぁ~っ」と思ったときに、
そばにいた女性を道連れにしてしまったりして、
これがまた劇的な話になってしまうのですが、
本人はそれらのことを、
それほど深刻に考えていなかったというのが、
実際のところだったようです。

そんな自分の人生を、
これまた気ままに、
つらつらと書いたものが、
文壇で高い評価を受け、
大きな名声を受けるのですが、
本人はそんなことには一向に関心がなく、
相変わらずフラフラと気ままに生き、
酒を飲み、
女性を口説く…。

そう考えると、
三島由紀夫が言う、
“弱さをすっかり表に出して、
弱さを売り物にしている人間”という表現には、
少し違和感を覚えてしまいます。

私はかねがね、
三島が言っていることは、
“努力しないで、
自分の資質を作品にしただけで成り立ってしまう人”
という意味だと思っています。
そのように表現を変えると、
三島は太宰を、
単純に嫌っていたわけではなく、
どうやらそこには、
羨望のような気持ちが存在していたのではないか、
と思われて仕方ありません。

なぜなら、
太宰は三島の少し先輩に当たる程度で、
実態がわからないほど遠い存在ではなかったはずであるし、
三島はいくつかのエッセイで、
後から振り返ってみたら、
少しも面白みのない自分の前半生に対して、
コンプレックスを抱いているような記述が見られるからです。
(その反動が、あの劇的な後半生に向かわせたとも言えます)

さて、
私は太宰のような人間を、
「無手勝流 天才肌」と呼んでいます。

私がいままでの人生で深く関わってきた、
音楽の世界でこの「無手勝流 天才肌」を求めるならば、
前回話題になった、
エリック・クラプトン、ジョン・レノンはもちろん、
元祖“ヘタウマ”のキース・リチャーズや、
“ミステイクをフレーズにしてしまう”ジェフ・ベック、
いまさら議論は無用の、
ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、ジム・モリスン、
などの面々が即座に思い浮かんできます。

自分の資質を作品にする分だけ消耗が激しいのか、
天寿を全うせずに夭折する人が多いことも、
「無手勝流 天才肌」の特徴ではないでしょうか。

これに対して、
「精進流 秀才肌」とでも呼びましょうか、
時代の動きや世間の要望を的確に捉え、
芸術を理論的に構築し、
自分のイメージもそれに合わせて演出する、
というタイプが存在します。

こちらには、
レッド・ツェッペリン時代のジミー・ペイジ、
“変容の王子”デヴィッド・ボウイ、
“歪んだ美学”のブライアン・フェリーなどが当てはまるでしょう。

三島文学は“人工美の極限”と表現されるように、
先の三島由紀夫もこのタイプで、
彼の文学世界は、
イメージに合わせて粋を凝らした美の集大成であり、
彼自身も、
人生の最終目的に向けて、
意識的に肉体改造をしたことで有名です。

ところで、
先ほど挙げた面々を見ればおわかりにように、
我が国の大衆は、
圧倒的に「無手勝流 天才肌」を支持する傾向にあるようです。

例えば、
身近なところで、
V9時代の巨人打線の3、4番、
王貞治と長嶋茂雄のいわゆるONコンビ。
「精進流 秀才肌」の王に対し、
「無手勝流 天才肌」の長嶋とした場合に、
どちらが人気が高いか考えれば一目瞭然です。

どうやら勤勉な日本人は、
「無手勝流 天才肌」にひそかにアコガレを持っているようです。

しかし、
私の半世紀近い人生において、
実際に身辺でそのような人にお目にかかったことがあるか、
と言われると、
いや残念ながら、
ただの一人もお目にかかったことはありません。

それほど稀有な存在の、
「無手勝流 天才肌」がゴロゴロいる、
音楽の世界は、
やはりスゴい世界であると言えるでしょう。

前回お話した、
煩悩まみれ、
漂泊してのたれ死ぬ人生にアコガレることも、
「無手勝流 天才肌」へのアコガレかもしれません。

そう考えると、
三島由紀夫は、
「無手勝流 天才肌」の太宰治に、
密かなアコガレを抱いてはいたものの、
彼の文学世界のイメージから、
それを素直に表現するわけにもいかず、
冒頭のような表現を使い、
表面的には忌み嫌う態度を貫いたと言えます。

ところで、
あなたの近くに、
「無手勝流 天才肌」はおりますか?
「無手勝流 天才肌」に当てはまる面々を見ていると、
もしいたとしても、
そいつはきっと厄介で、
周囲に迷惑をかけまくる人間といえるでしょう。
ですから、
天才と気がつかないかもしれませんし、
天才と認めたくない気持ちになるかもしれません。

これが、
天才と呼ばれる人が少ない、
本当の理由でしょうか?



★2009/03/01 (Sun)
SHM-CDという、
高音質のCDが世に出て、
早や半年が過ぎましたが、
この間に購入したCDの中で、
もっとも聴く機会が多いのは、
エリック・クラプトン御大の、
『いとしのレイラ』です。



SHM-CD仕様の『いとしのレイラ』は、
LPレコードなど比較にならないほど音質が向上していて、
とくにギターの音が鮮明に聴こえるので、
たいへん感動モノです。

さて、
『いとしのレイラ』が名盤である、
などということを、
ここであらためて語るつもりではありません。
私が驚いたのは、
なにげなく目をやった、
このアルバムの歌詞の世界です。

たとえば、「ベル・ボトム・ブルース」…。

床を這いつくばりながら、
君に会いに行く姿を見たいかい?
もう一度やり直してくれと、
君にすがりつく姿を見たいかい?
俺は喜んでそうするさ…、
このまま消え去りたくないから。
頼むから、
もう一日だけチャンスをくれ。
このまま消え去りたくないんだ。
君の心の中にずっと住み続けていたいのさ…。

スゴイですね…。

のたうちまわっていますよ。

女性に捨てられてボロボロになり、
それでもなお、
あきらめきれない男の心情が、
切々と歌われているということでしょうか。

男の怨念っておそろしいですね、
こういう男がストーカーになるのでしょうか?
いやいや、
女性のみなさん、
男は基本的にこうなのです。
ここまで開き直って、
堂々と宣言(?)することは稀ですが、
大なり小なり、
このような感情を強く持っている生物なのです。

というのも、
女性の記憶はリセット型で、
過去の記憶の上に、
新しい記憶を重ねていくことができる。
その際、
過去の記憶は塗りつぶされてしまう…。
ところが、
男の記憶は蓄積型で、
過去の記憶を消去できずに、
新しい記憶が蓄積されていく。
過去の記憶は鮮明に残っていて、
いつでも思い出すことができる、
などと言われているように、
男の脳の特徴がそのような思考を生み出しているのです。

その説は、
よく世間で言われていることですが、
私はまったくその通りだと思っております。
つまり、
モトカノに対して、
“このまま消え去りたくないんだ。
君の心の中にずっと住み続けていたいのさ…。”
と思う部分は、
すべての男に共通した、
切なる願望といえるかもしれません。

しかし…、
それを、
ここまで堂々と歌えますか?

あらためて、
エリック・クラプトンって、
スゴイ人です。

『いとしのレイラ』の原題は、
『LAYLA and other assorted love songs』ですから、
収録曲は程度の差こそあれ、
だいたいこのような内容の歌詞になってるのですが、
これをいわゆる“ラブソング”と呼んでよいのでしょうか?
だって、
どの曲も「ベル・ボトム・ブルース」のように、
一方的に男の側から心情を吐き散らしているだけで、
男女双方が共有している“ラブ”には至っていないのですから…。

ときには、
強がって恰好つけたり、
女性などどうでもいいというような発言があったり、
まぁ…やりたい放題であります。

そして、
トドメが、「レイラーッ!」。

あろうことか、
人の妻の名前を連呼して、
「いとしい、いとしい」と悶えまくるという…。
やりたい放題もいい加減にしなさいと言いたくなるような、
トンデモナイ結末が用意されているのです。

エリック・クラプトンおそるべし…。

『いとしのレイラ』は、
男の煩悩うずまく作品集だったのです。
エリック・クラプトンは己の煩悩を、
女性に対するありとあらゆる感情を、
まるで除夜の鐘のように、
全世界に向かって放っています。

だいたいギタリストという人種は、
えーかっこしいというか、
恰好をつけたがる人が多くて、
クラプトンのように、
恥も外聞もなく自己をさらけ出すような人は、
他に例を見ません。

近い例としては、
ジョン・レノンの『イマジン』がありますが…、
理想郷を夢見た直後に、
「俺はただのヤキモチ焼きさ」と開き直り、
世界平和と、
恋人の過去を、
同レベルで語ってしまう…、
一人の男の、
思考の振幅の激しさを素直に表現していますが、
クラプトンのように煩悩をまき散らす程ではありません。
(余談ですが、
ジョンのヤキモチは半端ではなかったようで、
ヨーコの過去の男性経験数を聞き出したのみならず、
全員の姓名まで書かせたということです。)

クラプトンの場合はジョンと違い、
世界平和など一言も登場せず、
ただ…、
ただひたすらに煩悩にまみれ、
のたうちまわっているのです。

感情のおもむくまま煩悩に焼き焦がれ、
それを芸術作品として発表してしまう。
私には、
そんな人生を送ることができる人が、
うらやましくて仕方ありません。

“男のロマン”ってヤツかなぁ…?

そうそう、
“男のロマン”で思い出しましたが、
男には、
漂泊願望なるものがあるそうです。

つまり、
何もかも捨てて、
一人気ままにフラフラしたい…という願望。

私は、
種田山頭火(たねださんとうか:俳人)が大好きで、
彼のように、
晩年は漂泊を続け、
独り、
人里離れた庵でのたれ死ぬ、
なんてことに本気でアコガレたりします。



以前、
家族にそのような話をしたら、
「信じられない」と言われて、
白い眼で見られたことがありますが、
どうやらこのような心境は、
女性には理解できないもののようです。

山頭火が崇拝していたとされる、
尾崎放哉(おざきほうさい:俳人)という人は、
もっと徹底していて、
一流大学を出たエリートサラリーマンでありながら、
酒で身を持ち崩し、
持病の胸が悪化したことを期に、
妻子を捨て、
ひとり死に場所を求め、
瀬戸内海に面した庵で、
孤独をかこって死に至るのですが、
死期を悟ってからは、
計画的に食べものを減らし続け、
自然に死ねるよう我が身を弱らせた、
ということです。

山頭火も放哉も、
自分の人生を中途でリセットし、
漂泊の果てに、
死を迎える準備をしたのです。
周囲の迷惑などお構いなしに、
人生の終盤を自分の納得するように、
自分自身で仕上げる。
これができるということもまた、
うらやましい限りです。

私は、
一人で知らない街をフラフラするのが好きで、
ときに、
「このまま、どこかへ消えたらどうだろう?」
などという、
とんでもない誘惑にかられることがあり、
自分でも困惑することがあります。

たった一度の人生なのだから、
煩悩まみれになることも、
漂泊してのたれ死ぬことも、
思い残すことなくやればいいと思いますが、
実際には、
さまざまなものに囲まれ、
たくさんのものを背負ってしまっている現在、
まず実現することは不可能といえるでしょう。
いや、
実現させることは簡単なのですが、
一歩踏み出す勇気が出ないものです。
ゆえに、
私は凡人の域を出ません。

クラプトンや山頭火の、
煩悩にまみれ、
漂泊の果てに生まれた作品に触れるにつけ、
男のロマンだなぁ、
とアコガレるのでありました。
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★ ILLUSTRATION BY nyao