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「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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  ★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2013/10/13 (Sun)
最近なぜか、
サイケデリックな音が気に入っているのだが、
そもそも“サイケデリック”とはどういうことだったんだろう?

サイケデリックとは当初、
美術の世界で使われた言葉で、
既成の感覚や感情を無視した、
色彩革命を意味していた。

うわっ、こんな色使っていいの?
って感じ…
ウルトラQのタイトルバックみたいなイメージ…



転じてロックの世界では、
使ってはいけないとされていた音…
すなわち、
デカイ音量や歪んだ音、
ハウリングやフィードバックといった音を使い、
思い切った表現を試みたということだけど…

ここに1960年代後半から1970年代初頭にかけての、
ヒッピーやドラッグの動きがからみ、
潜在意識の覚醒やタブーへの挑戦などの
メッセージが加わったのだ。

わかりやすく言えば、
ラリパッパーのアタマの中を描いた、
ということか…(笑)

サイケデリックとは、
音楽のカテゴリーではなく、
表現形態を指していたんだ。

したがって、
サイケデリックロックと呼ばれるものには、
多種多様な音が含まれている。
ブログレやハードロックも、
ここから生まれたと言っても過言ではない。

最近の私には、
この、
少し危険な匂いがするものの、
何ものにも束縛されない、
自由な空気が、
とても心地よいのだ。

グラムロックのように下世話で安っぽくもなく、
どちらかと言えば、
ゲージュツ的なところも好ましい。

などと考えていた先週、
サイケデリックな音を出すなら、
やっぱりファズじゃん!
とばかりに…
ジミヘンで有名な、
ダラス・ファズフェイスの復刻盤を
衝動買いしてしまった…



かわいいでしょう?

これは、
かつてはやたら大きかったモデルを、
極限まで小さくし、
なおかつ、
使いやすく改良されているのだ。

(オリジナルは in と out が逆だったり、
DCアダプターがなかったりで、
エフェクターボードに入れずらかった…)

↓大きさを比較するためにCDと並べてみた。


しかし、
音の方は、
まさにあの時代のファズそのもの…
ストラトをつなぐとすぐに、
ジミヘンやウルリッヒ・ロスになれる。

会社帰りに、
スーツ姿で、
楽器店内に響き渡る豪音に酔いしれ、
思わず弾きまくった挙句、
ソッコーで買ってしまったのだ。(笑)

なんだ、このオッサン?と思われただろうなぁ…

さて、
今年の終盤は、
コイツを使って、
ブッ飛ぶのである。

サイケだサイケ!

もう一度、
眠っている意識を覚醒するのだ。
常識なんかクソくらえっなのだ(笑)

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★2013/10/06 (Sun)
10月になってしまいましたね。

SIONの歌じゃないけれど、
毎年、年末が近づいてくるたびに、
あわただしさと同時に、
何かやり残したような、
軽い後悔の念にかられるのは、
なぜでしょう?

もっとも…
今年はいろいろやれたので、
あまりそういう気分にならないかもしれませんが…


さて…
ロックを聴き始めて40年近くになり、
そろそろ聴いたことのないミュージシャンなどいなくなったかな?
と思ったりしていましたが…
まだいたんですね、これが。

グレートフル・デッド!

何度か興味を持ち、
聴いてみようと思ったものの、
そのたびにいろいろあって、
ここまで逃していた最後の大物です。

これが、
この9月に、
紙ジャケ仕様 SHM-CDで、
全盛期の作品が再発されたのでした。

当初の発売予定日より1ヶ月以上遅れたので、
またダメかなと不安になったりしましたが、
ようやくこのたび手に入れることができました。

先輩諸氏から、
グレートフル・デッドなら、
まず『ライヴ/デッド』からだよ、
と言われていたこともあり、
この作品から聴くことにしました。

グレートフル・デッドは、
長時間演奏で有名で、
延々何時間も演奏し、
観客もいっしょにトリップするという、
すばらしい空間を生み出していたのですが、
音源にまとめると、
20分以上の、
LP時代だと
片面1曲という作品が多くなってしまいます。

何度か作品に触れようとして
ためらった理由のひとつがこれです。
いまさら、
長尺のインプロビゼイション合戦っていうのは、
どうだろうねぇ…
正直なところ、
そう思うことが多かったのです。

『ライヴ/デッド』の1曲目
「ダーク・スター」は、
シングルヴァージョンは3分程度ですが、
ここでは20分を超える大作になっています。

1曲目からこれかぁ…と思いながら、
挑んでみると…

これは…なんだ?

いままで聴いたことのある、
長尺の演奏とは、
ちょっと違う感じなのです。

インプロビゼイション合戦ではない…
もちろん YESのように、
精緻に編曲された楽曲でもありません。

なんというか…
一言で表現すると、
テキトーの極限とでもいいましょうか。
この場合のテキトーは「いい加減」という意味ではなく、
文字通り「適」に「当」のテキトーです。

あるテーマをアタマに描いて、
すべての演奏者が、
そこを目指して作品を構築している…

ギターだけでなく、
キーボードもパーカッションも2人ずついるのに、
誰か1人が目立つわけでもなく、
それでいて、
ミョーの耳に残る印象的なフレーズが多い…

これは、
YESと対極にある、
バンドアンサンブルの理想的な姿かもしれません。

アドリブの比重が大きいので、
後期 KING CRIMSONに近い発想かもしれませんが、
あそこまで個人に依存していないところがポイントです。
(でも、ベーシストはけっこう凄腕だったりします)

これはいい…
しかも、
今聴いてもぜんぜん古くさくない。

これは結構、愛聴するかも…です。
現に、
20分以上あるのに、
毎日「ダークスター」をしっかり聴いていますから…

裸のラリーズとか村八分を聴いた後なので、
よけい効くのかもしれません。

初回特典で、
シールが入っていたのが、
これまたうれしいことです。

以前から、
このバンドの
アルバムジャケットやTシャツなどのデザインに
惹かれるものがありましたから…





そう考えると、
アーティスティックな面と、
ミーハーな面を両方満足させてくれる、
貴重な存在かもしれません。

うーん、
ヒッピー、
サイケデリック…
なぜ今かはわからないけれど、
下りてきたんですよ…天から。
どーしよーっ?

日常からの逸脱、
タブーへの挑戦…(笑)
★2013/09/29 (Sun)
明日で9月が終わります。
ということは…
今年ももう3/4が過ぎてしまった、
ということではありませんか?
じぇじぇじぇーっ!

じぇじぇじぇと言えば、
大ヒットした「あまちゃん」が、
先週最終回を迎えました。

私は何に驚いたって、
このドラマのサントラを手がけたのが、
大友良英さんであるということでした。

大友さんは、
10年ほど前、
東京のアンダーグラウンドシーンで話題になったギタリスト。
ターンテーブルによるスクラッチプレイなど、
新しいネタをフリーフォームなシーンに持ち込み、
注目を集めていました。

そんな人が、
国民的ドラマのサントラを手がけるなんて…
じつはアカデミックな方だったのかな?
なんて思っていたら…

NHKの特集番組の中で、
そーとーアバウトな譜面を披露し、
イメージを伝えたら、
あとはそれぞれのミュージシャンの感性に任せた、
などと発言しているのを見て、
やっぱりなーっと、
ミョーな安堵感を覚えてしまいました。

音楽って、
そんなもんでいいんですよ…ねぇ?

ちなみに、
その番組の中で、
大友さんがSGを弾いているのを見て、
あーやっぱりSGはカッコいいなぁ…と思っていたら、
前回、前々回で紹介した、
裸のラリーズの水谷さんは、
SGを手にしている画像が多く、
さらに先週、
ある演奏のできるスナックへ行ったときに、
手にした1960年代のSGが、
これまたバツグンに素晴らしくて…

ひさしぶりに、
「ギターほしい病」が再発し、
SG、SG、SG…
アーム付き、
またはP90搭載のスペシャルかJR…
と探しまくり、
イ○バ○楽器の、
「輸入楽器、9月末まで分割払いの金利ゼロ」セールに出くわし、
あやうくギブソンを購入しそうになるところまで、
発展してしまいました。

いや…あぶなかった。

どうどうどう…っといなされて、
ようやく落ち着きを取り戻しましたが、
どうやら、
SGとファイヤーバード…
かつて所持していたけれど、
いろいろあって手放したギターを、
もう一度手にしたいという思いに気がつき、

こうなったら、
消費税が8%に上がる、
来春前に、
どちらか1本を手に入れるか?
などと企むに至りました。

SGもファイヤーバードも、
ウェイトバランスが悪くて、
うまく扱えなかったわけですが、
その後、
SGはアームが付いていると、
ウェイトバランスがとれることがわかり、
また、
ファイヤーバードはリバースタイプであれば、
ストラトとよく似たウェイトバランスであることがわかり…

また、
ハムバッキングPUが苦手であれば、
どちらもP90搭載タイプがあるので、
機種を選べば、
前回のようなことはないだろうと、
楽観しているのでありました。

などと…

1年の3/4が過ぎても、
私は相変わらず、
こんな調子で、
たぶん、
高校〜大学時代からずっと、
こんな調子で来ているのです。

歳を取らないワケです。

さて、
残りの3ヶ月では、
年末の忘年会ライブを含め、
LOOSE CONNECTIONの活動が気になるわけですが、
今年は例年になくメンバーが積極的で、
また私も、
少々悟りを開いた感があり、
ここ数年間の停滞を解消するような流れが作れるといいな、
などと考えています。

さてさて、
果たしてどんな年末を迎えるでしょうか?


↓コレだよ、コレ

★2013/09/22 (Sun)
ひと昔前までは、
裸のラリーズについて語ること…
とくに批判めいたことを言うことは、
タブー視されておりました。

熱狂的な信奉者から、
激しい反撃を受けるというのです。

ところが、
最近になって、
ネットでいろいろ検索してみると、
けっこう批判めいた意見…
とくに偶像視することに対して
疑問を投げかけるような意見を見ることが多く、
時代の流れを感じました。

もはや、
裸のラリーズの伝説も
時空の彼方に消えようとしているのか?

私も正直なところ、
やたらと“伝説”だの“幻”だのと言って、
このバンドを神格化しようなどとは思わず、
ただ…
日本ロック史上、
稀に見る存在が、
どのようにして生まれ、
何を訴えようとしていたのか、
機会あれば、
そこに触れてみたいと思っていました。

裸のラリーズ=水谷孝という図式は、
もはや誰も異論を唱える余地はない事実…
裸のラリーズを語るということは、
水谷孝を語るということになります。

映像で見る水谷氏からは
とてもナイーブで弱々しい感じを受け、
サングラスでもしていなければ、
とてもじゃないが、
人前に出られない…
そんな印象を受けました。

にもかかわらず、
インテリ特有のプライドと、
独特の美意識に支配され、
なかなか本性を現さず、
徹頭徹尾スタイリッシュにキメている…
そういう雰囲気を感じたりします。

1960年代という激動の時代に、
京都で大学生だったわけですから、
強烈に時代の洗礼を受けたはず、
行動的な人だったら、
政治活動へ参加したりするわけですが、
彼はそうしませんでした。

裸のラリーズの初期に関わった人が、
よど号をハイジャックし、
北朝鮮へ亡命したのは有名な話ですが、
彼はそういう活動へは関わっていません。

ただ、
その時代に書いたオリジナル曲を、
延々と演奏し続けたのです。

裸のラリーズのレパートリーのほとんどは、
その活動の初期の段階で出来上がっており、
長い活動期間のそれぞれの時代に、
その時代を感じさせるような曲を残したりはしていません。

そして、
どの曲にも歌詞がついていて、
正直なところ、
あまり歌は上手でないにもかかわらず、
かならず歌います。

おそらく、
演奏だけでは、
彼の言いたいことを表現できなかったのでしょう。

その歌詞の世界というのは、
多くは「オマエ」という2人称で、
“闇”とか“夜”とか“黒”という単語を使い、
異端の人が歌いこまれています。

全体的には、
それほど文学的価値を感じないのですが、
ときどき、
目の覚めるような言葉に出会います。

“造花の原野”とか…

こう考えると、
私小説的な作風の
シンガーソングライターに近いと感じるのです。

1960年代という強烈な時代の洗礼を受けたものの、
何もなすことができず、
ただ時間だけが過ぎていく…
しかし、
焦る気持ちを正直に表現するには、
プライドが邪魔をする。
表現活動などやめてしまえばよいのに、
そうしてしまったら、
自分の存在価値がなくなってしまう。

だから続ける…

歌詞に2人称を使い、
人前ではサングラスをかける。

さらに…
ヴォーカルにはエコーをかけまくり、
ギターはエフェクトの嵐、
すべてを塗りたくるような轟音が、
彼のコンプレックスを隠してくれる。

ギターのエフェクトについては、
かなり研究したものと思われます。
エコー、フランジャー…
ギターが好きな証拠ですね。
ブルーチアーが好きだからSGを買った…
そんな感じがします。
だから、
政治や小説ではなく、
ロックに固執しているのです。

ロックしかない…

山口冨士夫さんもどこか寂寥を感じる人でしたが、
とても乾いた感じでした。
ドライな寂寥感…

チャー坊も根の部分からは共通した匂いを感じましたが、
妙なユーモアで笑い飛ばそうとする、
シニカルな感じがしました。

水谷さんはこの両者とは違い、
ナイーブで弱々しい本性が見え隠れします。
(余談ですが、
このタイプはチャー坊みたいなタイプとは“水と油”だと思います。
多くの証言も、
この2人は合わなかったと言っています。)

3人に共通しているのは、
1960年代という時代の呪縛から、
解き放たれることがなかったということ。
それぞれの表現方法で、
なんとか折り合いをつけていたということ。

そんなことに思いをめぐらせてみました。

私は、
そんな水谷さんに…
裸のラリーズに、
妙な親近感を覚えているのです。

裸のラリーズからは、
種田山頭火とか太宰治とか、
尾崎豊とか、
そんな人たちと同じものを感じます。

彼らの音を聴いていると、
不思議な安堵感を得られます。
冨士夫さんが在籍していた時期のものからは、
とくにそれを感じます。
冨士夫さんは、
水谷さんをやさしく包んでいたんですね。

しかし…
裸のラリーズにこういう接し方をするとは、
若い頃には思いもつかなかったことです。
これも、
年齢のなせる技でしょうか…ねぇ?

★2013/09/15 (Sun)
人生には何度か、
あーあのときこうしておけばよかったなー
と思うことがありますが、
私のいままでの人生では2回ほど、
見に行かなかったことを後悔しているライブがあります。

ひとつは、
以前「私の人生を変えたアルバム」で紹介した、
1979年日比谷野音における、
ジョニー・ルイス&チャー・のデビューライブ。
行かなかった理由は、
雨がヒドく降っていたからでした…(笑)

もうひとつは、
1980年法政大学での、
裸のラリーズのライブ。
当時は、
出演予定であっても、
実際に演奏する保証はないと言われた、
幻のバンドのライブでした。
当日、
私は体調が悪く、
そんな状況ならいいやとパスし、
私を除く友人3人がライブに出かけました。

ところが、
その夜のライブは、
後に伝説となったほどの名演だったのです。

友人の証言によると、
出演時間から1時間が経過し、
今夜もスッポカシか?と危惧し始めた頃、
とつぜん客席に向かって、
ストロボのような照明の明滅が数分…
脳内物質が異常に分泌されたような気分になると、
轟音が響き渡り、
それから3時間近く、
ノンストップの演奏が続いたそうです。

なにしろ、
その音のデカかったこと…
水谷さんの使ったアンプは、
グヤトーンの…
マーシャルの3段積みより大きなアンプだった、
ということ。

そして、
観客の雰囲気も異常で、
どこからこんな人たちが出て来た?
と思われる異形の集団が、
ひたすら無言でこの演奏に聞き入っていた、
ということ。

なにしろ、
未知の体験だったようです。

友人は、
そのときの演奏をひそかに録音しており、
その後、
私も耳にすることができました。

それは、
当時話題になっていた、
PILやジャーマン系の音に近いものでした、

その頃から、
裸のラリーズは、
日本アンダーグラウンドシーンの極北、
と称され、
神格化されるようになりました。

私は何度か、
彼らの音に触れようと試みましたが、
いずれもかなわず、
1991年に3枚のアルバムがひそかに販売された際も、
気がついたときにはすでに遅く、
入手することはできませんでした。

現在では、
この3枚のアルバムは、
いずれも高額で取り引きされているだけでなく、
それにもかかわらず、
出てくると即買い手がついてしまう状態。

機会あるごとに、
あー聴いてみたい、
あのとき無理してでも行っておけばよかったなぁ…
と反省しきりでした。

それが今回、
山口富士夫さんが亡くなり、
彼の関わった作品を検索していたら、
なんと!
アメリカのレーベルから、
裸のラリーズの作品群が逆輸入されていることを知ったのです。

今回だけはどうしても逃したくない。

そんな気持ちでアレコレ調べ、
購入を試みたのですが、
これが一筋縄ではいきませんでした。

入荷まで時間がかかるとの表示を信じて、
しばらく待っていたら、
入手困難で必ず手に入る保証がありません、
などという通知をもらうこと2回。
それでもメゲずにいろいろ試してみたところ、
ようやく2枚の作品を入手することができました。

1枚は、
『HEAVIER THAN A DEATH IN THE FAMILY』という、
1991年に発表された3枚の中で、
最高傑作と言われている『’77 LIVE』を1枚にまとめ、
最後の1曲を削除したもの。

もう1枚は、
山口富士夫さんが在籍していた、
1980~81年のライブ音源を収録した6枚組、
『DOUBLE HEADS』です。

もちろん、
映像はついておらず、
また輸入盤のため、
思い入れたっぷりの日本語の解説もついておらず、
本当にシンプルに、
裸のラリーズの音と向き合うことができました。

冷静に聴いてみると、
曲の構造はいたってシンプルで、
ロックンロールやブルースの基本形である
3コードの進行が多いことに気がつきます。

ヴォーカルは歌というより、
むしろ詩吟に近く、
轟音の中、
ときおり印象的なフレーズが聴こえてきます。

バンドのサウンドを特異なものにしているのは、
ヴォーカルを含め、
全体にかけられている、
リバーブまたはエコーを使った、
独特の反響効果。
そして、
水谷さんのギターサウンド。

水谷さんのギターは、
たえずフィードバック、またはハウリングを起こしていて、
それにフランジャーをかけ、
その上にギター単体、
またはバンド全体の反響が加味されています。

いわゆる、
ジミヘンのライブで連発される、
キーンとかピーとかいう音、
それだけで表現をしている…
そんな印象です。

このようなサウンドは、
1990年以降、
アメリカを中心に流行していて、
ソニック・ユースやモグワイなど、
多くの有名バンドを輩出しています。

ですから、
裸のラリーズは海外で評価が高く、
これらの轟音&残響系ギターサウンドのルーツとして…
なぜかそのルーツがヒッピーと伝統が交わる、
京都から生まれたということで、
注目を集めております。

私も今回、
彼らの音源をよく聴いてみて、
それから、
ロックフェスティバル『夕焼け祭り』の映像なども参考にしたところ、
1960年代後半のサイケデリック・ムーブメントに端を発し、
1970年代のジャーマンロックの音響処理に触発され、
1990年代の轟音&残響系ギターサウンドの普及につながる、
架け橋的な存在として、
裸のラリーズが存在しているということが、
よくわかりました。

つまり、
特異とか、
突然変異ではなく、
必然的な音ということになるのですが、
ジミヘンのキーンとかピーとかいう部分だけを、
どのような状況でも守り続けた、
というか、
自らの表現手段として極め続けた、
という姿勢にはつくづく頭が下がります。

今回入手した分で、
予想外によかったのは、
富士夫さんが在籍していた、
『DOUBLE HEADS』で…
裸のラリーズには、
なぜかいつも、
もう一人のギタリストがいるのですが…
先ほど言ったように、
3コードのシンプルな曲が多いため、
その分野で修行をしていた、
たいへんボキャブラリーの豊富な富士夫さんのギターが効果的で、
演奏のボトムをしっかり引き締めています。

正直、
富士夫さんのギターが、
どのように裸のラリーズに同化していたのか、
イメージがつかなかったのですが、
これで納得しました。
彼ならではの効果があったわけです。

友人が録音した法政大学のライブや、
ロックフェスティバル『夕焼け祭り』で見た、
聴き覚えのある曲も多数収録されていますが、
まったく完成度が違っており、
興奮しながら何度も聴き返してします。

これを至福の時というのだろうか?

ついに私は、
裸のラリーズに触れることができました。

富士夫さんありがとね。
あなたからいただいた、
最高のプレゼントだぜ。



↓ついでに、こんなのも見つけた(笑)

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★ ILLUSTRATION BY nyao