「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
63
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2014/09/21 (Sun)
とつぜん、
秋がやって来ました。
暑い暑いと騒いでいたと思ったら、
本当にとつぜん…
ある日を境に秋になってしまった、
そんな感じです。
ここ数年、
ゆるやかに、
季節が入れ替わるということがなくなり、
このような傾向が続いていますが、
地球は本当に大丈夫なのだろうか?
さて、
秋になると、
我がバンド、
LOOSE CONNECTIONは、
今年も好例の忘年会ライブに向けて、
調整が本格化するわけですが…
今回は、
ひさびさのローリング・ストーンズ来日を記念して、
彼らのカヴァーを中心に演奏しようか、
などと企んでおります。
とはいえ、
そこはLOOSE CONNECTIONのことですから、
有名どころはワザと外し、
マニアックな選曲になることは間違いなく…
万人向けの来日記念になるかどうかは、
微妙な感じであります(笑)
実際に演奏したことがある方は、
よくご存じと思いますが…
このローリング・ストーンズの曲というのは、
把握しにくい構成になっていることが多く、
バンド全体の息が合うまでに、
それなりの時間がかかります。
というのも、
歌の長さやコーラスの回数などが不揃いで、
しかも、
ロックの定番である偶数の繰り返しでないことが多いからです。
これはおそらく、
ミックが書く歌詞に、
演奏の長さを合わせているからと思われ、
演奏陣は回数で覚えるよりも、
歌詞を聴いていた方が間違いないのです。
有名なところでは、
「悪魔を憐れむ歌」…
2番の歌詞だけ、
メロディパターンにすると1回、
繰り返しが短くなっています。
このワナが、
それこそテキトーに現れるので、
几帳面な性格の演奏者は顔をしかめることになるのです。
つづいて、
難易度が高いのがベース…
そうビル・ワイマンのプレイです。
とくに、
高度なテクニックを持ってるわけではないのですが、
音の取り方やフレーズを入れるタイミングに、
「?」ということが多く、
なかなかあの感じを再現することが難しいのです。
「サティスファクション」や
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」は、
あの有名なギターリフの後ろで、
ビル・ワイマンのミョーな合いの手が入って、
はじめて、
あのアヤシい感じが出てきます。
これがないとイマイチなんですよ。
キースのカッティングも、
私はぜんぜん苦労したことはないけれど…
アフタービート…というか、
リズムをタメることが苦手な人には、
それなりの難易度を誇っていると聞きました。
それ以前に、
カッティングのパターンとか、
リフ自体も不規則になっているというか、
御大の気の向くままに演奏されているので、
それこそ、
ドップリつからないと再現できないのです。
まぁ…言ってしまえば、
チャーリーのドラムだけが、
非常にシャープな切れ味を誇っている他は、
全員ルーズというか…
テキトー、
そうテキトーの極地なので、
完全コピーは難しいのでしょうね。
そのためか、
世に、
ビートルズの完全コピーバンドは見かけるものの、
ローリング・ストーンズ完全コピーバンドは、
それほど見かけないのでしょう。
さて、
そんな我々、
LOOSE CONNECTIONのストーンズ・カヴァーは、
どうなるのか?
興味ある方はぜひ、
12月6日(土)吉祥寺曼荼羅Ⅱへいらしてください。
まわりくどいライブ告知か?(笑)
秋がやって来ました。
暑い暑いと騒いでいたと思ったら、
本当にとつぜん…
ある日を境に秋になってしまった、
そんな感じです。
ここ数年、
ゆるやかに、
季節が入れ替わるということがなくなり、
このような傾向が続いていますが、
地球は本当に大丈夫なのだろうか?
さて、
秋になると、
我がバンド、
LOOSE CONNECTIONは、
今年も好例の忘年会ライブに向けて、
調整が本格化するわけですが…
今回は、
ひさびさのローリング・ストーンズ来日を記念して、
彼らのカヴァーを中心に演奏しようか、
などと企んでおります。
とはいえ、
そこはLOOSE CONNECTIONのことですから、
有名どころはワザと外し、
マニアックな選曲になることは間違いなく…
万人向けの来日記念になるかどうかは、
微妙な感じであります(笑)
実際に演奏したことがある方は、
よくご存じと思いますが…
このローリング・ストーンズの曲というのは、
把握しにくい構成になっていることが多く、
バンド全体の息が合うまでに、
それなりの時間がかかります。
というのも、
歌の長さやコーラスの回数などが不揃いで、
しかも、
ロックの定番である偶数の繰り返しでないことが多いからです。
これはおそらく、
ミックが書く歌詞に、
演奏の長さを合わせているからと思われ、
演奏陣は回数で覚えるよりも、
歌詞を聴いていた方が間違いないのです。
有名なところでは、
「悪魔を憐れむ歌」…
2番の歌詞だけ、
メロディパターンにすると1回、
繰り返しが短くなっています。
このワナが、
それこそテキトーに現れるので、
几帳面な性格の演奏者は顔をしかめることになるのです。
つづいて、
難易度が高いのがベース…
そうビル・ワイマンのプレイです。
とくに、
高度なテクニックを持ってるわけではないのですが、
音の取り方やフレーズを入れるタイミングに、
「?」ということが多く、
なかなかあの感じを再現することが難しいのです。
「サティスファクション」や
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」は、
あの有名なギターリフの後ろで、
ビル・ワイマンのミョーな合いの手が入って、
はじめて、
あのアヤシい感じが出てきます。
これがないとイマイチなんですよ。
キースのカッティングも、
私はぜんぜん苦労したことはないけれど…
アフタービート…というか、
リズムをタメることが苦手な人には、
それなりの難易度を誇っていると聞きました。
それ以前に、
カッティングのパターンとか、
リフ自体も不規則になっているというか、
御大の気の向くままに演奏されているので、
それこそ、
ドップリつからないと再現できないのです。
まぁ…言ってしまえば、
チャーリーのドラムだけが、
非常にシャープな切れ味を誇っている他は、
全員ルーズというか…
テキトー、
そうテキトーの極地なので、
完全コピーは難しいのでしょうね。
そのためか、
世に、
ビートルズの完全コピーバンドは見かけるものの、
ローリング・ストーンズ完全コピーバンドは、
それほど見かけないのでしょう。
さて、
そんな我々、
LOOSE CONNECTIONのストーンズ・カヴァーは、
どうなるのか?
興味ある方はぜひ、
12月6日(土)吉祥寺曼荼羅Ⅱへいらしてください。
まわりくどいライブ告知か?(笑)
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★2014/09/07 (Sun)
今年の夏の、
紙ジャケ再発の目玉は、
ズバリ!
ブランドXですね。
ブランドXは1975年にイギリスで結成され、
ジェネシスのフィル・コリンズがドラマーとして参加したことで、
有名になりました。
ピーター・ガブリエルが脱退し、
ヴォーカリストとしての役割が大きくなったフィルは、
思い切りドラムを叩きたいという欲求から、
このバンドへ参加したということでした。
私は個人的に、
プログレ系ドラマーの中で、
このフィル・コリンズはかなり好きな部類ですが、
それは、
フィルのリズムには、
他のプログレ系ドラマーからは感じられない、
ソウルミュージックのグルーヴがあるからなのです。
リズムがハネるのと、
ハイハットをビシーっビシーっ!
これがたいへん心地よいのです。
ブランドXにはフィルの他、
フレットレスベースの名手、パーシー・ジョーンズ、
クリアトーンギターの魔術師、ジョン・グッドサルが在籍しており、
その卓越したテクニックには定評がありました。
パーシー・ジョーンズは、
アメリカのジャコ・パストリアスに対し、
イギリスのパーシー・ジョーンズと呼ばれた、
当時のフレットレスベースの名手で、
モロにジャズからの影響が感じられるジャコに対し、
イギリス人らしく少しヒネっているというか…
マニアックな解釈を施しているのがパーシーです。
その特有のホワッとした浮遊感は独特のもので、
これがこのバンドのサウンドを印象付けております。
ジャパンのミック・カーンがこの方の大ファンでしたね。
ギターのジョン・グッドサルは、
1970年代後半のフェンダー・ストラトキャスターをメインに、
硬質でクリアなトーンで、
アルペジオや16ビート系の細かいカッティングを得意とします。
(なぜかその後のソロでは、
ゴリゴリに歪んだ音でヘヴィメタ的なプレイをしているのが「?」)
独特のコード感覚がとても美しく、
パーシーの軟らかく浮遊感のあるプレイと、
対照的に硬質なジョンのプレイのブレンドが、
初期の4枚のアルバムでは遺憾なく発揮されております。
ファースト・アルバム『異常行為(Unorthodox Behaviour)』
は1976年に発表され、
前述のパーシーとジョンの個性がうまく発揮され、
インタープレイではなく、
カチっとアレンジされた
完成度の高い楽曲中心の作品になっております。
これを当時は、
“フュージョン”という言葉で、
乱暴に一括りにされていたわけですが、
彼らのサウンドは明らかに、
他のバンドとは違っており、
今回の再発などを経て、
正当に評価されることを期待します。
1977年に発表されたセカンド・アルバム、
『モロッカン・ロール(Moroccan Roll)』では、
エスニック的な要素が加わり、
これが4枚目の『マスクス(Masques)』につながります。
エスニックといっても、
中近東や中央アジアっぽい、
多分に無国籍な印象ですが、
これもブランドXを印象付ける要素となっていきます。
同じく1977年に発表されたライブ・アルバム、
『ライヴストック(Livestock)』は、
スタジオアルバムから一転して、
ライブならではのインタープレイを中心とした作品です。
インタープレイとはいっても、
キング・クリムゾンのように、
激しくぶつかり合う熱いプレイではなく、
静かにジワッと盛り上がるプレイが特徴で、
この種のライブ・アルバムの傑作となっております。
こんな雰囲気のライブ・アルバムは、
ビー・バップ・デラックスのライブぐらいしか、
聴いたことがありません。
1978年発表、
4枚目の『マスクス(Masques)』では、
ジェネシスが多忙になったため、
フィル・コリンズが脱退してしまいます。
しかし、
それまでの作品と変わらないレベルで、
ファンの間では冒頭の2曲、
「The Poke」「Masques」の人気が高く、
隠れ名盤的な存在になっています。
このアルバムを聴くと、
当時よく言われていた、
「ブランドXはフィル・コリンズのサイド・プロジェクト」
ではないということがよくわかります。
ただ…私には、
ここまでだったんですね。
その後の諸作は、
当時の私にはあまり響かず、
1992年の再結成アルバム『Xコミュニケーション』まで、
おおっと感じる作品には出会いませんでした。
とはいえ、
紙ジャケになって、
あらためて初期の作品を聴き返してみると、
やはりよい。
ソウルフルなリズムに、
硬質でクリアなジャズサウンドが乗る…
こんな音をお求めの方には、
ぜひおススメします。
初期の4枚はどこから聴いてもOKですよ。
↓これ曲名誤り×「Masques」→○「The Poke」
紙ジャケ再発の目玉は、
ズバリ!
ブランドXですね。
ブランドXは1975年にイギリスで結成され、
ジェネシスのフィル・コリンズがドラマーとして参加したことで、
有名になりました。
ピーター・ガブリエルが脱退し、
ヴォーカリストとしての役割が大きくなったフィルは、
思い切りドラムを叩きたいという欲求から、
このバンドへ参加したということでした。
私は個人的に、
プログレ系ドラマーの中で、
このフィル・コリンズはかなり好きな部類ですが、
それは、
フィルのリズムには、
他のプログレ系ドラマーからは感じられない、
ソウルミュージックのグルーヴがあるからなのです。
リズムがハネるのと、
ハイハットをビシーっビシーっ!
これがたいへん心地よいのです。
ブランドXにはフィルの他、
フレットレスベースの名手、パーシー・ジョーンズ、
クリアトーンギターの魔術師、ジョン・グッドサルが在籍しており、
その卓越したテクニックには定評がありました。
パーシー・ジョーンズは、
アメリカのジャコ・パストリアスに対し、
イギリスのパーシー・ジョーンズと呼ばれた、
当時のフレットレスベースの名手で、
モロにジャズからの影響が感じられるジャコに対し、
イギリス人らしく少しヒネっているというか…
マニアックな解釈を施しているのがパーシーです。
その特有のホワッとした浮遊感は独特のもので、
これがこのバンドのサウンドを印象付けております。
ジャパンのミック・カーンがこの方の大ファンでしたね。
ギターのジョン・グッドサルは、
1970年代後半のフェンダー・ストラトキャスターをメインに、
硬質でクリアなトーンで、
アルペジオや16ビート系の細かいカッティングを得意とします。
(なぜかその後のソロでは、
ゴリゴリに歪んだ音でヘヴィメタ的なプレイをしているのが「?」)
独特のコード感覚がとても美しく、
パーシーの軟らかく浮遊感のあるプレイと、
対照的に硬質なジョンのプレイのブレンドが、
初期の4枚のアルバムでは遺憾なく発揮されております。
ファースト・アルバム『異常行為(Unorthodox Behaviour)』
は1976年に発表され、
前述のパーシーとジョンの個性がうまく発揮され、
インタープレイではなく、
カチっとアレンジされた
完成度の高い楽曲中心の作品になっております。
これを当時は、
“フュージョン”という言葉で、
乱暴に一括りにされていたわけですが、
彼らのサウンドは明らかに、
他のバンドとは違っており、
今回の再発などを経て、
正当に評価されることを期待します。
1977年に発表されたセカンド・アルバム、
『モロッカン・ロール(Moroccan Roll)』では、
エスニック的な要素が加わり、
これが4枚目の『マスクス(Masques)』につながります。
エスニックといっても、
中近東や中央アジアっぽい、
多分に無国籍な印象ですが、
これもブランドXを印象付ける要素となっていきます。
同じく1977年に発表されたライブ・アルバム、
『ライヴストック(Livestock)』は、
スタジオアルバムから一転して、
ライブならではのインタープレイを中心とした作品です。
インタープレイとはいっても、
キング・クリムゾンのように、
激しくぶつかり合う熱いプレイではなく、
静かにジワッと盛り上がるプレイが特徴で、
この種のライブ・アルバムの傑作となっております。
こんな雰囲気のライブ・アルバムは、
ビー・バップ・デラックスのライブぐらいしか、
聴いたことがありません。
1978年発表、
4枚目の『マスクス(Masques)』では、
ジェネシスが多忙になったため、
フィル・コリンズが脱退してしまいます。
しかし、
それまでの作品と変わらないレベルで、
ファンの間では冒頭の2曲、
「The Poke」「Masques」の人気が高く、
隠れ名盤的な存在になっています。
このアルバムを聴くと、
当時よく言われていた、
「ブランドXはフィル・コリンズのサイド・プロジェクト」
ではないということがよくわかります。
ただ…私には、
ここまでだったんですね。
その後の諸作は、
当時の私にはあまり響かず、
1992年の再結成アルバム『Xコミュニケーション』まで、
おおっと感じる作品には出会いませんでした。
とはいえ、
紙ジャケになって、
あらためて初期の作品を聴き返してみると、
やはりよい。
ソウルフルなリズムに、
硬質でクリアなジャズサウンドが乗る…
こんな音をお求めの方には、
ぜひおススメします。
初期の4枚はどこから聴いてもOKですよ。
↓これ曲名誤り×「Masques」→○「The Poke」
★2014/08/31 (Sun)
月刊「レコード・コレクターズ」最新号の特集は、
「1970-1979 日本の女性アイドル・ソング・ベスト100」
でした。
ここで、
TOP30に選ばれた曲を眺めていたら、
それぞれの曲が流れていた、
当時の記憶が蘇ってきて、
なんだかミョーに甘酸っぱい気分になってしまい、
iTunesで何曲か購入してしまいました。
1970年から1979年というと、
私は小学3年から高校3年にあたり、
もっとも多感な時期であったからかもしれません。
とはいえ、
小学生当時はレコードなど買うこともなく、
中学生以降、
ロックにめざめてからは洋楽一辺倒で、
歌謡曲のシングルなど買う余裕もなく、
ひたすらラジオから録音したカセットを聴いていたおかげで、
手元にはほとんど音源が残っておりません。
今回は、
いいタイミングなので、
しばらく、
記憶に残っている曲を少し集めてみようかな、
と思っている次第です。
さて今回は、
そんな「レコードコレクターズ」を参考にしながら、
私が選ぶ、
1970年代の日本の女性アイドル・ソング・ベスト10
を語りたいと思います。
以下、
ランキング形式ではなく、
順不同で並べてあります。
また、
「レコードコレクターズ」は「レココレ」と略させていただきます。
「木綿のハンカチーフ/太田裕美」(1975年)
「そよ風のくちづけ/キャンディーズ」(1974年)
「渚のシンドバッド/ピンク・レディ」(1977年)
「透明人間/ピンク・レディ」(1978年)
「黄色いリボン/桜田淳子」(1974年)
「泣かないわ/桜田淳子」(1976年)
「日曜日はストレンジャー/石野真子」(1979年)
「涙の太陽/安西マリア」(1973年)
「みずいろの手紙/あべ静江」(1973年)
「17才/南沙織」(1971年)
----------------------------------------------------------------
「木綿のハンカチーフ/太田裕美」(1975年)
傑作ですね。
「レココレ」では文句なしの第1位でしたが、
これには私もまったく異論ありません。
そして、
ギターのイントロと歌詞に尽きますね。
この印象的なギターの弾き手は、
芳野藤丸氏ということですが、
オケだけ収録したために、
誰が歌ってどんな曲になるのか、
まったくわからなかったそうです。
で…しばらく経ってから、
大ヒットになり初めて知ったとか…
「あっ…これオレが弾いたヤツじゃん」…(笑)
太田裕美さんは、
スクールメイツに在籍しており、
キャンディーズのメンバー候補でもあったとか…
あの並びに入ってもきっと似合ったでしょうね。
遠距離恋愛の破綻をテーマに、
切ない乙女心を吐露していますが、
けっしてベタつかず、
さわやかな余韻を残すのは、
歌い手の才能と言ってよいでしょう。
どこにでもいそうなお姉さん、
という感じだったけれど、
それがよかったんですね。
「そよ風のくちづけ/キャンディーズ」(1974年)
ソウルっぽい、
強力なベースラインが印象的なデビュー曲、
「あなたに夢中」とどちらにしょうか迷いましたが、
結局こちらになりました。
キャンディーズは…「年下の男の子」がヒットするまでの、
初期の方が好きでした。
デビュー当時は、
「8時だよ全員集合」のレギュラーで、
毎回ではなかったと記憶していますが、
とこどき歌うことがあり、
それがとっても楽しみでした。
それこそ、
そのへんにいる、
ちょっと綺麗なお姉さん、
という感じが親しみやすかったんですね。
実際、
スーちゃんは、
私の中学の地元…隣の学区域で、
釣具屋の娘さん。
しかも、
美術の教師の元教え子で、
彼がサインまで考えてあげたという、
じょーだん抜きで、
近所のスターだったということもあり、
余計にそう感じられたのです。
それだけに、
「フツーの女の子に戻りたい」発言は、
ものスゴく説得力があったわけです。
で…3人の中で、
誰が好きだったかって?
そりゃ…もちろん…
ランちゃんでしたよ。
ミョーに目元に色気があって…(笑)
「渚のシンドバッド/ピンク・レディ」(1977年)
「透明人間/ピンク・レディ」(1978年)
高校3年の頃かな…
バンドで歌謡曲をやってみようということになり、
選ばれたのが、
「渚のシンドバッド」と、
この後に出てくる「日曜日はストレンジャー」でした。
結局は歌い手がいなくてポシャったけど…
ピンク・レディはデビュー当時、
お色気路線でキワものっぽく見られていましたね。
ところが、
なぜか小学生を中心とした低年齢層に受け、
国民的アイドルに成長するのですが、
これは正直なところ、
とっても意外でした。
「渚のシンドバッド」は曲調がモロ、
ろけんろーるだったので、
当時から文句なしでしたが、
今になって見ると、
あの振り付けは、
アイク&ティナ・ターナーの、
アイケッツみたいですね。
健康的な太ももでバタバタ…みたいな(笑)
いちおー今でも、
だいたい弾けるので、
カラオケなどで披露すると、
けっこう受けます(笑)
その「渚のシンドバッド」と並んでお気に入りなのが、
「透明人間」ですが、
これもメイン部分はろけんろーるですね。
単純にノリがよくってカッコいい。
ドラムは誰だろう?
「透明人間」は歌詞にシャレが効いていて、
「うそをついてはいけません、
あらわれないのが透明人間です」という部分が素晴らしい。
全体に引っ掛かりの多い、
“ですます”体の丁寧な日本語ですが、
ミーちゃんの綺麗な発音で、
かえって歯切れ良く聴こえるから不思議です。
歌詞をよく考えれば、
日本語だってノリがよくなるという好例ですね。
「黄色いリボン/桜田淳子」(1974年)
「泣かないわ/桜田淳子」(1976年)
ローティーンの頃、
ルックス的に好きだったのが、
まずは、
浅田美代子さん(私の中で、彼女は“歌手”ではないが…)
そして、
「黄色いリボン」の頃の桜田淳子さんとなるのですが、
この頃の彼女は本当にカワイかった。
黄色という色は彼女にピッタリで、
とにかく明るく、
ハツラツとしたイメージがありました。
その反面、
大人びたフレーズや誘い言葉が多く、
この背伸びした少女の感じが、
とってもよかったんですね。
なにしろ、
黄色いリボンがラブサイン、
ですからね(笑)
そんな桜田淳子さんですが、
途中から、
大人の女、
そのものへ路線変更するのですが、
正直、
あまりうまくいったとは思えませんでした。
その中で、
「泣かないわ」は、
従来のキャラと大人っぽさがうまくブレンドされた、
数少ない好例だと思います。
「私、平気、きっと明日は元気になるわ」
というフレーズがそれを象徴しています。
この曲は、
音数少ないがミョーに印象的なピアノと、
それをうまく支えるベースラインが絶妙です。
ちなみに、
この頃の歌謡曲のバックのベースって、
気の利いたプレイが多くて、
たいへん気になります。
たぶん、
有名な方々が弾いているのでしょうけれど…(笑)
「日曜日はストレンジャー/石野真子」(1979年)
前述のように、
この曲はコピーしたことがあるのですが、
かなり難しかった記憶があります。
それは、
テーマがコロコロ変わる上に、
どのテーマもよくできていて、
気が抜けなかったからなんです。
歌うのも難しいと思うけど、
さりげなく歌っているよなぁ…
想像以上に歌唱力があるのかもしれませんね。
「悪魔になりたい」と歌うバックで、
軽く歪ませた、
高速ミュート奏法のギターが印象的ですが、
これって、
竹中茶々丸先輩っぽいと思うのは、
私だけでしょうか。
「涙の太陽/安西マリア」(1973年)
「みずいろの手紙/あべ静江」(1973年)
太田裕美さんやキャンディーズが、
そのへんにいそうな綺麗なお姉さんとすると、
こちらのお2人は、
フツーにお目にかかれそうにない、
ものすごーく綺麗で色っぽい、
いわゆる理想の年上の女性という感じでした。
「涙の太陽」は、
原曲が洋楽(エミー・ジャクソン)ですが、
なぜかイントロを演歌っぽくアレンジしてあり、
ここだけ少々違和感を覚えたものの、
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」っぽい、
R&Bテイストのベース・ラインがカッコよく(これもベースだ)
日本人離れした安西マリアさんのルックスと相まって、
なんか、
別格っぽいカッコよさを感じたものです。
この牝豹っぽいキャラで、
もっと活躍してほしかったのですが、
1976年に引退。
24年後に復帰したと思ったら、
今年になって急逝。
まったく翻弄されっぱなしであります。
一方の、
あべ静江さんは、
巻き巻きのロングヘアーにブラウス、
デニムのロングスカートにヒールの高いサンダル、
という、
私の中での勝手な、
魅惑の年上の女性イメージそのものだった上に、
いきなり、
「お元気ですか?
そして今でも愛していると言ってくださいますか?」ですからね…
これ一発で撃沈でありました(笑)
こんな素敵な女性を置いて、
2ヶ月も音信不通になるなんて、
なんというバチ当たりな男なんだろう。
この手紙を読んだら、
私の元へ来てくださいって、
私だったら、
何をも置かず、
まっしぐらに飛んで行くんだけど、
なんて思ったりしました。
手紙という文化の美しさ、
そして、
やはり日本語の表現の美しさが印象に残ります。
「17才/南沙織」(1971年)
「レココレ」では第2位で、
しかも、
日本における、
女性アイドルの原点としていました。
たしかにそうですね。
私はこの曲と、
尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」を聴くと、
なぜか小学生時代の大晦日の風景…
紅白歌合戦を見て、
それから近所のお寺に初詣に行く光景が浮かんできます。
「男はつらいよ」シリーズで毎回、
エンディング近くに登場する、
あの頃の正月の風景とシンクロする光景…
なつかしいなぁ…日本が美しかった頃の姿。
この時代って、
まだ沖縄は海外だったんですね。
そう考えると、
彼女に、
外タレっぽい雰囲気があったことも、
うなずけますね。
なんか違う、
カッコよさを感じたものです。
後の、
森高千里さんのカバーもよかったのですが、
どんな風に料理してもいい感じに仕上がるということは、
原曲のよさを物語っているのではないでしょうか。
それにしても、
どの曲を聴いても感心するのは、
バラエティという逃げ場がなかった、
当時のアイドルたちの、
歌手としての基本的な歌唱力の高さ、
そして、
日本語の歌詞の美しさです。
やはり、
日本語は基本に忠実に、
そして美しくないと…
“ら”抜き言葉は論外、
「愛してる」「がんばろうね」の連呼では、
少々貧しいと思うのですが…
いかがなものでしょう?
「食育」「体育」だけでなく、
「語育」も必要ではないと思う、
今日この頃です。
「1970-1979 日本の女性アイドル・ソング・ベスト100」
でした。
ここで、
TOP30に選ばれた曲を眺めていたら、
それぞれの曲が流れていた、
当時の記憶が蘇ってきて、
なんだかミョーに甘酸っぱい気分になってしまい、
iTunesで何曲か購入してしまいました。
1970年から1979年というと、
私は小学3年から高校3年にあたり、
もっとも多感な時期であったからかもしれません。
とはいえ、
小学生当時はレコードなど買うこともなく、
中学生以降、
ロックにめざめてからは洋楽一辺倒で、
歌謡曲のシングルなど買う余裕もなく、
ひたすらラジオから録音したカセットを聴いていたおかげで、
手元にはほとんど音源が残っておりません。
今回は、
いいタイミングなので、
しばらく、
記憶に残っている曲を少し集めてみようかな、
と思っている次第です。
さて今回は、
そんな「レコードコレクターズ」を参考にしながら、
私が選ぶ、
1970年代の日本の女性アイドル・ソング・ベスト10
を語りたいと思います。
以下、
ランキング形式ではなく、
順不同で並べてあります。
また、
「レコードコレクターズ」は「レココレ」と略させていただきます。
「木綿のハンカチーフ/太田裕美」(1975年)
「そよ風のくちづけ/キャンディーズ」(1974年)
「渚のシンドバッド/ピンク・レディ」(1977年)
「透明人間/ピンク・レディ」(1978年)
「黄色いリボン/桜田淳子」(1974年)
「泣かないわ/桜田淳子」(1976年)
「日曜日はストレンジャー/石野真子」(1979年)
「涙の太陽/安西マリア」(1973年)
「みずいろの手紙/あべ静江」(1973年)
「17才/南沙織」(1971年)
----------------------------------------------------------------
「木綿のハンカチーフ/太田裕美」(1975年)
傑作ですね。
「レココレ」では文句なしの第1位でしたが、
これには私もまったく異論ありません。
そして、
ギターのイントロと歌詞に尽きますね。
この印象的なギターの弾き手は、
芳野藤丸氏ということですが、
オケだけ収録したために、
誰が歌ってどんな曲になるのか、
まったくわからなかったそうです。
で…しばらく経ってから、
大ヒットになり初めて知ったとか…
「あっ…これオレが弾いたヤツじゃん」…(笑)
太田裕美さんは、
スクールメイツに在籍しており、
キャンディーズのメンバー候補でもあったとか…
あの並びに入ってもきっと似合ったでしょうね。
遠距離恋愛の破綻をテーマに、
切ない乙女心を吐露していますが、
けっしてベタつかず、
さわやかな余韻を残すのは、
歌い手の才能と言ってよいでしょう。
どこにでもいそうなお姉さん、
という感じだったけれど、
それがよかったんですね。
「そよ風のくちづけ/キャンディーズ」(1974年)
ソウルっぽい、
強力なベースラインが印象的なデビュー曲、
「あなたに夢中」とどちらにしょうか迷いましたが、
結局こちらになりました。
キャンディーズは…「年下の男の子」がヒットするまでの、
初期の方が好きでした。
デビュー当時は、
「8時だよ全員集合」のレギュラーで、
毎回ではなかったと記憶していますが、
とこどき歌うことがあり、
それがとっても楽しみでした。
それこそ、
そのへんにいる、
ちょっと綺麗なお姉さん、
という感じが親しみやすかったんですね。
実際、
スーちゃんは、
私の中学の地元…隣の学区域で、
釣具屋の娘さん。
しかも、
美術の教師の元教え子で、
彼がサインまで考えてあげたという、
じょーだん抜きで、
近所のスターだったということもあり、
余計にそう感じられたのです。
それだけに、
「フツーの女の子に戻りたい」発言は、
ものスゴく説得力があったわけです。
で…3人の中で、
誰が好きだったかって?
そりゃ…もちろん…
ランちゃんでしたよ。
ミョーに目元に色気があって…(笑)
「渚のシンドバッド/ピンク・レディ」(1977年)
「透明人間/ピンク・レディ」(1978年)
高校3年の頃かな…
バンドで歌謡曲をやってみようということになり、
選ばれたのが、
「渚のシンドバッド」と、
この後に出てくる「日曜日はストレンジャー」でした。
結局は歌い手がいなくてポシャったけど…
ピンク・レディはデビュー当時、
お色気路線でキワものっぽく見られていましたね。
ところが、
なぜか小学生を中心とした低年齢層に受け、
国民的アイドルに成長するのですが、
これは正直なところ、
とっても意外でした。
「渚のシンドバッド」は曲調がモロ、
ろけんろーるだったので、
当時から文句なしでしたが、
今になって見ると、
あの振り付けは、
アイク&ティナ・ターナーの、
アイケッツみたいですね。
健康的な太ももでバタバタ…みたいな(笑)
いちおー今でも、
だいたい弾けるので、
カラオケなどで披露すると、
けっこう受けます(笑)
その「渚のシンドバッド」と並んでお気に入りなのが、
「透明人間」ですが、
これもメイン部分はろけんろーるですね。
単純にノリがよくってカッコいい。
ドラムは誰だろう?
「透明人間」は歌詞にシャレが効いていて、
「うそをついてはいけません、
あらわれないのが透明人間です」という部分が素晴らしい。
全体に引っ掛かりの多い、
“ですます”体の丁寧な日本語ですが、
ミーちゃんの綺麗な発音で、
かえって歯切れ良く聴こえるから不思議です。
歌詞をよく考えれば、
日本語だってノリがよくなるという好例ですね。
「黄色いリボン/桜田淳子」(1974年)
「泣かないわ/桜田淳子」(1976年)
ローティーンの頃、
ルックス的に好きだったのが、
まずは、
浅田美代子さん(私の中で、彼女は“歌手”ではないが…)
そして、
「黄色いリボン」の頃の桜田淳子さんとなるのですが、
この頃の彼女は本当にカワイかった。
黄色という色は彼女にピッタリで、
とにかく明るく、
ハツラツとしたイメージがありました。
その反面、
大人びたフレーズや誘い言葉が多く、
この背伸びした少女の感じが、
とってもよかったんですね。
なにしろ、
黄色いリボンがラブサイン、
ですからね(笑)
そんな桜田淳子さんですが、
途中から、
大人の女、
そのものへ路線変更するのですが、
正直、
あまりうまくいったとは思えませんでした。
その中で、
「泣かないわ」は、
従来のキャラと大人っぽさがうまくブレンドされた、
数少ない好例だと思います。
「私、平気、きっと明日は元気になるわ」
というフレーズがそれを象徴しています。
この曲は、
音数少ないがミョーに印象的なピアノと、
それをうまく支えるベースラインが絶妙です。
ちなみに、
この頃の歌謡曲のバックのベースって、
気の利いたプレイが多くて、
たいへん気になります。
たぶん、
有名な方々が弾いているのでしょうけれど…(笑)
「日曜日はストレンジャー/石野真子」(1979年)
前述のように、
この曲はコピーしたことがあるのですが、
かなり難しかった記憶があります。
それは、
テーマがコロコロ変わる上に、
どのテーマもよくできていて、
気が抜けなかったからなんです。
歌うのも難しいと思うけど、
さりげなく歌っているよなぁ…
想像以上に歌唱力があるのかもしれませんね。
「悪魔になりたい」と歌うバックで、
軽く歪ませた、
高速ミュート奏法のギターが印象的ですが、
これって、
竹中茶々丸先輩っぽいと思うのは、
私だけでしょうか。
「涙の太陽/安西マリア」(1973年)
「みずいろの手紙/あべ静江」(1973年)
太田裕美さんやキャンディーズが、
そのへんにいそうな綺麗なお姉さんとすると、
こちらのお2人は、
フツーにお目にかかれそうにない、
ものすごーく綺麗で色っぽい、
いわゆる理想の年上の女性という感じでした。
「涙の太陽」は、
原曲が洋楽(エミー・ジャクソン)ですが、
なぜかイントロを演歌っぽくアレンジしてあり、
ここだけ少々違和感を覚えたものの、
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」っぽい、
R&Bテイストのベース・ラインがカッコよく(これもベースだ)
日本人離れした安西マリアさんのルックスと相まって、
なんか、
別格っぽいカッコよさを感じたものです。
この牝豹っぽいキャラで、
もっと活躍してほしかったのですが、
1976年に引退。
24年後に復帰したと思ったら、
今年になって急逝。
まったく翻弄されっぱなしであります。
一方の、
あべ静江さんは、
巻き巻きのロングヘアーにブラウス、
デニムのロングスカートにヒールの高いサンダル、
という、
私の中での勝手な、
魅惑の年上の女性イメージそのものだった上に、
いきなり、
「お元気ですか?
そして今でも愛していると言ってくださいますか?」ですからね…
これ一発で撃沈でありました(笑)
こんな素敵な女性を置いて、
2ヶ月も音信不通になるなんて、
なんというバチ当たりな男なんだろう。
この手紙を読んだら、
私の元へ来てくださいって、
私だったら、
何をも置かず、
まっしぐらに飛んで行くんだけど、
なんて思ったりしました。
手紙という文化の美しさ、
そして、
やはり日本語の表現の美しさが印象に残ります。
「17才/南沙織」(1971年)
「レココレ」では第2位で、
しかも、
日本における、
女性アイドルの原点としていました。
たしかにそうですね。
私はこの曲と、
尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」を聴くと、
なぜか小学生時代の大晦日の風景…
紅白歌合戦を見て、
それから近所のお寺に初詣に行く光景が浮かんできます。
「男はつらいよ」シリーズで毎回、
エンディング近くに登場する、
あの頃の正月の風景とシンクロする光景…
なつかしいなぁ…日本が美しかった頃の姿。
この時代って、
まだ沖縄は海外だったんですね。
そう考えると、
彼女に、
外タレっぽい雰囲気があったことも、
うなずけますね。
なんか違う、
カッコよさを感じたものです。
後の、
森高千里さんのカバーもよかったのですが、
どんな風に料理してもいい感じに仕上がるということは、
原曲のよさを物語っているのではないでしょうか。
それにしても、
どの曲を聴いても感心するのは、
バラエティという逃げ場がなかった、
当時のアイドルたちの、
歌手としての基本的な歌唱力の高さ、
そして、
日本語の歌詞の美しさです。
やはり、
日本語は基本に忠実に、
そして美しくないと…
“ら”抜き言葉は論外、
「愛してる」「がんばろうね」の連呼では、
少々貧しいと思うのですが…
いかがなものでしょう?
「食育」「体育」だけでなく、
「語育」も必要ではないと思う、
今日この頃です。
★2014/08/24 (Sun)
ここ数日は、
広島県で発生した、
大規模な土砂災害の話題が、
ニュースを独占していますが、
今年は、
それ以前にも、
京都府、高知県、徳島県などで、
大雨の被害がありました。
いったい、
我が国の気候はどうなっているのだろうか?
この記録的な大雨をもたらしている前線が、
九州と四国の間から中国地方に横たわり、
なぜかしばらく途切れて、
北海道と本州の境あたりに現れる…
太平洋の高気圧がイマイチ弱いので、
こういう現象が起きるというのが、
今夏の特徴。
おかげで、
九州へ飛行機で往復しようとすると、
行きは着陸体制に入る到着前30〜40分頃、
帰りは離陸直後から安定するまでの30〜40分間…
ものすご〜く、
揺れるのでありましたーっ。
この夏は4回ほど福岡便に乗りましたが、
すべて同じ状況で、
これが飛行機嫌いの私には、
たいへんツライのであります(笑)
さて…先週は、
北九州は小倉へ出張しましたが、
天気はイマイチ…
きれいに晴れるということがなく、
いつも雲がかかっていて、
思い出したように、
ときどき雨が降ってくる…
それも小雨程度ではなく、
ザーっと夕立のような振り方をする、
そんな感じでした。
これは、
小倉駅を右後方に、
左手の港から出ると、
関門海峡…左奥の山並みは下関側になるという景色ですが、
そのような空の状況がよく撮れた1枚です。
平家物語を愛読していた私は、
関門海峡を見るといつも、
平家一門が滅んだシーンが目に浮かび、
諸行無常の感にとらわれるのでありました。
900年近くも前のこととはいえ、
同じ場所で起きた現実の出来事ですからね。
これから900年経ったら、
人類はどうなっているのだろうか?
火星に移住しているかもしれませんね。
NASAが火星に、
大気中の二酸化炭素を酸素に換える装置を送る計画を立てている、
というニュースをみなさんご存じですか?
私はたいへんショックを受けました。
一部の科学者は、
もう地球に永く住むことができない、
と考えているようなのです。
こんな話題は別の星の話題になってしまうのだろうか…
いや、
どうも、
話題が飛び過ぎたようで…
失礼しました(笑)
一方、
小倉駅前では、
駅前広場に出る階段の真上を、
モノレールが走っており、
これは、
なかなかの迫力で、
“鉄”の好奇心をくすぐらずにはいられない光景でした。
↓以下、
小倉駅へ到着するモノレールをとらえた連続写真。
これから先、
この一連の画像を見るたびに、
今年の異常気象と災害のこと、
やたら揺れた飛行機のことを思い出すのでしょうね。
早く涼しくならないかな?と思いながら、
地球の将来を気にしながら、
その一方で、
“鉄”本格復活は間違いないと実感する、
晩夏の私でした。
広島県で発生した、
大規模な土砂災害の話題が、
ニュースを独占していますが、
今年は、
それ以前にも、
京都府、高知県、徳島県などで、
大雨の被害がありました。
いったい、
我が国の気候はどうなっているのだろうか?
この記録的な大雨をもたらしている前線が、
九州と四国の間から中国地方に横たわり、
なぜかしばらく途切れて、
北海道と本州の境あたりに現れる…
太平洋の高気圧がイマイチ弱いので、
こういう現象が起きるというのが、
今夏の特徴。
おかげで、
九州へ飛行機で往復しようとすると、
行きは着陸体制に入る到着前30〜40分頃、
帰りは離陸直後から安定するまでの30〜40分間…
ものすご〜く、
揺れるのでありましたーっ。
この夏は4回ほど福岡便に乗りましたが、
すべて同じ状況で、
これが飛行機嫌いの私には、
たいへんツライのであります(笑)
さて…先週は、
北九州は小倉へ出張しましたが、
天気はイマイチ…
きれいに晴れるということがなく、
いつも雲がかかっていて、
思い出したように、
ときどき雨が降ってくる…
それも小雨程度ではなく、
ザーっと夕立のような振り方をする、
そんな感じでした。
これは、
小倉駅を右後方に、
左手の港から出ると、
関門海峡…左奥の山並みは下関側になるという景色ですが、
そのような空の状況がよく撮れた1枚です。
平家物語を愛読していた私は、
関門海峡を見るといつも、
平家一門が滅んだシーンが目に浮かび、
諸行無常の感にとらわれるのでありました。
900年近くも前のこととはいえ、
同じ場所で起きた現実の出来事ですからね。
これから900年経ったら、
人類はどうなっているのだろうか?
火星に移住しているかもしれませんね。
NASAが火星に、
大気中の二酸化炭素を酸素に換える装置を送る計画を立てている、
というニュースをみなさんご存じですか?
私はたいへんショックを受けました。
一部の科学者は、
もう地球に永く住むことができない、
と考えているようなのです。
こんな話題は別の星の話題になってしまうのだろうか…
いや、
どうも、
話題が飛び過ぎたようで…
失礼しました(笑)
一方、
小倉駅前では、
駅前広場に出る階段の真上を、
モノレールが走っており、
これは、
なかなかの迫力で、
“鉄”の好奇心をくすぐらずにはいられない光景でした。
↓以下、
小倉駅へ到着するモノレールをとらえた連続写真。
これから先、
この一連の画像を見るたびに、
今年の異常気象と災害のこと、
やたら揺れた飛行機のことを思い出すのでしょうね。
早く涼しくならないかな?と思いながら、
地球の将来を気にしながら、
その一方で、
“鉄”本格復活は間違いないと実感する、
晩夏の私でした。
★2014/08/10 (Sun)
最近『BS洋楽グラフィティ』というTV番組を見つけました。
新聞などの番組表には載っておらず、
ビデオの予約をするために番組表を取得して、
はじめてその存在を知ったという、
かなりマニアックな番組です。
放映はBSプレミアムで、
毎週日曜の午前 4:00~ 5:00の1時間。
司会やナレーションが一切なく、
淡々と当時の映像が流れるという構成がよいのですが、
おそらくリアルタイムの日本では、
あまり見ることができなかった、
欧米のTV局制作の映像が多いのがポイントです。
番組は隔週で、
1980年代と1990年代を特集しているのですが、
これを見ていると際立つのが、
1980年代ロックシーンの異形ぶり。
1960年代からずっと、
ロックシーンと向き合ってきましたが、
今冷静に見ても、
1980年代…とくに中盤あたりは、
他のどの時代ともつながっていない、
独特の雰囲気を持っています。
ヘアースタイル、
ヴィヴィッドカラーのコスチューム、
シンセサイザー中心の音作り、
で、基本は“踊れる”こと。
ヘアースタイルとコスチューム…
というより、
コンセプト全体が“近未来”であることは疑いようがなく、
シンセサイザーの無機質な音が、
それを演出しています。
発展途上のシンセサイザーに頼ったことが致命的で、
その後さらにテクノロジーが進化したおかげか、
今になると古臭くて、
マジメにその音を聴くことができません。
ピコピコ、ミョンミョン…(笑)
笑いのネタにされるわけです。
1990年代になると、
このような1980年代への反抗なのか、
1970年代に回帰したような音になります。
リズムだけが、
ディスコからクラブへと発展したシーンの影響か、
16ビートっぽい、
細かいノリが中心になっていますが、
間違いなくシーンは1970年代へつながっています。
これはロックだけでなく、
ブラックミュージックの世界も同様です、
ですから、
『BS洋楽グラフィティ』を録画しても、
1990年代の特集では「おおっ!」と感動するものがあり、
CDなどを購入してみようかな?と思うことが多いのですが、
1980年代の特集は、
ソッコー削除!となることがほとんどです。
1990年代になると、
国内はJ-POP一色になっており、
洋楽の情報があまり、
リアルタイムで入ってこなかったせいか、
当時はまったく知らなかったミュージシャンに、
20年も経った今になって出会うことが多いようです。
とうぜん国内盤は廃盤になっており、
輸入盤を探すしかありませんが(格安に入手できるが…)
1970年代のように神格化されていないので、
紙ジャケになることもなく、
かなり粗略に扱われている感があり、
少々気の毒な次第です。
いいミュージシャンや作品は、
たくさんあるんですけどね…
それに比べると、
まだ1980年代の作品の方が、
それなりの評価を得ているようで、
紙ジャケなども多数販売されています。
でも、音だけではツライものが…
私が記憶しているのは、
1980年になってから、
それまでのロックを“オールド・ウェイヴ”とし、
新しい時代にふさわしい“ニュー・ウェイヴ”シーンを作ろう、
みたいな動きが活発になったことですが、
当時の私は…
それが、
このヘアースタイルとファッションかぁ~?と疑問に思い、
けっしてシーンに染まろうとは思いませんでした。
現在の私に、
1980年代の影響を見る個所があるとしたら、
相変わらず、
ギターにコーラスというエフェクターをかけるところです。
これだけはイイと思いましたがね…。
ただ今になって、
冷静に1980年代の映像を見ると、
“ニュー・ウェイヴ”とかいいながら、
むしろ、
ロックシーンの黎明期、
1950年代のイメージに近いように思うのですが、
みなさんはどう思いますか?
そう考えると、
1980年代というのは、
ロック以前の原点に帰った時代、
ということになるのですが…
う~ん、
素直には認めたくないですね~(笑)
要するに私は、
あの時代のファッションや音が好きになれず、
いまだに容認できないということなのです。
↓というわけで、
1990年代最近のお気に入り。
ライブだとギターが凶暴でカッコよかったっす。
新聞などの番組表には載っておらず、
ビデオの予約をするために番組表を取得して、
はじめてその存在を知ったという、
かなりマニアックな番組です。
放映はBSプレミアムで、
毎週日曜の午前 4:00~ 5:00の1時間。
司会やナレーションが一切なく、
淡々と当時の映像が流れるという構成がよいのですが、
おそらくリアルタイムの日本では、
あまり見ることができなかった、
欧米のTV局制作の映像が多いのがポイントです。
番組は隔週で、
1980年代と1990年代を特集しているのですが、
これを見ていると際立つのが、
1980年代ロックシーンの異形ぶり。
1960年代からずっと、
ロックシーンと向き合ってきましたが、
今冷静に見ても、
1980年代…とくに中盤あたりは、
他のどの時代ともつながっていない、
独特の雰囲気を持っています。
ヘアースタイル、
ヴィヴィッドカラーのコスチューム、
シンセサイザー中心の音作り、
で、基本は“踊れる”こと。
ヘアースタイルとコスチューム…
というより、
コンセプト全体が“近未来”であることは疑いようがなく、
シンセサイザーの無機質な音が、
それを演出しています。
発展途上のシンセサイザーに頼ったことが致命的で、
その後さらにテクノロジーが進化したおかげか、
今になると古臭くて、
マジメにその音を聴くことができません。
ピコピコ、ミョンミョン…(笑)
笑いのネタにされるわけです。
1990年代になると、
このような1980年代への反抗なのか、
1970年代に回帰したような音になります。
リズムだけが、
ディスコからクラブへと発展したシーンの影響か、
16ビートっぽい、
細かいノリが中心になっていますが、
間違いなくシーンは1970年代へつながっています。
これはロックだけでなく、
ブラックミュージックの世界も同様です、
ですから、
『BS洋楽グラフィティ』を録画しても、
1990年代の特集では「おおっ!」と感動するものがあり、
CDなどを購入してみようかな?と思うことが多いのですが、
1980年代の特集は、
ソッコー削除!となることがほとんどです。
1990年代になると、
国内はJ-POP一色になっており、
洋楽の情報があまり、
リアルタイムで入ってこなかったせいか、
当時はまったく知らなかったミュージシャンに、
20年も経った今になって出会うことが多いようです。
とうぜん国内盤は廃盤になっており、
輸入盤を探すしかありませんが(格安に入手できるが…)
1970年代のように神格化されていないので、
紙ジャケになることもなく、
かなり粗略に扱われている感があり、
少々気の毒な次第です。
いいミュージシャンや作品は、
たくさんあるんですけどね…
それに比べると、
まだ1980年代の作品の方が、
それなりの評価を得ているようで、
紙ジャケなども多数販売されています。
でも、音だけではツライものが…
私が記憶しているのは、
1980年になってから、
それまでのロックを“オールド・ウェイヴ”とし、
新しい時代にふさわしい“ニュー・ウェイヴ”シーンを作ろう、
みたいな動きが活発になったことですが、
当時の私は…
それが、
このヘアースタイルとファッションかぁ~?と疑問に思い、
けっしてシーンに染まろうとは思いませんでした。
現在の私に、
1980年代の影響を見る個所があるとしたら、
相変わらず、
ギターにコーラスというエフェクターをかけるところです。
これだけはイイと思いましたがね…。
ただ今になって、
冷静に1980年代の映像を見ると、
“ニュー・ウェイヴ”とかいいながら、
むしろ、
ロックシーンの黎明期、
1950年代のイメージに近いように思うのですが、
みなさんはどう思いますか?
そう考えると、
1980年代というのは、
ロック以前の原点に帰った時代、
ということになるのですが…
う~ん、
素直には認めたくないですね~(笑)
要するに私は、
あの時代のファッションや音が好きになれず、
いまだに容認できないということなのです。
↓というわけで、
1990年代最近のお気に入り。
ライブだとギターが凶暴でカッコよかったっす。