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「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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  ★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2016/06/05 (Sun)
ウリ・ジョン・ロート…
いつからこんな名前になったのだ。
私は当時と同じく、
ウルリッヒ・ロスと呼ばせてもらいます。
(正確にはウーリッヒと発音したようです…)

さて、
ウルリッヒが誰であるか、
忘れた方も多いと思うので、
注釈を入れておきます。

1970年代の中盤、
西ドイツのハードロックの雄、
スコーピオンズをメジャーにのし上げる基盤を作りながら、
自己の音楽を探求する道を選び、
1978年にバンドから脱退。
当初は尊敬するジミヘンを意識した音を出していたが、
その後はクラシックミュージックを意識した、
おそるべきほど精緻に構築された楽曲をマイペースで作り続け、
孤高の存在となっていた男…

その生き方も風貌も(笑)まさに仙人。
31フレットの特注ギター(スカイギター)を操る男…
それがウルリッヒ・ロスであります。

私がウルリッヒの超絶プレイに接したのは、
高校1~2年頃(1977~1978年)のことです。

ちょっと恥ずかしくて買えなかった、
『ヴァージン・キラー』の次に、
スコーピオンズの来日公演を収録した、
『蠍団爆発(原題はTOKYO TAPESだよ~ん)』(1978年)
というライヴアルバムのプレイがあまりに凄まじく、
一発でショックトリートメントされたのでありました。

スコーピオンズのスタジオ作品は、
ギターが何層にもオーヴァータビングされており…
とくに哀愁のメロディをハモる、
リードギターのフレーズが印象的でした。

ライヴではとーぜん、
これを再現するのかと思いきや…
もう一方のギタリストである、
ルドルフ・シェンカーは弟のマイケルとは違い、
99%リズムギターに徹し、
リードギターはウルリッヒの独壇場だったのです。

そこで繰り広げられたウルリッヒのプレイは、
壮絶そのものでした。

まず、
指が異常に早く動く!

華麗な指使いで、
難易度の高い、
哀愁のメロディを次から次へと繰り出す一方…

ハウリングやフィードバックを自由自在に操り、
泣き叫ぶような音の効果で感情を吐き出します。

エコーやワウといったエフェクトの使い方がうまく、
ファズで歪ませた音とクリアーな音の対比も見事でした。

リッチー・ブラックモア、デイヴ・ギルモアに続き、
私にとって3人目の、
ストラト・マイスターが現れた瞬間です。

そして、
続くスタジオ作品『暴虐の蠍団(TAKEN BY FORCE)』で、
「カロンの渡し守(The Sails of Charon)」という、
コピー不可能な楽曲を提示され、
私はエキセントリックなテクニシャンをあきらめ、
(もう一人、エディ・ヴァンヘイレンも、
このきっかけに関わっています…)
別の方向性を模索することになるのですが…

当のウルリッヒはあっさりスコーピオンズから脱退し、
メジャーなシーンから消えてしまうのでありました。


そんなウルリッヒが、
あるきっかけから、
スコーピオンズ時代のナンバーを再現するツアーを行い、
それをスタジオライヴの形式でレコーディングしたのです。

それが、
昨年発表された、
『SCORPIONS REVISITED』という2枚組のアルバム…

40年近くの歳月を経て、
仙人が戻ってきました。

収録曲は、
ウルリッヒ作のスコーピオンズ時代のナンバーと、
ルドルフ&クラウス・マイネによるスコーピオンズナンバーですが、
大方のファンが納得する選曲…
聴きたい曲にモレはありません。

「カロンの渡し守」も、
「ヴァージン・キラー」も入っておりまっせーっ。

ウルリッヒは、
例の『TOKYO TAPES』がお気に入りだったようで、
私もあのアルバムの白眉と思っていた、
「暗黒の極限(Polar Night)」と「フライ・トゥ・ザ・レインボウ」が、
『TOKYO TAPES』のヴァージョンで入っているあたり、
なかなかのモノです。

「暗黒の極限」は、
ディスコ調のインストから入り、
フィードバックの嵐になる展開が、
まさに圧巻…

「フライ・トゥ・ザ・レインボウ」は、
静と動の対比、
歪みとクリアなトーンの使い分けが絶品…

壮絶の一言では片付けられない、
芸術的な二品です。


おもしろいのは、
どの曲もスタジオライヴでありながら、
オリジナルのスタジオテイクにかなり忠実…
ハーモニーがより深化しているところで、
このために、
ウルリッヒは自分以外に2名のギタリストをバンドに加えています。

先に話した、
ライヴでルドルフがリズムギターに徹し、
リードギターのハーモニーを再現しなかったことは、
誰よりもウルリッヒが不本意に感じていた、
ということなのです。

それにしても…
これが、
齢60をとうに過ぎた人のプレイでありましょうか。

「カロンの渡し守」などは余裕で、
あの超絶フレーズを弾き切っており、
相変わらず、
おそるべき仙人と舌を巻くことしばし…

ところで、
私もこれまで、
ダテに歳をとってきたわけではないので、
ウルリッヒのプレイを少しは理解できるようになったはず…
今回は、
この超絶プレイに挑んでみようか、
などと企んでおります。

リッチーに続けて、
この人に影響されたんだよなぁ…
ヨーロッパのダークなクラシカルミュージックの素養を、
身に付けたかったんですよ…あの頃は。

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★2016/05/29 (Sun)
「春の紫祭」の続きです。


もう1枚紹介したかったのは、
『LONG BEACH 1976』
こちらは第4期ディープ・パープルのライヴです。

全盛期といわれる第2期のメンバーから、
イアン・ギラン(Vo)とロジャー・グローヴァー(B)が抜け、
デイヴィッド・カヴァーディル(Vo)とグレン・ヒューズ(B)が加入した第3期。
これで安泰かと思いきや、
今度は中心メンバーであったリッチー・ブラックモア(G)が脱退。
後任にトミー・ボーリンが加入したのが第4期ディープ・パープルです。

我々、
日本のファンにとって、
第4期といえば、
『LAST CONCERT IN JAPAN』(1977年発表)という、
前年に急逝したトミー・ボーリンの追悼盤として発売された作品が
あまりにヒドイ内容であったため、
いい印象は残っていないようです。
(このへんの詳細は過去の記事を参照)

このとき(1975年11月)は、
日本公演の直前に、
インドネシアでローディが不可解な死を遂げ、
さらに粗悪なヘロインを注射したことにより、
左腕が満足に動かなくなるなど、
メンタルとフィジカルの両面で、
トミー・ボーリンが最悪の状態であったわけで、
この作品だけで評価を下されたら、
彼にとっては不本意きわまりないことでしょう。

今回のディスクは、
その後、
十分な静養生活を送り、
1976年2月のアメリカはロサンゼルスにおけるライブで、
地元の放送局がラジオでオンエア、
『ON THE WINGS OF A RUSSIAN FOXBAT』というタイトルで、
一時期販売されていた作品です。

ズバリ!
トミー・ボーリンがしっかりとした演奏をしています!

オープニングは「Burn」
『LAST CONCERT IN JAPAN』と同様、
前半のソロをキーボード、
後半をギターという、
オリジナルとは逆転した順番の上、
例の美しいアルペジオはやりません。
それでも、
トミーがマトモに弾いているので、
タイトな演奏になっています。
『LAST CONCERT IN JAPAN』で彼が何をやりたかったのか、
よくわかりましたよ(笑)

「Lady Luck」「Getting Tighter」「Love Child」
さすがに、
このメンバーによる唯一のスタジオ作品
『COME TASTE THE BAND』からのナンバーは堂に入っています。
とくに「Getting Tighter」は、
セッションっぽく入って、
本題の後、
またセッションっぽくなる大作で、
このディスクで最大の聴きモノです。

全体に、
バスドラムの音が強調されているので、
ドスドス響いてたいへん心地よろし…
イアン・ペイスはパワーだけでなくテクニックも素晴らしい。
16ビートにまったく違和感を感じません。

パープル最大のヒット曲、
「Smoke On The Water」はグレン・ヒューズが唸る
「Georgia On My Mind」に続きますが…
これが予想外によかった。

さすがに「Smoke On The Water」はね…
と思っていたのですが、
後半2人のヴォーカルがハモるあたりは、
息もピッタリ合っていて、
これはなかなかのものです。

「Lazy」はトミー流に解釈したジャズ・テイストをまぶし、
続く「Homeward Strutは彼のソロ・アルバム『TEASER』に収録された、
インスト・ナンバー。
このへんのフュージョンっぽい展開にも、
まったく違和感がないどころか、
卓越した演奏に聴き入ってしまうばかりです。

ここでディスク1は終了。

ディスク2は、
やはり『COME TASTE THE BAND』に収録されている、
「This Time Around」〜「Owed To G」

「This Time Around」は、
グレンがスティーヴィー・ワンダーに捧げた曲ということで、
そういえば曲調がそんな感じです。
(当時はまったく気がつきませんでしたが…言われて初めてわかった(笑)

後半のインストから、
トミー・ボーリンのギターソロに移るのですが、
これはいろいろエフェクターを使って、
ギミック的なプレイを連発します。
エフェクター・マニアの方は研究してみるとよいでしょう。
後半はスライドを使ったブルースになり、
いかにも“アメリカ”という雰囲気が漂います。

フィナーレは
「Stormbringer」
オープニングの「Burn」より、
こちらの方がこのメンバーには馴染んでいる感じがします。

で「Highway Star」で終わります…

いいですね。
素晴らしい演奏と珠玉のナンバー。

さらに堪能しようと思うなら、
「Burn」と第2期のナンバーを飛ばして聴くとよろし。

そうなんです。
そうすると、
第4期ディープ・パープルが何者であったかがよくわかります。

図らずも、
ライナー(原文)の最後にあった一言、
このバンドの最大の不幸は、
これが「ディープ・パープル」と呼ばれていたことだ。

まさにその通りです。

じつは、
16ビートやジャズの要素を取り入れ、
新しいタイプのアメリカン・ハードロックが生まれようとしていたのです。
「ディープ・パープル」の看板の下で…


私は3枚のディスクが届くと、
まずはこの『LONG BEACH 1976』を聴き、
その素晴らしい内容に感動しました。

ところが、
その後に第2期の2つのディスクを聴き、
もう一度ここへ戻ってみたら…
なんだか物足りない。

第2期のナンバーを飛ばすことを思いついたのはこの時でしたが、
それでもこの音は、
「ディープ・パープル」ではない…
短命だった素晴らしいバンドの音としてしか認識されないのでした。

ここが、
このグループの悲劇でしょうね。

私と同じような感覚のファンがたくさんいるんでしょうね…
(いや、ほとんどの方がそうなのでは?)

ティーンの頃は、
『MADE IN EUROPE』を愛聴し、
第3期が好きだったのですが、
考えてみればこの作品には、
第2期のナンバーが収録されておりません。

その後に発表された、
第3期の秘蔵ライヴにはみな、
第2期のナンバーが収録されていて、
これが興醒めなのです。

やはり、
ディープ・パープルは第2期なんでしょうね。

しかし…
そうとばかり言っていては、
バンドは前へ進むことができません。

メンバーチェンジをしたら、
前のメンバー時代の曲は演奏しない、
というルールでも作っておいたらよかったのに…

ヒット曲、
バンド名(看板)…
やはりロックバンドも安定経営のためには、
曲げなければならないモノがたくさんあるようで、
このあたり芸能の世界はキビシイものがありますなぁ。

↓ だからーっ、オレのせいじゃねーよ

★2016/05/15 (Sun)
今年のGWは、
昨年の反動もあってか、
とくにどこへ行くでもなく、
何をするでもなく、
リラックマよろしく…
ひたすらごゆるりと、
時を過ごしたのでありました。

音楽面では、
GW直前に入手した、
ディープ・パープルの秘蔵音源シリーズが、
まとめて3ディスク届いたので、
こちらはひたすら、
パープル漬けになっていたのです。

音楽までは、だららんとならず…

あらためて…
この方たちの偉大さを痛感した次第です。


今回届いたディスクのうち2枚は、
第2期の作品になりますが、
こうして振り返ると、
この時期のメンバーには、
圧倒的な破壊力があったことを痛感させられます。

『Live in Stockholm 1970』は、
第2期最初のヨーロッパツアーの模様を、
丸ごと収めたCD(かつて別タイトルで発売されたもの)に、
ボーナスとして、
同時期のライヴ映像(こちらはNHKで放送されたことがあります)
を加えたもの。

そして、
『Live in Copenhagen 1972』は、
VHSで発売された『マシンヘッド』発売直前のライヴ映像に、
やはりボーナスとして、
1973年イアン・ギラン脱退直前のライヴ映像を加えたもの。
(当時、発表されていた唯一のオフィシャル映像)

つまり映像と音像で、
第2期の変遷を確認できるというわけで、
ここに名盤『ライヴ・イン・ジャパン』との対比などを加えると、
非常に興味深いものになります。


『Live in Stockholm 1970』は、
大ヒットした『イン・ロック』が発表された直後の、
第2期としては最初期のセットです。

オープニングは「Speed King」
以下、
「Into The Fire」
「Child In Time」
「Wring That Neck」
「Paint It, Black」
「Mandrake Root」と続き、
アンコールが「Black Night」。

アップテンポのオープニングは、
のちに「Highway Star」に替わります。

第1期のナンバー、
「Wring That Neck」のR&Bっぽい展開は、
「Lazy」に引き継がれ、

ストーンズの「Paint It, Black」はドラムソロなので、
「The Mule」へ、

こちらも第1期のナンバー、
「Mandrake Root」後半の長尺演奏はそのまま、
「Space Truckin’」につなげられることになるので、

ライヴの基本的な構造は、
すでにこの頃にでき上がっていたと考えられます。

『Live in Stockholm 1970』は、
その試運転段階に当たるわけですが、
それゆえに、
演奏者の新鮮な熱気が感じられます。

暴力的と言ってもよいでしょうか、
なにしろ凄い迫力。

「Speed King」はスタジオ盤とまったく違う展開を披露し、
対照的にスタジオ盤に忠実な「Into The Fire」の後、
まずは「Child In Time」のインタープレイが素晴らしい。

私は、
名盤『ライヴ・イン・ジャパン』を含め、
同曲のライヴテイクはたくさんありますが、
このテイクがもっともバランスのとれた、
名演ではないかと思っております。

ここからは、
このバンドのお家芸である、
ギターとキーボードを中心とした、
インタープレイの応酬になるのですが、

「Wring That Neck」は軽やかに、
「Paint It, Black」は暴力的に、
そしてハイライトである「Mandrake Root」は、
“乱調の美”という言葉がふさわしい、
30分におよぶ大作となっております。

30分とはいえ、
少しも緊張感がとぎれることのない、
ロック史上稀に見る長尺演奏が記録されているのです。
(気合入れて聴くと、終了後に2kgぐらい体重が落ちたような気がします…)

ボーナスである、
同時期に、
イギリスのグラナダTVで収録された映像は、
この熱気を伝えるものですが、
残念ながら「Child In Time」だけが完全収録で、
あとの「Speed King」「Wring That Neck」「Mandrake Root」は、
部分的な映像になっているのが惜しい点です。

ここでは、
なにしろリッチーがスゴイ。
驚異的な早弾きを披露したかと思えば、
ギターを背中に回したり、
ステージにこすりつけたり、
暴力的でありながらしなやかな動きを見せています。

一部、
ギブソンES-335を使用していますが、
この格調高いギターを、
ストラト同様に虐めるシーンが見ものです。

ピックを弦にこすりつけるスクラッチプレイと、
大音量によるフィードバックを中心に、
驚くべきほど華麗なフィンガリングでインタープレイを構築する姿は、
まさに“神がかり的”といえるでしょう。

そのリッチーの様子を見ながら、
的確にサポートをする他のメンバーの力量も並ではありません。
その結果、
変幻自在な、
まるで生き物のようなサウンドができあがるのです。


『Live in Copenhagen 1972』については、
何度も言及しているので、
ここではあらためてコメントしませんが、
やはりボーナスの、
1973年イアン・ギラン脱退直前のライヴ映像が見ものです。

こちらは、
「Strange Kind Of Woman」「Smoke On The Water」「Space Truckin’」の3曲。

髪を切って、
綺麗にウェイヴのかかったギランが、
非常にチャーミングに見えますが、
その表情からは、
少し醒めているような、
見方によっては投げやりになっているような、
そんな気持ちが感じ取れるのが印象的です。

一方リッチーは、
それまでメインで使っていた、
貼りメイプル指板仕様の黒いストラトではなく、
サンバーストと、
第3期によく見かけるナチュラルのストラトを使っていますが、
衝動的というよりは、
全体的にショーとしてこなれてきた感があり、
「Space Truckin’」のエンディング近くで、
アンプからスモークを出すシーンなどは、
のちの「カリフォリニア・ジャム」を想起させる演出になっています。

こうなると、
『Live in Stockholm 1970』の新鮮な暴力衝動が貴重ですね。

ところで、

リッチーが弾く「Smoke On The Water」は貴重な映像なのですが、
私はここではじめて、
このリフを、
6弦と5弦の10フレットから弾き始めることを知りました。

これはスゴイ発見なのだ。

たしかに、
こうやって弾くと、
あの感じになるのです。
5弦と4弦の5フレットから始めるのではありません…


ということで、
まずは第2期のディスクを堪能した私でしたが…
そもそも、
ミーハーなので、
動いているリッチーをこれだけ見られれば、
何であれ大満足なのでした。

ただあらためて、
運指乱れず、
リズム乱れず、
音程正確で、
本当に巧いギタリストであると思いました。

そして、
長尺のインタープレイでも、
つぎつぎと湧き出る、
創造的なフレーズの数々には刮目させられました。

あ…
もう1枚のディスク(第4期)に話しが及ばなかった。

うーん、
こちらは次回にしましょうか。
★2016/04/24 (Sun)
今年は大物ミュージシャンの訃報が続いていますが、
ここでプリンスが逝くとは思いませんでした。
(まぁ…人の生死は予想できないものではありますが…)

もっとも…

彼の場合は、
およそ健康的なイメージからかけ離れていたので、
長寿だったら驚くところだったかもしれません。
もっと驚いたのは彼の年齢が57歳であったこと…
私と3歳しか違わなかったのです(笑)

プリンスがメジャーになった1980年代前半は、
マイケル・ジャクソンの全盛期で、
王道の彼に対し、
明らかに非主流の匂いがしていました。

ビートルズに対するストーンズのように…

デビュー当時は、
タブーとされるテーマに、
堂々と正面から向き合っていましたね。

当然、
非主流派の私としては、
このミョーにエロくて、
悪っぽい男に興味を持ったわけですが、
「1999」を聴いたときに、
ファンクの正統派という感じがして、
ちょっと意外だったことを覚えています。

さらに「Little Red Corvette」が、
とてもわかりやすいサビを持つポップチューンだったので、
マイケルはポップなソウル、
コイツはポップなファンクだなぁ…
とひとりで納得していました。

マイケルより、
サウンド面はマニアックで、
1970年代にミュージシャンのグルーヴで盛り上がった部分を、
コンピューターをうまく使った機械的なサウンドで再現した…
その冷たい熱狂の感触がおもしろかったのです。

いちばんよく聴いたアルバムは『Purple Rain』(1984年)で、
オープニングの「Let’s Go Crazy」を始め、
次のアルバムを予見させる、
ちょっとサイケな「Take me with You」
ショーのフィナーレのような
「I Would Die 4 You」「Baby I’m A Star」の流れ…
(ここの完成度は高いですね)
そしてタイトル曲。
どれをとっても素晴らしく、
名曲のオンパレードと言えるでしょう。

このへんからロックっぽさがかなり強調され…
ギターを弾いている姿がジミヘンに似ているなどと、
言われるようになりました。

一方で、
感情表現がかなり激しく、
ロックの持つ暴力衝動から、
エロティックなところ、
フォーク的な女々しさまで、
正直に自分の全てを暴露しているような感じがあり、
そこもおもしろいなと思いました。
(映画はかなり安っぽかったですけどね…(笑)

映画も含め、
プリンスの場合は、
女性と聴く機会が多かったので、
なんか青春の想い出と重なるのでありました…(笑)

次のアルバム『Around The World In A Day』(1985年)では、
サイケなフォーク色が強くなったため、
ちょっと興味が薄れたのですが、
『Sign Of The Times』(1987年)は強力で、
『Purple Rain』と並ぶ愛聴盤になりました。
(ドラムを叩くシーラEのカッコよさがズバ抜けていました)

その後の活動は、
なんだかよくわからなくなってしまい、
フォローするのをやめてしまいましたが、
プリンスという名前を捨てたアルバム…
(タイトルが文字に変換できない)
はよかったですね。

過激さとか斬新さはなくなっていましたが、
いかにも王道のファンクを演奏していて、
JBっぽくなっていたところが印象的でした。

ということで、
振り返ってみると、
けっこう影響を受けているプリンスですが…

亡くなってしまうと、
歴史上の人物になってしまうわけで、
彼の場合、
どういうカテゴリーに入るのか、
興味があるところです。

マイケル・ジャクソンは文句なく、
ブラックミュージックの歴史の1ページを飾るでしょうけれど、
プリンスはどちらかと言うと…
ロックの側面で語られるように思えて仕方ありません。

プリンスのカヴァーなんか、
やってみたい気がしますが…
ヴォーカルはイヤがるでしょうね(笑)

★2016/03/27 (Sun)
と言っても…

今の若い人たちは、
わからないでしょうね。


マカロニウェスタンとは…

1960年代後半から70年代前半にかけて、
イタリアを中心に、
西ドイツやスペインなど、
ヨーロッパで製作された西部劇のことで、

本家アメリカの西部劇が、
ヒューマニズム溢れる作風に傾いていたため、
そのアンチテーゼとして、
ヒーローっぽくない人格や風貌の…
いかにもアウトロー的な主人公による、
暴力シーン満載のリアルな(?)西部劇を称した呼び名。

クリント・イーストウッドやジュリアーノ・ジェンマを、
スターの座に押し上げたことでも有名。

後期はコメディタッチの作品も多く、
バラエティに富んでおりますが、
多くのストーリーは、
後半で主人公がこっぴどく痛めつけられて、
最後に奇跡の反撃をするという、
いわゆるワンパターン…

そのせいか、
「マカロニ」(=中身がない)という言葉を、
頭に冠せられたというウワサがある…

などなど…


まぁ…このワンパターンな作風は、
1970年代中盤から後半にかけての、
カンフー映画(香港製)にも同じ傾向があるので、
マカロニウェスタンに限ったことではないと思いますが、
限りなくB級の匂いがすることは、
間違いありません。

最近、
BSプレミアムで、
毎週火曜日に、
このマカロニウェスタンの名作が放送されており、
私は熱心にこれを鑑賞しているわけですが…

なぜ、
このようなものに熱心になっているのかといえば、

じつは…

ここに、
私の洋楽原体験があるから、
なのです。


マカロニウェスタンは、
音響効果にこだわった作品が多く、
サウンドトラックに独特の雰囲気があります。
とくに、
エンニオ・モリコーネが一世を風靡した、
口笛とエレキギターの音色は、
小学校の高学年だった私に、
強いインパクトを残しました。

歌謡曲に物足りなさを覚え、
映画の主題歌から洋楽へ興味を持ち始めた私に、
このサウンドはどストライクだった、
というわけです。

ストーリーが黒沢明監督の「用心棒」のパクリで、
盗作と言われた「荒野の用心棒」は、
有名な主題歌の他、
トランペットが哀愁のメロディを奏でる、
劇中歌(インスト)が素晴らしい。

「荒野の用心棒」に比べると、
ストーリーにオリジナリティが出た、
「夕陽のガンマン」も、
デューズハープ(ビヨンビヨンってヤツです)と口笛から始まり、
エレキギターが登場する主題歌と、
やはり、
オルゴールの音色にパイプオルガン、
フラメンコギターがからむ劇中歌(インスト)が耳に残ります。

モリコーネ以外だと、
棺桶を引きずって登場する主人公が、
両手を潰されたあげく、
恋人を守るために、
墓場で決闘…
口で銃を撃つという離れ技をこなしてしまう(笑)
「続荒野の用心棒」では、(「荒野の用心棒」とは無関係な内容ですが…)
演歌調の「ジャンゴーっ」という主題歌がカッコよい。

さらに、
口笛は登場しますが、
モリコーネ作ではない「荒野の1ドル銀貨」…
胸のポケットに入れていた、
1ドル銀貨のおかげで命拾いをするという、
珍しく小細工の効いたストーリーによく合った、
こちらも哀愁のメロディです。


すぐに、
このあたりの作品とメロディが浮かんできます。
そーとーヤラレましたね。


ちなみに、
マカロニではない、
本家のウェスタンでも、
「雨にぬれても」(「明日に向かって撃て」)や、
「天国の扉」(「ビリー・ザ・キッド」)など、
お気に入りの曲がたくさんあります。

マカロニウェスタンは、
映画本編を見なくても、
サウンドトラックを聴いていれば大満足なのですが、
LP時代によく聴いていたアルバムが、
ひとつもCD化されていないので困ったものです。

モリコーネはその後、
「オペラ座の怪人」なども手掛けることになり、
そういう意味では彼も、
マカロニウェスタンから世に出た作曲家といえるのですが、
駆け出しであっただけに、
想像力のおもむくままに、
言ってしまえば、
好き放題に作った、
この時代の作品は、
限りなく魅力的です。

というわけで、
私のロック人生は、
砂ぼこりをバックに、
モリコーネ作のエレキギターの音色から始まったのでした。


↓クリント・イーストウッド。
「ダーティ・ハリー」も好きです。
この頃のイメージは、どことなく松田優作氏とカブるのです。

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★ ILLUSTRATION BY nyao