「web-magazine GYAN GYAN」では、第三者的な視点でロックを検証してきましたが、当サイトではプライベートな感覚で、より身近にロックを語ってみたいと思います。
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★ プロフィール
HN:
matsuZACK
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1962/02/15
自己紹介:
matsuZACKです。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
“下天のうちをくらぶれば~”の年齢に到達してしまいました。
ミュージシャンを目指したり、
音楽評論家や文筆業を目指したり、
いろいろと人生の奔流に抵抗してきましたが、
どうやらなすがままに、
フツーの人におさまりつつあります。
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★2017/11/05 (Sun)
文化の日からの三連休ですが、
ようやく天気が安定してきただけでなく、
朝夕の気温が一段と下がり、
オツムを使うのに適した環境になってきました。
芸術の秋とはよく言ったものです。
そして、
これから年末にかけて、
多忙な日々がやってくる前に、
この三連休はありがたいものです。
小休止、小休止と…
ここ数日は、
なぜか躍動するドラムが聴きたくなって、
私が日本人ドラマーでもっとも敬愛する、
山木秀夫さんのプレイを聴いています。
山木さんは活動期間が長く、
音の系統も多岐にわたっていますが、
私がよく聴いたのは、
トランペッター近藤等則さんのIMAに在籍していた、
1980年代後半から1990年代前半の時期で、
とくに、
この時期に発表された2枚のソロ作が
お気に入りでした。
2枚のソロ作というのは、
『TENTELLETSQUE』(1990年)と
『SHADOW RUN』(1993年)で、
前者は吉田美奈子さん、
後者はビル・ラズウェル&清水靖晃さんが
プロデュースを担当しています。
ジンジャー・ベイカーが参加した
『SHADOW RUN』はセッションぽい音の作りですが、
『TENTELLETSQUE』は、
コンピューターでプログラムした音源が主体で、
たいへん無機質な感じです。
どちらも、
無国籍風というか、
アフリカ的なポリリズムを主体に、
アジア〜中近東のフレイバーがまぶしてあり、
『TENTELLETSQUE』では邦楽の音まで登場し、
とても不思議な雰囲気です。
当時の私にはこれが、
仏教的なサイケデリック・ワールド
と思えたのですが、
仏教の世界観に興味を持ち始めた、
今になって聴いてみても、
その印象は変わりません。
なかなか、
ここまで芸術的な志向の強い作品は珍しく…
(しかも、ドラマーのソロ!)
芸術の秋にピッタリかもしれません。
なぜ、
今になってコレを聴きたくなったのだろうか?
偶然、
今日訪れた成田山新勝寺で撮影した光景が、
このイメージに気持ち悪いぐらい合っていて、
何かに導かれているような気になりました。
↓仏教的なサイケデリック
↓青空との対比がさらに効果を上げる
ようやく天気が安定してきただけでなく、
朝夕の気温が一段と下がり、
オツムを使うのに適した環境になってきました。
芸術の秋とはよく言ったものです。
そして、
これから年末にかけて、
多忙な日々がやってくる前に、
この三連休はありがたいものです。
小休止、小休止と…
ここ数日は、
なぜか躍動するドラムが聴きたくなって、
私が日本人ドラマーでもっとも敬愛する、
山木秀夫さんのプレイを聴いています。
山木さんは活動期間が長く、
音の系統も多岐にわたっていますが、
私がよく聴いたのは、
トランペッター近藤等則さんのIMAに在籍していた、
1980年代後半から1990年代前半の時期で、
とくに、
この時期に発表された2枚のソロ作が
お気に入りでした。
2枚のソロ作というのは、
『TENTELLETSQUE』(1990年)と
『SHADOW RUN』(1993年)で、
前者は吉田美奈子さん、
後者はビル・ラズウェル&清水靖晃さんが
プロデュースを担当しています。
ジンジャー・ベイカーが参加した
『SHADOW RUN』はセッションぽい音の作りですが、
『TENTELLETSQUE』は、
コンピューターでプログラムした音源が主体で、
たいへん無機質な感じです。
どちらも、
無国籍風というか、
アフリカ的なポリリズムを主体に、
アジア〜中近東のフレイバーがまぶしてあり、
『TENTELLETSQUE』では邦楽の音まで登場し、
とても不思議な雰囲気です。
当時の私にはこれが、
仏教的なサイケデリック・ワールド
と思えたのですが、
仏教の世界観に興味を持ち始めた、
今になって聴いてみても、
その印象は変わりません。
なかなか、
ここまで芸術的な志向の強い作品は珍しく…
(しかも、ドラマーのソロ!)
芸術の秋にピッタリかもしれません。
なぜ、
今になってコレを聴きたくなったのだろうか?
偶然、
今日訪れた成田山新勝寺で撮影した光景が、
このイメージに気持ち悪いぐらい合っていて、
何かに導かれているような気になりました。
↓仏教的なサイケデリック
↓青空との対比がさらに効果を上げる
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★2017/10/29 (Sun)
携帯電話「Galaxy」のCMで、
バックに流れる曲の、
ギターのアルペジオが気になり、
iTunesで購入したところ、
Bump Of Chickenの「リボン」という曲でした。
これもまた、
The Edge(U2)の影響を受けていると思われるサウンドですが、
世代的には、
The Edgeの影響を受けたJ-POP第一世代から影響を受けた、
というのが正確なところでしょう。
The Edgeの、
デジタルディレイをかけたギターのバッキングは、
多くのギタリスト(とくに日本の)に衝撃を与えましたが、
私も例外ではありません。
私が最初にU2を聴いたのは、
バンド活動の最盛期だった、
1983年に発表されたシングル
「Two hearts beat as one」でした。
印象的なベースラインとシンプルなリズムの上で、
ガシャガシャとかき鳴らすギターの響きが新鮮で、
すぐにアルバム『WAR』を購入しました。
ピンク・フロイドのデイヴ・ギルモアに憧れて、
高校時代から、
エコー系の残響エフェクトを必ず、
自分のセットに組み込んでいた私ですが、
技術の進化に合わせて、
テープ式エコーからアナログディレイ、
そしてこの頃には、
デジタルディレイへと使用機材を変更していました。
デジタルディレイの登場はたいへんありがたく…
というのも、
エフェクトのサイズが小さくなり、
持ち運びが楽になったからでした。
長く使っていたアナログディレイは、
アンプに乗せるラックタイプで、
これ一つを入れるために、
大型のエフェクターケースを用意しなければならなかったのです。
ところが、
使ってみると、
デジタルディレイはリピートする音がクリア過ぎて、
なんだか冷たい感じで、
違和感を覚えました。
「ボン、ボン、ボン…」と機械的に延々繰り返すのです。
それまで使っていたアナログディレイは、
リピートする音が少し歪むというかコモる感じで、
「ボン、ボン、ボボン〜」と独特のモヤモヤした音になります。
これは、
ウィークポイントのようにも思われますが、
そのおかげで、
ピンク・フロイドで聴ける包み込むような音を演出します。
(テープ式エコーはさらに顕著です)
機材は進化すればよいというわけではなく、
どういう音を求めているかが重要なのです。
ということで、
ピンク・フロイドをイメージして、
エコー系の残響エフェクトを使っていた私は、
新顔のデジタルディレイとは、
どうもソリが合わなかったのです。
そのタイミングで登場したThe Edge…
ああ…これはデジタルディレイだらかこそできる音だ。
アナログディレイだったらモヤモヤしてしまい、
リズムが乱れて歌いづらくなるだろうな…
そして、
このサウンドは、
ギターしかメロディ楽器がいない、
シンプルな編成の、
スッカスカの音空間だから成立する、
ということもすぐに理解しました。
THE WHOやZEPのように、
賑やかなことこの上もないリズムセクションでもなく、
FREEのようにベースにクセがあったり、
VAN HALENのようにチョー音数が多いギタリストがいるわけでもない、
シンプルなビートとリードを弾かないギターによる、
トリオの演奏だから、
このようなサウンドが活きるのです。
The Edgeのギターサウンドは、
『WAR』の次のアルバム
『THE UNFORGETTABLE FIRE』(1984年)でさらに派手になり、
『THE JOSHUA TREE』(1987年)で完成形を示しました。
『THE UNFORGETTABLE FIRE』
でプロデューサーに迎えたENOは、
音響に長けたミュージシャンですが、
彼はThe Edgeの音に奥行きを与えたように思えます。
そして、
このあたりから、
多くのミュージシャンが影響を受けるようになったのです。
記憶に残っているのは、
ルースターズや60/40に在籍していた、
下山淳さんが、
The Edgeそのものといったギターで、
泉谷しげるさんのバックを務め、
「春夏秋冬」を演奏していたことです。
我々世代のギター弾きたちが、
初めて、
クラプトンやベック、ペイジ…ヴァン・ヘイレンといった、
リードギタリストでもなく、
コードカッティングの、
それも残響音の使い方に影響を受けるという、
稀有な現象が出現したのでした。
そんなU2ですが、
この秋に、
紙ジャケ仕様SHM-CDで、
全タイトルが再発されました。
私も例によって、
主要アルバムを購入し直し、
あらためて、
The Edgeサウンドに酔いしれているところです。
そして今年はこの後に、
ピンク・フロイドの紙ジャケ発売が控えており、
何というか…
「残響の秋」とでも言いましょうか…、
そんな季節になりそうな気配です。
↓やっぱテレキャスへ行くのか…
バックに流れる曲の、
ギターのアルペジオが気になり、
iTunesで購入したところ、
Bump Of Chickenの「リボン」という曲でした。
これもまた、
The Edge(U2)の影響を受けていると思われるサウンドですが、
世代的には、
The Edgeの影響を受けたJ-POP第一世代から影響を受けた、
というのが正確なところでしょう。
The Edgeの、
デジタルディレイをかけたギターのバッキングは、
多くのギタリスト(とくに日本の)に衝撃を与えましたが、
私も例外ではありません。
私が最初にU2を聴いたのは、
バンド活動の最盛期だった、
1983年に発表されたシングル
「Two hearts beat as one」でした。
印象的なベースラインとシンプルなリズムの上で、
ガシャガシャとかき鳴らすギターの響きが新鮮で、
すぐにアルバム『WAR』を購入しました。
ピンク・フロイドのデイヴ・ギルモアに憧れて、
高校時代から、
エコー系の残響エフェクトを必ず、
自分のセットに組み込んでいた私ですが、
技術の進化に合わせて、
テープ式エコーからアナログディレイ、
そしてこの頃には、
デジタルディレイへと使用機材を変更していました。
デジタルディレイの登場はたいへんありがたく…
というのも、
エフェクトのサイズが小さくなり、
持ち運びが楽になったからでした。
長く使っていたアナログディレイは、
アンプに乗せるラックタイプで、
これ一つを入れるために、
大型のエフェクターケースを用意しなければならなかったのです。
ところが、
使ってみると、
デジタルディレイはリピートする音がクリア過ぎて、
なんだか冷たい感じで、
違和感を覚えました。
「ボン、ボン、ボン…」と機械的に延々繰り返すのです。
それまで使っていたアナログディレイは、
リピートする音が少し歪むというかコモる感じで、
「ボン、ボン、ボボン〜」と独特のモヤモヤした音になります。
これは、
ウィークポイントのようにも思われますが、
そのおかげで、
ピンク・フロイドで聴ける包み込むような音を演出します。
(テープ式エコーはさらに顕著です)
機材は進化すればよいというわけではなく、
どういう音を求めているかが重要なのです。
ということで、
ピンク・フロイドをイメージして、
エコー系の残響エフェクトを使っていた私は、
新顔のデジタルディレイとは、
どうもソリが合わなかったのです。
そのタイミングで登場したThe Edge…
ああ…これはデジタルディレイだらかこそできる音だ。
アナログディレイだったらモヤモヤしてしまい、
リズムが乱れて歌いづらくなるだろうな…
そして、
このサウンドは、
ギターしかメロディ楽器がいない、
シンプルな編成の、
スッカスカの音空間だから成立する、
ということもすぐに理解しました。
THE WHOやZEPのように、
賑やかなことこの上もないリズムセクションでもなく、
FREEのようにベースにクセがあったり、
VAN HALENのようにチョー音数が多いギタリストがいるわけでもない、
シンプルなビートとリードを弾かないギターによる、
トリオの演奏だから、
このようなサウンドが活きるのです。
The Edgeのギターサウンドは、
『WAR』の次のアルバム
『THE UNFORGETTABLE FIRE』(1984年)でさらに派手になり、
『THE JOSHUA TREE』(1987年)で完成形を示しました。
『THE UNFORGETTABLE FIRE』
でプロデューサーに迎えたENOは、
音響に長けたミュージシャンですが、
彼はThe Edgeの音に奥行きを与えたように思えます。
そして、
このあたりから、
多くのミュージシャンが影響を受けるようになったのです。
記憶に残っているのは、
ルースターズや60/40に在籍していた、
下山淳さんが、
The Edgeそのものといったギターで、
泉谷しげるさんのバックを務め、
「春夏秋冬」を演奏していたことです。
我々世代のギター弾きたちが、
初めて、
クラプトンやベック、ペイジ…ヴァン・ヘイレンといった、
リードギタリストでもなく、
コードカッティングの、
それも残響音の使い方に影響を受けるという、
稀有な現象が出現したのでした。
そんなU2ですが、
この秋に、
紙ジャケ仕様SHM-CDで、
全タイトルが再発されました。
私も例によって、
主要アルバムを購入し直し、
あらためて、
The Edgeサウンドに酔いしれているところです。
そして今年はこの後に、
ピンク・フロイドの紙ジャケ発売が控えており、
何というか…
「残響の秋」とでも言いましょうか…、
そんな季節になりそうな気配です。
↓やっぱテレキャスへ行くのか…
★2017/09/18 (Mon)
今日は LOOSE CONNECTION のリハがあり、
2015年の9月に私のところへ輿入れして以来、
一度も外の世界に触れさせたことのなかった、
フライングVを連れて行きました。
(2013年 ギブソン・マスタービルダー 1967年モデル)
最近は年齢のせいか、
ようやくレイドバックというか、
自身のルーツに近い音に落ち着いてきたのですが、
このフライングVが「今年は私の出番です」と、
いつになく強く主張してきたので、
このような運びとなりました。
横で、
バッカスのストラトが、
少々不満そうな顔をしていましたが、
そこはうまく話しをつけたようです。
(注:筆者は薬物でラリっているわけではありません…)
果たして彼女(フライングV)は、
こちらがアタマに描いた音像通り…
例えるならば、
ウエイン・パーキンスみたいな音で…
それは優雅に鳴いてくれたのでした。
うわーっ、
やっぱりマスタービルダーだ。
なによりも、
今のバンドサウンドにぴったり合っているのが素晴らしい。
我が家には、
殿のお渡りを待つギターたちが、
最高の出番を探しているのですが、
今年はどうやらこの娘のようです。
なぜか、
とつぜんジミヘンが下りてきた殿は、
フェンダーのジミヘンモデル
(モンタレー仕様のペイント)
に手を出しそうになったのですが、
身近にジミヘン使用のモデルがあることを、
すっかり忘れておりました。
こうして私は、
愛器たちとコミュニケーションをとっているのでした。
2015年の9月に私のところへ輿入れして以来、
一度も外の世界に触れさせたことのなかった、
フライングVを連れて行きました。
(2013年 ギブソン・マスタービルダー 1967年モデル)
最近は年齢のせいか、
ようやくレイドバックというか、
自身のルーツに近い音に落ち着いてきたのですが、
このフライングVが「今年は私の出番です」と、
いつになく強く主張してきたので、
このような運びとなりました。
横で、
バッカスのストラトが、
少々不満そうな顔をしていましたが、
そこはうまく話しをつけたようです。
(注:筆者は薬物でラリっているわけではありません…)
果たして彼女(フライングV)は、
こちらがアタマに描いた音像通り…
例えるならば、
ウエイン・パーキンスみたいな音で…
それは優雅に鳴いてくれたのでした。
うわーっ、
やっぱりマスタービルダーだ。
なによりも、
今のバンドサウンドにぴったり合っているのが素晴らしい。
我が家には、
殿のお渡りを待つギターたちが、
最高の出番を探しているのですが、
今年はどうやらこの娘のようです。
なぜか、
とつぜんジミヘンが下りてきた殿は、
フェンダーのジミヘンモデル
(モンタレー仕様のペイント)
に手を出しそうになったのですが、
身近にジミヘン使用のモデルがあることを、
すっかり忘れておりました。
こうして私は、
愛器たちとコミュニケーションをとっているのでした。
★2017/09/10 (Sun)
レゲエに対する最大の誤解は、
あれが民族音楽だと思われている事である。
レゲエはジャマイカで伝統的に継承されている民族音楽などではなく、
ロックよりも新しいジャマイカの大衆音楽なのだ、
と説明すると、
たいていの人はびっくりする。
(中略)
レゲエは、
アメリカの放送局から流れてくる
ロックなどに影響を受けて生まれた音楽スタイルなのである。
(「ロックは語れない」渋谷陽一著より)
イギリスでは、
アイランドレーベルが中心になって、
1970年代前半からレゲエに代表される、
ジャマイカの音楽が紹介されていました。
まずはホーンがメインのスカから始まり、
その後レゲエが広まったのですが、
今でいうクラブミュージックに近い感覚で、
最先端のファッションと捉えられたようです。
その後1980年代に至り、
音響技術の発展を受け、
バンドサウンドにエコーやフランジャーをかけ、
トリップ感を増幅させたダブを生み出すのでした。
ローリング・ストーンズが初めて、
ジャマイカのキングストンでレコーディングをした作品は、
『山羊の頭のスープ(Goats head soup)』で、
1972年の後半のことです。
しかし、
同アルバムと次の『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』では、
その影響はまったく感じられず、
その次のアルバムである『ブラック&ブルー』(1976年)に至って、
レゲエなど中南米の音が感じられるようになります。
その後、
『アンダーカヴァー』(1983年)で再び、
ダブの手法を取り入れるなど、
中南米寄りのサウンドを大幅に取り入れる事になるのです。
私が『ブラック&ブルー』という作品を、
数多いローリング・ストーンズのアルバムの中で、
もっとも好きなアルバムとしていることは、
何度もお話ししていますが、
他のアルバムと比較すると、
明らかに違うポイントがあることに気がつきます。
それは、
都会的とでもいいましょうか、
ファッショナブルといえば適切でしょうか…
洗練された雰囲気が全体を支配している点です。
これがどこから来たものか、
長年わからなかったのですが、
最近になって、
もしかしたらレゲエの影響では?
と思うようになったのです。
レゲエそのものを取り上げているのは、
「チェリー・オー・ベイビー」だけですが、
ファンクチューンといわれている
「ホット・スタッフ」のパーカッションにも、
中南米の香りがするし、
「ヘイ・ネグリータ」も同様です。
このスパイスが、
「メモリー・モーテル」にも感じられるし、
「愚か者の涙」は歌詞にそれが感じられます。
(俺には、貧民窟に住んでいるオンナがいて、というあたり…
キースの妻だったアニタが、
キングストンに住んでいたことを指していると思われる)
さらに、
ここで素晴らしいギターを披露している、
ウェイン・パーキンスは、
ボブ・マーリーのデビューアルバムをイギリスで発売する際に、
ピーター・トッシュのパートを差し替える役目を果たした人です。
となると、
私が『ブラック&ブルー』に感じている、
洗練された雰囲気の出所は、
レゲエに代表されるジャマイカの音楽、
ということになります。
たしかに…
そういう視点でこのアルバムを聴くと、
アルバムの最初の音である、
「ホット・スタッフ」のイントロのギターが、
レゲエのレコードでよく聴くトーンと
特有のリズムのハネ方をしていることに気がつきます。
『ブラック&ブルー』は、
1974年から75年にかけて、
各地で分散して録音されていますが、
ジャマイカで最先端の音に触れ、
それが作品に表れるまでの熟成期間とすると、
妥当な線だと思います。
『ブラック&ブルー』の路線で、
もう1枚ぐらい作ってほしかったのですが、
次の『サム・ガールズ』は期待を裏切って、
当時のロンドンを席巻していた、
パンクロックに寄ってしまいましたから…ねぇ。
つまり、
ローリング・ストーンズって、
流行や最先端の音に、
非常に敏感に反応しているのです。
やはり…偉大ですね。
そして結局、
原点に戻ってくる私でありました。
あれが民族音楽だと思われている事である。
レゲエはジャマイカで伝統的に継承されている民族音楽などではなく、
ロックよりも新しいジャマイカの大衆音楽なのだ、
と説明すると、
たいていの人はびっくりする。
(中略)
レゲエは、
アメリカの放送局から流れてくる
ロックなどに影響を受けて生まれた音楽スタイルなのである。
(「ロックは語れない」渋谷陽一著より)
イギリスでは、
アイランドレーベルが中心になって、
1970年代前半からレゲエに代表される、
ジャマイカの音楽が紹介されていました。
まずはホーンがメインのスカから始まり、
その後レゲエが広まったのですが、
今でいうクラブミュージックに近い感覚で、
最先端のファッションと捉えられたようです。
その後1980年代に至り、
音響技術の発展を受け、
バンドサウンドにエコーやフランジャーをかけ、
トリップ感を増幅させたダブを生み出すのでした。
ローリング・ストーンズが初めて、
ジャマイカのキングストンでレコーディングをした作品は、
『山羊の頭のスープ(Goats head soup)』で、
1972年の後半のことです。
しかし、
同アルバムと次の『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』では、
その影響はまったく感じられず、
その次のアルバムである『ブラック&ブルー』(1976年)に至って、
レゲエなど中南米の音が感じられるようになります。
その後、
『アンダーカヴァー』(1983年)で再び、
ダブの手法を取り入れるなど、
中南米寄りのサウンドを大幅に取り入れる事になるのです。
私が『ブラック&ブルー』という作品を、
数多いローリング・ストーンズのアルバムの中で、
もっとも好きなアルバムとしていることは、
何度もお話ししていますが、
他のアルバムと比較すると、
明らかに違うポイントがあることに気がつきます。
それは、
都会的とでもいいましょうか、
ファッショナブルといえば適切でしょうか…
洗練された雰囲気が全体を支配している点です。
これがどこから来たものか、
長年わからなかったのですが、
最近になって、
もしかしたらレゲエの影響では?
と思うようになったのです。
レゲエそのものを取り上げているのは、
「チェリー・オー・ベイビー」だけですが、
ファンクチューンといわれている
「ホット・スタッフ」のパーカッションにも、
中南米の香りがするし、
「ヘイ・ネグリータ」も同様です。
このスパイスが、
「メモリー・モーテル」にも感じられるし、
「愚か者の涙」は歌詞にそれが感じられます。
(俺には、貧民窟に住んでいるオンナがいて、というあたり…
キースの妻だったアニタが、
キングストンに住んでいたことを指していると思われる)
さらに、
ここで素晴らしいギターを披露している、
ウェイン・パーキンスは、
ボブ・マーリーのデビューアルバムをイギリスで発売する際に、
ピーター・トッシュのパートを差し替える役目を果たした人です。
となると、
私が『ブラック&ブルー』に感じている、
洗練された雰囲気の出所は、
レゲエに代表されるジャマイカの音楽、
ということになります。
たしかに…
そういう視点でこのアルバムを聴くと、
アルバムの最初の音である、
「ホット・スタッフ」のイントロのギターが、
レゲエのレコードでよく聴くトーンと
特有のリズムのハネ方をしていることに気がつきます。
『ブラック&ブルー』は、
1974年から75年にかけて、
各地で分散して録音されていますが、
ジャマイカで最先端の音に触れ、
それが作品に表れるまでの熟成期間とすると、
妥当な線だと思います。
『ブラック&ブルー』の路線で、
もう1枚ぐらい作ってほしかったのですが、
次の『サム・ガールズ』は期待を裏切って、
当時のロンドンを席巻していた、
パンクロックに寄ってしまいましたから…ねぇ。
つまり、
ローリング・ストーンズって、
流行や最先端の音に、
非常に敏感に反応しているのです。
やはり…偉大ですね。
そして結局、
原点に戻ってくる私でありました。
★2017/09/03 (Sun)
先週の続きです。
というわけで…
レゲエにハマりつつあります。
とはいえ、
かつてブラック・ウフルなんか、
よく聴いたわけですが、
曲がどうのというよりも、
全体のノリが勝負なので、
流していることが多くなり、
正直なところ楽曲単位での思い出は、
あまりありません。
(みんな同じに聴こえてくる…(笑)
自分の人生において、
最初に耳にしたレゲエ・ナンバーは、
おそらく、
クラプトンによる「アイ・ショット・ザ・シェリフ」
と思われます。
たしか…
中学2年の時にラジオで聴いたと記憶していますが…
(1975年)
これは今から思うと、
当時流行していた、
ディスコミュージックのような…
いわゆる、
ファンクっぽく聴こえたので、
何の違和感もなく、
カッコイイ曲だと思ったものです。
次に、
ローリング・ストーンズは『ブラック&ブルー』に収録の、
「チェリー・オー・ベイビー」(1976年)
これは、
名曲「ハンド・オブ・フェイト」の次に収録されていて、
初めて聴いたときには、
「なんだこりゃ?フザケてんのか?」と、
ミック&キースの考えを計りかねたものでした。
まぁ…レゲエのレの字も知らなかった、
というところでしょうね。
それからしばらくして、
ポリスの『白いレガッタ』に至り、
やっと、
レゲエが何であるか知ることになるのですが、
これは新鮮でした。
このアルバムの収録曲では、
前のアルバムに収録されていた曲の
間奏部分を切り取ったタイトル曲と、
「ウォーキン・オン・ザ・ムーン」が好きで、
どちらの曲も、
フランジャーやエコーを使い、
ニュアンスに富んだコードを多用するギター、
ドライブ感満載のシンプルなベース、
スッカスカなのに躍動感あふれるドラムス、
にシビレまくったものです。
とくに、
「ウォーキン・オン・ザ・ムーン」のリズムは、
レゲエそのもので、
この感じが、
私のオツムにインプットされていることは確かです。
ボブ・マーリーと出会ったのは、
ポリスの後ぐらいで、
名盤『ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ』を聴き、
感動しまくっていました。
このアルバムでは、
「ノー・ウーマン、ノー・クライ」の、
包み込むような優しさが好きで、
今でもこれを聴くと胸が熱くなります。
ラッシュも、
1980年発表の『パーマネント・ウェイヴス』の1曲目で、
レゲエのリズムが登場するところがあり、
その後、
80年代の中期ぐらいには、
ポリスのようになってしまうのですが、
当時の欧米でレゲエが、
HIPな音楽であったことが窺えます。
1980年代に入ってからは、
ブラック・ウフルとか、
2000年に入ってからは、
スライ&ロビーのZEPカヴァーとか、
いくつか思い出すものはあれど…
まぁ、その程度の関わり方だったのです。
今回はいろいろな切り口から入ってみようか、
と企んでいるのですが、
超アフタービート志向の私にとって、
このノリはたまらなく心地よいことは確かで、
しかも、
ソウルやファンクと同じ匂いを感じているので、
何か収穫があるかもしれません。
世の中には、
まだまだ聴いたことのない音楽が、
たくさんあるんですね。
↓結局、この方々からの影響が強いようで…
というわけで…
レゲエにハマりつつあります。
とはいえ、
かつてブラック・ウフルなんか、
よく聴いたわけですが、
曲がどうのというよりも、
全体のノリが勝負なので、
流していることが多くなり、
正直なところ楽曲単位での思い出は、
あまりありません。
(みんな同じに聴こえてくる…(笑)
自分の人生において、
最初に耳にしたレゲエ・ナンバーは、
おそらく、
クラプトンによる「アイ・ショット・ザ・シェリフ」
と思われます。
たしか…
中学2年の時にラジオで聴いたと記憶していますが…
(1975年)
これは今から思うと、
当時流行していた、
ディスコミュージックのような…
いわゆる、
ファンクっぽく聴こえたので、
何の違和感もなく、
カッコイイ曲だと思ったものです。
次に、
ローリング・ストーンズは『ブラック&ブルー』に収録の、
「チェリー・オー・ベイビー」(1976年)
これは、
名曲「ハンド・オブ・フェイト」の次に収録されていて、
初めて聴いたときには、
「なんだこりゃ?フザケてんのか?」と、
ミック&キースの考えを計りかねたものでした。
まぁ…レゲエのレの字も知らなかった、
というところでしょうね。
それからしばらくして、
ポリスの『白いレガッタ』に至り、
やっと、
レゲエが何であるか知ることになるのですが、
これは新鮮でした。
このアルバムの収録曲では、
前のアルバムに収録されていた曲の
間奏部分を切り取ったタイトル曲と、
「ウォーキン・オン・ザ・ムーン」が好きで、
どちらの曲も、
フランジャーやエコーを使い、
ニュアンスに富んだコードを多用するギター、
ドライブ感満載のシンプルなベース、
スッカスカなのに躍動感あふれるドラムス、
にシビレまくったものです。
とくに、
「ウォーキン・オン・ザ・ムーン」のリズムは、
レゲエそのもので、
この感じが、
私のオツムにインプットされていることは確かです。
ボブ・マーリーと出会ったのは、
ポリスの後ぐらいで、
名盤『ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ』を聴き、
感動しまくっていました。
このアルバムでは、
「ノー・ウーマン、ノー・クライ」の、
包み込むような優しさが好きで、
今でもこれを聴くと胸が熱くなります。
ラッシュも、
1980年発表の『パーマネント・ウェイヴス』の1曲目で、
レゲエのリズムが登場するところがあり、
その後、
80年代の中期ぐらいには、
ポリスのようになってしまうのですが、
当時の欧米でレゲエが、
HIPな音楽であったことが窺えます。
1980年代に入ってからは、
ブラック・ウフルとか、
2000年に入ってからは、
スライ&ロビーのZEPカヴァーとか、
いくつか思い出すものはあれど…
まぁ、その程度の関わり方だったのです。
今回はいろいろな切り口から入ってみようか、
と企んでいるのですが、
超アフタービート志向の私にとって、
このノリはたまらなく心地よいことは確かで、
しかも、
ソウルやファンクと同じ匂いを感じているので、
何か収穫があるかもしれません。
世の中には、
まだまだ聴いたことのない音楽が、
たくさんあるんですね。
↓結局、この方々からの影響が強いようで…